こんにちは。発表します。
あまりヒマじゃなくなったおっさんデザイン芸人が選ぶ「今年の新語(ジラ)2018」大賞は、なさそうです。
「該当語なし」という意味じゃないですよ。「なさそう」が大賞です。
授賞理由
以下の3点が、その理由です。
- 「なさそう・すぎる」現象、からの
- 「なそう・なさそう」問題の最終解決
- 様態の二重化「そうになさそう」の誕生
それが「今年」顕著だったかっていうと正直なところ苦しいのですが、ここ数年の範囲で見れば、いずれも定着傾向がはっきり認められます。
だから大賞は「なさそう」です。
※写真と本文は関係なさそうです
なさそう・すぎる現象
日本語世界では以前より、「なさそう」が多用される「なさそう・すぎる」現象が観察されていました。
たとえば、
頼りない、もてない、使わない、食べない
これらに「そう」を続けるとき、私なら
- 頼りなそう
- もてなそう
- 使わなそう
- 食べなそう
と、どれも「なそう」なんですが
周囲の20代、30代の人の口ぶりを聞くと、
- 頼りなさそう
- もてなさそう
- 使わなさそう
- 食べなさそう
と、「なさそう」が大半です。
同様に、「すぎる」をつなげるときも、「なすぎる」より「なさすぎる」が好まれています。
以前「知らなさすぎる」人たち(2016年6月版)【Tweetまとめ】 という記事に、
「知らない」に「すぎる」をつなぐとき間に「さ」は必要ないことを、近ごろみんな知らなすぎます。
と、やや否定的なトーンで書きましたが、「なさそう・すぎる現象」が弱まる気配はありません。
「なそう・なさそう問題」の最終解決
「なさそう・すぎる現象」の結果、現代日本語に久しく存在した「なそう・なさそう問題」が最終解決に向かっています。
話を急ぎすぎました。まず「なそう・なさそう問題」を説明します。
「なそう・なさそう問題」とは
「ほにゃららない」という形の語に「そう」をつなげるときは、
- ―なそう か?
- ―なさそう か?
という問題です。
最終解決
この問題がどう最終解決へ向かっているかというと
- 従来のルール:「なそう」と「なさそう」を使い分ける
- 最終解決:「なさそう」を使う
という形で解決に向かっています。
従来のルール
「なそう なさそう」でGoogle検索すると上位に表示される
- 「降らなそうだ」? 「降らなさそうだ」?(塩田雄大)|NHK放送文化研究所(2011/02/01付)
にもごちゃごちゃと書いてありますが、もっと簡単に整理します。
「ほにゃららない」という形の語に「そう」をつなげるとき、
- ―なそう か?
- ―なさそう か?
という問題。
それは、「ほにゃららない」という語句全体を、単一(一体)の観念とみるか複合(2以上)の観念とみるかで決まります。
- 単一「ほにゃららない」と見なすなら、なそう
- 複合「ほにゃらら+ない」と見なすなら、なさそう
です。
このあたり含め、「ない」と「さ」のことについては、日本語「ない」の活用に付く「さ」4つの謎を解く(2018/11/24)でふれました。詳しくはそちらへどうぞ。
従来のルールの問題点
このルールには、「複雑すぎる」という重大な問題があります。さっきあれほど簡単に書いたにもかかわらず、切ない。
そもそも「ほにゃららない」という形の語が観念として単一なのか複合なのかを判定するなんて行為そのものが、面倒すぎます。それが理由じゃないでしょうが、日本語話者の間でも判定結果が分かれる語も実在します。
たとえば「情けない」です。「情けない」は、
- 「情けない」という単一の観念なのでしょうか?
- それとも「情け+ない」が組み合わさった複合観念なんでしょうか?
