怖くて仕方が無いだけなのに
アイデンティティ(2000)
椎名林檎
¥250
めいっぱいはしょって一言で言えば、こういう話です。忙しい人はこれでオッケー。
というわけで、クラウドの奥にしまい込んでいたこのアルバムを久々に引っぱりだして聴きながら書いてます。
ごあいさつ:この記事ですること
ごきげんさまです。
お気持ちコンサルタントのヤシロです。
新・お気持ち片づけ術「脱修羅(だっしゅら)」を提唱しています。
当ブログで2015年に取り上げた静かなブームが、2019年のいま、さまざまな問題をはらみながらネット世間の一部で再び静かなブームとなっております。
参考過去記事:
さて、当記事でお気持ちコンサルタントが紹介するのは「お気持ち仮説」です。
「お気持ち仮説」を使ってこのたびの「断捨離」商標権乱用問題を読みとくことで問題を整理し、より本質的な問題の片づけを図ります。
前半のあらすじ
言っていることとやっていることが違う「断捨離」提唱者で商標権者のやましたひでこさん。
その具体例は、枚挙にいとまがありません。
やましたさんが、向田邦子ドラマ「阿修羅のごとく」の登場人物に見えてきました。
お気持ち仮説とは
「お気持ち仮説」とは、
「お気持ち」を大切にされないまま成人すると
自分の「お気持ち」を持て余し、トラブルを引き起こすようになる。
というものです。昨日考えました。
身近な適用例:お辞儀の多いスーパーマーケット
たとえばあなたの住む近所に、バックヤードと売り場を出入りするとき、従業員がいちいち立ち止まって一礼しているスーパー、ありませんか?
この現象が生じるメカニズムも「お気持ち仮説」できれいに説明できます。ちょっと考えてみてください。
まったく意味がわからなければスルーでOKです。
「お気持ち仮説」のすすめ
という具合に、一見そうは思えない物事に対し、
ひょっとしてそれは「お気持ち」の問題ではないか?
と考えてみるのが、お気持ち仮説のアプローチです。
「断捨離」勝手に使うな問題への応用
このたびの「断捨離」商標権乱用問題についてもまた、
ひょっとしてそれは「お気持ち」の問題ではないか?
と「お気持ち仮説」を軸にしてあれやこれや考察すると、話がきれいにつながりました。「お気持ち仮説」を通して問題を見ていくとき、注目すべきは彼女の人生の「マイナスからのスタート」です。
以下、見出しの文言を考えるのがめんどくさいので、(誰も使いそうにない)検索キーワードを適当に放り込んでおきます。
断捨離 問題 2015 2019 違い
登録商標「断捨離」にザワつくブーム2015が、
「断捨離は登録商標」という事実にザワつく
ものだったのに対し、今回2019年のブームは、そこに加えて
「断捨離」の商標権を武器に、他者の自由を侵害しているさまにザワつく
ものにバージョンアップした感があります。
今回も、商標登録されていること自体にざわつく「ご新規さま」も確認できますので、「ざわつく2019」は2015形式の上位互換です。マイクロソフトのOfficeアプリか、みたいな。
断捨離問題 互換性 対応ツール
事実、「ざわつく2019」対応ツールとして、商標やら法律やらの実務に近いところから有益な発信がされています。2015には見られなかった新機能です。主なところではこのあたりです。
そこはそこで抑えておきたい論点ではあるんですが、調査研究を進めていく過程で、どうも本質はそこじゃないように思えてきました。言ってみれば、商標権うんぬんはダシに使われてるだけで。
というわけで、問題の本質を見きわめるべく提唱するのが、「お気持ち仮説」です。
援用作品リスト
次のテレビドラマ、映画を題材にして話を進めます。
