こんばんは。林修ナイトの時間です。
「あすなろラボ」での林修さんの授業の番組内容をテキストにしました。(1)からのつづきです。
生徒であるお母さんからの「娘がとにかく宿題に時間がかかる」という悩み質問への回答です。
問題を「早く解く」必要性は?
「でも本人が、やりたいと思ってやってることは、基本的に止める必要ないと思いますよ。その脳の成長のまだ、2年生、途中ですよね。遅いなんてこと普通に起きることですから」
生徒「学校のテストも、あのぅ、できたできてない部分ももちろんあるんですけど、時間が足り、なくて」「よくあるね」「ああ」
「それはいわゆる早熟て言われて要領よくこうパパッてやれるタイプの子が点数がいいかもしれないですし、またそういう子の方が、学校なんかではね受けがいいかもしれないですけど、お母さんがしっかり見つめててあげて、やってることが間違ってないなら、スピードは、もう少し長い目で見てあげていいんじゃないですかね」
生徒「今の先生って、普通ドリルって目標時間が10分とか15分とか書いてあって、先生はそれを目標にだいたい1時間で終わる宿題を出してくるわけですけど、それは平均して、の子が10分でできるっていうだけの話で、それを一生懸命やっても30分かかる子はいるわけで、うちの子はやっぱり30分ぐらい」
「こう言ったら学校の先生に怒られますけどね、やっぱり目の前の宿題を毎日完璧に片づけなきゃいけないのかと思いますよ。わからない時間をたっぷり、これをここは一生懸命がんばって、ここまではがんばりましたと。でこれだけの時間使って残りができませんでしたっていう生徒を、僕は先生そんなに怒んないと思うんですけどね。ノートとか見れば、ああ確かにがんばったんだな。でここまではやったんだと。全然やんないで放っといた生徒を先生は怒るかもしれないですけれども、わからない問題を一生懸命やってこんなふうに計算したんですけどこれでもわかりませんでしたって生徒、怒りますかね? 僕はやっぱりその、本当に努力をしてるんであればそこで認めてあげていいと思いますけどね」
勉強は「わからない時間」に意味がある
「ほんとに世の中に、勉強の本質がわかっている人が少なくて、なぜわからないの?っていうことをすぐ言うんです。なんとかちゃんはできるのにとか。しかし、わかることに意味ないんですよ。勉強ってどこに意味があるかっていうと、わからない時間が尊いんですよ」
「よく、わかる問題をバーッて解いてできたできた、っていうね、生徒がいるんですけど、わかる問題解いて何の意味がある。わからない問題がある。わからない問題を頭に入れてなんでだろ、どうして解けないんだろ、そういろいろ考えるところで脳は育つわけですよ。だからわからない問題を抱えて困っている、お子さんがいたら、楽しいね(って)。一緒に悩んだりお母さんも考えてみる。でいろんな問題に正面から取り組んでわかんない問題を悩んでるうちにだんだんわかる脳になっていくんですよ」
「それについてはね、やっぱり僕ら教える側にいる人間も大いに反省しなきゃいけないわけで、こうわかったろじゃあ次行くよって、でもそういうふうにやらないと授業って進んでいかないんでしょうがないんですけれども、わからないことの価値をもっと教えつつ、わかることも教えていかないといけないと」
生徒「時間かかりますね」
「はい?」
生徒「時間がかかりますね」
「時間かかります。人間の脳なんてそう簡単に育つものではない。だけど逆にしっかり成長して物事をとらえられる脳になれば、いろんなこと全部できるようになるんです。それを焦って目の前の問題1問できるかできないかなんてことやってるから結局、何もできなくなっちゃうんです」
生徒「あの、わからないこと聞いてくるでしょ子供が。教えてっていうでしょ。じゃ教えない方がいい?」
「一緒に考えた方がいいですね」
生徒「いやだってもう、わかるもん。簡単な勉強だったら。答えは」
