こんばんは。林修ナイトの時間です。
「あすなろラボ」でのおデブ向け授業の感想シリーズ、その5です。
この記事で言いたいこと:Executive Summary
1) 「ひとりで生きてるわけじゃない」と言われたら、
- 「だから?」と言い返して、相手の隠れた主張と暗黙の前提をあぶり出しましょう。
- めんどくさければ「まあね」と受け流すのも、大人の対応です。
2) デブの生徒たちを「痩せよう」へ向かわせるための動機づけに「迷惑」を持ち出したのは筋が悪かったです。林さんの授業方針にも反していました。
3) 中島義道は、用法・用量を守って正しくお使いください。
「ひとりで生きてるわけじゃない」?
授業のなかで林さんは、「デブの人は止まらず食べ続けるが、最初のひと口目ほどおいしくはないはず」というふうに訴えましたが、これをデブの生徒たちにこってりと否定されてしまいました。
それを受けてのこの言葉
林「ただですよ、ひとりで生きてるならまあ、それでいいとも思うんですよ。でも人間はやっぱりひとりで生きてるわけじゃないんですよねぇ」
これには、むむ、むーむむむむ?!っと、川平慈英(または、博多華丸)さんばりに反応してしまいました。
ま・さ・に、僕の好きな「嫌いな言葉」だったからです。ややこしいですね。クーッ!
それ、『私の嫌いな10の言葉』に出てくるひとつです。
こちらでの言い回しは「ひとりで生きてるんじゃないからな!」です。以降、ひとくくりに論じます。
「ひとりで生きてるわけじゃない」の暴力
この言葉を発する人を、著者の中島義道さんはこう分析しています。
前掲書「2 ひとりで生きてるんじゃないからな!」の「ひとりで生きてるんじゃないから苦しい」から引用します。(下線は引用者)
しかし、こうのたまう人は一つだけ決定的に忘れていることがある。それは、他人とは育み助けるだけではない。同時に、私に介入し私を支配し私を金縛りにし私に危害を加える存在者でもあるということです。
「ひとりで生きてるんじゃないから」、つまり「ひとりで生きることが許されないから」私は凄まじい苦労をしてきたのです。
これが中島さんの他人観です。確かにそうです。
嫌いな理由はこうです。同章の「感謝アレルギー」から。
私は、こういう言葉を発する人の鈍感さ、しかもみずからをよしとするその傲慢さが嫌いなのです。それは、(略)世の中の定型的な感謝のネットワークを受け入れよという暴力がある。これはたちまち、感謝しなくとも感謝の素振りをしろという要求へと連なる。心にもないことを言ってもいいから、表面上口を合わせて社会の掟に従えという要求に連なる。
ただし林さんは「みずからをよし」とはしていませんでした。そこは認めます。
中島さんのキーワードは「感謝」で、林さんの「迷惑をかけない」と方向は異なりますが、定型的な規格へ押し込めようとする点では、同じです。
彼らは(略)自分も他人に感謝している。だから、おまえも自分に感謝しなければならない、という等式を平然と持ち出す。
上で「感謝している」を「迷惑をかけない」に置き換えても、主張の骨格は変わりません。
彼我の論理
引き続き、同章の「感謝アレルギー」から。デブ VS 非デブの構造にも通じるものがあります。
「感謝の気持ちが足りない」とのたまう人びとの気持ちを考えていない点は、私も同じだって? そうではありません。何といっても、彼らはマジョリティなのですから、私は徹底的に彼らの気持ちがわからなければ生きていけない。つまり、すべてのマイノリティと同様、敵の掌中がよく見え、まともな世界と自分の世界という二重の世界がよく見えるのです。これはマイノリティの唯一の利点、唯一の財産です。
林さんは、デブの目線から「向こう側」「こちら側」という言い方をされていました。
そんな「デ文化人」、「チームD」所属であるはずの林さんが、「ひとりで生きてるわけじゃない」と、「向こう側」「まともな世界」「マジョリティ」の論理を持ち出す。それはいかんです。
そりゃあ、デブの生徒らも「おいおい、そこは向こう側からなのかよぉ」とブーイングしたくもなるでしょう。ぶー
「ひとりで生きてるわけじゃない」と言われたら
ところで、「ひとりで生きてるわけじゃない」には、何と返せばいいのでしょうか。
だから苦しい ×
