『「私」を生きる』安倍昭恵さんがんばれ!

こんにちは。森友学園の籠池です(詐称)。

タイトルの「私」は「わたくし」と読みます。

要約:Executive Summary

3月(2017年)に政府が国会に提出した答弁書によれば、「内閣総理大臣夫人は私人」が政府の見解だそうです。

全力で支持します。まさにそのとおりです。

安倍昭恵さんがんばれ!

「私人」の論理

閣議決定された答弁書を見ると、こういうロジックになっていました。

御指摘の「内閣総理大臣夫人」とは、内閣総理大臣の配偶者を指して一般的に用いられる呼称であり、当該呼称を用いるに当たり、公務員としての発令を要するものではない。公人とは、一般に、公職にある人を意味するものと承知しており、他方、私人とは、一般に、公人の対義語として用いられるものと承知している。その意味で「内閣総理大臣夫人」は、公人ではなく私人であると認識している。
 御指摘の安倍内閣総理大臣の答弁は、これらの認識の下で行われたものである。

出典:答弁第一〇五号「衆議院議員逢坂誠二君提出内閣総理大臣夫人の法的地位に関する質問に対する答弁書」|衆議院(2017/03/14付)

だらだら長いので整理します。要は

  • 公人=公職にある人
  • 私人=公人の反対

で、「内閣総理大臣夫人」とは、

  • 総理の配偶者の一般的呼称
  • 公務員ではない。法令上の定めもない
  • →「私人」が結論

というロジックです。

反対の賛成です。内閣総理大臣夫人は私人です。

細かいことを言い出すと、総理が女性のときに配偶者=夫人が成立するかね?とかつつけますが、次へ。

法的地位は「私人」で整理済み

上の答弁は、逢坂誠二さんの質問主意書に対するものでした。

一般クソ国民の私ですが、主意書のこのくだりには異議があります。 ※下線は引用者

七 内閣総理大臣夫人が行ういわゆるファーストレディ外交は意義あるものであり、わが国の国益に資すると考えるものの、現時点では法的地位が必ずしも整理できていないために不都合が生じていると思われる。

出典:質問第一〇五号「内閣総理大臣夫人の法的地位に関する質問主意書」(2017/03/03付)

下線部の認識には賛同しかねます。

現時点でも内閣総理大臣夫人の法的地位は整理できています。私人です。

首相夫人に係る現状に「不都合が生じている」とするならば、それは「法的地位が必ずしも整理できていないため」ではありません。

じゃなくて、不都合が生じている理由とは、

  • 法的地位が「私人」と整理されているにもかかわらず、「地位に即した適切な処遇が行われていない」ため

とする方が、より適切です。

私人なのに時に私人扱いされていない。そこが問題なのです。つとめて実運用の問題です。

公私混同の構造

さて、目下(2017年4月現在)「内閣総理大臣夫人」といえば、安倍昭恵さんです。

20170417_C8C26kYUwAEKhYu

画像出典:@noiehoie

かねてより、口さがない向きからともすれば「トンデモ」「電波」「お花畑」とも揶揄されるような言動が伝えられてきた安倍昭恵さんですが、2015年11月に出た著書を読みますと、中でとっても大事なことを述べられていました。

ちなみに籠池泰典(戸籍上は康博)さんの参議院での証言(2017/03/23)によると、森友学園が開校準備を進めていた「瑞穂の國記念小學院」名誉校長に安倍昭恵さんが就任したのが同年の9月5日だそうですから、時期的にはその後ほどなくして出版された本ということになります。

話を戻しますと、とっても大事なことなのに、私の知る限りではこれまでどのメディアもそこを取り上げていません。非常にいかんです。

なので私が書きます。

「私」を生きる(2015)安倍昭恵さんの証言

それがこちらです。大変重要な証言です。

ちょっと不思議なのは、「何かの式典とか集まりなどに、本来なら夫が出席するところを、都合がつかないため妻が代理出席する」ということが、政治家の世界では通用します。(p.205)

