人流に照らしだされた人間の罪。そして勇気。
多くの日本人がなぜ、人流に憎悪を向けるのか?
人流をより深く探っていきます。
各自、山根基世さんの声で再生してもらえるとこれ幸い。
パリは燃えているか(1995)
加古隆
¥255
第1集「人流 感染爆発と嫌悪の2021年」と題して(題さない)お届けします。
結論:Executive Summary
なぜ、人流は嫌われるのか? 結論から書きます。
(第1集)その多くは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」パターンです。
- 「人流」の出てくる文脈が気に入らない。
- 「人流」を使っている人が気に入らない。
とどのつまり、そういう類の話です。
(第2集)ただ、そのパターンを取り除いても、「人流」のワード自体に嫌われる原因もあります。
それは何かというと、人流の持つ次の性質が、日本語のしくみとことごとく相性が悪いことです。
- 漢語である
- オブジェクトである
- 動く
この記事では第1集を特集します。
人流を撫でる人たち(第1集)
Twitter世間からいくつか代表的なツイートを取り上げて検討します。
「人流」とは無関係な文脈からですが、違和感の多くは、これが当てはまってるんじゃないですかね。
「こんな言葉で表現するなんてけしからん!」という怒りは、その言葉自体に原因があるというより、その言葉が特徴的に出てくる文脈に原因があるというのはたまにある。(でも、言葉の方が目立つから、人々はそっちに怒る)
— TERASAWA Takunori (@tera_sawa) May 10, 2020
文脈が気に入らない
「言葉自体よりも特徴的に出てくる文脈に原因がある」「言葉の方が目立つから、人々はそっちに怒る」と私の認定した代表がこちらです。
「人流(じんりゅう)」っていう新語の響きはまた、何とも言えない違和感だな。僕は「正しい日本語」というのを掲げて言葉の変化を認めない態度には否定的な方ですが。政治的に、コントロールすべきもの、という意味で専ら使用されている新語だから、というのもあろう。
— 平野啓一郎 (@hiranok) April 24, 2021
ツイートを好意的に読めば、出てくる文脈が気に入らない自覚はあるようにも思えますが。
平野啓一郎さんといえば、2020年に出た岩波現代文庫の解説に、こう書いていました。
※強調・下線は引用者。以下同じ。
新型コロナ・ウイルスのパンデミックによって、私たちは未知の経験をしたが、しかし、その戸惑いの中には、一種の既視感もあった。
メディアにも玉石混淆の情報が溢れていて、肝心の専門家の意見でさえ、一体、何を信じていいのか、見極めに苦労した。
感染者や医療従事者の発する言葉は、身を以て「体験」している/した、という事実の重みによって、非当事者を圧倒する。しかし、それらの言葉でさえ一様ではなく、中には真偽の疑わしいものもあり、また、大いに文脈依存的であった。
出典:成田龍一『増補「戦争経験」の戦後史』 解説 p.355
そうなんです。「人流」もまた同じく、大いに文脈依存的であって、人流にしてみれば、それで違和感ぶつけられても、まるで流れ弾に当てられたようなもので、とんだとばっちりなわけです。
そして平野さんの解説するこの本にも、「人流」が出てくるんですよね。
第2章2「体験」としての「引揚げ」と「抑留」、最初の項のタイトルが、帝国の中の「人流」でした。
用例として、本文から2、3ピックアップします。
敗戦後、「外地」にはおよそ六六〇万人の「日本人」がおり、彼らは敗戦にともない移動を開始する。その「人流」の経験は、(後略)
(p.92)
ここでは敗戦をきっかけとする「人流」としての「引揚げ」と「抑留」の考察を試みるが、
(p.93)
敗戦にともなう人流には、移動をとどめる「抑留」もある。(略)東アジアでの人流(移動)の例として、(略)ソ連全土に「抑留」された人びとの体験記(D)をとり上げて見よう。
(pp.107-109)
