野口悠紀雄さんは、さらなるを敵視しています。
この記事では、野口さんの著書その他から「さらなる」について確認できた記述を紹介します。
「さらなる」に対する主張は次の3点に要約できます。
- 誤用である
- 突然変異的に発生した
- 全共闘用語
この3点をメインに拾い上げ、これも野口さんの著作である『「超」整理法』(1993)の教えに従って、時系列の順に並べてゆきましょう。読んでませんけどね!
野口悠紀雄さんの「さらなる」デスノート
3つの主張について、それぞれダイジェストします。
だんなデスノートをも彷彿とさせる敵視ぶりを確認していきましょう。
「超」整理日誌 1996
「5 近ごろ気になる言葉の乱れ」の終盤に登場します。
もう一つ、気になるのは、「さらなる」である。(p.42)
これは、誤用ではなかろうか。(p.42)
としています。
「突然変異的」「全共闘用語」について言及はありません。
「近ごろ気になる言葉の乱れ」のone of themの扱いです。実際、全8ページある本編のうち、このくだりが出てくるのは7ページ目です。
一度、国語学者に正確なところを聞きたいと思っている。(p.42)
ともしています。
初期は、わりあいに軽めのタッチだったんですね。
時間旅行の愉しみ 「超」整理日誌3 1998
「さらなる」という表現を最近よく目にする。(p.87)
と始まるこの一編で、主張はできあがっています。
タイトルも「11 『さらなる』を追放しよう」と物騒です。
主張を抜き書きしますと
これは誤用である。(p.87)
死語となった「さらなり」の連体形「さらなる」が、あるとき発掘され、それが誤った意味に用いられたのである。これは、突然変異的に発生した言葉である。(p.89)
しかし、「さらなる」は、このような連続的な変化で生まれた言葉ではない。繰り返すが、それは突然変異的に発生した誤用である。(p.92)
いつから使われることとなったのか、正確にはわからない(注2)。(略)私がこの奇妙な言葉を初めて聞いたのは、五、六年前のことである。(p.89)
注2 全共闘のアジ演説でこの表現が生まれたとの説もある。(p.94)
という具合です。
初出時(1997)よりも主張が強くなっていた
実は、初出である雑誌連載の時点ではこういう言い回しでした。
私は、これは誤用であると考える。(p.84)
出典:「超」整理日記/週刊ダイヤモンド 1997.9.6 号
これが翌年、単行本になる段で「誤用である」となり、主張のトーンが強まっています。どうしたんでしょうね。
「国語学者に正確なところを聞」いてこの結論に至ったんでしょうか。野口さんに聞いてみたくもあります。
まぁそもそも論として、「国語学者」などこの世に実在するのか? 麒麟や鳳凰と同じように、言い伝えにのみ生きる想像上の存在ではなかろうか?との疑問もあるのですが(「超」暴論)。
また、「全共闘用語」に関する注も、単行本刊行時に付け加えられたものでした。
これらの主張は妥当か?どうして主張が強くなったのか? どちらも詳しくは別の記事で検証します。
「超」文章法 2002
「追放できなかった『さらなる』」と題した段があります。従来の主張をダイジェストした格好です。
右のリストにある言葉で私がとくに目の敵にしているのは、「さらなる」だ。(p.220)
これは誤用である(p.220)
しかも、「ラ抜き言葉」のように徐々に変化したものではなく、突然変異的に出現した表現だ(p.220)
(全共闘用語だったという説がある)(p.220)
誤用とする理由については
*「さらなる」が誤りである理由は、つぎのところで詳細に述べた。(p.221)
と、既刊を案内しています。
わが「さらなる」黒歴史
ここで、「わが社の黒歴史」を自白します。
かつて私は、このくだりをうっかり「え?そうなん?」と受け取ってしまい、「さらなる」を使わずにいた時期がしばらくありました。
のみならず、一度は親しい人に吹き込んでしまいました。今にして思えば、未熟で浅はかなことでした。
あさやま君、その節はスマンかった。
「超」説得法 2013
私は、次の二つの場合には、無条件に「アウト」と判定している。(p.49)
と「負の一撃説得」を紹介するうち、2番目に登場します。
「さらなる」という表現が用いられている場合。(p.49)
「さらなる」という日本語は誤りである(p.49)
「突然変異的」「全共闘用語」に関する言及はありません。
note「小言幸兵衛の日記」 2018
