に続く、日本語警察の捜査ファイルです。
根本の結論は同じです。捜査の結果、いっそう補強されたとしてもいいかもしれません。
結論 reiterated
強めの表現でくり返します。
雑学ネタとしてときどき、ネギトロの語源・由来は「ねぎ取る」と唱える人がいます。
ここまでに明らかとなった事実関係から評価すると、でたらめです。
なぜなら「ねぎ取る」は「ネギトロ」よりも新しい言葉ですから。残念。
新語を由来にするでたらめさ
類例を示すことで、一部で出回るネギトロ語源のでたらめさ加減をしつこく周知します。
もしあなたが、
Googleの語源・由来は、ネットで検索するのを「ググる」と言ったから
とする言説に出会ったら、それ信用しますか?
たいていの人はアホかと思うのではありませんか。話が逆ですから。
- (※でたらめ)ネギトロの語源・由来は、ネギトロにする身を集めるのを「ねぎ取る」と言ったから
もまた、話が逆です。「ググる」がGoogleの由来と主張するのに等しいでたらめです。
ネギトロの場合そうかもと思わされるから後を絶たないのでしょうけれど、前に書いたとおり、「ねぎ取る」の来歴を確かめるとネギトロの後から現れた言葉でした。詳しくは前掲の記事をどうぞ。
「ねぎ取る」の起源に関する新たな仮説
では、「ネギトロ」からどのように「ねぎ取る」が生まれたのでしょうか?
2007年7月以前に「ねぎる」または「ねぎ取る」を聞いたことがある。と推定できる証言を2例得られました。
そこから
葱のない「ねぎとろ」を提供するときの方便だった
を、「ねぎ取る」の始まりに関する新たな仮説として示します。
- どちらの証言の現場も飲食店だったこと
- これまで集めた情報すべてが矛盾なくととのうこと
がその根拠です。詳しくは後ほど。
おことわり
あらかじめことわっておきます。当記事で取り上げました各情報は、いずれも額面どおりの表明として取り扱いました。いずれの情報発信も、とりわけ証言について「現段階での記憶そのまま」と受け取り、「発信者が意図的に偽情報をまぎれ込ませている」想定は除いて扱っています。
最大の理由は「真偽の検証がとてつもなくめんどくさいから」です。なんですがそのうえで、各発信者の主観基準ですべてを「真」ととるのが、自説に対して最も不利でもあるからです。
「ねぎとろ」簡易年表
当記事で後ほど触れる話も含め、判明した事実関係を年表形式でまとめます。
- 1960年代半ば~ 金太楼鮨が「ねぎとろ巻」をメニュー化
- 1987年 赤城水産が「ねぎとろ」工業生産開始
- 1995年 『美味しんぼ』のねぎとろは「かき取る」(55巻 「料理人と評論家〈後編〉」)
- 1990年代 「ねぎる」「ねぎ取る」を食事処/寿司屋で聞いたとの証言
- 2003年 「金太楼鮨」間根山貞雄のねぎとろは「筋を引く」「こそげ取る」 (『江戸前ずしに生きる』)
- 2007年7月 雑学メルマガに「ねぎる」「ねぎ取る」登場(ネギトロの罠)
2007年以前の「ねぎ取る」を求めて
「ネギトロ」の語源は「ねぎ取る」からではない、と断言しておきます。以前「疑いの余地がある」と述べましたが、その後、ウィキペディアの記述も消えないばかりか、むしろ「通説であり」などと表現が強くなってる。通説なわけはなく、俗説を書いた本があるにすぎません。https://t.co/LcZYDL52cS https://t.co/Yw4Xb1tUFu
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) May 6, 2022
2015年当時よりも強まった語調に触発されたのでしょうか、飯間浩明さんのこのツイートをきっかけに、2007年以前と推定できる時期に「ねぎる」「ねぎ取る」を聞いたとする証言が2つ現れました。順に紹介します。
証言1
中骨から ねぎとる でネギトロなんですよ
— umentu (@umekichinano) May 7, 2022
その疑いの余地も前からあるんですが、ネット普及前の子供時代に寿司屋さんから聞いたので、その疑いの余地も疑いの余地なんですよね……
— umentu (@umekichinano) May 7, 2022
「ネット普及前の子供時代」がいつ頃か不確かなので簡単に絞り込みます。
ツイート主と同一人物とおぼしき方のLancersのプロフィールページには「30代後半」とありました。おおよそ30年前、1990年代前半の話と推定しておきます。
証言2
こちらはより詳細かつ具体的です。1990年代後半のエピソードみたいです。
すみません。こちらを拝見して、思い出したことがあります。
自分が鹿児島にいた頃、出水の黒之瀬戸大橋近くの食事処(店名失念)で「ねぎとろ丼」の存在を知りました。そのねぎとろ丼には小口ネギなどは乗っておらず「これ、ねぎとろ丼って言いながら、ねぎはどこにもないですね?」とお店の方に
続)— 本村 昭人™ (@motomura_a) May 7, 2022
訪ねたところ「それは、マグロの骨に付いた身を漉いて取って、まとめて叩いたものだよ」と。