- お母さん、娘をやめていいですか?(2017)
- キャリー(1976, 2013)
- 阿修羅のごとく(1979)
断捨離 商標 やましたひでこ 本質
「これはいい元ネタ体験」という、目いっぱい遠いところから話をはじめます。話は一本の糸でつながり、最終的に「断捨離」にたどり着きますので、しばらくおつきあいください。
オカムス キャリー オマージュ
お気持ちコンサルタントとして日々活動する(ウソ)私ですが、一方で「出典マニア」を自称しています。元ネタが大好物なのです。
2017年にNHKで放送されたドラマ「お母さん、娘をやめていいですか?」。
※画像は、NHKドラマ>ドラマ10「お母さん、娘をやめていいですか?」より
俳優名の敬称略でまいりますと、この第7話(2017/02/24 OA)に、文化祭の日、高校教師の娘波留の職場に母斉藤由貴が乗り込んで生徒石井杏奈の母とけんかとなるシーンがありました。
放送後に、Twitterでフォローしている鍵アカの人が、
石井杏奈の血まみれの花嫁は完全に「キャリー」のオマージュ(大意)と書いていました。
探しました。なるほどこれですか。
画像は、Wikipedia Carrie Whiteより
そして最終回(2017/03/03 OA)、ハウスメーカー社員の柳楽優弥は波留を連れ出し、彼が長年会っていなかった実の母に会いに、長良川鉄道などを乗り継いで郡上八幡へ向かいます。
名古屋放送局の制作だったからでしょうけど、ドラマの舞台は名古屋でした。見ていて「名古屋からならレンタカーで行けよ」と思ったのですが、ここにひとつ仕掛けがありました。
これをやりたかったからですね。
そう「誰も知らない」です。Prime Videoの予告編からキャプチャしました。柳楽さんは、この主演で2004年のカンヌ映画祭の男優賞を受賞しています(Wikipedia 柳楽優弥による)。
と、制作スタッフがやりにいってるのがわかったので、元ネタ「キャリー」も事実上確定です。
共通点は「親子」とりわけ「母と娘」
これら3つのストーリーには、共通点があります。
- 「お母さん、娘をやめていいですか?」は、問題の多い母親と娘の話
- 「キャリー」は、狂信的な母親に育てられた少女の話
- 「誰も知らない」は、母親にネグレクトされた子供の話
親と子、とりわけ母親と娘がテーマであることです。
つまりドラマ制作スタッフは、同種のテーマを扱った過去の名作に敬意を表して、わかる人にだけわかるやり方で狙ってやりにいっていたわけです。
大事ですよね、こういう姿勢。
キャリー クライマックス 考察
俄然「キャリー」に興味が湧いたものの、配信には2013年のリメイク版しかなかったので、新旧2作がセットになったDVDを注文し、届くのを待ってから観ました。
未見の方のため詳しいネタバレは控えますが、キャリーがプロム(高校の卒業パーティー的なやつ)のステージでブタの血を引っかけられて、そして……
というのが、クライマックスへの流れです。
リメイクされた2013年版の演出は、不満の残るものでした。「よくもお前ら」みたいな、「怒り」の復讐劇になっていたからです。解釈間違ってるんじゃないですかね。
1976年版の方が、お気持ちコンサルタントの私も納得できる、悲しくも美しい演出でした。
そうです。キャリーのテレキネシス能力が発動される感情は、決して「怒り」や「復讐心」なんかではありません。違います。「苦痛」と「恐怖」ですよ。
よく観ましょう。それまでもいろんなことが起こったのは、だいたいキャリーがビクっと怯えたときだったでしょ。最後の最後まで、彼女は怯えてたんですよ。
キャリーの内心の声のループ、覚えてませんか?
