辞書にも推したい21世紀のことわざ「困った人は困っている人」

浜の真砂は尽きるとも、世に困った人の種は尽きない昨今、オンラインにもオフラインにも困った人があふれています。末法の世とはこのことです。

でもちょっと待って!

そんなふうに思っているあなたに、本日おすすめしたいのはこちら。

困った人は困っている人

私の推したい「21世紀のことわざ」です。

今はまだローカルアイドルぐらいのその知名度を、全国区の国民的レベルへと押し上げたいのであります。

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※画像と本文は関係ありません

さかのぼり「困った人は困っている人」史~back to 2006

その用例を、手近なところからさかのぼって見ていきましょう。

2020s

まずは嫁の蔵書から。

 こう言い換えてもいい。「困った人」は「困っている人」なのだ、と。だから、国が薬物対策としてすべきことは、法規制を増やして無用に犯罪者を作り出すことではない。薬物という「物」に耽溺せざるを得ない、痛みを抱えた「人」への支援こそが必要なのだ。(p.219)

 少年矯正の世界から学んだことが二つある。一つは、「困った人は困っている人かもしれない」ということ、そしてもう一つは、「暴力は自然発生するものではなく、他者から学ぶものである」ということだ。(p.74)

出典:松本俊彦『誰がために医師はいる』(2021)

ちょび髭チェックスーツで嫁におなじみの著者でした。

2010s

2010年代ぶんは、もっぱらTwitterに頼ります。

2014~2015年にかけて、使用ジャンルの広がりが観測できます。私自身が認知したのもこの時期だったと記憶しています。

大ざっぱに言えば、福祉・介護・医療の分野で徐々に浸透している様子がうかがえます。

さらに古いところでは、2010年の用例が残っていました。

何かの授業に出てきたようです。

2000s

2000年代の文献から見つけられた用例は、「困った人」ではなく「困った」でした。

どうやらそちらが「原形」のようだ、との感触を得ています。

「子」バージョンをタイトルにした本が2006年に出版されていました。

大和久勝編著『困った子は困っている子』(2006)からです。

今回の本の中で第一に考えてみたかったことは、「子ども観」の転換です。この子たちは、「困る子」「困った子」として、教師や親の前に登場しますが、実は本人が困っているのだという「困っている子」として見ることの大事さを考えてみたかったのです。(p.3)

子どもの生きづらさや苦しみ、そして生きがいや喜びなどにふれながら、その子をまるごと理解していけるのだと思います。その子への共感が、「子ども観」転換のカギです。(pp.3-4)

と、よくある「同調」の共感ではなく、cognitiveな共感像を提示している点が印象的です。

文部科学省が特別支援教育の対象として示した「軽度発達障害」の子どもたちの問題や指導(p.3)

に関する実践事例集でした。

国会会議録を探してみますと、

井上哲士君 (略)現場では、教職員の皆さんもいろんな努力をされておりまして、困った子と見るんじゃなくて、困っている子なんだということでいろんな手を差し伸べております。

出典:参議院 文教科学委員会 第10号 平成18年4月25日

とありました。西暦で言えばちょうど2006年ですから、時期も符合します。

教育の現場から自然発生的に生まれたフレーズらしいと、ひとまずの結論です。

辞書にも推したい

ツービートの漫才が発祥の「赤信号みんなで渡ればこわくない」が、2021年末に改訂された『三省堂国語辞典 第八版』に収録され、一部で話題となりました。言及する当時の記事の一例です。

「エモい」は「あはれ」の子孫です…命削って作った三省堂国語辞典、始まって以来の大改訂
【読売新聞】 「サンコク」の愛称で親しまれている「三省堂国語辞典」が約8年ぶりに改訂され、第八版が今月17日に発売された。「スッチー」「MD」など約1100語が消え、「エモい」「黙食」といった約3500語を新たに収録した。ネット時代

「エモい」は「あはれ」の子孫です…命削って作った三省堂国語辞典、始まって以来の大改訂 |読売新聞オンライン(2021/12/31付)

「赤信号~」の場合、その出所は相当はっきりしています。そちらとは違って、民草の中から誰ともなく言い出されたところも、「困った人は困っている人」を推せるポイントの1つであります。

ただ「赤信号~」も突然生まれたわけでもなく、そこにつながる「点」として、小学生時代の北野武さんが作った交通標語「ちょっと待て 赤い目玉が 光ってる」があるわけです(参考:「ファミリーヒストリー」2016/12/21 OAほか)。

話はそれますが、「赤信号~」に次いで語り継がれる(弊社調べ)標語「元旦や餅で押し出す二年糞」もまた、こちらの記事の情報によると、ビートたけしさんのオリジナルではないというのです。つい最近知りました。

俳句の本を読む:「金子兜太の俳句入門」金子兜太 - 何かのヒント
俳句関連の本を大別すると、「句集」「鑑賞・批評」「アンソロジー」「入門書」「歳時記」の5つくらいに分けられる。 そのうち明らかに多そうなのが入門書で、おそらく売り上げ全体の半分近くは入門書によるものではないかと思う。

俳句の本を読む:「金子兜太の俳句入門」金子兜太|何かのヒント(2015/04/21付)

寄席芸人から金子兜太の父君へと、驚きのファミリーヒストリーが展開されるのでした。詳細は上記リンクで。

私は長年「~二年糞」は、高浜虚子の代表句「去年今年貫く棒の如きもの」へのアンサーだと勝手に思ってました。その「アンサー」が大幅に時代をさかのぼれると知り、はなはだ頼りない心証となってしまいました。

話を戻します。「困った人は困っている人」も同じように、今後の研究動向によってはスティーブ・ジョブズばりのconnecting dotsや、さらには「言い出しっぺ」の特定もあり得ます。見切り発車的に形容した「21世紀」すら覆されるやもしれません。そこも含めて調査研究の進展を待ちます。

間接的アプローチとして

補足しておきます。便宜上「辞書にも推したい」としましたが、直接なにか載せるための運動をしたいわけではなく、間接的なアプローチとご理解ください。国民的レベルで人口に膾炙する日が来れば、いずれ辞書にも載るでしょう。早ければ今世紀後半と見ています。

普及のステージで想像される軋轢にあらかじめ答える

「困った人は困っている人」

私の好きな言葉です。

けれども一般への普及度にむらがあることで、相対的に普及の進んだ領域では早くも次のようなもやもやを抱える方もお見えです。

そのとおりです。

「困った人」がもたらす迷惑、もっと大きく言えば罪でもいいです。それは迷惑であり、罪です。

「困った人は困っている人」は、免罪の言葉ではありません。

多様な視点や隠された背景、そういった事柄の存在に気づかせるための警句だと理解しています。

オンラインオフラインを問わず「困った人」の事案を見聞きするたび、そこから「困っている人」の側面を探し出すように私は心がけています。

♪半分以上無理矢理に~

特に意味なくB’zの歌詞(2015)で締めくくってみました。

こちらからは以上です。

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