ネット世間の片隅で「スローな説明にしてくれ」の声が聞こえた気がしました。
今こそ、「チコちゃんに叱られる!」(2020/02/14 OA)で放送された「お風呂と湯船」の話がフェイクの偽情報だったと聞き及んだまま、もやもやがくすぶっている全ての日本国民と非日本国民に、ゆっくりじっくりお届けします。
※イメージです。
めいっぱいスピードを落として説明します。ごゆるりとお楽しみください。
おさらい:「お風呂と湯船」のフェイク情報
おさらいです。「チコちゃんに叱られる!」が流布していたのは、
「浴槽」のことを「湯船」というのは…
江戸時代に「湯船」という船があったから
という話でした。何度でもくり返します。フェイクです。
「フェイク」の結論を導く3つの事実
以下に、3つの事実を示します。
すべて「お風呂の湯船は湯船という船から」の妥当性を崩し、ポイと捨て去ってしまえる根拠となる事実です。
事実その1:日本語のふね
日本語では
- 人や荷物をのせて水上を行き来する乗り物
- 箱型の容器
を、どちらも「ふね」と呼びます。
語釈は、コトバンク 大辞林第三版の解説 船・舟・槽とは から抜粋しました。
逆から言えば、日本語の【ふね】というラベルは、大別して(のりもの)(いれもの)2種類の実体に貼られます。
事実その2:古事記のふね
『古事記』には、(のりもの)(いれもの)どちらの「ふね」も出てきます。※下線は引用者
(のりもの)のふね
二神の結婚|國學院大學 古事記学センター から。
此子者入葦舩而流去
此子は葦舩に入れて流し去つ。
これは、(のりもの)のふねですね。
(いれもの)のふね
八岐大蛇退治②|國學院大學 古事記学センター から。
毎其佐受岐置酒舩而、
毎舩盛其八塩折酒而待其のさずき毎に酒舩を置きて、
舩毎に其の八塩折りの酒を盛りて待て
こっちのくだりは、(いれもの)のふねです。
ヤマタノオロチに飲ませる酒を入れる容器を「舩(ふね)」と表記しています。
※画像は、石見神楽の舞 7月|株式会社 イリーナコーポレーション(2010/07/12付)より
事実その3:普遍的な「ふね」
古事記の時代から現代に至るまで、日本語の「ふね」は(のりもの)(いれもの)両方の意味で使われ続けています。用法が廃れ、どちらか、ないしは両方を皆目「ふね」と呼ばなかった時代は見つかっていません。
現代の(いれもの)の「ふね」
大半の現代人にとって、ふねと聞けばまず(のりもの)を連想する。それも確かでしょうが、しかし(いれもの)の系譜も現代にしっかり息づいています。
代表して、(いれもの)のふねの例を2,3。
和紙の漉き舟
※石州和紙会館 より、石州和紙会館内観(歴史資料・漉き舟)
和紙を漉くときに使う道具です。
すくい取る側ではなくて、箱型の入れ物の方が「ふね」です。
左官業界の「フネ」
カベ材やコンクリートの混ぜ合わせに使用する容器で通称:フネと呼ばれています。
テキスト・画像出典:タフブネ|三興株式会社
セメントを水で溶いたものを「トロ」といい、トロを入れる容器を「トロ舟」というそうです。
参考:建築用語集|タクミホームズ
画像出典:プラ舟 100|リス興業株式会社
それぞれ商品名のようですが、「フネ」「舟」です。
過去の時代のふね(いれもの)【引用省略】
湯船のルーツを(のりもの)に求めることが誤りである根拠として、平安時代の「ふね」(いれもの)の用例が、いくつかTwitter世間に出回っていましたね。煩雑になるのでここでの引用は省略します。
漢字の「船」は(のりもの)(いれもの)どっち?→文脈による
用例をいろいろ見ていますと、ふねの漢字表記の区別は非常にゆるいです。
- (のりもの)の「ふね」は、【船】【舩】【舟】あたりです。順不同。
- (いれもの)の「ふね」は【槽】が多いですが、【船】【舩】【舟】もあります。
ラベルが【槽】ならほぼ(いれもの)と言えそうです。けれども【船】と書いてあるからといって(のりもの)と簡単には断定できません。
1つだけ、藤原定家の日記『明月記』から、(いれもの)に【船】を使っている例を紹介します。
風櫨傍為御湯殿居船、御湯殿南為公卿湯殿居船、置湯帷少々、
出典:明月記.第1(1911刊) 三百四十頁(建仁三年十二月十日)|国立国会図書館デジタルコレクション
筒井功『風呂と日本人』(2008)p.82の解説を参考に読みといてみますと、
風炉のそばの御湯殿には「船」が据えられ、その南の公卿の湯殿にも「船」が据えられ、湯かたびら(浴衣)少々が置いてあった。
そんなことが書いてあります。鎌倉時代初頭、西暦1203年の用例です。
やり直し:浴槽のことを「湯船」というのはなぜ?