They are all gonna laugh at you.(みんなの笑いものになる)
ですよ。ブチキレしていい場面なのに「笑われる」と怯えている。だから観ていて悲しいんですよ。
この映画の原作は、スティーブン・キングの同名の小説です。Kindleでサンプルをダウンロードしただけで未読なので、どちらの演出がより適切かの検証はできてません。
それでも「怒り」と「苦痛」「恐怖」は表裏一体の関係でもあります。Amazonのレビューを見ると、1976年版のアレも「怒り」に見えてる人もいましたので、まあいいかと自身をなだめました。
お気持ちの真実(1)「怒り」は「苦痛」「恐怖」のあらわれ
- 「怒り」と「苦痛」「恐怖」は、表裏一体の関係
- 「怒り」は時に「苦痛」「恐怖」のあらわれでもある
覚えておきましょう。
断捨離 やましたひでこ 矛盾
さて「断捨離」のやましたひでこさんです。
彼女が考える適切な「断捨離」の使い方とはどういうものかを探していますと、公式サイトの記事に、こんなことが書かれているのを見つけました。メルマガのバックナンバーのようです。
テキストは、【やましたひでこ】目指すモノ(2018/05/14付)からです。
全体は「断捨離検定1級」(そんなものがあるのですね)の受講者にあてた感謝のメッセージになっていました。そこはどうでもいいので、ポイントとなるくだりを抜粋します。
なぜなら、断捨離とは、今は、
「普通名詞」のようになって広く使われているけれど、
残念なことに、断捨離とは言えない次元で
語られている場合がとても多いのです。
ふーんそう見えるのか。
断捨離を、「片づけ」だと思っているならば、
片づけの程度の理解しかできず。断捨離を、「捨てる」ことだと思っているならば、
捨てるだけの程度の理解にとどまることになる。
へー。
断捨離を、自分の人生の
「行動哲学」だと思っているならば、
断捨離は、まさに、その次元で機能していくのです。
そうなんだ。
ところが文面はこうしめくくられて、読んだ私は大混乱に陥ります。※下線は引用者
さあて、今日のあなたも、
一つでも余計なモノを断捨離して、
あなたの人生の変革を促して下さいね。
ポカーンです。
「余計なモノを断捨離」って、要は「片づけ」じゃないですか。
それ「断捨離とは言えない次元」だったはずでは?
それに、前段にはこう書いてありましたよ。
断捨離とは、あなたの生活空間を変え、
あなたの生活時間に刺激を与え、
あなたの人生を発展展開させる、
すなわち、人生を変えていく行動哲学。
断捨離とは「人生を変えていく行動哲学」ではなかったのですか?
という具合に、やましたさんのテキストは論理的な一貫性を著しく欠いていて、まるで意味がわかりません。
「お気持ち仮説」で読み解く「断捨離」
再掲します。
断捨離を、自分の人生の
「行動哲学」だと思っているならば、
断捨離は、まさに、その次元で機能していくのです。
「行動哲学」だと思っているかどうかで、同じ行動の機能が変わる。
お気持ち > 論理
という関係となっています。
お気持ちの真実(2)お気持ちは論理を超える
- お気持ちは論理を超えます
これもお気持ち検定1級のテストに出ます(出ません)。
自らに向かう攻撃性
それでも結論を出すなら、「断捨離」は多義的なワードだということです。やましたさん本人も多義的に使っています。
したがって、
まことしやかに語られている断捨離。
けれど、断捨離とはかけ離れている、
「断捨離もどき」か「ニセ断捨離」の群。
と口を極めてやましたさんがののしっているそれらも、しごくライトで限定的な範囲であるにしても「断捨離」の一部になります。なので上のようなものいいに、彼女がまるで自分自身に「もどき」「ニセ」と言葉の刃を突き立てているような痛々しさを感じ、お気持ちコンサルタントの私は心を痛めてしまうのです。
なにもそんなに自分で自分を傷つけ、痛めつけなくても。