一般クソ国民の私は詳らかに承知しておりませんが、なんでも政治家の世界では「妻が代理出席」が通用するらしいのです。それを安倍さんが「ちょっと不思議」としているのは、おのがクソ常識に照らしてもきわめて健全な感覚と評せます。

つづき。

 ふつうの会社で、たとえば社長がどこかに呼ばれて、「私は都合がつかないので欠席しますが、代わりに妻を行かせます」なんてことは、ふつうはありません。(p.205)

そのとおりです。社長として関与すべき「公務」の場合に、「代わりに妻を」などとても成立しそうにありません。通用する事案を想起するならば、「私」の世界だけです。

ここらのくだりは、同書のみならず、安倍昭恵さんの全著作のなかでも最も重要な陳述と言っても過言ではありません(※当社調べ)。

政治家の世界=「私」の世界 なのか?

大事なことなのでくり返しておきます。

安倍昭恵さんは、政治家の世界で「妻が代理出席」が通用することを、「ちょっと不思議」と感じていました。

同感です。検討してみれば、それが通用するのは「私」の世界だけではありますまいか。

でもってそこから敷衍すると、政治家の世界とはすべからく「私(わたくし)」の世界である。論理的にはそんな結論になってしまいます。

いいんでしょうかそれで。

最初の「ボタンのかけ違い」

ところで、これらの陳述に限らず、自著『「私」を生きる』での安倍さんの語り口からは、お金持ちの家で育った人特有の鷹揚さ、屈託のなさを多々感じます。同性で近いイメージの有名人を挙げてみると、森泉さんとか高橋真麻さんとか、そのあたり。

それも織り込んだ上で、ここはあえて一般クソ国民の側から厳しく申し述べます。

陳述はこう続きます。

「どうして政治家だけが?」と思いながらも、「それだけ政治家の妻の立場を認めていただいているのかな」という意味では、ありがたいとも感じています。(p.206)

なるほど。でもね。

勘違いです。

「政治家の妻(または夫)」は、政治家ではありません。

「夫妻とも政治家」というケースを念頭により正確を期して述べておきますと、「政治家の妻または夫である」という事実だけで、その人物を政治家とは言えません。

したがって、

見方によっては、そういう部分がまた政治家の妻をある種の職業と捉えるゆえんです。(p.206)

政治家の妻または夫を「ある種の職業」とするのは「見方」のひとつとしてなら承りますが、何かしら「政治家」の持つ職責に連なるような、ないしは準ずる属性であるような何かにとらえているならば、大間違いです。

書籍上ながら、安倍昭恵さんの勘違いが生まれる瞬間を観察できました。うっかりと「もしかして頭弱いのかしらん?」と疑ってしまったのはここだけの秘密です。

考察:問題は「認めている」側に

犯人捜しになって恐縮です。いったい誰が悪いんでしょうか?

明らかですね。著書の言い回しを借りると、「それだけ政治家の妻の立場を認めて」いる側です。

ならばそれは誰なのか? 特定しきれていない無責任なもの言いになってしまいますが、それは昭恵夫人周辺に群がってきた有象無象のクソ国民にほかなりません。

そもそも安倍昭恵さんが力を持ってたんじゃありません。その力は、立場を認めたクソ国民の側が与えたんですよ。

この点、ぜひとも認識を共有させておきたいところであります。

先回りの反論:「どっちもどっち」じゃないから

いちおう、予想される「どっちもどっち」論にあらかじめ反論しておきます。

安倍昭恵さんは、「代わりに妻が」が通用するほど政治家の妻の立場が認められていることに対し、そもそも「ちょっと不思議」という感覚を持っていました。この点、何度でも強調しておきます。

「どっちが先か?」という観点で評価すれば、「政治家の妻としての立場を認めた」側です。時系列で追いかければ、先に「政治家の妻」に対する周囲の取り扱いがまず存在し、その扱いがしかる後に安倍さんの勘違いを生じせしめたことは明らかです。

以上より、「どっちもどっち」「水掛け論」的な指摘は失当です。

「私人」安倍昭恵さんがんばれ!