「じゃあ、ねぎとろ丼のねぎとは…?」
と更に訪ねたところ、「マグロなんかの魚の骨に付いて残った赤身を漉いて取ることを我々(料理人や漁船員など)は『ねぐ』って言うんだよ」と。
続)— 本村 昭人™ (@motomura_a) May 7, 2022
(中略)
結果として今の「ねぎとろ丼」の「ねぎとろ」という名前が生まれたとお聞きしたことがあります。
今は上京しており、それ以来「ねぎとろ」という言葉の由来は調べたことがなく、記憶はここまでとなります。
何かしらの参考にもしなれば、とても幸いです。
了)— 本村 昭人™ (@motomura_a) May 7, 2022
はい。
あれは、確か23、4歳のことだったと思います。職場の仲間大勢と釣りに出かけることが時折あって、ぼうずだったとある日のお昼ご飯か、もしくは夕飯でのことだったかと。
現在48歳なので、かれこれ24〜5年前のことになるかと思います。
こんな感じの回答でよろしかったでしょうか?— 本村 昭人™ (@motomura_a) May 8, 2022
そうなんです。
もしも「ねぐ」という動詞が常用されているなら先の理由で納得できるものの、趣味でクイズを嗜むこともあり、何かしらの語源や応用を探したことがあります。でも、ご指摘のとおりのため結局見つけられず…
せっかくの機会なので久々に「ねぐ」の用例を仕事の合間にも探してみます。— 本村 昭人™ (@motomura_a) May 10, 2022
葱のない「ねぎとろ」パイオニア
なぜ、「ねぐ」「ねぎ取る」などという方便(としておきます)が生まれたのでしょうか?
提供の「ねぎとろ」メニューに野菜のネギが付いてなかったからですね。
ではなぜ、その食事処あるいは寿司屋は、ネギのない「ねぎとろ」を出したのでしょうか? その理由ははっきりしません。
けれども、ネギのない「ねぎとろ」はいつから?には答えられます。 遅くとも1987年までさかのぼれます。
誰でも気軽に食べられるようになったのは、当社がねぎとろの工業生産を始めた1987年以降のことです。
この赤城水産製の「ねぎとろ」は、当初から「ネギなし」だったようです。
「当社創業時から変わらない、こだわりの一品です。」としていましたので。
画像・テキスト出典:業務用 ねぎとろ 製造 販売 | 赤城水産
先ほどの証言にもありましたとおり、ごく一般的な日本語話者がネギのない「ねぎとろ」を前にしたとき、認知的不協和を引き起こすことは容易に想像できます。
検証:ネギトロの身を集めるときの動詞
当方で確認できた「ねぎ取る」の最も古い用例は2007年(7月)のものでした。それ以前の時期にしぼって文献を探してみました。
調査事項は、ネギトロにする身を集めることをどう呼んでいたか?です。
結論から述べると、「ねぎ取る」は見つかりませんでした。
せっかくなら「ねぐ」「ねぎ取る」を使っててほしかった文脈から、2例紹介します。
『美味しんぼ』(1995)は「かき取る」
ご存知グルメ漫画の金字塔(弊社調べ)から、ねぎとろが出てくる回を探してみました。
ネギトロにする身は「かき取る」でした。
出典:「料理人と評論家〈後編〉」『美味しんぼ』55巻 pp.196-197
同書によると、1995年が掲載初出だそうです。
ただしこの文言が初出時そのままである保証はありません。単行本化ないしは版を重ねるタイミングで、吹き出しのセリフを改変するのもしばしば耳にする話なので。
異論のある方はぜひ、調べて示してほしいです。
金太楼鮨2代目(2003)は「筋を引く」と「こそげ落とす」
間根山貞雄『江戸前ずしに生きる』(2003)には、
「ねぎとろ巻」なんていうのも、やはり戦後のものである。
と始まる「ねぎとろ巻の普及」と題した段があります(pp.137-140)。
同書では「筋を引く」でした。該当する部分を引用します。※下線は引用者。以下同じ
マグロの頭や尾の近くの筋の強い部分を引いて、それを鉄火巻の芯に使うつもりでこしらえていた。(p.137)
マグロの頭に近い部分や身の部分でも筋の分かれ目などは、(略)もったいないけれども刺身やすしに使わず、スプーンでもって丹念に筋を引いていた。(pp.138-139)
この「引く」は「手前に動かす」意味でよさそうです。検索してみると、「筋引」と呼ぶ包丁もありました。マグロではなくて肉切り用みたいですが。
【参考】
別の段では「こそげ落とす」を併用していました。
ただし、背一丁には分かれ身という太い筋の部分があり(略)サクどりするときの最初に取り除いておき、スプーンや蛤の貝殻で筋を引いて脂と身をこそげ落とすといい。これを赤身の手クズに混ぜるとねぎとろ巻の好材料になる。(p.170)
もし寿司の業界で使ってたんなら、こういうとこに「ねぐ」とか「ねぎ取る」とか、使っててほしいですよね。絶好のチャンスなのに、なんで使わないんでしょうね。
また同書には「すし屋の符丁」とする段もあったんですが、そこにも見あたりませんでした。紹介してほしいですよね。本当にあったんならね。
余談:「昭和39年」だなんて言ってしまっていいの?
