こんにちは翻訳警察です。
次のツイートがTwitterのタイムラインに回ってきました。
米アマゾンでの、#この世界の片隅に BD/DVDのレビューが2~3日に1個ずつ位のペースで増えています。その中で、本日新たにアップされたwisdomstarさん(74才のアメリカの方)のレビューが大変興味深い内容でしたので、全文翻訳してみました。間違いありましたらご指摘いただけると幸いです。
— Noboru (@NoboruOki) 2017年11月24日
呼ばれた?と思って一連のツイートを読みました。
読んでいるうちに「ご指摘」がツイートの返信ですまない分量になりましたので、ブログ記事にしました。
引用も含めて、合計12000字を超えていてます。びっくりだ。
総評
野球のピッチャーにたとえると、全般にキャッチャーが捕れる球は投げられていました。
制球面、すなわち翻訳の精度について改善の余地は大いに残されています。ですが、普通の日本語ネイティブの読者・訳者相手にそこまで精密な投球のコントロールが必要かという議論も生じそうです。そこらの結論は「趣味の範疇」となる気もいたします。
英語・日本語に関する基本的考え方
さて、大ざっぱに言うと、何かを語るとき
- 英語は「概念を操作する」言語
- 日本語は「心象を連ねる」言語
というのが、私の両言語の「芸風」に対する基本的認識です。
だから日本語文で概念を操作した結果が記述されていると、どこか日本語らしくないんですよね。それがいわゆる「翻訳調」ってやつの正体だと考えています。
ですので当記事のレビューでも、訳出の最後の過程で日本語チックな「心象を連ねる」文面に見えるよう整えております。以下、そこまでは個別に解説いたしませんのでご了承願います。
進め方
掲出されていた原文へのリンク
から原文テキストを引用し、順に比較検討していきます。「翻訳ももうAIでいいんじゃね?」説の検証も兼ね、ときどきGoogle翻訳の結果も差しはさむ気でいます。
ひとつそれ以前のところで堅いことを言うと、全文の翻訳を公表するなら著作権ルール的に原文筆者の許諾が必要と思われます。当記事ではその点を「批評目的での引用」というグレーゾーンで切り抜けることにします。
便宜上、通しで番号を付与しました。見出しはツイート単位、文章は原文のセンテンス単位でのナンバリングです。
レビュー結果・概説
まずツイート単位で、元の訳文と改善文案を示します。ポイントとなる部分を強調表示してあります。後半で詳しく解説しますので、釈然としない場合はそちらを参照してください。
ツイート#01
日本語試訳:
題名:かつての敵、今は友からの歴史の教訓
数人のレビュアーは、この映画の最後の部分に驚いたようです。それは、”私より後の世代のアメリカ人が、歴史をちゃんと学んでいない”という私の考えを裏付けるものでした。
歴史を学ばない事は悲しい事です。なぜなら、歴史は繰り返されるからです。— Noboru (@NoboruOki) 2017年11月24日
改善文案:
題名:かつての敵、今は友からの歴史の教訓
私はかねがね、アメリカ人は大して歴史を知らないと思っておりますが、この映画のエンディングに驚かされた様子のレビュアーさんが複数いらっしゃるという事実が、その裏づけになっています。
歴史を知らないのは悲しいことです。なぜなら、歴史はまさにくり返すからです。
【ポイントとなる語句】
- some
- generations of Americans
- learn(ing)
- does repeat
ツイート#02
日本語試訳:
人々が、そこで何が起こるのかを知らずに、タイタニック(映画)を見に行くのと同じように、一部の観客は、”ヒロシマ”という言葉を耳にしていながら、この映画の最後に何が起こるのかを予想出来なかったようです。
— Noboru (@NoboruOki) 2017年11月24日
改善文案:
ちょうど、タイタニック号に何が起こるかを知らないで人々が「タイタニック」の鑑賞に出かけたのと同じように、「Hiroshima」の言葉を耳にしていながら、映画の結末を見通せなかった方もいらしたようです。
【ポイントとなる語句】
- what happened to it
ツイート#03
日本語試訳:
私は74才です。パールハーバーでの事件は私の両親の世代にとって、大きな衝撃でした。2001年のニューヨークのツインタワーでの事件を経験した時と同じようにです。
— Noboru (@NoboruOki) 2017年11月24日
いいと思います。
好みの書き方(参考):
私は74歳です。私の両親の世代にとって、パールハーバーの衝撃は、まさに2001年のアメリカ人がニューヨークのツインタワーで経験した際の衝撃に匹敵するほど、大きなものだったのです。
【読解のポイント】
- I am 74.
