こんばんは。林修ナイトの時間です。
「あすなろラボ」でのおデブ向け授業の感想シリーズ、その7です。
林さんと、授業のなかで林さんに食ってかかっていた「生徒」との一連のやり取りを見て考えたことを書きます。
この記事で言いたいこと
次の2つです。
- 言いたいことは最初に言えるようになりましょう。
- 林修さんにダイエットの方法論を求めるのは誤りです。
パート1.やるせないコミュニケーション
番組内の授業中盤で、「デブが悪いみたいに聞こえるんだけど」と切り出し、林さんに食ってかかっていた男性の生徒がいました。
それを見ていて、やるせない気持ちになりました。
やるせなさを感じたのは、この生徒が食ってかかっていたことにではありません。無駄なやり取りが多すぎたことにです。
やり取りの無駄を振り返ってみる
交わされたやり取りを振り返ってみます。
この人が本当に言いたかったことはこれです。
「で結局、こっちが痩せたいと思ったらなんかアドバイスとかくれる訳じゃないの? こうやったら痩せられるからどうとかこうとか」
すなわち、「“こうやったら痩せられる”という方法論を知りたい」が彼の真のニーズでした。しかし放送上でカウントして、ここに至るまでに林さんとのやり取りが5往復続いています。これ無駄です。
くり返しますが、やるせなく思ったのは、この無駄に対してです。
そして林さんから満足できる回答が得られなかったためか、またこのように同工の質問をしています。
「でも今痩せたかったらどうするんすか。もう自分の意志で勝手に痩せろって感じですか」
これが出るまでのあいだに、またもやり取り3往復をはさんでいます。
無駄すぎます。時の流れに身をまかせがちなコミュニケーションのあり方です。やるせないです。
なんでこうなった
最大の要因は、言いたいことが最初に出てこないというコミュニケーションのあり方にあると僕は思いました。
コミュニケーションのあり方についての一提案
この方に、ということではなく、とにかく僕はこう訴えたいです。
言いたいことは最初に言うようにしましょうよ。大して親しくもない相手なんですから。
日常的にそれを念頭に置いて、他人とは無駄の少ない意思疎通を図っていきたいです。親密でもない相手に、レベルの高い、ハイコンテキストなスタイルで臨むのは、生産的ではありません。
そういうタイプのコミュニケーションは、親密な間柄でやっておけばいいです。
また、「言いたいことは最初に」を許し合える世の中にもしたいです。もし妨げる「空気」があるのだとすれば。
そうなれば、世の中が今よりも少しだけ住みやすくなります。
しかし具体的な方法論は持っていない
ただ僕も、「言いたいことは最初に」ができるようになるための具体的な方法論を持ち合わせていません。そこが難点です。
各自の対人コミュニケーションのあり方というのは、それぞれの人が積み重ね、蓄積してきた人生のあり方の現れでもあります。言って変われるなら変わるでしょう。そうも思います。
それでも、言われたことがなくて新鮮に聞こえる可能性も想定して、言っておきました。
たらればを語る
なので、先ほど取り上げた一連のくだりにしても「言いたいことは最初に言う」に変えるだけで、ずいぶん印象は変わります。
たとえ生徒の側の口ぶりや態度が同じだったとしても、次のような質疑であれば、僕がやるせなさを感じることはなかったでしょう。
そんな「たられば」に立った想像上の受け答えを書いておきます。
(生徒)「あのさ、こっちは痩せるためのアドバイス、こうすれば痩せられるとか聞きたいんだけど、そういうのないの?」
(林)「うーん…僕は「食べずに走る」で痩せていますが、皆さんにお勧めできるものではないです。アドバイスなら、ちゃんとした専門家の方から受けた方がいいと思いますよ」
(生徒)「そんなお金ないんだけど。お金はかけたくない」
(林)「であれば自分で正しい情報を仕入れて努力するしかないですよね。これは生徒にも言っていることですが、正しい場所で、正しい方向で、十分な量なされた努力。これは裏切らないです」