「でもそこを、結局子供がそれが自分でできるようにならなければ意味がないわけですからお母さんがこうこうこうでしょって言ったらそれは子供の脳の何の成長にもならないんじゃないですか。どうしてだろうね、どこがわからないのかな。少し引っ張ってあげる、誘導してあげるのはいいですけれども。そこでわからない時間をしっかりと、共有してあげないと、ほんとうの意味ではできるようにならないですよ」
林先生の学生時代の脳の鍛え方
「僕は自分が中学校高校と、バスで通ってたときに、バスに乗る前に必ず1問数学の問題を頭に入れたんです。でそれをずーっと考えてて。しかも、学校でやるよりもうんと難しい、絶対できない問題をいつも頭に入れて。そうすると、下手したら帰りのバスも、あるいは次の日のバスもそれを頭に入れてんですよ。ずーっと」
「ひどい問題なんか2週間抱えていたことありますよ」
生徒「へー」「イヤになんないの」「病気?」
「でもやっぱりそういうふうに考えたことで数学がすごく、ごめんなさい自分でできるって言うのあれですけど、そういう脳がだんだんできあがっていったんです。でもそれは僕は」
生徒「あきらめなかったんですか?」
「いやぁやっぱ考えること自体が好きだったんで。だから生徒に言うんです、ほんと考える、わかんない問題に出会うのは楽しいことだと。ラッキーだと。わかる問題ばっかりだったら勉強なんかする気なくなるよ。それは結局やってるレベルが合ってないんだからもっと上のことやらなきゃいけないっていうことになる」
「ですからわからないってことを責めるんではなくてわからないことをほめてあげて、むしろ共有するようにしていかないと、なかなかほんとうの意味でね、考える力ってものが、ついていかない。と思いますねほんとに」
子供の理想の「読書」とは?
生徒「すいませんいいですか。低学年のお子さんがいるお母さんが多い、でしょ。で、小説は与えられないですよね。読んであげても、たぶん」
「でも子供用の、児童文学ってのがある」
生徒「もちろんあるけど、逆に、違うの。逆に、マンガで、解説する…あのぅ三国志とかでも、すごくわかりやすくマンガ付きのとか。あと今ドラえもんとかも、全部そういうのになってたりとか、それはどうかな」
「そのわかりやすくが問題なんですよ。わからないことに意味があるのに」
生徒「わかりやすくしちゃダメ?」
「やっぱり結局比率ですよね。わかりやすいから楽しくて読めるっていう部分は否定しにくいんで、だからそれを読むこと自体が悪いわけではないんですけれども、そればっかり読むのはよくないと思うんです」
生徒「本屋さんに連れてって、好きな本を選ばせるとかそういうのはどう思います?」
「非常にいいことですよ。本は、読めといって読むものではない。それから、役に立つから読むという読み方は最低です。それは、なんかの手段としての読書ですから、本は読んで楽しいってことがいちばん大事なんで。ですから、これは役に立つから読みなさいというのも僕はやめてもらいたいですね」
「そのいまおっしゃった、本屋に連れてって好きな本を買ってあげる、これは実は僕がさんざんやってもらったことなんですけど、こんな楽しい時間はないんで、えーそれはぜひやっていただきたいなと思います」
生徒「うちは、いま小2なんですけど、逆に本が好きすぎて、図書館で自分が読める本は、もう読みきっちゃったぐらいなんです。それで、それ以上の本を与えようとすると、難しいからそれはちょっとって、今度は自分が成長するのを待ってる感じなんですけど、あえて読ませるんですか?」
「いやそれはもう読ませるっていうのはよくない。本人がいま読みたくないならじゃあやめてあげれば」
生徒「それで、時間が余ってしまってもう図書館に行ってもないんで」
「でも図書館たくさんありますよ世の中。ひとつの図書館ならともかく、じゃあちょっと遠い離れた図書館に行こうかとか、そこを少し工夫してあげればいい」
生徒「そうですね。行ってみます」
「もうひとつの手は、同じ本を何回も読むって手もありますよ。僕は小2んときに、ふつう…あのぅ別にこれは自慢でもないんで事実をそのまま言うんですけど、ふつう小学校5、6年が読む日本の歴史っていう全12巻、を、20回ぐらい読み直してほぼ覚えたんです。同んなじものを何回も読むのが好きな子だったんで」
