こんにちは。誰も喜ばない地味な事実確認を続けます。
はじめに+前回のあらすじ
民進党の蓮舫議員の国籍をめぐる騒ぎをきっかけに、ネット世間の一部を中心に二重国籍ブームが到来している様子です。
そんななか、Wikipedia「多重国籍」の受け売りなのでしょう、こんな記述が散見されます。ここでもそのままコピペします。※強調は原文
ブラジル、アルゼンチンなどは自国民の国籍離脱を認めていないため、他国の国籍を取得すると必然的に二重国籍となる。
この件、うっかり情報源を省略して「産地」を示さないまま横流ししていると、ニヤニヤされます(私に)。ご注意ください。
虚偽の情報、平たく言えばデマが混入しているからです。
「ブラジルは自国民の国籍離脱を認めていない」はでたらめです。ブラジル国籍は離脱できます。同国の憲法第12条第4項に、その要件が示されていました。詳しくは「微量レベルで漏れ続ける「ブラジル国籍は離脱できない」というデマについて」(初版公開:2017/07/15)に書きましたのでそちらへ。
じゃあ、アルゼンチン国籍はどうだろう。離脱を「認めていない」んだろうか?
そこを確認しました。以下、その報告です。
要約:Executive Summary
アルゼンチン国籍の離脱について調査したところ、事実関係は次のとおりでした。
- アルゼンチンの国籍が「離脱できない」は事実でした。
- ただしその根拠を、アルゼンチンの法令が国籍の離脱を「認めていないから」とするのは、表現としてやや適切さに欠けます。
- 「何も定めていないから」と述べる方が、より適切です。
Eva Peron(1919-1952)in 1951, from commons.wikimedia.org
ともあれ、現時点で同国の「国籍を離脱できない」ことは事実として間違いなさそうなので、「離脱できない国」の具体例を出す場合、アルゼンチンの名前を挙げてよいかと思います。
典拠
結論に至った典拠を示します。
(1)「離脱できない」認定―在アルゼンチン日本国大使館
在アルゼンチン日本国大使館のサイトで見つけた次の記述から、「離脱できない」と判断しました。引用します。
<注>
アルゼンチン国で生まれた者は、憲法の規定により生涯アルゼンチン国籍者であり、同国籍を離脱することは認められていません。(後略)
出典:国籍事務のご案内|ar.emb-japan.go.jp
比較対象として ~ブラジル・在サンパウロ日本国総領事館の回答~
ブラジルの場合と比べてみてください。在サンパウロ日本国総領事館による、
20. 日本とブラジルの二重国籍者です。いずれか一つの国籍を選択する方法は?
への回答は、こうです。
出典:領事情報 各種届け 答え11-20|br.emb-japan.go.jp
ポイントは、国籍の離脱が「認められていません」とまでは書いていないことです。実際、離脱できそうです。
(2)「認めていない」はダウト ~アルゼンチン憲法の参照結果~
くり返します。在アルゼンチン日本大使館サイトの説明によれば、
アルゼンチン国で生まれた者は、憲法の規定により生涯アルゼンチン国籍者
だそうです(下線は引用者。以下同じ)。同国の憲法にどう書いてあるか、参照してみました。
しかし残念ながら、きれいに対応する条文が見あたりません。辛うじて見つけられたのは、議会の権限を定めた第75条の12番目でした。
Artículo 75.- Corresponde al Congreso:
12. (前略); y especialmente leyes generales para toda la Nación sobre naturalización y nacionalidad, con sujeción al principio de nacionalidad natural y por opción en beneficio de la argentina (後略)
出典:CONSTITUCION DE LA NACION ARGENTINA(1994)|servicios.infoleg.gob.ar
英訳版です。訳出に際しては、主にこちらを参考にしました。
Section 75.- Congress is empowered:
