騙されやすい人、騙されている人、ことの真偽は二の次三の次な人からの発信ばかりが目立つネット世間なので、微力ながらバランスを取っておきます。
あらためて日本語警察が調べてみました。
鵜飼うーたん左向き(city.gifu.lg.jpより)
※画像と本文はあまり関係ありません
結論:ねぎ取るの真実
雑学ネタとしてときどき、ネギトロの語源・由来は「ねぎ取る」と唱える人がいます。
違います。逆です。そうではなくて
「ねぎ取る」の語源・由来が、食べ物の「ネギトロ」です。
「ねぎ取る」は、「ネギトロ」から生まれた言葉です。
つまらない結論ですみませんが。
解説
ネギトロとねぎ取るの関係は、たとえば、
- グーグルで検索するのを「ググる」
- 挙動不審な行動をとるのを「きょどる」
- タピオカドリンクを飲むのを「タピる」
と言うのと構造的に同じです。Googleや挙動不審やタピオカあってのググるきょどるタピるです。それが時系列として妥当な生成順序であって、断じてその逆ではありません。
同様に、ネギトロが先に存在しての「ねぎ取る」であって、断じてその逆ではありません。
別の言い方をすると、「ねぎ取る」とは21世紀になってからネギトロの語源・由来を騙るため(だけ)に創作された日本語です。
これが私の結論です。
【2022/05/23追記】1990年代に聞いたと推定できる証言が複数ありましたので、「21世紀になってから」は取り消します。ほかの結論は同じです。
などの続編はこちら。
参照した先行研究
こちらの記事に既に主な論点は出そろっているように思います。
「ネギトロ」は「ねぎ取る」に由来するのか?|はてな匿名ダイアリー(2020/09/29付)
飯間浩明さんも、2015年11月の時点で「疑いの余地があります」と表明されていました。
「ネギトロ」の語源は「葱+トロ」ではなく「中落ちをそぎ取ることを『ねぎる』『ねぎ取る』」と呼んだから(ウィキペディア)という説があります。これは疑いの余地があります。「ねぎ取る」という語形の確例がほかで見つからないのです。『三省堂国語辞典』などでは「葱+トロ」と解釈しています。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) November 1, 2015
しかし残念ながら、これら先行研究の知見が2021年のいま世間一般に広く行き渡っているとは言えません。思うに、穏当なトーンで疑問を提示するだけでは、総じてつまらない真実よりも面白いでたらめを好む一般人に対してアピールが弱いのでありましょう。
そこでこれら先行研究の論点と成果は継承しつつ、嘘にならないぎりぎりのラインで強めのワードを使うスタイルで進めております。
そして私は「ない」側でなく「ある」側に注目しました。
根拠:ぜんぶ新しい
なぜなら「ねぎ取る」をたどって見つかる用例が、ネギトロより新しいものだけだからです。
ネットに残る「ねぎ取る」最古の用例は2007年のものです。記事の後半で具体的に触れます。
一方「ネギトロ」は、同様の追跡で1999年の書籍に「ねぎとろ」表記での用例が見つかりました(岩松了『食卓で会いましょう』p.60)。まだまだ全然たどれそうでしたが、ねぎ取るよりも古いことが示せれば十分なので追跡はそこで終了。
同タイプの嘘語源を作ってみた
ネギトロの例と同じタイプの、もっとわかりやすい嘘語源を作ってみました。
船橋の語源はふなっしー
千葉県の船橋の地名は、かつてこの地に「ふなっしー」と名のる梨の妖精が現れ、人々に恵みをもたらした伝承に由来する。
いかがですか?