- just as big a surprise
- my parents’ generation
ツイート#04(訂正版)
日本語試訳:
■訂正■ 4つめの訳にミスがありました。申し訳ありません。下記のとおり訂正します。ご指摘深く感謝します。
1941年から長い間、私達アメリカ人が、日本人に対しての怒りをおさめる事が出来ずにきた事は理解出来ます。パールハーバーへの攻撃とその結果により、何千人もの人が亡くなったのですから。
— Noboru (@NoboruOki) 2017年11月25日
いいと思います。
好みの書き方(参考):
1941年以降長きにわたって、われわれアメリカ人は日本人への怒りを克服することができませんでした。無理もありません。真珠湾への攻撃によって何千人もの人が亡くなったのですから。
【ポイントとなる語句】
- which was understandable
- the subsequent consequences
ツイート#05
日本語試訳:
しかし、あれから70年以上もの年月が経っています。当時の日本人が暗い時代を過ごし、また、我々自身と同様に後悔している事を、今の私達なら理解する事が出来るのかもしれません。
— Noboru (@NoboruOki) 2017年11月24日
全然違いますね。
改善文案:
しかし70年以上を隔てた今なら、われわれは、あの暗い時代に日本人が何を経験したか理解し、われわれが自身に対し感じたのと同じぐらいに、彼女らを気の毒に思えるかもしれません。
【ポイントとなる語句】
- what went through in those dark years
- and feel as bad for them
- as we did for ourselves
ツイート#06
日本語試訳:
戦争は地獄です。そしてこれは私達が今でも学び続けなければ行けない歴史の教訓です。 どんな理由があれ、他人を憎む事は間違いです。それは隣人であれ、世界の向こう側の人たちであれ。
— Noboru (@NoboruOki) 2017年11月24日
いいと思います。
好みの書き方(参考):
「戦争は地獄」、これはわれわれが今なお学ぶべきひとつの歴史的教訓です。(後略)
ツイート#07
日本語試訳:
過去に留まり、憎しみ続け、殺し合うのではなく、我々は皆人間であるという理解を、皆で共有出来る未来を作るべきです。
ただ、私は、この映画に対して、星5つを付ける事は出来ません。なぜかというと、子供にはちょっと見せられないからです。子どもたちは、心を痛めてしまうと思います。— Noboru (@NoboruOki) 2017年11月24日
いいと思います。
好みの書き方(参考):
われわれはみな人間なのだという理解を共有できる未来を築くことが、過去にとどまって憎悪と殺生を続けるよりも望ましいことです。(後略)
【読解のポイント】
- Building for a future where
- all share in the understanding that ~
ツイート#08
日本語試訳:
しかし、だとしても、この映画はアメリカ人だけでなく、世界中の人々の対話の始まりです。 いったい誰が敵なんでしょうか? 私達には、誰も傷つけていない人々を殺す権利があるのでしょうか?
— Noboru (@NoboruOki) 2017年11月24日
改善文案:
ではありますが、ともかく本作はアメリカ人に限らず、世界中の人々にとって語り合うきっかけになる映画です。敵ってだれ? 私たちには、誰ひとり傷つけなかった人でも殺す権利があるの?
【ポイントとなる語句】
- it starts a conversation
ツイート#09
日本語試訳:
どうすれば、何年か後に、昔の敵と仲良くなる事が出来るのでしょうか?
戦争によって、何か成し遂げられるものがあるのでしょうか?原文https://t.co/QFCxOV84H3#In_This_Corner_of_the_World
以上です。
— Noboru (@NoboruOki) 2017年11月24日
まるごと違います。
改善文案:
かつての敵が年を経て友となるのって、どんな感じなんだろう? もし何かあるとするなら、戦争は何を成し遂げるのだろう?