「ですから、本って1回読んだら終わりっていう考え方の人が最近多くてすごくびっくりするんですけど、このあいだも、質問でオチがわかってる本を読んで何が楽しいんだって言われたんですけれども、こっちが変わっていくと受け止め方ってどんどん変わるんで、また1回読んだときに気づかなかったことってたくさんあるんで、僕同んなじ本何回も読めばいいと思うんですけどね。覚えてしまうぐらいまで読めばいい」
生徒「ああ、納得しました。はい、ありがとうございます」
子育てにはたくさんの手が必要
生徒「先生がいちばん最初に、今親になるのには覚悟が必要だっておっしゃいましたよね。でも私は、子供が生まれた時点でお母さんも0才になると思ってるんです。親になるのに、その資格があるとか」
「資格じゃないですよ」
生徒「なんか覚悟っていうのがすごく、これからもしね、お子さんをね、育てる、特に若い方が、そういう言葉を聞くと、構えちゃってね、少子高齢化にならないかしらって」
「いや、だから覚悟が必要っていうのは、だから、ダメだとかっていうことではなくて、借りられる手をもう血眼になって借りてくださいって意味ですよ」
生徒「がんばり屋さんの頼り下手なお母さんいっぱいいるんですよ」
「そこは、頼りなさいってむしろ教えてあげたらいかがですか。ほんとに人の手を借りなかったら子供なんて育たないもので、借りるのが当たり前なんだっていうふうに」
生徒「先生が予備校で教えてらっしゃる生徒の中には女性もきっといますよね。一生懸命勉強してキャリアを積んでる女性の中で、お子さん産んだらいまの現状6割仕事を辞めて、せっかく学んだこと活かせなくて、苦しんでるお母さんいっぱいいるんですよ」
「でも、この人類の長い歴史の中でね、そのお母さん、がんばってらっしゃるのわかりますよ。お母さんががんばるだけでうまく育てばいいんですけど、やっぱりそういうふうに人間って種がもともとできてないわけですから、そういうふうにきてないんですから」
生徒「どうしたらいいんでしょうかね?」
「だからそこはもうさっきから言っているように、もう借りるのが当たり前だと。人の手を借りるのが当たり前でそういう中で、だからそれはやっぱり、確かに世の中の方も対応していかなきゃいけない」
「まあ僕なんかが、まあね、単なる空想だと思われるかもしれないですけど、よく授業で言う話として、こんだけ子供が減ってきて小学校空き教室があると。だったら、半分老人ホームにすればいいっていうことをよく言うんですよ。老人ホームにしといて老人たち半分いて片っ方は小学校にしといたら、だいたい小学生の食べる物と老人の食べる物っていうのは特に低学年なら一緒でいいと。そうしといたらですね、食堂もひとつで済んで。でその老人たちがうろうろうろうろしてるところで、子供たちの、こう包みこむバスケットにしてしまえばいいと」
生徒「いいと思う」「いじめもなくなる」
「まあ、なくなるかどうかわからないですけど、そういうような形で、とにかく社会が子供に手を出さなかったら子供は育たんという意識を、だんだん高めていかなきゃ」
「僕みたいなことを言う人がそんなに今まで多くなくて、がんばれば親が、それに多少の援助があればっていうのが主流だったんですけど、それはもう僕は冗談じゃない。人間がひとり育つと。しかもさっきから申し上げているようにゲームだコピーだコンビニだ、ケータイだって子供を取り巻く環境がどんどん悪くなってるわけですから、それはもう、もうとにかくどれだけの手を借りられたかが勝負だ、たくさん借りたもん勝ちだよっていうふうに、みんなに教えてあげたら、そういう人たちが自分ひとりで背負い込まなくなるし、またそういうふうに、背負い込んじゃダメだよっていうふうに、言ってあげてください」
生徒「はい」
つづく。
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