どちらの解釈もそれなりに理があります。ですから、「情けない」に「そう」をつなぐとき「情けなそう」「情けなさそう」のどちらの形もあり得ます。
青空文庫収録作品から引用します。(下線は引用者)
「情けなそう」派
と上村が情けなそうに言ったので、
国木田独歩「牛肉と馬鈴薯」(1901)
私の訥々(とつとつ)たる説明をきき終ると、彼は非常に情けなそうな顔になった。
坂口安吾「日月様」(1949)
「情けなさそう」派
眼に涙を一ぱいためて何のかのと言いわけする情けなさそうな顔つきは、どうしても半病人としか受取れなかった。
大杉栄「獄中消息」より、堀保子宛・明治四十三年(1910年)十月十四日
さんぴん山左衛門が実に情けなさそうな恰好で現れて刀屋の店へ入る。
山中貞雄「なりひら小僧」―『山中貞雄シナリオ集』(1940)より
どちらもあります。
「ない+そう」が「なそう」になるか「なさそう」になるかを識別することは、はっきり言って普通の日本人の日本語運用能力を超えています。言語能力に対する負荷が高すぎるのです。
最終解決:「ない」なら「なさそう」
そこで日本語話者が編み出したソリューションは、シンプルです。
「ほにゃららない」に「そう」を続けるなら、ほにゃららなさそう
こう統一してしまうことです。
弊害
ただ、シンプルなこの方法にも若干の弊害はあります。それは、
危ない(あぶない)、汚い(きたない)、少ない(すくない)
といった語のケースです。いずれも末尾が「ない」ですが、不存在や否定を表す「ない」とは無関係です。
しかしこれらも語尾が「ない」であることで、最終解決を適用させると
- 危なさそう
- 汚さそう
- 少なさそう
となってしまいます。少なくとも私はどれも使いませんけれど。
偶然見つけた100年前の日本語本『口語法別記』(国語調査委員会編, 1917)にも、これらの形は
「無い」の意味も打消の意味もないのに(略)全くの誤であろう
(一六二頁)
と評されていました。
弊害を上回るメリット
しかし意味的には誤りでも、「なそう・なさそう」問題の最終解決(ファイナルソリューション)には、ルールが一目瞭然でシンプルであるという利点があります。弊害と利点の両者をどう評価するか、そこが分かれ目です。
実際今日、「ない」なら「なさそう」というルールの単純明快さがトータルで弊害を上回っていると判断されつつあるようでして、Twitter検索してみると、前記3語はまだ多数派とは言えないまでも全然珍しくはありません。用例採集は簡単です。
危なさそう、汚さそう、少なさそう
この形に付く「さ」は無駄なんですが、文中にこれぐらいの無駄があってもいいんじゃないのとも思えます。
様態の二重化「そうになさそう」の誕生
ところで、この記事で取り扱っている「そう」を、文法用語で「様態のそう」といいます。
久しく現代日本語の「様態のそう」の懸案であった「なそう・なさそう問題」は、煩雑すぎる両者の使い分けから、最終解決の「なさそう」一本化へと向かっていると紹介しました。
しかし「一本化へ」とはやや、勇み足の入った言いぐさです。
この動きと並行して、「なさそう」一本化に対する潜在的な抵抗勢力が生み出したソリューションがあります。それが様態の二重化、具体的には「そうになさそう」形の登場です。
これが「なさそう」を「今年の新語(ジラ)2018」に選出する決め手となりました。
「なさそう・そうにない問題」の最終解決としての「そうになさそう」の誕生
「なそう・なさそう問題」後も残る「なさそう・そうにない問題」
「なさそう」一本化により「なそう・なさそう問題」が解決されたとしても、実はまだその前段に問題が残っています。
それは「基底となる概念」に「様態」「否定」の両方を組み合わせた複合観念を、どんな順序で並べればよいかという問題です。
具体例で説明しましょう。
- 基底となる概念:できる
- 様態:そう
- 否定:ない
この3者全てを組み合わせた複合観念を、どの順序で並べて表すか?
やり方は大きく2つに分かれます。
- 基底+否定+様態:「できなそう」
- 基底+様態+否定:「できそうにない」
です。
確認しておきましょう。「できなそう」ではなく「できなさそう」に一本化するという、「なそう・なさそう問題」の最終解決は、前者に対するソリューションです。
前者を「なさそう」に一本化したとて、依然として「なさそう」と「そうにない」のどっちを使えばいいの?という問題は残ります。
「なさそう・そうにない」問題の基本的考え方
ではここでクエスチョン。「できなそう」と「できそうにない」の両者は同じ意味なんでしょうか?
