こんにちは。
アーノルド・J・トインビー(1889-1975)に関する資料からのメモです。
※Arnold J. Toynbee(1967) from commons.wikimedia.org
共産主義とナショナリズムの共通点とは
出典は、『歴史の教訓』(松本重治編訳, 1957)。1956年10-11月、トインビー2度目の来日時の講演原稿が採録されています。
共産主義者は、共産主義が宗教であることを否認している。(略)しかし、本当は、共産主義は、たしかに宗教であり、正真正銘の宗教であり、しかも新らしく見えるイデオロギー的よそおいにもかかわらず、むかしながらの宗教である。(p.185)
共産主義が「新らしく見える」ところに時代を感じますが、本題はこのあと。
※下線は引用者 以下同じ
共産主義は、ナショナリズムと同様に、集団的な人間の権力を崇拝する一つの現象である。つまり、そのことは、人間が、一人称複数形の自分自身を崇拝することである。(p.185)
なるほど。うまいこと言いますね。
ローマ帝国において女神ローマや神聖なるシーザーが崇拝され、ファラオの統治下のエジプトでは神の顕現としての国王が崇拝されていた。共産主義における集団的人間権力に対する崇拝は、以上のようなことの最も新らしい変形である。(p.185)
では、今日(1956年当時)の西欧社会で崇拝されているものは何かというと、
※強調は原文傍点
……そして国家という形での集団的な人間の力に対する崇拝が今日の西欧社会の宗教の一つである。しかし、私にいわせれば、今日の西欧社会の人にとってなにものにもかえがたい貴重なものは、自分の国家の権力ではない。それは、個人としての人間の人格の神聖さなのである。(p.186)
ではそれを貴重なものとする根拠は何なのか、と話題は展開していきますが、この記事ではここまで。
付帯情報
末尾に
(国際キリスト教大学にて十一月十九日、東京大学にて十一月二十七日)
(p.191)
と記されていることからすると、同内容の講演を2度行ったようです。
日本語での演題は、
「精神的課題としてのイデオロギー戦争」となっていました。
しかしながら、併記されていた英文タイトルの
“The Spiritual Challenge of the Ideological War.”
からすれば、前後を入れ替えて「イデオロギー戦争での精神的課題」とでもした方が適切なように思いました。
そんなところです。
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