「居場所」としての断捨離―「お気持ち仮説」で読みとく商標権問題(2)

だから、居場所が欲しかった。』(水谷竹秀, 2017)

めいっぱいはしょって一言で言えば、こういう話です。忙しい人はこれでオッケー。

……それぞれの心のひだに触れてみると、居場所や生きづらさ、自己の存在意義や承認欲求、そして今の日本社会の在り方についてあらためて考えさせられることの連続だった。

(プロローグより)

はい。上に同じ。お前とお前は帰ってよし!

ごきげんさまです。
お気持ちコンサルタントのヤシロです。
新・お気持ち片づけ術「脱修羅(だっしゅら)」を提唱しています。

支持も賛同もしないお気持ちコンサルタントが、その持てる共感能力と慈悲の心を目いっぱい駆使して、登録商標「断捨離」にザワつく問題2019の本質を無慈悲に読みときます。

Twitter世間では

と、より適切な発信、認識もぼちぼちと見られるようになりました。こちらの方面は諸賢におまかせいたします。

後半のあらすじ

人生が「マイナスからのスタート」だったやましたひでこさん。
自己不全感を埋めようとようやくたどり着いた「居場所」が、断捨離でした。

「居場所は自分でつくるもの」とするやましたさんですが、「マイナスからのスタート」というハンデを今なお抱えていては、自分が提唱するものと違う断捨離の存在が、自身の居場所を脅かしていると誤認してしまうのも無理はありません。

いわば彼女の「ごきげん」という名の風船に、まだ穴が開いたままになっています。まずは、その穴をふさぐことが先決です。

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※写真とやましたひでこさんは関係ありません

「お気持ち仮説」で2019年の断捨離商標権問題を読みとくと、こういう結論になりました。

「お気持ち仮説」前回のおさらい

やましたさんが「阿修羅のごとく」に見えてきた、前回のポイントをダイジェストします。

「お気持ち仮説」で読みとく「断捨離」商標権乱用問題(1)
怖くて仕方が無いだけなのにアイデンティティ(2000)椎名林檎¥250めいっぱいはしょって一言で言えば、こういう話です。忙しい人はこれでオッケー。というわけで、クラウドの奥にしまい込んでいたこのアルバムを久々に引っぱりだして聴きながら書いて...

「お気持ち仮説」とは

「お気持ち」を大切にされないまま成人すると
自分の「お気持ち」を持て余し、トラブルを引き起こすようになる。

というものです。

一見そうは思えない物事に対し、

ひょっとしてそれは「お気持ち」の問題ではないか?

と考えてみる、という手法をとります。

お気持ちの真実:お気持ちの4か条

ゲスの極みお気持ちコンサルタントが、今からお気持ちの4か条を教えてやるわ。よく聞きなさい。

  1. 「怒り」のお気持ち、裏は「苦痛」と「恐怖」
  2. お気持ちは論理を超える
  3. お気持ちは、言ってることとよく食い違う
  4. お気持ちは法を超える

こっそり表現を整えたのは内緒だけど、これが「お気持ち」です。

お気持ちの真実(4):お気持ち > 法

実は4つめの説明がまだでした。一部界隈ですっかりおなじみの文言を例に簡潔に述べます。

やましたひでこ公式サイトの初めての方にには、こうあります。※下線は引用者

個人的な断捨離体験を語り発信するのは、ご自由です。
ただし、商業目的、営業目的が伴う「断捨離®」「クラターコンサルタント®」のご使用に際しては、明確厳格な基準を設けており、許可無く使用することはできません。

わりとまじめにサイト内探したんですが、「明確」というわりに、それらしき基準が見あたりません。

基準=お気持ち と読み替えれば、納得できます。必ずしも他者に示す必要のない、主観の話に収束するからです。

この経緯が事実としますと、たちの悪いことに、これらの要求はいずれも商標権で守られる範囲を逸脱したものとなっています。

  • お気持ちは法を超える

という、お気持ち第4の真実がここにあります。

怒りのお気持ちの正体―苦痛と恐怖

やましたさんは、どのようなお気持ちの問題を抱えているのでしょうか。シリーズ1回目の記事で、スティーブン・キングの小説を映画化した「キャリー」(1976, 2013)を題材に、お気持ちの第1条、