「だから苦しいんでしょうが」と答える、これはダメです。愚策です。通用しません。少なくとも、僕の親には通じません。
「だから苦しい」はまったくもって正しいのですが、その苦しみも論理も、相手はまず理解できません。そもそも理解できていないから、そんなことを言ってくるわけです。
なによりこの答え方には、「理解されない」以上に大きな問題があります。後述します。
だから? ◎
「苦しい」まで言わず、「だから?」で切って聞き返すのがいいと僕は思います。
よくよく見ると「ひとりで生きてるわけじゃない」という言葉は、この世の事実を述べているだけの言葉です。これ自体は命題として否定しづらいです。
相手が言っていないことを汲む義務はない
最初の「だから苦しい」では素通りしましたが、注意しなければならない点があります。
それは、ここでの相手は「否定しがたい事実の中にこっそりと暗黙の主張を持ち込んで、自説も否定されないようにする」という論法を使っている、という点です。
ふたたび『私の嫌いな10の言葉』から。
「ひとりで生きてるんじゃないからな!」という言葉には、感謝を要求するような響きがある。(略)世の中持ちつ持たれつじゃないか、という響きがある。今は威勢がいいがあとで弱音を吐くなよ、という響きがある。
だからといって、相手が言明していない暗黙の主張、「響き」の部分までをこちらが汲みとる義務はありません。「だから苦しい」は、「ひとりで生きてるわけじゃない」の「響き」に反応してしまって、先回りして答えている点が最大の失策といえます。
正しい議論の深め方
「響き」を勝手に汲んで反応するのではなくて、「ひとりで生きてるわけじゃない」と言われたら、「だから?」と掘り下げるのです。
相手は単なるこの世の事実を言ったにすぎないのですから、話の進めようがありません。その事実によって相手が何を主張したいかを明らかにしたうえで話をつないでゆく必要があります。
それが正しい議論の深め方です。
まあね ○
そんな作業がめんどくさければ、「まあね」でいいでしょう。表面的に、端的な事実にだけ同意しておくやり方です。
「ひとりで生きてるわけじゃない」こと自体は合っている(と僕は思う)ので、中島さんがいう「心にもないことを言う」には当たりません。
上っ面だけ応じて受け流しておくのも大人の処し方です。
授業方針にも反していた
林さんは授業の冒頭で、自身を「はっきり言って一生ダイエット」とし、こう話されていました。
林「そういうふうに生きてきた僕の姿をみなさんにそのままお伝えして、で最終的にそれが皆さんに響くかどうかは正直わからないと」
こういう方針、スタンスでの授業だったはずですが、「ひとりで生きてるわけじゃない」から「迷惑」にかけてのくだりだけは「僕の姿をみなさんにそのままお伝えして」はいなかったですね。
筋の悪い理屈でした。いかんです。いかんのいです。
具体的な筋の悪さについては、別の記事に書きます。
中島義道使用上の注意
林さんも、中島義道さんのことはもちろん、上で引用したような彼の考え方も、知らないはずはないと思うのです。
林さんのブログ記事「九州回顧」(2012年3月1日付)に、こんな記述がありますから。
「安春計」のご主人の名人芸は相変わらず見事なものです。(略)
今、中島義道氏の本が楽しいとおっしゃって、その話で盛り上がりました。
「安春計」は、博多のお寿司屋さんです。一晩6人限定なのでとにかく予約が取れないんですって。(博多「安春計」来訪の記(2011年9月30日付)による)
興味本位ですけど、どの本の話で盛り上がったのでしょうね。知りたいです。中島さんの本いっぱいありますから。
いずれにせよ、こちらのご主人は用法・用量を守って正しく中島義道を使われているようで、なによりです。
まとめ:デブ論の本質
感想シリーズの最初の記事でも書きましたが、くり返しておきます。
デブをめぐる状況が非デブへも問いかけている問題とは、「規格外の物事に対し、どのような態度を取るか」です。これがデブ論の本質です。
さらに社会的な問題にまで還元するならば「マイノリティとの共存のしかた」です。
僕は規格外の物事に対して、できる限り寛容でありたいです。
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