【ポイントとなる語句】
- How is it that ~
- if anything
細かすぎるレビューコメント
検討したい部分にアンダーラインを引いています。
ツイート#01
タイトル部分
日本語試訳:
かつての敵、今は友からの歴史の教訓
Google翻訳:
今や友人である古い敵の歴史教訓
原文:
A history lesson from an old enemy who is now a friend
コメント:
結論から言えば、元の訳でいいかなと思います。
テキストどおり読めば、from以降の主体はan enemyです。ですから文面は無骨ながらも、構文の理解はGoogle翻訳の方が正確です。
試訳は、関係代名詞を非制限用法と解釈しての訳し方になっています。だから原文が
- A history lesson from an old enemy, who is now a friend
とカンマ(,)付きになっていたら全然OKなのですが。
そうです。この場合カンマを付け「an old enemy, who is …」と英文の側に書いてほしいのですよね。
しかし英文を読んでいるとこういう文脈で関係代名詞直前のカンマの欠落はしばしば見られるので、「かつての敵、(そして)今は友」が修正を要する解釈とまでは言い切れません。
センテンス#01
日本語試訳:
数人のレビュアーは、この映画の最後の部分に驚いたようです。それは、”私より後の世代のアメリカ人が、歴史をちゃんと学んでいない”という私の考えを裏付けるものでした。
原文:
The fact that some reviewers seem surprised at the ending of this movie supports my belief that generations of Americans are not learning history any more.
こう直しました。
【再掲】改善文案:
私はかねがね、アメリカ人は大して歴史を知らないと思っておりますが、この映画のエンディングに驚かされた様子のレビュアーさんが複数いらっしゃるという事実が、その裏づけになっています。
コメント:
英文解釈としては、
- 主語(S)The fact
- 術語動詞(V)supports
- 目的語(O)my belief.
のSVO構文、直訳すると「その事実はわが信念を支える」です。まずこの骨格をふまえておきます。
個別の語句の読解です。
◆some
別宮貞徳『実践翻訳の技術』(2006)によると、someがいちばん問題にしたいところは、「数」ではなくて「実在」なのです。
なので英語でsomeなんちゃらが出てきたときは、
- 実数がどれぐらいかあまりよくわからないけれど
- そんなことあるよね
- そんな人いるよね
みたいに読むと、だいたいの場合、文意がよく理解できます。
例文をひとつ。昔の人はこう歌いました。
Some folks say “easy come is easy go”
―David Lee Roth〈Just Like Paradise〉(1988)
ここのSomeが伝えたい情報は、そんなこと言う奴いるよね、という「実在性」です。複数形を使っているのは、普通に考えればそれが特定の誰か一人ってことはなかろうという判断に拠ります。どれぐらい存在するかの「人数」が大事なのではありません。そこは二の次です。
ですからこの文句をギター侍が言ったら、
- 「すぐ得られるものはすぐ失う」って、言うじゃな~い
桂米朝が言ったら、
- 「悪銭身につかず」と申しますな
ぐらいに、「実在」を前面に出すだけのもの言いになります。知らんけど。
くり返します。someで最も大事な情報は「実在性」です。
ですから「数人のレビュアーは」と相対的に重要度の低い「数」の情報を前面に打ち出した訳にしてしまうと、日本語表現としてもすわりが悪いですし、何より上で述べたとおり、英文の読みとしていささか野暮ったいです。
◆generations of Americans
直訳だと「数世代分のアメリカ人」です。語句のつくりとしては、lots of flowers(たくさんの花)、most of the Japanese(大半の日本人)などと同じです。
ちなみに「一世代=30年」というのが通説です。※OALD「generation」による
改善の文案では単に「アメリカ人」としました。
もしこの語句が元の訳のように「私の後の世代のアメリカ人」の意味だったら、
- {future|later|successive|new} generations of Americans
ぐらいになっていてほしいところです。でも実際の原文には、前に何も付いていませんね。明示的に「私の後」の意味は持っていないからです(ただし文脈上、含まれてはいます)。
英文コーパスのCOCAで、修飾語の付かない「generations of Americans」の用例を探してみると、奇しくも最適なものがありました。元のAmazonレビューの趣旨にもぴったりです。
September 11 and December 7, a date frozen in time in the memories of generations of Americans.