てな話をもし見聞きしたとしてですね、あなたこれ信用しますか?ってことです。
信用できないなら、ネギトロも信用しちゃだめですよ。だって事実関係の構造が一緒なんだもん。
それでもなお、信じるか信じないかはあなた次第なっしー。
それでも信じたい人のための反論ガイド
そんなわけで、「実は野菜のネギではなく」と巷間流布するネギトロの語源は、極めて疑わしい代物です。実質的に嘘と言っていいほどです。
とはいえ私も100%の確信をもってそう主張しているのではありません。省略してしまっていますが、実際には「ここまでで明らかになった事実から判断すれば」との前置きがあります。
ですから私が示した疑問に反駁する方法ははっきりしています。それでもねぎ取るにしがみつきたい人のためにご案内しておきましょう。
2007年以前の段階で
- マグロ肉について「ねぎ取る」を使っている文献
- 「マグロをねぎ取っていたよ」と証言できる人
どちらかを持って/連れてくればよいのです。
見解の異なる相手にもここまで教えてあげるなんて、なんて優しくて親切な日本語警察なんでしょうか。自画自賛の冗談はともかく、これまで何人も探してきたのにまだ誰も発見できていないのですから、ネギトロ業界にとってノーベル賞級の大きな成果となります。
精査した上で妥当と認めれば私も見解を変えることにやぶさかではありません。精査できるだけの材料が出てくるのならね。
※2014年8月・静岡市にて
中間まとめ:弥勒の教え
ネギトロのネギは野菜のネギのことではなく……と、定番の「フリ」となっているフレーズが始まったら、それがでたらめと知る私たちはどう対応すればよいのでしょうか。
弥勒仏のようにアルカイックな笑みをたたえでもして、ただただ見守ってあげればよいと私は思います。
※国宝第78号 半跏思惟像 | 名品ギャラリー::国立中央博物館|museum.go.kr より
ソースは?とか智に働くでもなく、そんなわけあるかと意地を通すでもなく、ただただ見守ればよいです。そんな話だったら面白いよね、と誰かが思いついたのがおおよその出どころでしょうし、実際、話としては面白いと思いますから。でたらめですけどね。
でたらめを信じる自由も、人にはあると私は思っています。さじ加減が難しいですが、なるべく。
釈迦(しゃか)入滅から56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという菩薩。
コトバンク>デジタル大辞泉「弥勒菩薩」の解説より
とする弥勒信仰だって、悪く言えばでたらめですからね。見たんか?
それでも縁なき衆生も含めてそこに何かしらの救いを見いだしてきたから、古来そう伝えられてきたのではないでしょうか。
ですから語源うんぬんから離れて、今後ネギトロにする身を集めることを「ねぎ取る」と称するのならば、それはそれでありだと思います。使えばいいです。
ひとまずそんなところです。
補論:いろいろ細かい話
以下、後半はいろいろ細かい話です。
ねぎ取るのネット日本語誌
ネットの世界に「ねぎ取る」がいつどのように現れたのか、それをたどった結果です。
Wikipedia ネギトロの変更履歴を見ますと、2007年10月22日の版で付け足されていました。履歴のテキストを引用します。
ちなみに、ネギトロのネギは野菜のことではない。中落ちをそぎ取ることを「ねぎる」「ねぎ取る」といい、そこから付けられた名前。ネギが入っていなくてもネギトロと呼ぶ。
差分表示させてみると、何の出典もなく加わっていました。
その後2009年になって「出典」としてリンクされたのが、こちらのメールマガジン記事です。
中落ちをそぎ取ることを「ねぎる」「ねぎ取る」
から付けられた名前。ネギが入ってなくてもネギトロである。
出典:重箱の隅 vol 1978(2007/07/18号)「ネギトロの罠」(Webアーカイブ)
そしてこれが、ネットに残るうちで「ねぎ取る」をネギトロに結びつけた初の例であるだけでなく、日本語「ねぎ取る」そのものの最も古い用例でもあります。
英語の時間に習ったnot only… but also~構文で書いてみました。
「ねぎ取る」の足取りは、ここで途切れています。半ば当然ながら、何の出典もありません。
創作の疑いも十分
この雑学メルマガを出された方が、他の多くの一般人と同じく、情に棹さして流されるタイプの騙されやすい人であった可能性もあります。
しかしそれよりも、この人ないしはその周囲で流通していたヨタ話の類だったのがむしろ実態だろうなというのが私の見解です。世の中には雑学を自ら創作して語る人も多くいますので。
理論上は追究可能
理論上、そこを明らかにする方法はあります。
「その話、いつ頃どこの誰に聞きました?」と尋ねてみればよいのです。
2021年のこの期に及んでバズっていたツイートを例に始めてみましょう。
日本人の皆様…
私はすっかり騙されていましたよ…
まさか『ネギトロ』が…
“葱”と“トロ”じゃないなんて…『マグロの身を骨の周りから削り取る動作を“ねぎ取る”という』
トロに葱が乗ってるから『ネギトロ』と思ってたわ…
“ねぎ取る”っていう動詞…他に何に使うの…
でもネギトロ美味だから推すわ— アルトゥル日本推しラトビア人 (@ArturGalata) October 1, 2021
「その話、いつ頃どこの誰に聞きました?」
