土門拳「フォトジェニック」を語る―『写真論集』から

こんにちは。

この記事では、『土門拳 写真論集』に収録されている「フォトジェニック」を取り上げ、フォトジェニックの温故知新を図ります。

はじめに:新語のようで新語でない「フォトジェニック」

「フォトジェニック」という言葉を、写真共有アプリ「Instagram」の普及とともに知った方もネット世間には少なからずいるようです。

たとえばTwitterには次のような用例が散見されます。

これらアカウントの主観にはきっと、「フォトジェニック」がポッと出の and/or 流行り廃りの激しい部類の、新語に映ったのでしょう。

けれども客観的事実として評価すれば、残念ながらフォトジェニックはそうした新語とは言えません。青空文庫収録作品に

「貧しさ」を「映画の言葉」すなわち、これに相当する視覚的な影像に翻訳しなければならない。たとえば極貧を現わすために水道の止まった流しに猫(ねこ)の眠っている画面を出すとか、(略)とにかく文学的の言葉をいわゆるフォトジェニックなフィルミッシな表現に翻訳しなければならない。

寺田寅彦「映画芸術」(1932)

という用例もあるように、遅くとも1930年代には日本語の語彙に(先駆的に)取り込まれていたものと評せます。

土門拳の「フォトジェニック」

ちくま学芸文庫になった土門拳(1909-1990)の写真論集にも、「フォトジェニック」がごく普通に出てきました。なおこちらは第2次大戦後、1950-60年代の文章が収められた文庫です。

同書から目に留まった「フォトジェニック」をピックアップしてみました。引用部の強調・下線は引用者によるものです。また、初出情報は同書の記載に拠ります。

母のない姉妹(1959) ※『筑豊のこどもたち』|土門拳記念館より

「ピイマン」杵島隆 選評(1950)

最初は意味をあまり深く考えず、雰囲気だけさらってみてください。

成程、マチエールは重要なフォトジェニックな要素ではありますが、マチエールのためにマチエールを追求するような仕事は、既にノイエ・ザッハリヒカイトの運動において清算されたものなのです。その運動の途中から、マチエールは目的ではなく手段であることが自覚されたのです。マチエールは近代写真の強い肉体ではある。しかし、その肉体は深い精神を宿しているのでなければ意味ないことが自覚されたのです。(pp.044-045)

さらに難解な用語「ノイエ・ザッハリヒカイト」については、ノイエ・ザッハリヒカイト/新即物主義(美術)|Artwordsが詳しかったです。

初出情報:『カメラ』1950年12月号

総評――画面のあまさとレアリティ(1953)

 写真は眼に見えるものしか写らない。そして、写真は眼で見るものである。降りしきる吹雪の厳しさも、その冷たさも、眼で見るものとしての写真的処理がなされていない限り、無意味である。フォトジェニックとは、視覚的世界の徹底的な視覚的処理ということである。(pp.059-060)

初出情報:『カメラ』1953年8月号

課題「生活のある風景」(1955)

「風景写真に対する技術、心構えについて」の2つめに出てきます。

 つぎにフォトジェニックな眼を養うということを忘れてはいけない。
 自然は美しい。しかしその美しさの要素として多分に色彩が入ってることを常に意識しなければならぬ。カラー写真ならともかく、黒白写真の場合、決して色彩に惑わされてはならないのである。常に白黒配色による抽象化されたトーンにその効果を置き換える、フォトジェニックな感受性をもつべきである。(p.069)

ちなみにその前後は、「まずカメラポジションとライティング」、「最後に最も大切なこと、」「ヤマ」「それはヒューマニティである」となっています。

初出情報:『カメラ』1955年2月号

課題「たそがれ」(1955)

