平成の「シン・忖度」論(1)【読書メモ】

こんにちは。平塚らいてうです。ウソです。

昨今取りざたされている「シン・忖度」、実は平成初期の時点で、忖度はすでにその「シン・忖度」でした。

(平成の)元始、忖度は実に忖度であった。

ひと言でまとめると、そんな話です。

20171221_Susan_Sontag_1979_©Lynn_Gilbert

Susan Sontag(1933-2004) in 1979 by Lynn Gilbert from commons.wikimedia.org

※写真と本文は関係ありません

ある1冊の本を参照すると、それがわかります。その本とは、宮沢賢治の『春と修羅』です。ウソです。

あらすじ

平成2年(1990年)に出た本に「忖度の論理」が解説されているらしい。

そんな情報をキャッチしたわれわれ取材班は、大阪・豊中市の元国有地へと向かった。

そこでわれわれが見たものとは――

そんな探検隊シリーズ気どりで、ひとり近所の図書館へ行って見てきました。

書誌情報

それがこの本です。

要約:Executive Summary

2017年を代表する流行語となった「忖度」。

主なところで

と受賞が続きました。(発表日順)

関連データとして、2016年1月~2017年11月分のGoogleトレンドのグラフを、ヒマなおっさんの選ぶ今年の新語「ジラ2017」大賞「インスタ映え」とセットで載せておきます。

グラフの形状からも、忖度の流行ぶりがうかがえるというものです。

12月3日には、三省堂「今年の新語2017」の大賞にまで選ばれたことで、それ新語なのか?と(私のなかで)物議を醸したのも記憶に新しいところです。

「今年の新語2017」大賞の選評では、

華麗な変貌を遂げた「忖度」

と題し、従来単に「推しはかること」の意味であった忖度が、近年「有力者に気に入られるための推測」へとシフトしてきたことを、授賞理由のひとつにしていました。

「変貌を遂げた」とされる新しい「忖度」、いわば「シン・忖度」であるわけですが、実はこのタイプの「忖度」、既に平成初期の1990年(平成2年)に出版された『人生にとって組織とはなにか』(中公新書)のなかで、十分と思えるレベルで詳しく解説されていたのです。

補足しておくと、著者の加藤秀俊さんは1930年生まれ。通読しての感想を簡単にいえば、還暦を迎えたおじさんが軽い筆致で書いた処世訓でした。

抜粋「忖度の論理」

先に所見を述べると、2017年の今日多用される「忖度」は、出版当時の1990年時点ですでに9割がた仕上がっていました。

その証左として、以下、同書の第五章の三「忖度の論理」(pp.143-149)から、テキストを抜粋して紹介します。

シン・忖度

当該箇所の冒頭近くで、著者の加藤秀俊さんは忖度を

忖度、というのはひとことでいえば他人の気持ちや願望を推量して、それにあわせて行動することを意味する。(pp.143-144)

と明記しています。※下線は引用者。以下同じ

  1. 推しはかり、
  2. かつ行動を伴う。

旧来の辞書での「忖度」の語釈は、上の1.までです。そこを超え、身長が2倍近くになっています。さらに進化した忖度第4形態(ウソ)、「シン・忖度」です。

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よって『人生にとって組織とはなにか』に登場する「忖度」は、すべて「シン・忖度」の含みを入れた解釈ができると言えます。

定義:「シン・忖度」とは

ここであらためて定義します。

従来型の「推しはかる」忖度にとどまらず、「それにあわせて行動すること」までがセットとなったタイプの忖度を、当記事では「シン・忖度」と呼ぶことにします。

「シン」第一の漢字表記は「新」を想定しますが、必ずしも限定されません。

真・進・辛・臣・神 etc.

めいめいでお好きな「シン」をイメージしながらお楽しみください。

忖度あるある

具体的な事例で、組織のなかでの忖度の機能、逆機能をみることにしたい。(p.145)

と、新書判6ページ弱の分量を割き「忖度あるある」が展開されていました。

あるある(1)迎合しがち

冒頭から

たとえ不本意であっても、相手の気持ちや期待にこたえるように努力する。(p.145)

と、上司に対する「おおくのサラリーマン」の生態が指摘されます。

ひとの身になってかんがえ、行動するというのはときには美徳でありうるが、こういう場面での忖度は、はっきりいえば、こころにもない迎合である。(p.145)

こころにもない迎合!