――CBS_Rather(2002)
【拙訳】9.11と12.7、(それは)幾世代ものアメリカ人の記憶に刻まれ、とどまり続ける日付(だ)。
次に、なぜここでレビュアー氏はただの「Americans」ではなく「generations of Americans」と書きたかったのか? を検討します。
この記事の冒頭で、英語に対する私の基本認識を「概念を操作する言語」と述べました。そして英語には、各種概念を語り手のところへ引き寄せる際、どういうわけかそのサイズ感の説明に妙にこだわる特徴があります。
日本語の感覚なら、ただ「アメリカ人」と言って済ませそうなところを、英語という言語では
- (昔はどうだったか知らないけど)今のこの地上に生きる、数世代分のアメリカ人については
という水準まで、指し示したい対象のサイズをなるべく的確に言い表すことで、これから自分が行う言明の適用範囲を定めたいみたいです。なんなんでしょうかね。ともかくそういう言語のクセだか心理だかが働いた結果の表現だと推察しています。
日本語でそこまで神経質に言わなくていいと思うので、改善文案では単に「アメリカ人」にしました。
◆learn(ing)
ここのlearningは、「学ぶ」よりもっと軽い「知る」ぐらいのニュアンスに読めます。「教訓」的な深みを持つものではなく、せいぜい、テレビのクイズ番組の答えになる程度の内容です。
そのレベルも知らないよね。という論調です。
余談
原文のはじめ方、素敵ですね。英文としての「つかみ」は100点じゃないでしょうか。
おのれの信条すら文中では単なる一部品、まるでモノ扱い。のっけから英語らしさ全開で、うっひょーとなる書き出しでした。
センテンス#02
日本語試訳:
歴史を学ばない事は悲しい事です。なぜなら、歴史は繰り返されるからです。
原文:
This is sad because history does repeat itself.
コメント:
いいと思います。
欲を言えば、doesの強調のニュアンスを取り入れて「まさに」あたりを足したいところですが、趣味の範疇でしょう。
ツイート#02
センテンス#03
日本語試訳:
人々が、そこで何が起こるのかを知らずに、タイタニック(映画)を見に行くのと同じように、一部の観客は、”ヒロシマ”という言葉を耳にしていながら、この映画の最後に何が起こるのかを予想出来なかったようです。
原文:
Just as people went to see ‘Titanic’ without knowing what happened to it, it seems some viewers heard the word Hiroshima and couldn’t predict the ending of this movie.
【再掲】改善文案:
ちょうど、タイタニック号に何が起こるかを知らないで人々が「タイタニック」の鑑賞に出かけたのと同じように、「Hiroshima」の言葉を耳にしていながら、映画の結末を見通せなかった方もいらしたようです。
コメント:
◆what happened to it
「そこ」ってどこ? それが問題です。はっきりわかるように、「タイタニック号」と明示しました。
なぜそう言えるかというと、代名詞itの前置詞が「to」だからです。
この文章のitが「Titanic」を指すことに異論はないかと思います。ここでもし、itが「映画『タイタニック』」を意味するなら、「そこで起こった出来事」は「what happened in it」と書かれるはずです。映画の世界の中で起こるわけですから。
しかし実際の原文は「to it」ですから、映画「タイタニック」のなかで、(史実と同じく)ある歴史的事件がit に起こった。各者はそういう関係と読めます。
あとsomeの訳し方、これはセンテンス#01と同様です。また「観客」も、DVD/Blu-Rayのレビューという文脈にそぐわない面があるので削りました。
ミニ講座:「to」と「for」のイメージの違い
前置詞「to」に対する私の基本イメージは「到達」です。何かが何かに届いている関係や状況を示すときの符号です。
たとえば、到達する(と期待されている)から電子メールの宛先は「To:」であり、あるいは実際にyouにまで届いているから「Happy birthday to you」なのです。
他方で、一見toと用法が似ている「for」の基本イメージは「等価交換」です。
ですから〈A song for you〉という場合、a songはyouに向けて放たれてはいるのですが、実際youにまで到達したかどうかは定かでありません。というか、そこは二次的問題です。A song(あるひとつの歌)とyou(あなた)の両者は等価で交換できる。ざっくりイメージで言えば、そこが関係性の主眼です。
同じく
あなたが欲しい あなたが欲しい
もっと奪って 心を
for you・・・
高橋真梨子
¥250
と歌い上げる〈for you…〉(高橋真梨子, 1982)もまた、その声が「等価交換」の相手方であるyouに到達しているかどうかは定かでありません。むしろ、今ここからは届きようのない「あなた」に向けた歌と解釈する方が、はるかに素敵な世界になります。
だいぶ話がそれました。
- 前置詞「to」の基本イメージは「到達」
- 「for」は「等価交換」
という話でした。
ツイート#03
センテンス#04
日本語試訳:
私は74才です。
原文:
I am 74.