番組では合計14往復していたのが、ほぼ同じ情報量の意見交換が2往復のやり取りですみました。だいぶ無駄が取れました。
江田照男型コミュニケーションの誕生
このような「言いたいことは最初に言う」という対人コミュニケーションのスタイルを、「江田照男型コミュニケーション」と命名します。詳細は別の記事に書きます。
「態度悪い」と思った人へ一言
番組を見た人の中には、この生徒を「態度悪い」ととらえた人もいたようです。当ブログでも、それとおぼしきアクセスが散見されます。
食ってかかっていた方の素性も教室へ呼ばれた経緯も一切知りませんし、事前の仕込みがどれだけあったかも未知ですが、一言付言しておきます。
制作サイドに立てば、
- 「生徒」がみなイエスマンの信者ばかりではつまらない
- 緊張を生むような、対立的なアングルもほしい
こういう発想をして「生徒」に批判的スタンスの人も加えるであろうことは容易に想像できます。同じ仕事をしていれば、自分もそうすると思います。
パート2.ミスマッチが起きていた
林修さんにダイエットの方法論を求めるのは誤りです。
ですからビジネス的な枠組みで言うなら、この生徒は林さんの顧客ではなかったです。
同様に、生徒の側も彼のニーズを満たす先を林さんに求めるのはお門違いでした。
両者のあいだでミスマッチが起きていました。
それが明らかになるまでに、時間がかかりすぎていたのも問題でした。その解決案は、この記事のパート1で示したつもりです。
分析による決めうち
生徒の側、すなわち、食ってかかっていた男性について分析し、決めつけてみます。
デブ界でのセグメント分析
番組の実験テーマは、おデブさんたちを「痩せる気にすることはできるのか」でしたが、それで言うとこの方は実験の対象外です。
なぜなら、授業の前から痩せる気だったからです。
デブ界のなかで位置づけるなら、この方は「痩せる気のない」デブではありません。正しくはこうです。
- 痩せたいが、痩せるための一歩が踏み出せないデブ
トレードオフ関係
なので、この方の持つトレードオフ関係はこうです。
- 痩せたい
- でも、間違ったダイエットはしたくない
両者の板挟みのままで本人が身動きを取れていないので、「ジレンマ」と言ってもいいかもしれません。
補足:「間違った」ダイエットの意味
補足しておきますと、「間違ったダイエット」の「間違った」には、「効果がない」や「むしろ健康上有害」のほか
- 制約が多い
- 苦しい
といったような意味も入ります。
ニーズに応えるにはどうすればよかったか
ですから、ニーズに応えるやり方としては、
- 痩せる方法を教える
- それもできるだけ、楽で簡単な方法を教える
だったのでしょう。
林は林のままで
しかし、それを林さんに求めるのはお門違いです。パート1でも述べましたが、そもそも林さんは「推奨できるメソッド」として提供できる情報を持ち合わせていません。
林さんが行った授業の構成は、
- なぜ、太ってしまうのか
- なぜ、痩せてる方がいいと思わされるのか
- その「痩せてる方がいい」という価値観は正当か
といった「デ文化論」を展開したうえで、そんなデ文化のなかで
- 自分がダイエットを続けている理由
を伝えるというものでした。
なかで自身のダイエットの手法も話されていましたが、それ自体を知ることの価値はあっても、他人がまねる価値はありません。
「林」に「木」を求める愚
デ文化論を含めて林さんが提供できるのは、言ってみれば「ダイエット総論」です。
総論の「林」に、各論の「木」を求めるのは誤りです。
一見できてしまいそうなので勘違いしますが、「林」を「木」には分解できません。総論ですから、「林」は「林」のままでしか提供できないのです。
そこから「木」を切り出してしまっては、総論である「林」の正しい理解はできなくなります。切り出された個別の「木」だけを取り上げてみても、それはもはや提供側で意図した論の体を成していません。
まさに「木を見て林を見ず」です。
個別具体的な各種ダイエットの方法論なら、「木」に求める方が適切でしょう。樫木さんとか、美木さんとか。
僕からは以上です。
コメント