さて、湯船です。
- 江戸時代に【湯船】という船(のりもの)があった
これは事実です。
- 浴槽のことを「湯船」という。
これも事実です。しかし、この事実の説明に【湯船】と呼ばれた船(のりもの)は必要ありません。
使わずに説明しますね。
- 浴槽のことを「湯船」といいます。
- 日本語は古来、乗り物だけでなく、箱型の入れ物のことも「ふね」と呼んできたからです。
- 湯を入れる箱型の入れ物だから、「湯船」です。
はい、できました。
「お風呂が沸きました」
次回予告:江戸の「ふねつながりず」
それでもまだ「現代の湯船(いれもの)のルーツは、江戸の湯船(のりもの)」説にワンチャンあるかも?とモヤる勢に、次回もっと付き合ってみることにします。
そうした向きにとって最大の関門となるであろう事実を、ひとつご紹介します。
番組では『和漢船用集』(1766)から、こちらの【江戸湯舟】の図版が紹介されていました。
出典:(畫圖)和漢舩用集 12巻 五(233コマ目)|京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
実は『和漢船用集』には、もうひとつ【ゆぶね】が出てきます。それがこちら。
湯槽
出典:(畫圖)和漢舩用集 12巻 九(363コマ目)|京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
第9巻の「有舟名別物之部」に登場します。「舟の名が有る、別物の部門」といったところでしょうか。それはさておき、画像のテキストを読んでみましょう。
湯槽
温泉等みな槽あり 浴する箱を云
今風呂の湯舟と云
今風呂の湯舟と云!
今、風呂の湯舟という、ですって。見ましたか、(のりもの)の船、ガン無視、というかもとより眼中にないこの書きぶり。
コトバンク『和漢船用集』精選版 日本国語大辞典の解説によれば、同書の刊行は明和3年(1766年)ですから、ここでいう「今」って、18世紀後半の話です。
この「湯槽」の存在は、こちらのツイートから知りました。ありがとうございます。
「チコちゃんに叱られる!」で引用していたのは金沢兼光著『和漢船用集』第5巻の「湯船 武州江戸にあり舟に浴室を居(スヱ)湯銭を取て浴せしむる風呂屋舟也」の部分。しかし、同第9巻「非舟為船之部」では「湯槽(ユフ子) 温泉等みな槽あり浴する箱を云 今風呂の湯舟と云」と解説しているのである。
— 手飼の虎 (@KomaiMamoru) February 16, 2020
ということで、
湯船(のりもの)と同じ時代、というか「湯船」が載った同じ『和漢船用集』では、別の巻で、風呂の【湯舟】の呼称について、当記事で述べているのと同様に(いれもの)の「ふね」の系譜を採用していることが確認できました。
これをひっくり返すのって、かなり大変ですよね。がんばりましょう。
煽り方もゆっくりじっくりにしてみました。
つづく
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