こんな具合です。文庫化されて「増補」となる前、2010年刊行の単行本の段階でこれら「人流」は存在しました。図書館で見てきました。
私は意地が悪いので、人流が平野啓一郎さんにとって本当に「新語」だったか調べてみました。
使っている人が気に入らない
文脈依存であることを見越したニュアンスの違和感を示した代表が、こちらです。
人間として慣れたくない言葉。為政者が使う「人流」。
— 武田砂鉄 (@takedasatetsu) April 27, 2021
私は底意地が悪いので、どこまでこのツイートの感性を共有できるかチャレンジすることにしました。
どのあたりの層を「為政者」と想定しているのかというのもありますけれど、「口頭での発言」にフォーカスして都道府県知事の会見録から用例を探してみました。
以下、為政者が使う「人流」チャレンジです。
共有難易度:レベル1
新型コロナウイルス感染症関連では、予想どおりと言いますか、東京都知事の小池百合子さんが比較的早くから人流を使っていました。
東京都の会見録から拾える最も古い用例は、令和2年(2020年)4月6日のものです。
この土曜日・日曜日にも外出自粛にご協力いただきました。様々な人流を見ましても、その効果は出ているかと思います。
(知事冒頭発言)
出典:小池知事「知事の部屋」/記者会見(令和2年4月6日)|東京都(2020/04/06付)
リンク先に動画もありました。しっかり「人流」って言ってます(1:13あたり)。
共有難易度:レベル2
けれども人流のワードはコロナ禍以前からあったので、2013年の時点で、広島県知事の湯﨑英彦さんによるこんな発言もあります。
これによっていろんな物流,あるいは人流と言うか,観光利用なり,あるいは何て言いますか,レジャー用の利用を含めて,県内の活性化が図られるというのは大きく期待をしています。
(尾道松江線開通について)
出典:知事記者会見(平成25年3月26日)|広島県(2013/03/26付)
動画もありました。しっかり「人流」って言ってます(1:30あたり)。
余談ですが、都道府県知事の会見録に絞ったのは、国政に関してはざっと調査済みだったからというのもあります。ネットでの調査だと、政府刊行物では1974年の通信白書まで「人流」をさかのぼれています。詳しくはこちらの記事へ。
共有難易度:レベル3
新型コロナウイルス関連でさらに探しますと、小池さんよりさらに前、2020年1月の時点で「人流」を使っていた為政者もいました。蔡英文って人なんですけど。
第一、是持續落實「人流」管理。
出典:防疫視同作戰總統:政府會確保國內醫療及防疫資源充足全力做好防疫工作|中華民國總統府(2020/01/30付)
リンク先とYouTubeに動画もありました。しっかり「人流」って言ってます(1:16あたり)。
台湾の武田砂鉄さんも、蔡英文さんの人流に「人間として慣れたくない」とか、ツイートしたんですかね。おるか知らんけど。
為政者が積み重ねる無策失策に憤るのはよくわかるんですが、人流にしてみれば、それで違和感ぶつけられても、まるで流れ弾に当てられたようなもので、とんだとばっちりなわけです。
まとめ
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とはよく言ったものです。
今回、慣用句として残る先人の知恵を実感できました。
おまけ
あと、人流に対して存外多く見かけたのが「辞書にない」でした。代表してこちらを。
ここのところ急に耳にするようになった言葉、「人流」。意味はわかるけど、「じんりゅう」という響きも何となくザラッとしているし、辞書を引いても出てこなかった。新しい言葉? 好きじゃないな。
— 乃南アサ (@asanonami) May 7, 2021
こういうときに辞書をそこまで頼るのかと、私には意外でした。頼る頼らないの二値でなくて、程度の問題。
でしたら広辞苑を筆頭に、主な国語辞典ぜんぶに「人流」載せときましょう! って私が載せるわけじゃないけど。
そんなところです。
つづく
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