こんにちは。
J-POPの「何も聞こえない」問題に取りかかる前に、「聞こえない」ではなく「聞こえていない」J-POPに関する報告をひとつ。
余計な前置きは省いています。詳細を知りたい方は「何も聞こえない」を論じる別記事を後日公開予定ですので、そちらへお願いします。
J-POP「聞こえていない」ソングに関する小論
J-POPが「聞こえていない」とき、もっぱら周辺環境を含めた受信サイドの問題に絞り込めます。そこが、「聞こえない」ソングとの大きな違いです。
というのも、
- 発信側の音は(品質として十分かの問題はおいて)出ている
- または少なくとも、記述者は「音は出ている」と受け取っている
と考えられるからです。
3つの例で確認します。最後の例だけ、プレビュー部分最後で当該の歌詞の一部が試聴できます。
稲垣潤一《もうひとつの夏》(1992)
(作詞:渡辺なつみ 作曲:松本俊明)
聞こえているのに聞こえていない時間
あふれる悲しみ 思いもしなかった
もうひとつの夏
稲垣潤一
¥255
GRAPEVINE《Good bye my world》(2003)
(作詞:田中和将 作曲:亀井亨)
認めてしまえよ
ここでセイグッバイだろ
聞こえていないよ
ここで say good bye my world
Good Bye My World
GRAPEVINE
¥200
声を出しているんだろうけど「聞こえていないよ」なのでしょう。少なくとも音源サイドの問題ではなさそうです。
東京事変《秘密》(2006)
(作詞・作曲:椎名林檎)
秘密
東京事変
¥255
何も聴こえていない
今宵の耳は優雅に踊っている孤独を探す
「何も聴こえていない」のは、「今宵の耳」が「孤独を探す」という別のジョブを実行中だからですね。完全に受信側の問題です。
総括
「聞こえていない」J-POPは、「何も聞こえない」場合と違い、「そもそも音源から音が出ていない」と認められるパターンがほとんどありませんでした。
異論を歓迎します。具体例が見つかるとうれしいです。
つづく
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