  • 「怒り」のお気持ち、裏は「苦痛」と「恐怖」

を説明しました。ここでもう少し補足しておきます。

ものの本には、こう書いてあります。※下線は引用者

怖れや、怒りや、屈辱感や自己否定感がたまりにたまって満杯になったタンク、それが激怒です。激しい怒りは多くの人にとって、これ以上痛みに耐えたくないという限界の反応なのです。すっかり絶望して他に方法がないとき、人は自分の言うことを聞いてもらうため、こっちを見てもらうため、価値を認めてもらうために、怒りを爆発させるという手段に出ます

出典:クラウディア・ブラック『子どもを生きればおとなになれる』(水澤都加佐監訳/武田裕子訳, 2003)p.51

「自分の言うことを聞いてもらうため」「こっちを見てもらうため」「価値を認めてもらうため」に、「断捨離は登録商標」を持ち出すほかに方法がないだなんて、なんと絶望的なことでしょう。

癒されない痛みを抱えた人は同時に、未解決の怒りをたくさん抱えています。自分の怒りに十分気づいている人もいるし、怒りから目をそらし、理屈でごまかしている人もいます。

(同書 p.87)

商標権で守れない「断捨離」に憤ったあげく持ち出すのが「断捨離は登録商標」では、何の理屈にもなっていません。癒されないこと甚だしいです。

「お気持ち仮説」を適用して読みとくうえで理解しなければならないのは、むしろその痛みです。理不尽な怒りとして表出し、お気持ちが論理を超える現象の裏には、これまで大事にされてこなかった数々のお気持ちの存在が推定できます。

支離滅裂な断捨離へのお気持ちを読む

3分間で「断捨離」チェックメイト
戦ってしまえば 全てはいつかチェックメイト――ゲスの極み乙女。〈戦ってしまうよ〉(詞:川谷絵音, 2018)|YouTubeごきげんさまです。お気持ちコンサルタントのヤシロです。新・お気持ち片づけ術「脱修羅(だっしゅら)」を提唱しています。...

こちらの記事で、やましたひでこさんの提唱する断捨離が沖正弘の提唱する断捨離と「同じ」なら、提唱者の自称はウソだし、「違う」なら、自身も沖と違う断捨離を提唱しておきながら、それと違う断捨離に憤っているのは支離滅裂であることを指摘しました。

それでも支離滅裂なお気持ちに虚心に耳を傾けると、支離滅裂さのあいだからもれ聞こえる「声」は、

  • わかってほしい
  • 聞いてほしい

でした。「承認欲求」のワードが飛び交うネット世間ですが、そこへは全部を回収しきれない、「承認」よりもいく段階か原始的な部類の欲求があるように感じます。

2つのケースから、読みとります。

断捨離「冠番組」への「お気持ち」

今回の登録商標「断捨離」にザワつくブーム2019をきっかけに、BSに断捨離の番組があるのを知りました。

ウチ、“断捨離”しました!|BS朝日

この4月からレギュラー化されたそうです。これに関して、インタビュー記事がありました。

“断捨離”提唱者・やましたひでこ「やっと分かってもらえたかという思い」|ザテレビジョン(2019/04/09付)

既にヘッドラインに表れていて中身読まなくてもわかる感じですが確認しておきます。

――レギュラー化の率直な感想をお教えください。

ありがたいなと思う半面、やっと分かってもらえたかという思いでした。(後略)

そのまんまでした。わかってもらいたかったのですね。

どういうふうに分かればいいの?という疑問はありますが、ひとまず次へ。

全文まるパクリ事案での「お気持ち」

先ほど挙げましたオフィシャルブログ「断捨離」の記事、それが、一番、やりきれなかった。(2018/08/29付)に、

漸く、このような、まともな記事を書いて下さる存在が。

有難うございます。

と紹介されていた記事がありました。それがこちらです。

「断捨離」を勝手に使用してはいけません。ご注意下さい!
モノが増え、仕事が遅れる元凶は、<先送り><何かあったら><もったいない>と考える一連の思考の流れ。これが、仕事の詰まりを生んでしまう。「デスクの上には進行中の仕事の書類だけを置く」「書類は基本的に読み終えた瞬間に捨てる」「名刺をとっておく