12.- (前略); and particularly to enact general laws of naturalization and nationality for the whole nation, based on the principle of nationality by birth or by option for the benefit of Argentina; (後略)
出典:[PDF] CONSTITUTION OF THE ARGENTINE NATION(1994)|biblioteca.jus.go.ar
拙訳です。原文にない語句を補っています。読み違えていたらご指摘ください。
【拙訳】
第75条 国会に、次の権限を与える。
12.- (略)特に、全国で有効な帰化と国籍に関する一般法を制定・施行すること。かかる法は、国籍の付与について、アルゼンチンの国益のために[領土内での]出生により、または[領土外にてアルゼンチン国民から出生した者の場合]国籍選択により行うとの原則に基づくものとする。
憲法のここの条文から「アルゼンチンで生まれたら一生涯アルゼンチン国籍」という現状の運用へは、たしかにつながっています。つながってはいるのですが、ここらの書きぶりを「規定」としちゃっていいのかなとの疑念は残ります。「離脱は認めない」とは明示してないから。
あるいはもっとスッキリ認定できる条文がほかにあるのでしょうか。よければ探してみてください。
(3)国籍を離脱できない事情―法務省の委託調査研究
アルゼンチン国籍が「離脱できない」諸事情については、こちらの文書を参照しました。「平成26年度 法務省調査研究請負」の成果物のようです。
- [PDF] WIPジャパン株式会社「アルゼンチン共和国における身分関係法制調査研究報告書」|moj.go.jp(2015/03/20付)
国籍の喪失や放棄、剥奪について直接言及する法令はないが、政令第 3123 号 15 条で国籍喪失の可能性に関する言及が見られる27。
とのことでした。(8 国籍法制(5)国籍の喪失, p.33)
つづきを読むと、「国籍喪失の可能性」とは、不正にアルゼンチン国籍を取得した場合の無効化を想定しているようです。
というわけで、(出生状況や外国への帰化などにより)二重国籍となったアルゼンチン国民が「アルゼンチン国籍抜けたい」と希望した場合、その希望を実現させようにも法的に有効な方法が何もないわけです。
類似の事例
ちょうど「やめ方」まで教わっていない、「ファンタジア」の「魔法使いの弟子」パターンに似ています。
「アルゼンチン国籍」も同じく、最後は魔法使いの弟子よろしく「やめ方」を「師匠」に教われば事態は収束しそうです。しかしファンタジアと違ってあいにくと「憲法師匠」の方でも「やめ方」が定まっていないようであります。
裏は取れていませんが、こういうツイートもありました。
実際に他国の国籍を得るためアルゼンチン国籍を放棄しようとした人が裁判で却下されたケースもありました。@chizurufgarcia
事実関係がこの証言内容のとおりなら、裁判所も問題とは思ってなさげです。
傍証:最高裁判例
別の事件のものみたいですが、こんな判示も見つけました。
Argentina puts no bar to a person having two or more nationalities. In a recent case the Supreme Court said that ‘the acquisition of a nationality which is different from the nationality of origin is perfectly admissible and so it is that a person could opt for the Argentinian nationality or naturalise without losing the nationality of origin, or inversely, an native Argentinian can, by option or naturalisation, choose a foreign nationality without even having to renounce the Argentinian nationality.’
