こんにちは。
ここへきての有名人考シリーズ第4弾です。
はじめに
- 「有名人」考(1)―現代編(2013/06/12)
- 「有名人」考(2)―過去編(2013/06/13)
- 有名人考(3)―有名の本質がわかりました(2013/07/04)
と重ねてきて、「有名人とは情報化された人」と結論づけることができました。
今度は反対に、有名人を有名人たらしめている側から考察してみます。
FUNKIST(2008)
結論:ファンが本人に言ってはいけないただ1つの言葉
結論から述べます。
ファンが本人に言ってはいけないただ1つの言葉とは、
「ファンです」
です。
理由
なぜなら「ファンです」という言葉は、ファンでない人のための言葉だからです。
どういうことかというと、ファンでない人がある有名人と同じ空間に置かれた場合に、その場を取りつくろうのにいちばん便利な言葉、それが「ファンです」なのです。
なので有名人の側は、むしろファンでない人から「ファンです」と言われ慣れてしまっています。言葉の額面どおりに伝わらない言葉をファンが使うのは愚策と言えましょう。
一般論的傍証
ふわっとした印象論です。
旅番組や食べ歩き番組など、タレントが市井の人間と接触するテレビ番組でよく見る光景です。
特にどこかのお店に入ったときに多いのですが、店の人が何も言うことがなく、といって黙っているわけにもいかずで、そんなシチュエーションで出てくる言葉がたいてい「ファンです(でした)」。
その言葉が飛び出した刹那、いつもビミョーな空気が漂っています。見ている側まで気まずいです。
さらに「大ファンです」になると、ビミョーさ気まずさも倍増です。
好きでも嫌いでもないのだったら、一般の来店客と等しく接していればいいのに。ファンでもなく見ても応援してもいないのに、「ファンです」「見てます」「応援してます」などと、心にもないこと言わなきゃいいのにと、いつも思います。
悪意がないことはわかります。だから始末が悪いのです。
具体的経験から
絶対に「ファンです」と言わなそうなファンを見た経験を書きます。
昔、有楽町の本屋さんで「渡辺淳一先生サイン会」に遭遇したことがあります。大半が女性でした。中には特大の花束を抱えている人もいました。とにかく異様な空間でした。
僕は渡辺淳一さんのファンではありません。渡辺さんの文章は、評論での引用部分としてしか読んだことはありません。たとえばこの本とか。
振り返ってみて言えるのは、あの場にいた人たちは渡辺さん本人に絶対に「ファンです」とは言ってないだろうなということです。一目瞭然だもの。なぜにあらためて宣言する必要がありましょうか。
では正解は何なのか
不正解はわかりました。では、ファンが本人と接触する機会があったとき、何を言うのが正解なのでしょうか。
上述の例のように、用意された状況であるならば、僕の暫定回答は「本人の仕事のうち、見過ごされがちな部分を具体的にほめる」です。同じことを本人の目線から言うと「めったに言われないが、言われるとうれしい部分」です。
そのときの文脈に合いそうな具体例をいくつも用意しておかないといけませんから、難しいですね。最適解はまだ模索中です。
偶然会ったとき、これはさらに難しいです。「何も言わない」を含めて、何が最適な言動かを引き続き考えています。
格言風まとめ
格言風にまとめると、こうなります。
ファンはファンを自称しない。ファンを生きるだけ。
余談
余談です。これは別の本屋さんでの話ですが、渡辺淳一さんの本が「サブカル」の棚に入っていたのを嫁が見つけました。
以来うちでは、渡辺淳一さんのジャンルはサブカルです。
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