よってこの点に限って評価すれば、安倍昭恵さんは周囲に毒されています。「政治家の妻」について当初は健全な感覚を持っていながら、あるとき、ないしは徐々に認識が歪められてしまい、現在に至っています。

安倍さんにおかれましては、今一度初心に立ち返り、「どうして政治家だけが?」という健全な疑問を封じたり、安易な結論に飛びついたりすることなく、もっともっともっとその疑問を大事にして考え尽くしてほしい所存であります。

安倍昭恵さんがんばれ!

 

「出典マニアの妻」の見解

口の悪さでごく一部に有名な嫁に前掲のくだりを伝え、見解を求めてみました。

「私の夫が医者だったら妻の私も診療できるとか、
夫が弁護士だったら自分が法廷で被告人の弁護ができるとか
言ってるのと同じじゃないですか。バカですね」

お、おう……

夫からの伝言

念のため付け加えます。当人の思考力の弱さに由来するであろう残念な認識を指摘することと、安倍昭恵さん個人の尊厳を守ることとはまるで次元の異なる話です。

よって、

  • 「政治家の妻の立場」を認めないこと
  • 「私人」安倍昭恵さんの立場を、尊厳ともども認めること

は両立可能です。

むすびに代えて:安倍昭恵さん民営化論

実態として、夫人付職員と「私人」安倍昭恵さんとの関係はちょうど、芸能事務所に雇われているマネージャーと当該事務所の契約タレントとの関係に似ています。

後者の関係でもって評すると、現在は、

  • スポット契約しか結んでいないはずのタレントを、芸能事務所がフルタイムでマネジメントしている

そんな状態です。

あるいは鉄道国有化→分割民営化の歴史

あるいはこうも言えます。

政府見解では「私人」であるはずの安倍昭恵さんの活動が、いつの間にか一部国営化されてしまっていました。それはあたかも、明治の昔、民営だった鉄道路線の一部が鉄道国有法(Wikipedia)に基づいて国有化された歴史を彷彿とさせる事案であります。さらに言えば、さしたる根拠法の立法もなく進められていた点で、かつての国鉄よりもたちが悪い事案とも言えます。

そしてここで取るべき方策もまた、30年前(1987年)に国鉄に対して行われた改革になぞらえることができます。すなわち、安倍昭恵さんの「民営化」です。

安倍昭恵さんを民営化すれば、現今取りざたされている内閣総理大臣夫人をめぐる諸問題は、少なくとも表面上は解消されます。

ちょうど往年の「スター誕生!」みたいに、芸能プロダクションなどに公示して「競争入札」かければいいんじゃないですかね。なんなら夫人付職員ごとでもいいですし、なんならJRよろしく「安倍昭恵東日本」とか「安倍昭恵西日本」とか地域ごとに分割してもいいですし。知らんけど。

こちらからは以上です。

安倍昭恵さんがんばれ!

最後に僭越ながら、私人安倍昭恵さんの今後の一層のご活躍を祈念し、エールを送ります。

安倍昭恵さんがんばれ!安倍昭恵さんがんばれ!

「桜を見る会」よかったです。

20170421_0415sakura_05

※挨拶する安倍総理 総理主催「桜を見る会」の開催|首相官邸(2017/04/15付)より

夫君の安倍晋三さんも、まさにこうおっしゃっていたじゃありませんか。
※出典同上 下線は引用者

正に一億総活躍、今日この会場にお集まりいただいた皆さんがみんな活躍できる、そういう社会をつくっていきたいと思います。
 そういう社会をつくっていけば、日本はもっと良くなっていきます。
 そのために、これからも様々な困難がありますが、皆様と共に乗り越えていきたいと思います。

祈ります。

おわり

コメント

タイトルとURLをコピーしました