日夜ネット世間に現れるクリエイティブな日本語を鑑賞するシリーズ、今回のテーマは「勇み足」です。
「勇み足」は相撲の決まり手のひとつです。広辞苑第7版には「相手を土俵際へ追いつめながら勢い余って相手より先に足を出して負けること。」とあり、やった方が負けとなるタイプです。
そこから「調子に乗りすぎて、失敗すること。」(三省堂国語辞典 第8版)の意味にもなります。
これらに則った、勇み足の用例です。
文脈を補っておきますと、フラルネのリップバー販売を知って予約に向かったら、予約の受付は21日からだったといった話です。わかりやすい勇み足です。
ところがネット世間には、こうした旧来の勇み足観では解釈困難な勇み足が実在します。
そんな2025年3月最新の勇み足事情を見ていきましょう。
シン・勇み足の誕生
それは失敗なのか、微妙な勇み足
こちらの勇み足は、失敗要素があるのか否かがたいへん微妙です。
記事を読むと、ロンドンでの先行販売は3月8日からで、記事筆者の方はスケジュールの都合でその前日7日に訪れたといった内容でした。当然購入はできなかったものの、新製品を手に取って触れることはできたようです。
記事での筆者の行動はすべて承知の上でのものに思え、失敗要素をほとんど感じられません。
はたしてこれは勇み足なのでしょうか?
失敗しない勇み足たち
そうした私の疑問が実にちんけなものであることを思い知らされました。検索すると、失敗しない勇み足がいくつもあったからです。
どれもみな、まるで大門未知子のような、失敗しない勇み足たちです。
②まだ避難指示区域には立ち入れませんから、勇み足でボランティアに来ていただいても、今の時点では現地の作業があるわけではありません。物資仕分けなどの活動も当面、市民に限っていますしね。そういう意味では「今じゃない」とは言えると思います。でも外部ボラの力は今後、絶対に必要となります。
— 東海新報(仮) (@tohkai_joshibu) March 5, 2025
どの勇み足も、単に「勇んで足を運んだ」と解釈するのがいちばん筋が通ります。
探してみると、失敗しない勇み足は10年以上前から実在しました。けれども近年ほんのわずかながらも、その比率が上がってきている感があります。
コンテキストの束縛から解き放たれたその足
あらためて考えてみると、旧来の「勇み足」が失敗を含意するのは、えらくハイコンテキストです。
急いでいる人の足取りを急ぎ足と呼べるなら、勇んでいる人の足取りを勇み足と呼ぶのも十分合理的です。
とすると、ドクターXの岸部一徳がメロンと請求書を持参するときの足取りもまた、勇み足となる日が意外と早く来そうです。

画像は「ドクターX」の晶さんと12年でお別れ「寂しい」でも前向き 岸部一徳|ひとシネマ(2024/12/04付)より
私失敗しないので
おわり
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