のっけからパンチ利きすぎです。

あるある(2)稟議システムの形式と実態、乖離しがち

日本の組織には稟議書(りんぎしょ)という制度がある。(略)簡単にいうと、組織の末端の人物が起案し、それを上役が承認する、という決裁の方法。(p.144)

こんなに末端の人間の知恵が尊重される社会は他に類例をみない。額面どおりに稟議というシステムをうけとるなら、これはすばらしい制度であろう。(p.144)

というのが額面、建前で

実態はまったく違う。(p.145)

と。ここからがいいんですよね。つづき。

なにをするかはまずトップがきめる。(略)極端ないいかたをするなら、これこれのことがらを実施したいという上司の意向、ないしはすでに実質上決定されていることがらをあとから追いかけて、あらためて形式をととのえるだけということであるにすぎない。(p.145)

うわーあります。めっちゃありがち。

小学校作るとか新学部作るとかなんでもいいんですけど、「まずトップがきめる」ところの「なにをするか」に、各自あるあるな案件を入れてみると、味わいもUP↑します。

すでにきまっていることを文書にするだけ。いうなれば、起案者というのは「作文」係なのである。(p.145)

あるあるです。

あるある(3)「忖度の論理」はたらきがち

加速したあるあるは、「忖度の論理」へと結晶します。

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…末端のアイデアや提案がどのように取り扱われているかをかんがえてみると、そこではいよいよ「忖度の論理」とでもいうべきものがはたらいていることに気がつく。(p.146)

ひとつの注目ポイントは、「忖度の論理」に接続する動詞が「はたらく」であることです。「シン・忖度」のいち特徴と言えます。つづき。

会社の上役は、なんでも思いついたことは自由にいいたまえ、とおっしゃる。しかし、あなたはすでにじぶんの上司がどのような人柄で、どのようなことを期待しているかをしっている。(略)そのことばを正直にうけとったらおおまちがい。(p.146)

ありがち。こういうカルチャーの集団、嫌い(ただし「絶対に押すなよ」は除く)。

だから忖度をはたらかせる。(p.146)

お、単体の「忖度」に対しても動詞「はたらかせる」が起用されていますね。仕上がってます。

さらにつづき。

こういえば部長はよろこぶ、ということがわかっているのだから、よろこびそうなことをいう。(略)表面的には「自由」な意見をのべているようで、じつのところ部長の期待にあわせて意見をいう。それが忖度である。(p.146)

大事なのでくり返します。

期待にあわせて意見をいう。それが忖度

しつこいけど、あともう1回だけ。

期待にあわせて意見をいう。それが忖度

これこそが「シン・忖度」最大の特徴ではないかと感じられるのです。

それにしても、メカニズムの説明を読んでいるだけなのに、あーもうマジめんどくせー!いーっ!てなります。厄介。

(4)「シン・忖度」ケーススタディ

ここでひとつ、ケーススタディを挟みます。

忖度「しない官僚」VS「する閣僚」です。

忖度しない官僚・2016

思い返してみれば、「シン・ゴジラ」に登場した環境省の尾頭ヒロミ課長補佐は、「忖度の論理」の対極に位置する存在でした。

※YouTubeムービー「シン・ゴジラ」より

最初に登場した会議シーンからして、

  • エラらしき形状から水棲生物と仮定してもハイギョのような足の存在が推測できます。
  • はい。(上陸の)可能性は捨てきれません。
  • お言葉ですが、すでに自重を支えている状態と考えます。

といった具合です。忖度のかけらもありゃしません。

一方、「忖度の論理」で渡世を送る側からすれば、こうした態度が実に不遜で無忖度きわまりないものに映るのは理の当然というものです。

忖度する閣僚・2016

「忖度の論理」のサンプルは、一連の尾頭課長補佐のセリフのあと、大河内総理大臣から見解を問われた菊川俊介環境大臣のくだりから採取できます。

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※同「シン・ゴジラ」より 以下同様

おさらいしておきましょう。まず菊川大臣の第一声は、

  • うちの課長補佐が失礼なことを言っておりますが

でした。いや、そういう次元の問題じゃないはずですがね。

それはそれとして、そのつづきが

  • 先ほどの有識者の結論も上陸行動は常識として考えられないと

です。まさに「期待にあわせて意見をいう。それが忖度」の好例です。すなわち「忖度の論理」の勢力圏では、ここでの質疑応答のように

  1. まず上役(=内閣総理大臣)の期待を推しはかり、
  2. そしていかに、推しはかったその期待にあわせた応答をするか。

の両者、とりわけ後者が超重要ポイントとなるのは必定なのであります。

しかしこのような忖度マインドが充満していては、ファクトベースの議論になるはずがありませんよね。期待と違う現実への対処ができないか、または必ず一歩以上遅れる結果となります。この後のストーリーは、映画本編をご覧になった方ならご承知のとおりです。

