「全く覚えていない」安倍昭恵さんのための、100万円否定戦術【森友学園問題】

どうぞ安倍晋三からです。

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言うとりますけども。

安倍昭恵さんは、2015年(平成27年)9月5日に森友学園の運営する塚本幼稚園に講演で訪れた際、籠池泰典理事長(当時)に寄付金を渡したかどうか「全く覚えていない」んだそうです。

参考:昭恵夫人“寄付金”「全く覚えていない」|日テレNEWS24(2017/03/17付)

籠池諄子さんにも、「100万円の記憶がないのですが。」と携帯電話からショートメッセージを送っている、とされています。

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画像出典:安倍昭恵夫人と、籠池夫人のショートメールでのやりとり|akie-leaks.com(2017/03/24付)

そんな「全く覚えていない」「記憶がない」昭恵さんのために、ここ10年~15年ばかり「否定」について関心を持ち考察・研究を重ねてきたおっさんが、その成果を存分につぎ込んで語りました。

安倍昭恵さんがんばれ!

この記事で言いたいこと

たとえ「全く覚えていない」ときでも、次のようなことは否定ができます。

  1. 「生活圏」にないこと
  2. 「流儀」に外れていること

一切記憶にないのであれば、これらを見つけて否定することをおすすめします。

安倍昭恵さんがんばれ!

100万円「否定」のための基礎知識

まずはここらをふまえておきましょう。

3種類の回答:「肯定」「否定」「不詳」

(ある特定の日時)に(ある特定の行動)をしたか?

このタイプの質問に対する回答は、大別して3種類あります。

  1. はい
  2. いいえ
  3. わからない

 

  • 「はい」=肯定
  • 「いいえ」=否定
  • 「わからない」=どちらでもない・不詳

という関係です。

覚えていない≠否定

ひとつ、よくある間違いを指摘しておきます。

ネット世間を見ていますと、「覚えていない」を否定の意味に捉えての言説をしばしば見かけます。間違いです。

「覚えていない」は、否定でも肯定でもありません。分類としては「わからない」に属します。そのような行動を取ったかもしれないし、取ってないかもしれない。真相としてどっちもありうる。ゆえに覚えていないし、わからないわけです。

くり返します。「覚えていない」「記憶にない」は否定ではありません。

肯定できないが、積極的に否定もできない。要は「わからん」という状態です。注意しましょう。

「全く覚えていない」ときでも否定できる2種類の質問

籠池泰典さんが言うには、安倍昭恵さんから100万円を受け取ったのは2015年9月5日のことだそうです。

ところでみなさんは、同じ2015年9月5日に、どこで何をしていたか覚えていますか?

私は全く覚えていません。

蛇足ながら、その近傍で日付と自分の行動とをセットで思い出せたことといえば、佐野研二郎さんの五輪エンブレムが白紙撤回された9月1日に、足立区の図書館で亀倉雄策の本を読んでいたことぐらいです。

重ねて述べますと、私の9月5日の記憶は全くありません。それでも「していない」と否定できる質問はあります。どういう質問かというと、次の2つを尋ねるタイプのものです。

  1. 「生活圏」にないこと
  2. 「流儀」に外れていること

具体例で説明します。こんな設問をこしらえました。

(1)「生活圏」にない

【設問】 あなたは2015年9月5日に、みずほ銀行のATMでお金を下ろしましたか?

皆さんの答えは「はい」「いいえ」「わからない」どれでしょうか。

当日の記憶が全くない私の場合、それでも私の答えは「いいえ」です。

なぜなら、みずほ銀行のATMは、私の「生活圏」に存在しないからです。

私はみずほ銀行の口座を持っておらず、同行のATMを使う用がありません。よって質問のような行動を取るはずがありません。

解説

再び原点に立ち戻って述べます。先ほどの質問に対する回答は、次の3種類に大別されるでしょう。

  1. はい
  2. いいえ
  3. わからない

「わからない」と答える人の理由を想像してみます。なぜ「わからない」のでしょうか?