コメント:
訳は問題ありません。
私が問題にしたいのは、レビュアー氏はここでなぜこんなことを言い出したか? です。
ヒントは次の文に隠されています。つづく。
センテンス#05
日本語試訳:
パールハーバーでの事件は私の両親の世代にとって、大きな衝撃でした。2001年のニューヨークのツインタワーでの事件を経験した時と同じようにです。
原文:
Pearl Harbor was just as big a surprise to my parents’ generation as the Twin Towers in New York was to Americans in 2001.
コメント:
◆as big a surprise
これは確認として。
「as」に対する私の基本イメージは「天秤ばかり」です。
asが出てくると、前後の語句からそれぞれ左の皿と右の皿に何が載っかって、両者がどういう点で釣り合うのかを読み取ります。
ここの原文について当てはめると、
- 釣り合うもの:サプライズのbigさ加減
- 左の皿:パールハーバーの場合
- 右の皿:ニューヨーク・ツインタワーの場合
です。この点はよろしいかと思います。
改善文案【再掲】:
私の両親の世代にとって、パールハーバーの衝撃は、まさに2001年のアメリカ人がニューヨークのツインタワーで経験したものに匹敵するほど、大きなものだったのです。
文末の言い回しを変えました。その理由は次項で。
◆my parents’ generation
レビュアー氏が出し抜けに「I am 74.」と自分の年齢を書いた最大の理由、それは「自身の親世代の具体的なゾーンを知らせたいため」と考えられます。
計算すると、氏は1942~1943年生まれです。パールハーバー(真珠湾攻撃)は1941年12月の出来事ですから、当時、氏の両親はちょうど子を産み育てる世代だったことになります。
さらに注目すべきポイントは、この「親世代」を示す語の所有格が「our(私らの)」という複数形ではなく、単数の「my(私の)」であることです。言明と語り手の距離がかなり近くなっています。
ここがなぜ「my」になっているかは、だいたい次のような経緯からではなかろうかと考えます。
当時レビュアー氏はまだ生まれていませんから、パールハーバーをリアルタイムで経験してはいません。けれども氏の両親から、パールハーバーのストーリーをくり返しくり返し聞かされて育ったんじゃないでしょうか。ですから、あたかも自分が直接経験した出来事のように、真珠湾攻撃のことを「2001年のあの911に優るとも劣らないほど、それはそれは大きな衝撃だったのですよ」と語れるし、自分が両親からされたのと同じように、後世へ語り継いでいきたい。
といった事情と想いも込められているがゆえに、親世代(parents’ generation)の修飾が「my」になっているんじゃないのかな。まあ、半分想像も加わっていますが。
けれども試訳の文面はどこか他人事っぽくて、ここらのニュアンスが出ていないように感じました。なのでより語り手の側へ寄せた言い回しにしてみたというわけです。
ツイート#04
センテンス#06
日本語試訳:
1941年から長い間、私達アメリカ人が、日本人に対しての怒りをおさめる事が出来ずにきた事は理解出来ます。パールハーバーへの攻撃とその結果により、何千人もの人が亡くなったのですから。
原文:
In 1941 and for a long time afterward we Americans could not get over our anger at the Japanese which was understandable – thousands died because of their attack on Pearl Harbor and the subsequent consequences.