数日後のブログ、似て非なるものは、まったく違うものより始末が悪い。(2018/09/01付)に、

こんな私の忸怩(じくじ)たる長年の思いを、有難いことに見事に看破して記事にして下さった方がおられる。しかも、まったく知己もない面識もない、コラムニスト尾藤克之氏。

私は、記事のタイトルよりも、尾藤氏のこの一文に救われたような思いだ。

しかし、登録商標を知らない人が勝手な解釈で「断捨離」を流布させてしまう。これまでは、著者も強く権利を主張してはこなかった。間違った解釈が広まることについて、感じた呵責はどれほどのものだったのか。察するに余り有る。

この場を借りて心から感謝を申し上げたい。

とも。こう察してもらうと、やましたさんは「救われたような思い」をするのですね。間違った解釈が広まることに、呵責を感じているらしいです。

このあたりのメカニズムの解読は難易度が高いので、後ほどあらためて説明してみます。

再び、法を超えるお気持ち

ところが2018/8/29付記事でのやましたさんによる紹介のしかたが、「断捨離」を勝手に使用してはいけません。ご注意下さい!の「記事全文を引用」という、なかなかになかなかな無法っぷりでした。驚いてつい比較ツールで確認したほどです。

書名部分の「5」が全角の「5」になっていた以外、一言一句同じでした。

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(左)元記事 (右)まるパクリ部分(改行は整形しています)

「パクられ」側からDMが来ました

この事実を知ったお気持ちコンサルタントの私はたいそう驚き、

とクイズ形式めかして「出題」しておきましたら、筆者の尾藤さんよりDMをいただきました。当初、ご自分の書かれた記事に何か問題があったのかと思われていたようです。思わせぶりすぎるのも、よくないですね。

ともあれ誤解を解きつつ見解を尋ねましたら「問題がないとはいえませんが、」「ご指摘を踏まえつつも静観します。」とのことでした。

私の基準では、主従の「従」の範疇を超えた引用は、自転車で道路の右側を走ってしまうのと同程度の無法者のふるまいですが、記事の権利者が「静観」を表明していますので、この話はここまで。

お気持ちの第4条

  • お気持ちは法を超える

が観測できたのを、成果とします。

類例:嫁の「冷奴ぽん酢」事件

やましたさんはなぜ、世の「間違った」断捨離に呵責を感じたあげく、憤らなければならないのでしょうか。ここらの感覚を持ち合わせない方へ伝えるのはほんとに難しいんですが、こういう例を出してトライしてみます。

※from photozou.jp by (C)ひでわく

ある日、機能不全の嫁とこんなやりとりがありました。

夕飯、冷奴食べるわ

冷奴ぽん酢かけるといいよ
(と、卓上のボトルを示す)

いや、今日は醤油の気分やね
(と、冷蔵庫から醤油持ってきてかける)

あったまきた!
ナンプラー頭からぶっかけてやる

なんだそれ?

あらためて嫁に聞いてみますと、

  1. 私が無視された
  2. そのうえ、目の前で醤油をかけて侮辱した
  3. あったまきた!

となったそうです。

私からすれば、こうなります。

  1. 嫁を無視はしていません。嫁のぽん酢案も聞いたうえで、その時の自分にとって最良の選択をしたまでです。
  2. この流れで冷奴に醤油をかけることが嫁への侮辱になるメカニズムについては、正直よくわかりません。
  3. ただお気持ちを大切にされない経験を重ねると、こうした受け止め方の傾向になるのかなということだけ、辛うじてわかるようにはなりました。

話を戻します。

断捨離に引き寄せられた「お気持ち」の半生

相手方の言い分を把握するのは対話を進めるときの基本だとも思いますし、するしないは私の自由ですけれども、やましたさんのお気持ちに沿えるよう「断捨離」を使うにはどうすればいいかを探してみました。