ところで細かい話なんですが、ネット世間では
ねぎとろ発祥の店と言われているのが、東京浅草に店を構える大正13年創業の金太楼鮨。昭和39年、当時の会長だった間根山貞雄氏が考案したという。
出典:偶然にできた寿司ネタ「ネギトロ」その由来の秘密 | 現代ビジネス(2019/01/13付)
を手っ取り早い参照元として、ねぎとろ開闢を「昭和39年」としてる節があります。
Wikipedia ネギトロも、飯間さんの前掲のツイート後に手が入ってだいぶまともな記述になったとはいえ、なお
ネギトロ巻きの誕生は、1964年(昭和39年)、浅草に本店がある金太楼鮨とされる。
といった具合です(2022/05/23閲覧)。
そんな簡単に年代認定してしまっていいの? ってのはあります。というのも、『江戸前ずしに生きる』1冊読むだけで、整合が取れてなかったためです。
「昭和39年」はたぶんこの辺から出たんでしょうけど。
東京オリンピック前年の昭和三十八年十月、私は店を株式会社の組織に改め、企業経営としての道に乗り出した。(p.192)
昭和三十九年五月にはじめての支店を三ノ輪に出すことができ、四十一年に五反野店、深川店を、四十三年には田原町店、新小岩店と以後、ほぼ二年ごとに支店を二店ずつ出していった。(p.193)
でも前掲の「ねぎとろ巻の普及」の段には、こうあるんですよね。
私の店の一番の古参の弟子である諏訪保君が田原町で開業したころ、(p.137)
田原町なので、素直に読んだら昭和43年(1968年)以降の話じゃないのとの疑いは残ります。
それ以前に出店した三ノ輪、五反野、深川の各支店を受け持ったのは「弟子」ではなかった(たとえば歴の長い職人とか)と読めば、整合も取れます。
可能性としては、裏取りした結果『江戸前ずしに生きる』の記述の誤りを訂正したってセンもあるっちゃあるんですが、心証的にはそこらへん、資料を検討した形跡があまり認められないんですよね。
「昭和39年」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの?(田原町違い)
まとめに代えて:「論争」ではないので
特にまとめる件もないので蛇足で終わります。
このトピックについて、ネギトロ語源の「論争」と書かれている方をTwitterで複数見かけました。直接返信して気味悪がられるのも不本意ですので、ここで釘を刺しておきます。
論争じゃないですよ。
あのですね、少なくとも私の語法では、論争と言っていいのは双方の主張のどちらにもそれなりの根拠があるケースです。身近な例をあげるならば、
「週末」には金曜の夜も含むのか?
といった類です。「含む」「含まない」どちらにも理があり、確定判断は難しいところです。
一方「ネギトロの語源」をめぐる言説の発信者は、次のどちらか2種類に大別できます。
- 「真実」と称してでたらめ吹いてる者
- 「それでたらめやで」と指摘する者
このうち、根拠を示せているのは「それでたらめやで」と指摘する後者だけです。後者の一員である私自身の根拠は既に述べました。くり返しますと
ネギトロよりも新しい言葉を「語源・由来」としているから
です。でたらめですね。
「論争」を成立させるには、この「でたらめ」の指摘に対して前者が「でたらめでない」ことを根拠とともに示す必要があります。しかし私の関知する限り、その気配はまるで見られません。
そういう事態を、私の倫理基準で「論争」とは呼べません。
当ブログではネギトロの例に限らず、過去
に挙げたような「本当は言ってない名言」シリーズを筆頭に数々の「それでたらめやで」を綴ってきました。根拠十分な異論があれば訂正する用意もあるんですが、わしゃ「泣いた赤おに」かっていうぐらい、誰もやってきません。
長年それを不気味にと言ったら大げさですが、少なくとも不思議には感じておりました。そうなるしくみも近ごろ徐々にわかってまいりました。この話もまたいつか。
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