1998年刊行の『時間旅行の愉しみ』掲載の原稿を元にして、noteにまとめた作りです。
小言幸兵衛の日記:国語を大事にしない国民が繁栄できるはずはない(2018/12/31付)
平成最後の大みそかに、平成の30年間をふり返るトーンとなっています。
この時代に登場した誤った日本語は多々ある。それらのうちで最も気になるのは、「さらなる」だ。
「さらなる発展のために」 という用法は誤用である。
死語となった「さらなり」の連体形「さらな る」が、あるとき発掘され、それが誤った意味に用いられたのである。こ れは、突然変異的に発生した言葉である。
しかし、「さらなる」は、このような連続的な変化で生まれた言葉で はない。繰り返すが、それは突然変異的発生した誤用である。
いつから使われることとなったのか、正確にはわからない。私がこのことばを初めて聞いたのは、平成の初め頃のことである。なお、全共闘用語だったという説がある。
と、文言もおおかた踏襲しています。
1998年のテキストとのごくわずかな差異に気づける人は、上級者です(なんの?)。
余談ですが、野口悠紀雄さんの「小言幸兵衛の日記」サムネイル画像の元ねたはこちらです。
出典:平成十一年 笑門来福 落語切手|日本郵便
三遊亭圓生と、落語の「小言幸兵衛」に出てくるモチーフをあしらったイラストとなっています。
書くことについて 2020
世は平成から令和へ。2018年のnoteを、ですます調に整えた格好です。
誤った日本語は多々ありますが、それらのうちで最も気になるのは、「さらなる」です。(p.200)
「さらなる発展のために」という用法は誤用です。(p.201)
死語となった「さらなり」の連体形「さらなる」が、あるとき発掘され、それが誤った意味に用いられたのです。これは、突然変異的に発生した言葉です。(pp.202-203)
繰り返しますが、それは突然変異的に発生した誤用です。(pp.205-206)
いつから使われることとなったのか、正確には分からないのですが、私がこの言葉を初めて聞いたのは、平成の初め頃のことです。なお、全共闘用語だったという説があります。(p.203)
超「超」勉強法 2023
これまでの主張が2ページに詰まっています。集大成と呼べそうな凝縮ぶりです。
これは、1970年代に全学共闘会議のアジ演説の中に、突然変異的に出現した言葉です。(p.179)
びっくりです。何がびっくりって、断言しているからです。
2020年の著書では「いつから使われることとなったのか、正確には分からない」「全共闘用語だったという説が」でした。その後、研究が進んだのでしょうか。でも、なんにも説明がないんですよね。
この表現は誤りであると、私は20年以上にわたって訴え続けてきました(p.179)
当記事でも確認してきたとおりですね。
リストは以上です。
【ゆる募】「さらなる」記載情報求む
ひとつ念を押しておきますと、当記事のリストはあくまで「確認分」です。完全版ではありませんのでご注意ください。「くまなく探してこれだけ」でなく「見つかったものだけを載せている」「全部は探していない」が実態です。
というわけで、野口悠紀雄さんの「さらなる」記載情報をお持ちでしたらお寄せください。ゆるっと募集しておきます。新たに判明したら追加していきます。
ちなみに、インタビュー原稿を書き起こす際の「禁句集」に「さらなる」を入れているといった話が出ているものもありましたが、紹介は割愛しました。それは好きにすればいいので。
おまけ:野口悠紀雄さんの『「超」○○法』
誰得情報です。当記事の公開時点で、タイトルが『「超」○○法』のフォーマットになっている野口悠紀雄さんの著書は、全部で11冊あります。
- 「超」整理法(1993)
- 「超」勉強法(1995)
- 「超」旅行法(1999, 2003)
- 「超」発想法(2000)
- 「超」文章法(2002)
- 「超」納税法(2002, 2004)
- 「超」英語法(2004, 2006)
- 「超」手帳法(2006)
- 「超」説得法(2013)
- 「超」独学法(2018)
- 「超」創造法(2023)
次回予告
「さらなる」に対する野口悠紀雄さんの主張を見てきました。
要旨を再掲します。
- 誤用である
- 突然変異的に発生した
- 全共闘用語
結論をいえば、まるごと間違ってます。
次の記事
で、超丁寧に供養します。
つづく
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