「覚えていない」からだと思われます。お金を下ろしたかもしれないし、下ろしていないかもしれない。

では当日取った行動を「全く覚えていない」人は全員、上の質問に「わからない」と答えるでしょうか? そうではありませんね。この私自身が反例です。

私も同じく、全く記憶にありません。それでも私の答えは「いいえ」でした。

くり返しますが、みずほ銀行の口座を持っていないので、同行のATMを使う用がないからです。

みずほ銀行のATMとは、いわば私の「生活圏」にない存在です。だから当日のことを全く覚えていなくても否定できます。

逆に言えば、この質問に「わからない」と答える人は、みずほ銀行のATMが「生活圏」に存在する人だ、ということになります。

(2)「流儀」に外れている

記憶になくて「わからない」と答えた人のために、情報を1つ付け足してみます。これならどうでしょうか?

【設問】 あなたは2015年9月5日(土曜日)に、みずほ銀行のATMでお金を下ろしましたか?

この日が土曜日だと知れれば、「手数料のかかる時間帯にはATMから現金引き出しをしない」という「流儀」を持っている人は、「いいえ」と答えられます。


今度は金額を指定してみます。

【設問】 あなたは2015年9月5日(土曜日)に、みずほ銀行のATMでお金を100万円下ろしましたか?

この質問には、多くの人が「いいえ」と答えられるはずです。業務ならばともかく、100万円単位で現金を取り扱う「流儀」の人は少数派でしょう。

まとめますと、それが自身の「流儀」に反する行いであれば、記憶になくても「していない」と否定ができます。

検証:100万円の寄付はあったのか?

さて、安倍昭恵さんと森友学園の話です。

自己基準のみで批判するの愚

Twitterでは、「100万円」を理由に安倍昭恵さんの「覚えていない」を批判するツイートもありました。

100万円という金額なのだから「覚えていない」はおかしい

100万円を寄付して覚えていないというのもおかしな話

愚かです。「自分と違う他人」の存在を想像できていません。ため息が出ます。

「100万円」に対する自分自身の評価を、安倍昭恵さんという他人にも適用させ「おかしい」と断じています。タチの悪い強要です。

100万円という存在がその人の「生活圏」に満ちあふれており、かつ「流儀」にも反していないなら、「全く覚えていない」ことは何らおかしくはありません。

もしもこれらが、もろもろ承知の上でのあえてのもの言いだとすれば、別の言い方をすると、100万円などとは縁遠いクソ庶民に迎合してのもの言いだとすれば、なおのこと愚劣です。

否定の下手な安倍昭恵さん

しかしながら、籠池さんの国会証言に対して安倍昭恵さんが出されているフェイスブックでのコメント(2017/03/23付)も全くいただけません。否定が下手だからです。

既に、安倍昭恵氏のフェイスブックでの釈明文の分析と証拠価値(渡辺輝人)|Yahoo!ニュース(個人)(2017/03/24付) で指摘されているように、事実の究明をもっぱら記憶の問題へとねじ曲げてしまっており、100万円授受の本質的な部分はもちろん、細部についても有効な否定ができていません。

実際、後になって籠池さん側から(間接的に)反論を受けてもいます。

検証:言った?言わない?「席を外す」

反論を受けている「細部」について具体的に述べます。まずは安倍さんのコメントからの引用です。 ※下線は引用者

本日、籠池さんは、平成27年9月5日に塚本幼稚園を訪問した際、私が、秘書に「席を外すように言った」とおっしゃいました。しかしながら、私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません。この日も、そのようなことを行っていない旨、秘書2名にも確認しました。

これを受けて、かどうかは承知していませんけれども、「NEWS23」(2017/05/09 OA)で放送された独占インタビューで、籠池さんはその様子を、何も言わず、右手をおもむろに動かすしぐさで表現されていました。

これなら確かに「言って」はいません。ですが、言わなくとも意図は伝わります。

役立たずながらソースを示しておきます。TBSのニュース記事は1週間程度で消去されるみたいなので既に「404」ですが、籠池氏 独占インタビュー 「携帯の“首相の番号”役に立った」|TBS NEWS(2017/05/10付)に添付された動画で見ました。

「そのようなこと」って何?