コメント:
いいと思います。
検討事項:
◆which was understandable
ここはタイトル部分と同じかそれ以上に「カンマを打っていない非制限用法」の疑いが濃厚であります。
英文の表記法として
… our anger at the Japanese, which was understandable -…
とカンマを打つか、あるいはむしろwhichではなくて、and it was ぐらいで接続してもらった方がまだ読みやすいのですが。
◆the subsequent consequences
これはちょっと厄介なフレーズです。
「subsequent」は、sub-なので単に「時間的にあとで起こった」の意です。前後の出来事の因果関係は必須ではありません。
一方「consequences」は「ある行為によって引き起こされた結果」の意です。con-なので、前後の出来事に因果関係がある含みを持ちます。
なので「the subsequent consequences」とは単純にパールハーバーの結果を指しているのか、あるいはそれ以後の太平洋各地での日本軍との戦闘まで含むのか、そこが判然としません。
そこで事実関係を確認してみました。
この日、ハワイの米海軍基地は、日本軍の353機の航空機による奇襲攻撃を受け、2403人の死者と1178人の負傷者を出した。
出典:真珠湾攻撃から75年、戦艦アリゾナを巡る物語|ナショナルジオグラフィック日本版(2016/12/09付)
とのことでした。真珠湾攻撃単体で2千名以上の死者が出ているようです。よってここは「奇襲攻撃の結果」の意と解釈しました。
ツイート#05
センテンス#07
日本語試訳:
しかし、あれから70年以上もの年月が経っています。当時の日本人が暗い時代を過ごし、また、我々自身と同様に後悔している事を、今の私達なら理解する事が出来るのかもしれません。
原文:
But perhaps now after more than 70 years distance we are able to understand what the Japanese went through in those dark years, and feel as bad for them as we did for ourselves.
下線部をまるごと間違えています。
正しくは、こうですね。
改善文案【再掲】:
しかし70年以上を隔てた今なら、われわれは、あの暗い時代に日本人が何を経験したか理解し、われわれが自身に対し感じたのと同じぐらいに、彼女らを気の毒に思えるかもしれません。
【構文】
この文章の骨格は、次のようになっています。
- 主語(S)We
- 術語動詞(V)are
- 補語(C)able
- ableの内容その1 to understand
- ableの内容その2 (to) feel bad
これら骨格部分の動作主はすべて「We」、すなわちアメリカ人です。
【ポイントとなる語句】
◆what the Japanese went through in those dark years
ここの節が、understandの目的語にあたります。
読解のため、仮置きでwhatをsomethingに入れ替え、節全体を平叙文に書き換えてみると、こうなります。
- The Japanese went through something in those dark years.
このwent(go) through ~ は、
~〈苦しみなど〉を受ける,経験する(ジーニアス英和辞典)
の意に解釈するのが適切でしょう。よって書き換えてみた文の日本語訳は
- 日本人は、あの暗い時代にサムシング〈何か知らんけど苦しいこと〉を経験した
形を戻してunderstand込みで訳すと、
- 日本人があの暗い時代に経験したこと〈何か知らんけど苦しいこと〉を理解する
ぐらいになります。これが、「われわれアメリカ人にできる(かもしれない)こと」の「その1」です。
「この映画観たら、太平洋戦争当時の日本人が超大変だったの、よくわかるよ!」
雑に言えばそういう話です。
◆and feel as bad for them
そして「われわれアメリカ人にできる(かもしれない)こと」「その2」がこれ、すなわち「彼女らに対してフィールバッドする」です。この文脈でのthemとは、もちろん日本人です。そこはいいでしょうか。
asの読解とfeel badの訳し方については次の項で。
◆as we did for ourselves
さて、先ほどセンテンス#05のところで、私はasが出てくると「天秤ばかり」をイメージすると述べました。
ここのセンテンスの場合は、こんな「天秤ばかり」になります。
- 釣り合うもの:ウチらアメリカ人のフィールバッドの度合い
- 左の皿:彼女ら(=日本人)に対して[見込み値]
- 右の皿:われわれ(=アメリカ人)自身に対して[実績値]
「右の皿」がなぜ「実績値」と言い切れるかというと、did(=felt)と過去形になっているからです。つまりアメリカ人は既に、自分自身に対しては真珠湾以後のどこかの時点でもうフィールバッドしちゃったわけです。
最後に、この文脈の「feel bad」をどう訳すかですが、forの相手と「等価交換」するフィールバッドですから、「かわいそう」「残念」「気の毒」ぐらいのニュアンスに取ればよいかと思います。改善文案は「気の毒に思える」にしました。
以上をざばっとトータルすれば、
「ウチら真珠湾以後、いろいろ大変だったよね。で、あんまり深く考えたことなかったけどさ、どうやら日本人もまた、その時期は何かと大変だったみたい。70年経ってるし、辛かったよねっていう点はトントンじゃないかって思っても、もういいかもしんないよね」
ここのセンテンスでレビュアー氏が述べているのは、だいたいそんな話です。
ツイート#06
センテンス#08・#09
日本語試訳:
戦争は地獄です。そしてこれは私達が今でも学び続けなければ行けない歴史の教訓です。 どんな理由があれ、他人を憎む事は間違いです。それは隣人であれ、世界の向こう側の人たちであれ。
原文:
“War is hell” and this is a history lesson we still need to learn. Hating the other guy for whatever reason is a mistake whether he is next door or across the world.