それでたどり着いたのが、こちらの「断捨離プログラム」のセールスページです。

「お気持ち仮説」からは、大変興味深い内容でした。

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注目は最初の見出しです。

私の居場所は、どこ?」となっています。

つづくテキストで、やましたさんは自身の生育歴をこのように語っていました。大事なところに線を引いておきます。

私の名前は、やましたひでこ。私の母は、片づけられない女。子供の頃の私はいつも、スッキリと片づいた家に住みたいと憧れていました。お友達を家に呼びたいと思っていました。心の中で少しだけ母を恥じていました

生育過程における、自身の母との関係にふれていました。「機能不全家族」のニオイがします。

検証:山下家の機能不全ぶり

機能不全家族のルール|アスク・ヒューマン・ケアの文言を借りて受け売りすると、機能不全家族とは、子どもが育っていくために必要な

十分に愛され、受けとめられ、リラックスできる場

が機能していない家族をいいます。

親の情緒不安なども同じような状態をつくり出します。

とも。

セールスレターの

母の口から出る言葉は、愚痴ばかり。「女なんて、つまらない」「私は家事なんて嫌いだ」と繰り返していました。私は2人姉妹の末っ子。母にとっては、おチビちゃんでしかありませんでした。そして、母の口から垂れ流される愚痴のはけ口。家が片づいていないこともあって、私はいつも居心地の悪い想いを抱いていました

と、機能不全家族のルールのページにある

両親のいさかいに巻き込まれたり、いつも自分のことは後回しにされたりします。
幼い頃から家庭内の緊張を感じとり、(略)親のグチの聞き役や世話役になったり、(略)「いい子」になることで自分の存在を認めてもらおうと苦しい努力を重ねたりします。

あたりがよく呼応しています。

だから、居場所が欲しかった。 by ひでこ

その前半生でやましたさんが強く求めたもの、それは居場所です。

大学を卒業後、私は23歳で結婚しました。実家は居心地が悪く、せっかく進学した大学にも馴染めませんでした。どこにも居場所がなかった私は、結婚して、早く自分の居場所を見つけたかったのだと思います。

良き妻、良き主婦として家族を守るために。そして、自分が心地よく暮らせる居場所を見つけるために必死でした。そして私は、とてつもなく疲れていました。「私の居場所はどこにあるのだろう?」。そんな、答えが出るか出ないかわからない自問自答をグルグルと繰り返していました。

なにかというと「居場所」「居場所」です。

そこから

私に転機が訪れたのは、31歳のとき。

と断捨離ストーリーに入るのですが、やましたさんは1954年生まれ(後述の【話の肖像画】による)ですから、31歳の誕生日が来たのは1985年。この年は、奇しくも沖正弘の没年です。

「マイナスのスタート」からの「居場所」探求

2013年のインタビュー記事にも、「マイナスのスタート」からの「居場所」探し/つくりの過程が、もう少し詳細に書いてありました。

産経新聞【話の肖像画】の5回シリーズです。ダイジェストしておきます。

母と私は価値観が正反対。(略)そして、子供は親の言うことを聞くのが当然と考えている…。一言でいえば“強烈な存在”で、幼いころの私はとても逆らえませんでした。母に認めてもらいたい気持ちもありましたしね。無意識に自分を偽り、“母の価値観の呪縛”にとらわれていたのです。

「断捨離」提唱者・やましたひでこ(59)(1)(2013/05/27付)

実は居場所は“探す(最初からある)もの”ではなく、自分で“つくるもの”なのですが、それに気が付くのはもっと後の話…。

「断捨離」提唱者・やましたひでこ(59)(2)(2013/05/28付)

思えば、自分の価値観とは違う、母の価値観に、とらわれていたころの私も「他人軸」でした。自分に自信がなく、「居場所」が見つからない…。そこから抜け出すのに50年もかかったことは、すでにお話しした通りです。

「断捨離」提唱者・やましたひでこ(59)(3)(2013/05/29付)

「つまらない人生」だという不満とストレスで疲れ果て、まるで出口の見えないトンネルの中に迷いこんだようでした。

 やっとトンネルから抜け出せたのは50代に差し掛かろうとしたころです。(略)これからは「自分のために生きる」と、自分で自分に許可を出したのです。

「断捨離」提唱者・やましたひでこ(59)(4)p.2(2013/05/30付)