と……これを見かけた時に実際にリプライは出せなかったですね。智に働けば角が立つとは、よく言ったものです。
こちらのケースはどこの誰から聞いたかの情報ソースが比較的明らかです。
知らなかった…‼️ pic.twitter.com/3MUOTj8KpV
— キシコ (@kishico) August 11, 2021
同アカウントによる後日の証言どおりなら、和歌山県那智勝浦町の飲食店が出元です。
次はその飲食店に聞き、さらにその出元に、さらに……といった具合に同様の手続きを重ねてさかのぼってゆけば、理論上は時間的に最も古い発信にたどり着けます。
いま私は既に前述の中間点、ないしは終着点にいますのでお待ちしております。
類例1:リアル警察が出動して特定したケース
余談ながら、2003年12月、「26日に佐賀銀行がつぶれる」とのデマから起こった取り付け騒ぎでは、日本語警察ではなくリアルガチの警察が動いてその出どころを突き止めています。
【参考】
- 松田美佐『うわさとは何か』(2014)
- 佐賀銀行デマメール事件研究|UNIQUE LABORATORY(公開:2008/01/06付)
- 第13回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品『共済に消えた責任 ~佐賀 地方経済からの報告~』(制作:サガテレビ)|fujitv.co.jp
あくまで推測ですが、リアルガチ警察も「その話、いつ頃どこの誰に聞きました?」を重ねての結果と考えます。
類例2:寿司言葉
もうひとつ、ネギトロをめぐる与太と似た例も知っています。寿司言葉です。
寿司言葉って知ってますか? 検索すると、まとめたサイトがいくつか出てきます。
この寿司言葉って、誰が言い出したんでしょうか。
ここで問題にしたいのは、ネギトロの寿司言葉は……といった個別の寿司ネタの単位ではなくて、「すし言葉」なる概念といいますかコンセプトといいますか、ともかくそういう「くくり」を誰が言い出したかです。
審査基準は既に明確となっております。
「寿司言葉って、いつ頃どこの誰に聞きました?」
と私に聞いた人が、決勝進出です。
「なんでそれを私に聞くんですか?」
を聞いて審査しますので答えを用意しておいてください。納得の答えが返ってくれば、優勝です。
「根切り」の牽強付会
派生タイプとして、ネギトロの語源・由来を、建築用語の「根切り(根伐り)」と結びつける説もあります。
実際に建築の用語はありました。国会図書館のデジタルコレクションから1925年の用例です。「根切り工事」の文字が認められます。
出典:燃料協會誌 4(35)「フェルナー・チーグラー式傾斜廻轉爐に依る石炭低温乾餾に就て」(1925)|国立国会図書館デジタルコレクション
前後を読むと、その意味も今日の用法とほぼ同等に思えます。「根切り」がネギトロよりも古い言葉であるのは恐らく間違いないと言えましょう。
けれどもこれもまた、視線の向きが逆じゃないですかね。すなわち、ネギトロの話題に誰かが「そういえば」と建築用語の「根切り」を思い出して結びつけた。ってあたりが実態に思えます。
結局主観の話に収束するのでこの件はここまで。
専門用語がコミュニティを超えるとき、ほぼその痕跡が残る説
建築用語の「根切り」をネギトロの由来に採用するには、クリアすべきもっと大きなハードルがあります。それは
で、誰よ?
その用語、マグロ業界・寿司業界に持ち込んだの誰よ?
です。小峠英二さんの「パナマどこよ?」みたいな感じで読んでもらえるとこれ幸い。
素人のみなさん、素人ゆえに業界の専門用語がその使用コミュニティを超える事態を簡単に考えすぎです。だから素人呼ばわりされるんです(私に)。
専門用語って、一般人が思っている以上に使用コミュニティ間の流動性が低いですよ。
たとえば「サチる」です。サチるって日本語知ってますか?
もし知らなくても何の問題もありません。限られた集団だけが使うワードなので。
私の場合20数年前にひょんなきっかけで知り「へーそんな言葉あるんですね」と思ったのを覚えています。しかし今に至るまでふだん使うこともありませんし見聞きすることもまれです。
私が知った当時と今とを比べても「サチる」の使用者層は相変わらずに思えます。
ある専門用語がその使用コミュニティを超えるとき、必ずとまでは言えなくとも、高い確率でその痕跡は残ります。
2021年7月以前は全く別の世界の言葉だった「ゴン攻め」しかり。昭和期までは金属加工の専門用語だったのが、平成になってスポーツ界に入りやがて一般化した「伸びしろ」しかりです。
前者は記憶に新しいとおり、東京オリンピックのスケートボード競技中継で解説を務めた瀬尻稜さんが「ゴン攻め」ワードを使って一躍その知名度を上げました。
金属加工の専門用語だった「伸びしろ」をスポーツの世界に持ち込んだのは、平成初期、西暦で言えば1990年代前半に古河電工からドイツ留学を経てサッカー日本代表チームのコーチに就任した岡田武史さんであるのが既に確定的です。以前記事にしました。
これらと同じように、もし建築用語の「根切り」が寿司の世界に入って「ネギトロ」を生んだのなら、その痕跡がどこかしらに残っていていいはずです。
建築用語にちなんで、ネギトロの登場以前にマグロを「根切り」してたんですよね。それがわかる資料ってありますか?