いいと思います。
いじりたい部分もありますが、好みの範疇に思えます。
ツイート#07
センテンス#10
日本語試訳:
過去に留まり、憎しみ続け、殺し合うのではなく、我々は皆人間であるという理解を、皆で共有出来る未来を作るべきです。
原文:
Building for a future where all share in the understanding that we are all human is better than dwelling in the past and continuing to hate and kill.
いいと思います。
【読解のポイント】:
◆Building for a future where
forがあるのとないのとで意味がどう変わるんだろうか、と思って両方の用例を調べてみましたが、ほとんど違いが見いだせなかったです。
◆all share in the understanding that ~
同じく、inがあるのとないのとで意味がどう変わるんだろうかと思って両方の用例を調べてみました。
こちらは違いが見いだせました。シェアの対象がたとえばピザや自動車のような物理的存在ではなく、何かしらの「概念」の場合にinが付くことがあるようです。
つまり「理解(the understanding)」という概念の場合、シェアの仕方は、ピザみたいにその全体から各自の取り分を切り分けるのではなく、逆に、共有される「概念」の側へ各自が寄り集まって参画していく形になる。それが「share in」のイメージです。
いずれにしろ、結果的には訳文へ反映できるほどの大きな違いではありませんでした。
センテンス#11
日本語試訳:
ただ、私は、この映画に対して、星5つを付ける事は出来ません。なぜかというと、子供にはちょっと見せられないからです。子どもたちは、心を痛めてしまうと思います。
原文:
I can’t give this movie a five because I wouldn’t show it to a child and cause them grief.
いいと思います。
ツイート#08
センテンス#12
日本語試訳:
しかし、だとしても、この映画はアメリカ人だけでなく、世界中の人々の対話の始まりです。
原文:
But nevertheless, it starts a conversation not just for Americans but for others around the world.
改善文案【再掲】:
ではありますが、ともかく本作はアメリカ人に限らず、世界中の人々にとって語り合うきっかけになる映画です。
【ポイントとなる語句】
◆it starts a conversation
ポイントは2つあります。
まず、startsは他動詞であること。To start a fire(火をおこす)と同じ形ですね。だから
- it(映画)がa conversationをstartさせる
という関係です。
2つめ。じゃ「a conversation」をどう訳すかです。「対話」だと、ちょっと語感が重めじゃないでしょうかね。
ここはもっと気軽な、気兼ねのないやり取りを指していますから、語感が軽くなるよう意識して「語り合う」にしました。
◆not just for Americans but for others around the world
ここ、「アメリカ人に限らず、世界中の人々がともに話し合う」とかいう意味じゃないです。
インターネットが発達している今日ですから、そうなっても全く問題ないんですが、「国またぎ」は必須の要件になっていません。
原文における「語り合い」の最小要件は
- 鑑賞後、見た人同士が「どう思う?」とか「こうじゃないかな?」とか、意見や感想を交わす。
これだけです。なのでどの国であるかを問わず、たとえば鑑賞後のカフェや家庭内などで意見交換が起こっていればOKです。
つまりこのセンテンス全体の主張は
- この映画が持つ「start a conversation(語り合うきっかけとなる)」という特質は、アメリカ人のみならず、他のどの国の人に対しても同じようにはたらく。
です。
センテンス#13・#14
日本語試訳:
いったい誰が敵なんでしょうか? 私達には、誰も傷つけていない人々を殺す権利があるのでしょうか?
