人民よ、「一人で斉唱」警察どもを追い返せ!【前編】

「今年の新語」警察ガチ勢が、「一人で斉唱」警察に投降を呼びかけます。

この記事で言いたいこと:Executive Summary

右や左の日本語警察のダンナ、

もう、「一人で斉唱」認めていいんじゃないですかね。

「国歌斉唱するMISIA」

これが一般人民のリアルな言語感覚なのですから。

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iza.ne.jpより(2021/07/24付)
※写真と本文はそこそこ関係あります。

日本語警察的「もやモ屋」2021夏

東京オリンピック開会式の翌日に、なんともモヤモヤするツイートがやってきました。

それがこちらです。

もやもやします。Eテレの「もやモ屋」以上にもやもやします。なんだろうこれ。

少し、考えてみました。

このツイートの主張はまったく正しいです。別の言い方をすると、規範どおりです。なのに、この世の現実はズレています。

規範と現実のずれ、簡単にまとめればそれがモヤモヤの正体のようです。

斉唱の人数をめぐる「規範」と「現実」をぐるぐると見てゆくことにしました。

意外と“低普及率”な「斉唱」人数のルール

  • 斉唱は2名様から
  • 「おひとりさま」なら独唱

一般人の平均から見れば音楽好きを自称していいだろう私にとって、それは常識の部類でした。けれども2016年のあるとき、意外とみな知らないんだと思い知らされました。それで当時こんな記事も書いています。

「斉唱」と「独唱」の違い、意外と知らない知られてない。
こんにちは。 周回遅れの議論を侮らず、丁寧に進めておきます。 「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」。東京・代々木の体育館で3日にあったリオデジャネイロ五輪の代表選手団の壮行会で、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜...

以来、誰かが「国歌斉唱」するたびに、ちょびっとだけアクセスがあります。

MISIAさんが「ひとり国歌斉唱」したメディアたち・2021

次に現実を見てゆきます。

2021年7月の東京で、MISIAさんが「国歌斉唱」したと伝えたメディア系のTwitterアカウントを集めてみました。順不同です。

むろん、「独唱」や「歌う」あるいは単に「君が代」としていた他のメディアも同数以上ありました。でもそちらはカット。

2016年との比較

オリンピックと規模はだいぶ違いますが、2016年3月には今井絵理子さんが同じく反社の開いた集会で君が代を歌っています。これを各メディアがどう伝えたか、当時調べて記事にしました。

発見!一人で「斉唱」できるバカ―日本の新聞
こんにちは。煽り気味にタイトル付けてみました。今日の特集は「一人で斉唱できるバカ」と題しまして、まだまだ賞味期限の切れない森喜朗さんをいじって遊ぶ日本の新聞を、政治家の手先がいじって遊びます。この番組は「腐ったラジオ」エフエム東京をキーステ...

結果から抜粋しますと、先ほど挙げた各メディアのうち、このときも共同通信は「国歌斉唱」でした。

安易に結論づけてしまいますが、共同通信は「斉唱おひとりさまの壁」への圧倒的破壊勢力だと言えます。

先掲の他メディアは年により記事により「斉唱」「独唱」と混在していて、まちまちです。ひとつの記事の中で、本文や写真キャプションなどに「斉唱」「独唱」が同居する例もままあります。

他方、多くの新聞メディアは、内部の校閲で取り締まっているからでしょうか、「ひとりで斉唱」は見られません。しかし逆にいえば、Webメディアで「ひとりで国歌斉唱」を拒絶しているのは新聞社ぐらい、という話にもなります。

なお先ほど挙げた「2021年版」のうち、ハフポストは「一人で斉唱」警察の取り締まりを受け、訂正を出して「転向」してしまいました。

いかんです。

さらにひとつ、気になる方がいるといけませんので付け加えておきます。「一人で斉唱できるバカ」と強めに煽るなどして、私も2016年時点でどちらかと言えば抑圧する側にいたのは事実です。けれど5年も経てば、価値観もアップデートされるわけです。

校閲、その罪と罰 ~「斉唱」への抑圧をめぐって~

さかのぼってみると、内部検閲を行うこの日本語自警団、いや、@mainichi_kotoba アカウントは2014年から「ひとり斉唱」を取り締まっていました。確認できた最も古いものを埋め込んでおきます。

以降、2021年の現在に至るまで同工の発信をいくたびかくり返しています。

といった馴れ合い、もたれ合いも見られたりします。

これら日本語警察24時をほうふつとさせる発信に対するリプライや引用リツイートを見てゆきますと、異議を唱える反応もあるにはあったのですが、なかなか「有効打」が出せていない状況でした。

鬼越トマホークっぽく言ってみた

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※画像は鬼越トマホーク プロフィール|yoshimoto.co.jpより

そこで、鬼越トマホークのケンカ芸のフォーマットを借りて

斉唱は「同一旋律を二人以上でうたうこと」(広辞苑)。

1人で歌う際に用いるのは不適切だ。

みたいな言いぐさに、なんと返せば有効かを考えてみました。

坂井さんパートだけ3案です。

うるせえなぁ! お前、辞書を教科書と思ってるだろ。

うるせえなぁ! 『華氏451度』のファイアマンかよ。

うるせえなぁ! お前のそれ、マイナスのフィードバックなんだよ。

本当は思ってないと思うんですけど、いろいろ浅はかなんで、もうちょっと考える力つけた方がいいんじゃないかって思ってるだけだと思います。

これだけだとケンカ腰のまま終わってしまいますので、続けてそれぞれの趣旨を詳しく述べてゆきます。

と、いきたいところですが長くなりそうなので一度区切ります。

ジョン・レノンの《Power to the People》でいったんお別れです。

パワ~トゥ~ザぴーぽー パワ~トゥ~ザぴーぽー

つづく

【8/1追記】中編できました。

国語の神様(ウソ)が「一人で斉唱」を認めた!その論理とは?【中編】
私は、この世界の現実を直視しました。そして、「一人で斉唱」を認めるに至りました。 彼ら彼女らがある歌い方を「斉唱」と判定する条件は、歌うそのシチュエーションであって、歌う人数はビタ一文関係ありません。

【8/8追記】後編できました。

一人で歌っても「斉唱」記念講演【後編】
一人で歌っても「斉唱」ですか? はい。一人で歌っても「斉唱」です。 前編と中編でだいたい主張は出し尽くした気もしますが、論拠をもう少しだけ詳しく述べてシリーズを締めくくります。

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