【拙訳】
アルゼンチンでは、国民が2つ以上の国籍を持つことを何ら規制していない。近年の最高裁判決でも「元の国籍と異なる国籍の取得は完全に容認できる。よって人は元の国籍を失うことなくアルゼンチン国籍の選択またはアルゼンチンへの帰化を行うことができ、また反対に、生来のアルゼンチン国民が、国籍選択または帰化によって外国の国籍を選ぶこともまた、アルゼンチン国籍を離脱する必要すらなく容認可能である」とした。
出典:[PDF] REPORT ON CITIZENSHIP LAW: ARGENTINA(Javier I Habib, March 2016)p.20|European University Institute
日付から判断すると、2007年の判例です。番号で検索したら、後年の事件の判決文のなかで引用したものだけ見つかりました。参考資料としてリンクしておきます。
[DOC] Texto completo – Suprema Corte de Justicia I2220.doc(2009)|scba.gov.ar
国籍法の参照結果
また、離脱について何ら言及していないことを確認するため、アルゼンチンの国籍法
[PDF] CIUDADANIA Y NATURALIZACION LEY 346|hcdn.gov.ar
(市民権と帰化に関する法律 LEY 346)から、各章のタイトルだけ抜き出しておきます。拙訳を付けました。
- De los argentinos
第1章 アルゼンチン国民(第1条) - De los ciudadanos por naturalización
第2章 帰化による国民(第2条~第4条) - Procedimientos y requisitos para adquirir la carta de ciudadanía
第3章 市民権カード取得のための手続きと要件(第5条・第6条) - De los derechos políticos de los argentinos
第4章 アルゼンチン国民の参政権(第7条~第9条) - Disposiciones generales
第5章 その他一般規定(第10条・第11条) - Disposiciones transitorias
第6章 経過規定(第12条・第13条)
アルゼンチン国籍を「取得する」方向の話ばかりで、反対方向の「離脱する」「放棄する」規定がまったく見あたりませんでした。
そんなところです。
まとめ
以上、アルゼンチン国籍の離脱に関する関連法規の調査結果でした。
アルゼンチン国籍を離脱できないこと自体は事実であるため、「アルゼンチンは自国民の国籍離脱を認めていない」との言明は、間違いとまでは言えません。ただし誤解を生みやすいように思えます。
「認めていない/認められていない」の叙述には、どこかしら積極的なニュアンスを感じます。あたかも明文化された規定が存在するかのような印象を受けます。少なくとも私はそうでした。しかし実際は全然見あたりません。そこらの丁寧な説明が必要と考えます。
先述のとおり、アルゼンチンでは「関係法令に何ら規定がない」ので「国籍を離脱したくても離脱のしようがない」のが真相のようです。
よって、
アルゼンチンは法令上「国籍の離脱」という発想を持たない
とするのがより適切だろう。というのが当ブログでの結論です。よろしければ参考にしてください。
for more information―関連ドキュメント(日本語・その他)
再三くり返しますが、どうも現行のアルゼンチンの法制度上には、「国籍を放棄する」という発想がないようです。では、いったいなんでこんなことになっているのでしょうか?
次の各文書を読み込んで、引きつづき国籍について勉強してゆきます。
- [PDFダウンロード] 立松美也子「国籍に対する国際人権条約の影響」(共立国際研究, 2013/03)|共立女子大学リポジトリ
- [PDF] UNHCR編「国籍と無国籍 議員のためのハンドブック」日本語版(2009/12)|ipu.org
大部ですが、いずれも日本語です。本件渦中の蓮舫さんにも自信を持っておすすめできます。
なお、当記事で取り上げた以上に明確に規定している法令が今後見つかった場合、当然に結論を修正する用意はあります。
ですので、もし当方の主張に異議のある方がいらっしゃいましたら、これらを足がかりとして、さらなる調査をお願いしたい所存です。
フィナーレ:アルゼンチンよ、泣かないで
Don’t Cry for Me Argentina(1996)
MADONNA
¥250
この世はうかつでテキトーでいいかげんな人で満ちあふれています。ですから、うかつでテキトーでいいかげんな人たちによる発信は、当然にうかつでテキトーでいいかげんになりがちです。そんなものです。
細かく言えば程度問題と認識しつつ、大枠で言うならば、この世のうかつでテキトーでいいかげんな情報発信を私は許します。許してゆきたいです。
ただ、出典をないがしろにして典拠なしにあーだこーだ言い合っていても、議論の質は上がりません。そこは間違いありません。
もし、単にあーだこーだ言い合うことが目的ならば、あらかじめその旨を明示してもらいたいところです。目的が合っていないままにかみ合わない情報交換を続けるのは、あまり生産的な行為ではありません。社会にとっての不幸です。
ですからアルゼンチンよ、泣かないでソースつけなよ。
♪~It won’t be easy…
いや、簡単なはず。秘匿対象でもあるまいに。
おわり
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