新型自粛ウイルスのパンデミックが猖獗を極める昨今、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
「自粛」の誕生
日本語の歴史の中での「自粛」の出現は比較的新しく、ネット公開の文献に用例が出てくるのは1930年代以降です。
5月末まで無償公開と知り、雑誌記事索引データベース「ざっさくプラス」で「自粛」を検索してみました。結果はこちらです。
1930年代以降にデータが現れてきているのがわかります。
1930年代というと、昭和の戦前・戦中期です。ちょうど「漫才」や「爆笑」などと同時期に生まれた、日本語第七世代に属する語句なんですね(テキトー)。
80年以上前からエモすぎた戸坂潤
要請のはずが、事実上強制される「自粛」。
早くも1937年の時点で、そんな「自粛」の正体をまるっとお見通ししていたテキストが世に出ていました。
それが、戸坂潤『世界の一環としての日本』所収の各論稿です。「自粛」の前後だけ拾って読んでもグイグイきます。それを誰かに(誰?)伝えたいためだけに、このブログ記事を書きました。
『世界の一環としての日本』の自粛たち
以下、テキストは青空文庫版・戸坂潤「世界の一環としての日本」からです。※強調・下線はいずれも引用者
はじめから「要求」されていた「自粛」
そしてその結果どうなったかといえば、一方において粛軍の工程と、他方において政党やブルジョアに対する自粛の要求とのシーソーによって、結局社会の政治的・文化的・思想的・条件は可なり中和的な、しかしやや確実な、右翼化線の上昇の路を辿ったのである。この大勢は、たとえああした形の事件がなくても、早晩来たに違いないものだった。問題は社会の支配風景のこの本質が、現われることの遅いか早いかだけだ。
8 日本ファシズムの発育(1937)
「ああした形の事件」とは、この前年(1936年)に起きた2.26事件のことです。
それはさておき、“デビュー”当初から、自粛が要求する性質のものであったことがわかります。ついでに、今の視点からは「政党やブルジョアに対する」という方向性も新鮮です。
自粛という名の統制、そして弾圧
25 文化統制と文化の「自粛」(1936)からです。
……新聞・雑誌・単行本・の場合には言論統制は大部分、営業上の利害を介して行なわれている。(略)従って之は一応、出版者側の自発的な統制にまつのである。政府はこの点極めてよく心得ているので、かつて寺内陸相が政党に向かって期待したような「自粛」をば出版関係者と筆者とに期待しているらしく見える。之は云わば言論報道(ジャーナリズム)の上での「自力更生」のようなものでもある。
すごい。手口がバレてる。
言論自粛に最もいそしんでいるのは日本の大新聞だ。(略)その有様はすでに政治的な恐怖や経済上の思惑さえも離れて殆んど道徳的な良心かマニアにさえなっているように見える。(略)その証拠には二流新聞の或るものには可なりハッキリ云うべき処を云っているものがあるからだ。
で一体なぜ新聞はこの事件、この重大な社会事件に就いて沈黙するのか。この種の統制はどこから来たか。どこからの経済的統制か、それとも政府のさしがねででもあるのか。――だがいずれにしても、新聞が平然とこの種の言論(?)自粛をなし得るというのが、抑々読者たる民衆の日本流の忠良さを利用したり夫に適応したりすることから来るわけだ。
いろんな人がいろんな角度から共感しそうです。
映画、演劇、漫才等々の「自粛」
出版の検閲が注意深くなったと共に、映画検閲の発達はすばらしいものである。だが之を単に圧迫とばかり理解しては不充分だ。(略)政治の方針は、まず映画業者なら映画業者の自粛に俟つのだからである。之が映画統制の日本的形態である。演劇、レビュー、漫才、ダンスホール、等々の統制、皆この手に帰する。丁度官営労働組合を造るように、映画人の協会、役者興行主の協会、漫才師の協会、其の他其の他が出来る。(略)――つまり指導の名の上に於ける弾圧、之がこの文化統制の特色で、而もそれが極めて円滑に「合法的」に穏和に持久的に、ジワジワと行なわれるのが、日本に於ける文化統制の特色なのである。民衆は自主性がなくて事大的だから、之が容易に出来るわけだ。
「弾圧」の実態が、そのイメージと大きく違うことが読み取れます。「自粛に俟つ」ところから、ひとつながりなんですね。
締めもキマってます。
風俗の弾圧は思想の統制のジェスチュアなのである。文化の自粛の演習には之が手頃なのだ。
ぐいぐいきますね。
この「風俗」は、岡村隆史さんらの使う風俗とは違う意味あいですけど、とりあえずどっちでもいいです。
まとめ
自粛が
言論の道徳的統制、之が自主性のない事大的な日本民衆の自発的(!)統制
25 文化統制と文化の「自粛」(1936)
の手段に利用されてるって、とっくの昔に見抜かれてしまっていました。
これだけ見通せていた戸坂は、さぞ生きにくかったろうなと無駄に感傷も覚えてしまいで、Wikipedia 戸坂潤の「来歴・人物」を読んでも、つらい話ばかりでした。
そんなところです。
戸坂潤(1900-1945)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jun_Tosaka.JPG より
コメント