ついでに述べると、フェイスブックコメント中の「そのようなこと」とは何を指すのか、文意は不明です。意図的にわからなくしてるのではとすら疑えます。

考察:籠池証言の可能性

TBSインタビューでの籠池泰典さんの証言には、大別して2つの可能性があります。

  • 叙述として不正確な点があった国会での証言を、より正確に述べた
  • 安倍昭恵さん側のコメントを受け、新たに捏造した

どちらの可能性も(それ以外も)ありますし、どちらの心証を抱くこともできます。

安倍昭恵さんがんばれ!「大阪100万円」否定に向けて

証言の「捏造」のセンを疑ってみましょう。100万円の寄付は森友学園サイドの作り話であるとします。

であるならば、細部で安倍昭恵さんの「流儀」に反する点が出てきてもおかしくありません。それが狙い目です。

その証言、「流儀」に反していませんか?

証人喚問での籠池さんの証言は、けっこう具体的です。

参議院の会議録「第193回国会 予算委員会 第15号 平成二十九年三月二十三日(木曜日)」から引用します。

[平成27年]九月五日、昭恵夫人は、講演の控室として利用していただいた園長室で、私との対面していただいたとき、同行していたお付きの方に席を外すようにおっしゃった後、私と二人っきりの状態で、一人でさせて済みません、どうぞ、安倍晋三からですというふうにおっしゃって、寄附金として封筒に入った百万円を下さいました。昭恵夫人は全く覚えていないとおっしゃっているようですが、私たちには大変名誉な話なので鮮明に覚えております。

もしもこれらの証言の中に、自分の「流儀」に反する部分があれば、そこが否定の狙い目です。

事実として安倍昭恵さんの「流儀」かどうかはともかくとして、たとえばこんな具合に否定できます。

  • 私は、夫の代理で寄付はしません。よって「安倍晋三からです」と言うことはありえません
  • 「手渡し」で寄付はしません
  • 寄付の際、お金を「封筒」に入れることはしません
  • 私は一度に「百万円」という{高額な|低額な}寄付はしません

その封筒をいただきまして、いいんでしょうかということで、少し上の方から拝見しましたところ、金子が入っておりました。

についても、もし自身の「流儀」に反していれば

  • 必ず封をするので、中身が見えることはありません
  • 手渡しの際も、現金を直接入れることはしません

という具合に否定できます。

おわかりになりましたら参考になさってください。

否定できていない安倍昭恵さんがんばれ!

ところがこうした授受に係る詳細について、安倍昭恵さんは、今のところ何ら有効に否定できていません。

国会での証言が籠池さんの「捏造」だとするならば、ありうる可能性としては

  • にわかに否定できないほど、安倍昭恵さんの「流儀」を知り尽くしている

ことになります。

まとめ

籠池証言を有効に否定できていない安倍昭恵さんのために、「流儀」に反する部分を否定する戦術を説明しました。

一般クソ国民の自分が推認できる真相は、次のどちらかです。

  • 概ね証言のとおりに授受があった
  • 授受はなかったが、詳細を否定できないほどのレベルで捏造できた

そしてどちらであっても、森友学園サイドは安倍昭恵さんの「流儀」をよく知っていることになります。

わかりやすく言えば、「ずぶずぶの関係」です。

ずれた「否定」が気持ち悪い

ひとつ付言しておきます。

たとえ籠池さんの証言のとおりに安倍昭恵さんの側から100万円の寄付があったとて、法的に何ら問題はありません(あったらご教示願います)。

だからこそ、といいますか、ありうる可能性を考えていくと、どこへ分岐しても引っかかるのです。

  • 事実である場合:それ自体に問題がないのに事実を認めないこと
  • 事実でない場合:否定できないほど「流儀」を知り尽くされていること
  • そして真相がどちらであっても、ここまで否定している焦点が「授受の有無」という事実関係ではなく、もっぱら「ずぶずぶの関係」という「印象」であること

どれも気持ち悪いです。

安倍昭恵さんがんばれ!

祈ります。

おわり

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