前項と同趣旨の文章です。

 専門写真家たちの見様見真似の、どこかで見たような写真を作る必要はない。
 つまり、(略)写真は課題のためにデッチあげるものであってはならない。(略)
 つまり、アマチュア諸君は、「たそがれ」時に、自分の身近に、フォトジェニックな目を光らせさえすれば、モチーフは発見出来るからである。課題とモチーフはその場合、同意語として、同時的に存在しているからである。(p.080)

アマチュアリズムを称揚していた土門らしさを感じます。

初出情報:『カメラ』1955年9月号

「取的」田中一郎 選評(1957)

単独では解読が難しい用例ですが、

この写真が見事なスナップでありながら、どこか弱いのはそういう画面上の不統一が、力を分裂させているからだ。つまり、まだ自然主義的な情景写真としての説明的要素が残っているからだ。結局フォトジェニックな発想が問題である。この場合、田中君は、せめてもう一歩前進して、このふんどしかつぎのひざから上の裸身が画面いっぱいに浮き出すように撮れば、たくましい生活詩的な青春像ができたはずだった。(p.087)

初出情報:『フォトアート』1957年1月号

「鼠を捕えた猫」東洋介 選評(1957)

猫が鼠を捕るのに何の不思議もない。市井の日常茶飯の出来事である。しかし、その瞬間を(略)日常茶飯そのままの絶対非演出の絶対スナップの撮影をもって写真化し得たのは、東君のこの写真以外、ぼくは知らない。内容どうのこうのという議論を抜きにするだけのフォトジェニックな力と美の一つの極をここに見るのである。シャッターの冴えは、ただ見事というほかはない。(p.090)

初出情報:『フォトアート』1957年2月号

「村の花嫁」松田繁美 選評(1958)

写真はすべてレンズの前にあるものに対する二者択一的な選択から成り立っている。レンズの前にないものは撮れないし、あるものに対しても、それを捨てるか捨てないかという選択をすでに迫られているものなのである。その意味で、レンズの前にあるもの一つ一つに対して、注意深い選択を瞬間のうちに働かせるフォトジェニックな訓練を心がけなければならないのである。(p.131)

これら複数の用例を重ね合わせることで得られるニュアンスを感じ取っていきたいところです。

初出情報:『フォトアート』1958年3月号

「お茶会の子」河又松次郎 選評(1957)

こちらは比較的わかりやすいフォトジェニックだと思います。

いわば、モデルがよかった。
 しかし、写真では黒く写っている少女のきものと白く写っているお姉さんがたのきものとの黒白の対比もフォトジェニックな美しい効果をあげている。そして(略)少女の白い顔とうしろ向きのお姉さん方の黒い髪との対比もまたフォトジェニックな効果をあげている。つまりただモデルがよかったというだけでなく、そういうモチーフを発見し、シャッターチャンスをつかんだ作者の眼が何にもまして決定的な意味を持っているわけである。(略)ぼくたちはすなおに河又君の努力と収穫を褒め讃えるべきである。(pp.095-096)

初出情報:『フォトアート』1957年3月号

【まとめ】ほぼほぼ「インスタ映え」論

という具合に、土門拳の時代から「フォトジェニック」は存在し、土門もごく普通の写真用語として使っていました。

当記事で引用したテキストの「フォトジェニック」を、土門の時代には存在しなかった言葉の「インスタ映え」に置き換えても、だいたい文意は通じるように思います。

先述の「お茶会の子」選評を例に取れば

  • 少女の着物(黒)とお姉さん方の着物(白)との対比→インスタ映え
  • 少女の顔(白)と後ろ向きのお姉さん方の髪(黒)との対比→インスタ映え

となりますし、引用した土門のテキストを総合すれば、

  • インスタ映えに対する感受性を磨き、眼を養う訓練を重ねれば、「インスタ映え」のモチーフは自分の身近に発見できるようになる

という主張になります。いけそうです。

「インスタ映え」が、私が選ぶ今年の新語(ジラ)2017となったのを記念して、テキトーにでっち上げてみました。

つづく予定

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