そんで誰よ?
その「根切り」、マグロ業界か寿司業界に持ち込んだの誰よ?
このハードルをクリアできなければ、そこで試合終了です。
くり返しますと、話は逆で、ネギトロからの連想ゲームで異業種の用語である「根切り」が持ち出されたのがその実相に思えます。実につまらない結論ですが。
俗耳に入りやすい言説ならなおのこと、「ふーん」「ほんとかねー」といったん留め置くだけの余裕を持っておきたいものです。
長良川の鵜ですら、そのまま呑み込んで食べられるのは小さな魚だけらしいですよ(卓越した鵜飼漁の技術|ぎふ長良川鵜飼 による)。
余談:ネギ業界の「根切り」は「ネギの根を切る」
完全に余談ですが、ネギ業界にとっての「根切り」とは、文字どおりにネギの根を切ることが第一義のようです。2002~2003年度にこんな研究がありました。
根切り位置は、赤外線センサーにより決定する。盤茎部へレーザー光を照射し、反射光量の変化により切断位置を決定する(図2)。その後、センサーに連動して前後に移動する鋸刃により根を切断する。
(略)
出典:千葉農総研・北総園芸研究所・畑作園芸研究室「小型ネギ全自動調整機」|平成16年度 「関東東海北陸農業」研究成果情報|国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構
こんな[背景・ねらい]があった由。
中国からの安価なネギの輸入量の増加に伴い、国内産ネギの市場価格は低迷し、生産農家の経営は厳しいものとなっている。この対策として、ネギ栽培での作業時間のうち大きなウェートを占める調製作業を機械化してコストを低減させ、ネギ生産農家の経営安定化を図る。
ネットを探すとネギの調整機械は何社から出ていて、たとえば群馬と栃木を主な拠点とするタイガーカワシマからは「きるべぇ」という商品名でネギ根切り機が発売されています。
同社の沿革によれば、野菜調製機「ネギきるべえ(長ネギ根切り機)」の製造開始は2004年のことです。
「ネギきるべえ」に前者の研究成果が反映されたかは不明ですけれど、ネギトロのでたらめな雑学と違って、ちゃんと話の時期がつながってますよね。調べて少し、感動しました。
まとめに代えて:「諸説あります」に対する考え方
当記事で取り上げたネギトロのケースも含め、ことの真偽は二の次三の次な人の多用するのが「諸説あります」です。テキトーな話で盛り上がっている一般人が、健全ながらも無粋きわまる疑問を突きつけられて気分をそがれたときの常套句でもあります。
この機会に「諸説」に対する私の考えを、お笑いのコンテストになぞらえて示しておきます。
もしもネギトロ語源部門のコンテストがあるとして、「ねぎ取る」「ねぎり取る」をどう扱うのがいいでしょうか。
智に働くタイプの方だと排除したがる向きもありそうですが、私はこれらも「諸説」にエントリーしてもいいとは思います。ですが、エントリーは認めても予選落ちです。決勝には残れません。私が審査員ならば最初のセレクションで通過メンバーから外します。
お笑いの世界で言えば、M-1グランプリにしてもキングオブコントにしても、決勝に進むにはそれなりのクオリティが期待されますし、例年の決勝進出者については実際にそれなりのクオリティが備わっていると評価できます。優勝者についてならなおのことです。
なおネギトロ語源部門の場合、お笑いのコンテストとは違って、その質的な審査基準は「面白いか」ではなく「学問的な検証に耐えられるか」です。
当記事で述べたとおり、「ねぎ取る」も「ねぎり取る」も、説としての質が低いので予選通過は無理です。
ダメだったところを修正して、来年またがんばってください。
そんな感じです。
コメント
「美味しんぼで読んだ」というリプがありますが、真偽はどうでしょうか。
情報ありがとうございます。
こちらでしょうか?
とすると、「削る」は「けずる」と読むように思います。
掲載巻が特定できれば確認してみます。
新しい知識が得られた喜びよりも不快さが勝ったな