「湾曲表現」で「事実を湾曲する」人たち【2024年版】

日夜ネット世間に現れるクリエイティブな日本語を鑑賞するシリーズ、今回のテーマは「湾曲」です。読み方は「わんきょく」です。

旧来の「弓形にまがること。(広辞苑)」と説明される湾曲を超える創造性が発揮された湾曲ワールドが、この世に実在していました。こと日本語の運用に関しては保守的で創造力ほとんどゼロの自分には、勉強になることばかりです。

さっそく見ていきましょう。

写真と本文は関係ありません

湾曲表現

まずは湾曲表現です。

2024年4月度のツイートからいくつかピックアップします。短くわかりやすいものを選びました。それ以上の他意はありません。

私の日本語運用はきわめて保守的なので、こういうときは「婉曲表現」といいます。婉曲の読みは「えんきょく」です。

このあたり、一部では既に気づかれていて、「湾曲表現 婉曲表現」でググると複数のサイトで取り上げられていました。

さて、一段とクリエイティブなのはここからです。こんな指摘がありました。

へーそうなんや。ということで探しました。ありますね。

という具合です。先述の指摘の「単純に間違えてる」には異議ありですが、ここはいったんスルー。

かと思えば

と一周回って元に戻ってきた湾曲表現までありました。大変よいです。

事実を湾曲する

動詞形でクリエイティブに湾曲される筆頭格は、「事実」です。

2024年4月5月のツイートから事実を湾曲する用例を紹介します。

いかがですか。てんでばらばらの文脈から拾ってきたのに、ひとつのメロディーが聞こえてくるかのようです。

「誤用」とする貧しさ

私の使っているATOKでは、「事実を湾曲する」を変換すると《「事実を歪曲する」の誤用》と注釈が出ます。まあ、一周目の話としてはそうです。私の日本語運用はきわめて保守的なので、ねじ曲げる意味で使うなら、同じく「歪曲する」です。ちなみに読み方は「わいきょく」。

でも誤用扱いはなんというか、薄っぺらいものの見方ですね。貧相です。なぜなら「事実を湾曲する」には、旧来の湾曲の枠組みを超えた創造性があるからです。

私の見た範囲で、解説に品詞を載せている辞書はどれも「湾曲する」を自動詞に分類していました。自動詞というのは、目的語を持たない動詞です。けれど、「事実を湾曲する」の「湾曲する」は、「事実」を目的語に持つ他動詞です。大変クリエイティブでよいですね。愉快です。

まとめ:ポリバレントな湾曲

イビチャ・オシムが広めた「ポリバレント」というサッカー用語があります。「サッカーで,複数の役割をこなす能力をもっていること。(大辞林4.0)」です。

「湾曲表現」や「事実を湾曲」における湾曲は、湾曲本来の持ち味を残しつつ、同時に婉曲や歪曲のもつ能力をも兼ね備えています。どのポジションで起用してもきっちり仕事を果たしています。まさにポリバレント。

オシムが監督なら、湾曲の代表入りもあったかもしれません。

続・誤用論の貧困

ですから「単純に間違えてる」とするのもまた、薄っぺらく貧しいものの見方です。もし湾曲な人たちが「婉曲」や「歪曲」を知ったら、そっちに乗りかえるでしょうか。乗りかえるのは少数派の気がします。婉曲や歪曲を知らされても依然、湾曲な人たちの「辞書にない」状態が続く可能性の方が高いんじゃないですかね。だって湾曲の方がずっと魅力的だもん。

たとえるなら、既にポリバレントなスチームオーブンレンジを備え置いたキッチンに、さらに単機能の電子レンジを重ねて置きますか、みたいな話ですよ。私なら、たとえタダで手に入っても「いらない」です。ただでさえ狭いキッチンスペースですから。

そこんとこ実際どうなのかを検証するひとつの方法として、湾曲な人に、それを言うなら「婉曲表現」「事実を歪曲」ですよ、って教えてみたらどうですかね。私はやりません。極端に言えば、それはイノベーションをだめにする愚行ですので。

万国の湾曲者よ

旧来の「婉曲」「歪曲」が何倍も多いのは多いのですけれど、「湾曲表現」「事実を湾曲する」人たちもまた、確実に存在することがわかりました。

もし湾曲の湾曲による湾曲のための湾曲政党が国政選挙に打って出れば、比例代表で議席を取れるぐらいの勢力は間違いなくあります。その名が日本湾曲党か、湾曲の会か、れいわ湾曲組なのかわかりませんけれど。

私はきっと支持しませんし、極端な湾曲政策へは批判もするでしょうけれど、湾曲政党が議席を得る世の中は歓迎します。

そんなところです。

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