タイムラインにこんなツイートがやってきて、猪爪寅子ばりに「はて?」となりました。
素人もどき?
この記事では、「素人もどき」のはて?を追究します。
画像はイラストエイトより
※画像と本文はあまり関係ありません
要約:Executive Summary
新しい「素人もどき」は
- 既存の理論を越えたグルーヴあふれる日本語です。
- たとえるなら、和声進行のセオリーを外れているのにオシャレに響くコードのような存在です。実用の現場から生まれ、理論は後づけだからです。
- 1つの論理構造を2語で受け持つのではなく、似たベクトルの2語を並べて合体させた言葉です。
- 「素人」の指す意味領域が広すぎるゆえに生まれたとも考えられます。広すぎるゆえ素人単独ではパンチもない。無意識レベルでその弱さを補ったグルーヴが「もどき」ではないでしょうか。
- 後づけで理論立てるならば、近年ヤシロが提唱する「標識語」の一類型とも言えます。
「もどき」とは?
あらためて「もどき」を辞書で引いてみます。
「…に似(せ)ていること。」「にせもの。」(三省堂国語辞典 第八版)となっていました。
似て非なるものが「もどき」です。
代入すると、「素人もどき」とは、「素人と似て非なるもの」です。素人以外の何ものかを表します。
これが旧来の「素人もどき」を読みとくための論理構造です。
旧来の「素人もどき」
実際に、旧来の「もどき」理論で説明できる「素人もどき」もありました。
はい。「素人のフリをした役者」は、素人でない何ものかなので、「素人もどき」です。よくわかります。
これもよくわかります。「素人ものAVは素人もどきが9割」との箴言もあるほどです(ない)。
シン・「素人もどき」コレクション2024
しかし冒頭のものを含め、旧来の「素人と似て非なるもの」理論では説明不能な「素人もどき」勢力が実在しました。
はて?
それって単なる「素人」または「もどき」じゃないんですか?
となるツイートたちをコレクションしました。
「似て非なるもの」な旧式の「素人もどき」の側に立ってそれぞれコメントを挟んでおきます。
それはマジでマズいですね。素人もどきなんて戦場ではただの的ですよ。
— 恋歌 (@renka0014) February 29, 2024
「素人ものAVは素人もどきが9割」の箴言に従えば、逆じゃないですかね。
よく分かってない素人もどきが、なにがしかの思惑や盲目の善意で障害者を助けてるワタシって素敵、と浮かれてる危険性も私は指摘したい。障害者支援は本当に慎重かつ真摯に行わねばならない。専門知識がいらないことは、一般の方たちも積極的にやっていただけると助かるけれど、そうでない部分は
— くり からん◆楽しむ病人生活 (@imeyun_kana) March 20, 2024
「素人もどき」だったら、どちらかと言えばよく分かってる人ですね。素人と似て非なる存在なのですから。
「素人もどき」だらけって、すなわち「プロ集団」じゃないですか。
また日本政府には日本の整体、マッサージ、接骨院の規制も厳しくしていただきたいのです。真剣な話です。日本では訓練が十分でない素人もどきの人がやっていることがあり、いまだに頚椎の危ないマッサージや施術をやっています。衛生が問題があるところもある。他の先進国では許されない状況もあります
— May_Roma めいろま 谷本真由美 (@May_Roma) March 27, 2024
訓練が十分でないのなら、それは「素人」または「もどき」ですね。
どれもこれも
「素人」か「もどき」だけで伝わります。
私の頭の中の夏井いつきさんがそう言いそうです。
究極の?「素人もどき」
かと思えば、新旧どちらにも読める用例もあって、いたく感じ入りました。
その漫画を描いた主体が、
- 旧来の「素人もどき」、すなわち「素人に似せて作った」と解釈すれば、その正体は漫画家です。
- 新しい「素人もどき」、すなわち「素人のもどき」と解釈すれば、正体は素人です。
実に面白い。
「素人」か「もどき」だけでは伝わらない
「素人」か「もどき」だけで伝わります。
本当でしょうか?
ちょっと待った!と、私の頭の中のねるとん紅鯨団が叫ぶのでした。世界線がめちゃくちゃなのは見逃してください。
伝わらないのですよ。「素人」か「もどき」だけでは。
「素人」だけで伝わらないのは、世の中にいろんな「素人」がありすぎる結果、意味が希薄になっているからです。考えてみれば、誰もがみな何かの素人です。この世には人の数だけ、事実上無限の素人分野が広がっています。何かの機会が来てはじめてそれを自覚するゆえ、ボーッと生きているだけでは見過ごされているのです。ともかく言いたいのは、素人のカバーする範疇が広すぎてぼんやりしているということです。
「もどき」だけで伝わらないのは、語彙が高度すぎるゆえ言葉足らずだからです。「がんもどき」のように「もどき」を含む言葉も世の中にはいくつかあります。けれど「ナントカもどき」の使用者たちが、もどきとは何なのか、もどくとはどういう動作なのかを頭に入れてるようには思えません。大半がただ雰囲気で使ってる感じがします。多くの人にとって「もどき」はむしろおまじないに近い響きに聞こえてるんじゃないですかね。根拠ないけど。
かく言う私も、使用語彙にあるのはせいぜい名詞形の「もどき」までで、元の「似せて作る」意味の動詞「もどく」を使ったことはこれまで一度もありません。一生涯ない気がします。
露悪的に言ってしまえば、こうした具合に言語そのもののことを考えながら言語を使用するのは、変質者のやることです。
類例:玄人はだし
「素人もどき」と似た言葉に「玄人はだし」があります。
「玄人がはだしで逃げる意」(大辞林 第四版)だそうです。
どこが似ているかというと、両者の意味や論理構造ではなく、それぞれの語が持つグルーヴです。平たく言えばノリです。
類語:にわか素人
「素人もどき」があるなら「にわか素人」もありそうと探すと、ありました。用例のほぼすべてが、「にわかの素人」を意味していました。
けれども「変化が急に行われ、かつその変化がすぐやむ様子だ」(新明解国語辞典 第八版「にわか」)の語釈に照らせば、「素人質問で恐縮ですが」と発する瞬間だけ素人を自称するリアルガチ勢こそが、理論的に妥当な「にわか素人」であるはずです。
こうした構図が「素人もどき」によく似ています。
まとめ
「素人もどき」を考えてみました。
「素人」では広すぎてパンチが弱いのでサブカテゴリ的に「もどき」が補われる。そう雑にまとめておきます。その点で「にわか素人」も同様です。
たとえて言えば、「しんぼる」と「猫塾」じゃどちらも弱かったってことですよ。結果論ですけどね。
このように、日本語の進化の多くは、ものの道理を大して考えない人たちによってもたらされます。旧式の理論よりもグルーヴが勝るのです。面白いですね。
こちらからは以上です。
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