原文:
Who is an enemy? Do we have a right to kill someone if they have done nothing to harm anyone?
読解としてはそれでいいと思います。
ただこれらは、本作によって火蓋が切られた「a conversation」すなわち「ごく気軽な語らい」の具体例の数々と解せますので、気軽さを感じられそうな口語寄りの言い回しにしてみました。
改善文案【再掲】:
敵ってだれ? 私たちには、誰ひとり傷つけなかった人でも殺す権利があるの?
ツイート#09
センテンス#15
日本語試訳:
どうすれば、何年か後に、昔の敵と仲良くなる事が出来るのでしょうか?
まるまる違います。
原文:
How is it that old enemies become friends years later?
だから、こうですね。
改善文案【再掲】:
かつての敵が年を経て友となるのって、どんな感じなんだろう?
【構文】
How are you?と同じです。
How are you?は、
You are ___.
の空欄に何が入るかを尋ねる疑問文ですね。
答え方は「fine, thank you」とか「good」とか「so-so」とか「feeling like hell」とか「about to die」とか、まあいろいろです。
同様に、原文は
It is ___ that old enemies become friends years later.
の空欄に何が入るかを尋ねる疑問文です。
答えは「wonderful」なのか「painful」なのか、はたまた「bitter and sweet」なのか。パターンはいろいろありそうです。
センテンス#16
日本語試訳:
戦争によって、何か成し遂げられるものがあるのでしょうか?
原文:
What does war accomplish if anything?
ifの意味が消えています。こう直しました。
改善文案【再掲】:
もし何かあるとするなら、戦争は何を成し遂げるのだろう?
【ポイントとなる語句】
◆if anything
結論を先に言うと、「if なになに」句は《「1周前の問い」への答え》なんです。
ちょっと何言ってるかよくわかんないですよね。
ややこしいので、いったん「if anything」を除いて考えます。除外すると「What does war accomplish?」、直訳すると「戦争は何を成し遂げるか?」ですね。
でもこれ、問いの形としては「1周先」に行っちゃってます。
なぜって、「何を」成し遂げるかを問う前にまず「そもそも、戦争って何かを成し遂げるものなの?」を問わなきゃいけないはずですよね。
「何を」を問う元々の問いかけは、その「1周前の問い」の答えが「成し遂げる」である場合に初めて意味を持ちます。(いきなり「Nothing」とか答えるやり方もできるっちゃできますけど)
くり返しになりますが、ここで結局問いたいのは「戦争は何を成し遂げるのか?」です。けれどもそこを問うためには戦争が何かを「成し遂げるのか否か?」という「1周前の問い」の答えが「成し遂げる」でないといけません。
答えがもし「成し遂げない」のなら、元の問いは無意味です。よって「1周前の問い」への暫定回答として「何かを成し遂げる」と仮定しているのです。それが「if anything」の意味あいです。
ですから、ここでの意味は「もし何かあるとするならば」となります。
いろんな英文テキストを読んでいると、英語ってこのあたり、かなり律儀な印象があります。なんでかは知りません。個人的な感想を言えば、気性が似ていて付き合いやすいです。
まとめ
長くなりました。
当初思っていたより2倍以上の字数となってます。そして思っていた以上にGoogle翻訳の品質がひどかったです。比較対照用にもほとんど使えなかった。
将棋や囲碁の世界で人工知能が築いた実績からすればさほど遠くないとは思っておりますが、「情報拡散」という課題の達成目的であれば、早いこと、
「このレビューよかった。
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英語だから、わかんなかったらGoogle翻訳とかかけてみて。」
ぐらいで事足りる世の中が来てほしいです。
こちらからは以上です。
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