以上、引用テキスト出典はいずれも、【やましたひでこ】目指すモノ|やましたひでこ公式サイト(2018/05/14付)からでした。
コトバンク 修羅の妄想 意味
登録商標「断捨離」にザワつくブーム2019に触れ、「妄執……」の言葉が浮かびました。
この使い方で合ってるか辞書アプリで確かめると、「修羅の妄執」という関連語に目が留まりました。
修羅道におちた者が現世に抱く執念
コトバンク「修羅の妄執」デジタル大辞泉の解説より
とありました。「修羅道(しゅらどう)」とは、「阿修羅道(あしゅらどう)」ともいい、
阿修羅の住む、争いや怒りの絶えない世界。また、そういう生存のあり方。
コトバンク「阿修羅道」デジタル大辞泉の解説より だそうです。
妄執というよりも、これは修羅です。修羅道です。
向田邦子 阿修羅のごとく 三谷幸喜
そして、向田邦子シリーズ「阿修羅のごとく」(1979)です。
画像はNHKオンデマンドより
三谷幸喜も絶賛の「神シナリオ」
三谷幸喜さんは、朝日新聞の2009年の連載コラムで「阿修羅のごとく」を
僕からすれば、神様が書いたシナリオである。
と絶賛しています。コラムはこう続きます。※下線は引用者
どの登場人物も、言っていることと思っていることが違う。
これに対し、
僕の理想。なぜなら僕らは普段、そうやって生きているから。言葉と思いは必ずしも一致しないのである。
としているのが、三谷さんの真骨頂に思います。
出典:『三谷幸喜のありふれた生活8 復活の日』(2009)p.144「特別な大先輩、向田さん」
参考記事:
- 番組エピソード>土曜ドラマ『向田邦子シリーズ 阿修羅のごとく』|NHKアーカイブス
- 三谷幸喜さんが語る「向田邦子さんのシナリオの凄さ」|活字中毒R。(2009/12/27付)
神シナリオを読んでみた
Kindleストアにあったので、その「神様が書いたシナリオ」、略して「神シナリオ」をダウンロードして読んでみました。
冒頭、
阿修羅 ASURA
インド民間信仰上の魔族。
と始まるナレーション部分からいきなりやられました。これですもん。大事なところに線を引いておきました。
外には仁義礼智信を掲げるかに見えるが、内には猜疑心強く、日常争いを好み、たがいに事実を曲げ、またいつわって他人の悪口(あっこう)を言いあう。怒りの生命の象徴。争いの絶えない世界とされる。
てか、全部線引いてるじゃん。
台詞量はむしろ少ない。その代わり、行動でキャラを表現する。
『三谷幸喜のありふれた生活8 復活の日』p.145
と三谷さんも書いていましたが、そこにからめて、うな重とかミニカーとか小道具の使い方がとってもうまいんですよね。読んでいて何度も、ほぁ~~とヘンな息がもれました。
お気持ちの真実(3)お気持ちは、しばしば言葉と食い違う
三谷幸喜さんの洞察から、お気持ち3つめの真実が導けました。
- 「お気持ち」と言っていることは、しばしば食い違う
これも覚えておきましょう。
やましたひでこ 阿修羅のごとく
自身のお気持ちに染まない「断捨離」を弾圧しにかかっている一方で
多くの場合、人は「自分が期待することを、期待する相手が、期待通りにやってくれない」ことに怒ります。つまり、怒りは自分の「~べきである」という価値観が生み出した感情でもあるのです。その自分の怒りを鎮めるために相手を攻撃し、相手も攻撃を返してくるのです。
出典:Googleブックス>やましたひでこ『よりよく生きるための断捨離式エンディング・ノート』(2014)p.48
とか著書に書いてるやましたひでこさんが、向田邦子ドラマの登場人物に思えてきました。
まさに「外には仁義礼智信を掲げるかに見える」!
もはや3次元なのか2次元なのか2.5次元なのか、とにかくどういう次元で断捨離をとらえていいかもわからなくなりかけてきました。
まだまだ道半ばなのに長くなりました。記事を分けることにします。「マイナスからのスタート」の話はそちらで。
つづく
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