私の見解は「だいたい同じだけど、厳密には違う」です。
よく似ているところもありますが、子細に検討すれば違います。ちょうど有機化学で言うところの異性体の関係に似ています。
「異性体」を混同する愚
ですから前掲の、NHK放送文化研究所「「降らなそうだ」? 「降らなさそうだ」?」での塩田さんの書きぶりには感心しません。引用します。
Q 「降りそうだ」を否定の形にした言い方は、「降らなそうだ」と「降らなさそうだ」のどちらが正しいのでしょうか。
A (前略)両方とも正しいと考えるのが現状に合っているように思います。
この結論に異議はないですけれども、回答冒頭の
伝統的には、「降りそうにない」という言い方をするか、あるいは「降らなそうだ」のように「さ」の入らない形のほうがふつうだとされてきました。
ここの下線部は、乱暴です。「エタノールの代わりに異性体のジメチルエーテル使っとけ」ぐらいの乱暴さです。アルコールに関する検討をしているところにエーテル持ち出してどうすんのって感じ。
エタノールとジメチルエーテル(commons.wikimedia.org)
「否定の様態」と「様態の否定」の違い
- 否定の様態(例:降らなそうだ)
- 様態の否定(例:降りそうにない)
この両者は違います。どう違っているかの具体的な説明からは逃げ、コントも漫才も達者なかまいたちにたとえます。
- 否定の様態:「降らなそう」は「かま」強め
- 様態の否定:「降りそうにない」は「いたち」強め
です。両者を完全に同一の観念と見るには無理があります。
そして「抵抗勢力」にとっては、どっちを選ぶにも抵抗があるのです。
「強め」への抵抗(1)
「かま」強めの形=「否定の様態」(降らなそう)って、使いやすいでしょうか。
個人的なことを言うと、使えないことはないですが、あまり積極的に使いたい気もしません。つながりが悪く感じます。
弱い根拠でものを言うと、否定が観念の表明として強すぎるので、そこに様態という別の観念をかぶせていく営為がちぐはぐに感じるのかなと、こう思います。
理屈づけの失敗例
そこを理屈づけようとして失敗している記事もありました。
様態の助動詞「そうだ」は、(略)助動詞に付くことはできません。
「帰る」+「そうだ」の否定形は「帰れそうもない」?「帰れなそうだ」?|alc.co.jp
間違いです。
「もてない」の「ない」は助動詞ですが、「もてなそうだ」であれ「もてなさそうだ」であれ、文法上成立しています。
確認:否定とは観念である
ひとつ確認しておきましょう。否定とは人為、言い換えれば観念です。
イアン・ワットがいみじくも指摘したとおり「否定は自然界には存在せず、ただ人間の意識にのみ存在する」(青木次生訳・『使者たち』第一節の分析より)ためです。
したがって、
- (雨が)「降る」は自然界に関する記述ですが
- (雨が)「降らない」は人間の意識、すなわち観念に関する記述です。
参考:[PDF]『明暗』の視点をめぐって(松井朔子, 1985) 孫引きでスマン。
「強め」への抵抗(2)
半面、一般の日本語話者は多かれ少なかれ、「そうにない」と言い切ってしまうことには抵抗を覚えるものです。その言明が否定的だからではありません。それよりも大きいのは、日本語運用の第一条「言いたいことはぼかす・残す」に反するからです。言い切っちゃってますからね。
管見では、一般人が日本語を使うときに最も大事にしているのが「言いたいことはぼかす・残す」です。以前記事にしました。→語尾の「だけど」って超日本語っぽいんだけど。 (2014/10/15)
最終解決:「そうになさそう」
ここでも日本語話者が編み出したソリューションは、見事でした。
- 降らなそうだ
- 降りそうにない
どっちもいまいちだったら、こう言えばいいんです。
- 降りそうになさそう
様態+否定+様態 という形です。
彦摩呂さんならきっと「観念の3重奏、アウフヘーベンや~」と言うでしょう(言わない)。
ケーススタディで復習:二重様態「そうになさそう」
おさらいします。こういうケースがあったとしましょう。
あなたにある会合のお誘いがありました。行きたいのはやまやまですが、どうしても外せない別の用があって、ちょっと無理そうです。残念ですが断りの返事をすることにしました。
このとき、基底となる概念:「行ける」に否定と様態を組み合わせてどう言い表せばいいでしょうか。
- 否定の様態なら「行けなそう」、最終解決形だと「行けなさそう」です。
- 様態の否定なら、「行けそうにない」です。
うーんどっちもいまいち。そう感じる人におすすめするのは
- 「行けそうになさそう」
まるでエーテル基のごとく、否定をはさんだ様態の二重化、というソリューションです。
新語「そうになさそう」
いまTwitter世間を見ていますと、
- 行けそうになさそう
- できそうになさそう
- 終わりそうになさそう
のような「そうになさそう」形の用例が1日あたり20以上は見つかります。
ところが、いま青空文庫で「そうになさそう」を検索しても1つもヒットしません。本当です。本当に見つかりません。嘘だと思ったらやってみてください。
つまり「そうになさそう」は、青空文庫収録作品には、もう少し広く言うと、だいたい60~70年以上前の書き言葉にはまったく存在しなかった日本語なのです。
まとめ
- 「なそう・なさそう」問題の最終解決
- 「なさそう・そうにない」問題の最終解決
両者への貢献から「今年の新語2018」は「なさそう」に決まりです。
ご静聴ありがとうございました。
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