こんな機微まで読み取れるんですから、シン・忖度、じゃない、「シン・ゴジラ」の脚本って本当に素晴らしいです。何に対してかよくわかってませんけど、脱帽です。

余談:政権党からくら替え?

ところで、菊川環境大臣を演じた横光克彦さんといえば

2017-12-21_1710

  • 図体はでかいのにずいぶんと遅いな。

2017-12-21_1716

  • しかしあれは生物です。下手に刺激すると、被害がさらに拡大する可能性もあります。

という具合に、現世と虚構世界とをまるでシームレスに行き来する非常に乙な話もあるのです。こちらは改めてまたいつか。

シン・忖度に戻ります。

あるある(5)連鎖しがち。悪い意味で

そして忖度は連鎖します。

その「忖度の論理」は組織のなかで連鎖反応をおこしている。(略)みながおたがいを忖度しながら組織のなかで生きている。(p.147)

このような忖度の連鎖は、しばしば逆説的なはたらきをする。なぜなら、忖度のあまり、士気が阻喪し、組織の発展をさまたげたりもするからだ。(p.147)

ある経営者が、(略)どうもわが社はアイデアが不足している、とおっしゃるのである。しかし、事実はそうではなかった。あまりおもいきった提案や新規事業の計画などをだすと、社長のご機嫌がわるくなるのではないか、という忖度から、じつはいくつものおもしろいアイデアが中間管理職の手元で握りつぶされていたのである。(p.147)

忖度が組織に対してもたらすマイナス面です。

あるある(6)言論しばられがち

そしてまた、こうなります。

 忖度でしごとをする、というのは、べつな側面からみると言論の自由を制限されたなかで職場生活をおくる、ということを意味する。(p.148)

御意。

まさに、ネットスラングでいう「言いたいことも言えないこんな世の中」です。

よほどの変人でないかぎり、組織人は組織をよりよくしたい、という願望をもっている。(略)それにもかかわらず、こういったら、ああいわれるにきまっている、といった忖度を組織成員にもたせるような組織はよい組織ではない。組織というのは人間関係のゲームの場であってはならないのである。(p.148)

言論の自由という基本的な権利が組織のなかで剥奪されているとするなら、それは組織にとっても個人にとっても不幸なことだ。忖度につぐ忖度で、やたらに気づかいがおおければ、精神的にもよろしくない。サラリーマンのうつ病の原因のひとつは、おそらくこのような忖度によるストレスとかかわっているのではあるまいか。忖度のおおい生活は精神衛生にまことによろしくないのである。(p.149)

ほんとにね。

「シン・忖度」まとめ

忖度とは、住民に生活を根こそぎ捨てさせることだ(適当)。
簡単に言わないでほしいな~。

まったくです。

あとがきに代えて

1990年出版の中公新書『人生にとって組織とはなにか』から、「忖度の論理」を紹介しました。

もろもろの感触を総合すれば、当時の著作に見られる「シン・忖度」が、著者である加藤秀俊さんひとりのみが駆使できていた、突出して先進的な用法だったとはまったく思えません。

志村喬扮する山根博士ふうに言えば、「あの忖度が最初の一匹だとは思えない」のであります。

まだ特段の裏づけはありませんが、遅くとも平成初期の1990年段階で、現今の「シン・忖度」は一部の集団内でならば十分に共有されており、意味も用法もほぼ今日同様に仕上がっていた。

こう言ってほぼ大丈夫だと考えます。

つまり、平成の元始、忖度はすでに「シン・忖度」であったのです。

ひとまずこちらからは以上です。さらに古い用例を求め、検証結果を別途まとめるつもりでおります。

たぶんつづく。

コメント

  1. Hikaru より:

    2017年版「シン・忖度」に入る漢字は「晋」だとばかり思っておりました。

    はじめまして、最近偶然流れ着いたフォロー外から失礼しているファンです。(爆笑)
    そんな感じです。
    よろしくお願いいたします。

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