私は今でこそ、「断捨離(だんしゃり)」のセミナーや講演で、お話ししたり、テレビやラジオに出演する機会も増えましたが、ずっと「人見知りが激しく、明るくもない」と思い込んでいたのです。それは小さいころから母や姉に「何をやってもダメな子」「ぼんやりとした子」と言われ続けてきたから。

「断捨離」提唱者・やましたひでこ(59)(5)(2013/05/31付)

全体の基調となっているのは、強い不全感です。

世の中に経歴を詐称する人物は多くいますし、何よりやましたさん界隈が事実を曲げて書くクセがありますから、これだけでは額面どおりには受け取りかねます。それでも、少なくとも

  1. やましたさんの自己認識
  2. やましたさんがターゲット層に持ってもらいたい印象

のどちらかはこのとおりなんだろうなとは言えます。

さて、先ほどのセールスページのリンクから申込ページへ飛んでみると、39,800円(税抜)となっていました。

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結局、何をどうしてどうやればお気に召すように「断捨離」を使えるかはまだ明らかにできていません。

まとめに代えて:ごきげん風船論

一見して、知的なんとかやら法的なんとかやらに注目がいきがちな「断捨離」商標権問題について、「お気持ち仮説」を使って解明を図ってきました。構図の7~8割は解明できたかな、という気がします。極めて甘い自己評価だろうと、これでオッケー。

最後にひとつ、やましたひでこさんのブログに頻出する「ごきげんさまです」にふれます。当記事でもパクりました。

「ごきげん」というのは、私にとっては風船のようなもので、基本はふわふわと過ごせるものです。これが「上機嫌」です。たまにしぼんだり、ひどい場合には割れてしまうこともあるけれど、その都度空気を入れ直したり、新しい風船をふくらませれば、またじきにふわふわできます。実は、この数年でようやくこの境地に至ったというのが正直なところです。

長く「不機嫌の時代」を過ごした自分のこれは完全主観なんですが、「ごきげんさま」をくり返すやましたさん一派のテキストに目を通していると、穴の開いた「ごきげん」風船に一生懸命空気を入れ続けているように思えてきます。替えの風船のストックも、持っていない感じです。

向田邦子ドラマ「阿修羅のごとく」の登場人物が、パート2(1980)でこんな台詞を言ってます。

あたしね、この頃、判るのよ。道歩いてて、女の人とスレちがうでしょ。あ、この人、満たされてるな。この人満たされてないな

向田邦子『阿修羅のごとく』(新潮文庫版) 「裏鬼門」

お気持ちコンサルタントの私でも、すれ違うだけではわかりません。けれども登録商標「断捨離」をめぐってのやましたさんらの言動からは、「この人満たされてないな」ってことがよくわかりました。

空気を一生懸命入れる前に、まずは風船の穴ふさぐか、穴の開いてない風船用意しようよって話になるわけですが、それが容易でないことも承知しています。

お気持ちの第3条

  • お気持ちは、言ってることとよく食い違う

もありつつ、『子どもを生きればおとなになれる』「クラウディア・ブラックからあなたへの贈り物――自分を認めるための言葉」(pp.236-237)から抜粋して終わります。

・過去の痛みから自分を守るための方法で、私は今の自分をさらに痛めつけてしまっている。だから、癒されるに値する。

・回復とは、一か十かではなく二から九までの段階があると学ぶこと。

・過去と現在を受け入れることによって、私の魂は満たされたものになる。

・私はすべてのコントロール権を握ってはいない。

やましたさんの断捨離行動に変化が出るといいなと思いつつ、そこが私のコントロールの及ぶ範疇でないことも承知しています。


ここまでもっぱらやましたひでこさん個人に焦点をあててきましたが、問題構造の残りの2~3割は、お気持ちの過剰な忖度から起こる暴走という側面で解明できそうです。そこを語るには、やましたさんの周辺も視野に入れないといけません。

そろそろ飽きてきたので、つづくかは私しだいです。

ご静聴ありがとうございました。

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