こんにちは。誰も頼んでいないのに、シン・ゴジラを微細に語る会、略して「微細会」の代表をやっています。
要約:Executive Summary
「シン・ゴジラ」を微細に語る出典マニアから、今回はおすすめ元ネタ映画の紹介です。
それがこちら。「未知への飛行」です:
ネット世間には、
『未知への飛行』は、僕の知る限り最も『シン・ゴジラ』に近いテイストを持つ映画です。
出典:『未知への飛行 フェイル・セイフ』|メモ(2016/08/07付)
とするブログ記事までありました。
残念ながら「最も近いテイストを持つ」には全面的に賛同しかねるのですが、「聞いたら」わかる!ところだけは出典マニアも請け合います。
「未知への飛行」は、上記Amazonビデオのほか、Google Play、iTunesからもオンライン視聴できます。
Google Playストア「未知への飛行」
iTunes Store「未知への飛行 – フェイル・セイフ –」
劇場公開もひととおり落ち着き、3月予定の「シン・ゴジラ」DVD、Blu-ray発売まで手持ち無沙汰の諸姉諸兄におかれましては、「未知への飛行」をぜひ一度ご覧、いや、観なくていい。
ぜひ「お聞き」くださいませ。レンタルなら数百円でございます。迷わず聞けよ、聞けばわかるさ。でございます。
出典マニア認定「影響あるよね」ポイント×2
出典マニアが選ぶ、「未知への飛行」の影響を感じる「シン・ゴジラ」のシーンは次の2つです。
- 里見が赤坂に安保理決議の内容を伝えるシーン
- 冒頭の約15分間
「元ネタ」側には触れません。各自で探してみてください。
その1:文字どおりの「呼吸」
まず「影響あり」と認定したのは、この段。
※画像は、「シン・ゴジラ」予告編公開、陸海空の自衛隊がゴジラと全力で激突|GIGAZINE(2016/04/14付)より
里見祐介(平泉成さん)が赤坂秀樹(竹野内豊さん)に特別立法の成立を依頼するシーンです。
聞きどころは、赤坂の「呼吸」。文字どおりの意味で、「息を吐いて吸う」音です。
「未知への飛行」を観ている途中で、即座にこのシーンが浮かびました。「これじゃん!」と。
「未知への飛行」には、「声」ではない、「呼吸」による演技が数多くありました。
だが、完成台本には記載なし
『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』付属の完成台本によれば、当該の場面はシーン#291「立川災害対策本部予備施設・本部長室」の後半のカットです。(pp.214-215)
なんですが、当該の台本には「呼吸」については何も書かれていません。
もっぱら誰の意図が入った演技・演出なんでしょうね。興味があります。
その2:「音楽」の不在
2点目、先に謝っておきます。
本件、「聞くとわかる」と銘打っておきながら、全編を観てから「そういえば」と感じられる、考えオチのような話です。すみません。
というのも、「シン・ゴジラ」と共通するのが、「聞こえる」ものではなく、「聞こえない」ものだからです。
「未知への飛行」本編には、通常の映画にならだいたい付けられる「音楽」が一切ありません。映画の世界では「劇伴」というそうです。
聴覚の面から「未知への飛行」を説明すると、登場人物のセリフと、人物・機械・その他そのシーンに存在する何物かから発せられる音だけで本編が構成されています。
「音楽がない」旨は、鑑賞後にAmazonのレビュー欄で指摘されているのを見てはじめて、「あ、そういえばそうだった」と気づかされました。
「シン・ゴジラ」M1までの長い長いタメ
前置きが長くなりました。
一方の「シン・ゴジラ」には、ご承知のとおり劇伴があります。
M1《Persecution of the masses (1172)/上陸》からM22《Omni_00/終局》まで全22曲、エンドクレジット中の伊福部昭メドレー4曲を含めると、26曲です。
参照:シン・ゴジラ劇伴音楽集|レコチョク
しかし、その使い方には偏りがありました。
ではここで「クイズ☆シン・ゴジラ」。思い出してみましょう。
Q: 「シン・ゴジラ」本編で、第1曲目《Persecution of the masses (1172)/上陸》が鳴り始めたシーンはどこ?
(シンキングタイム)
そうですね。「えっ、蒲田に?」のあと、蒲田くん(通称)上陸のシーン冒頭です。
A: 完成台本によれば、シーン#「47前」です。(p.43)
台本の記述から換算すると、冒頭からの劇伴不在の時間はおよそ15分間、全体の8分の1を占めます。M1が鳴るまでは、人物・機械・巨大不明生物・その他そのシーンに存在する何物かから発せられる音だけで構成されています。
プロローグ(冒頭)で「伊福部昭」をチラ聞かせしておいて、M1を鳴らすまで引っぱりに引っぱり、ためにためる「音楽不在」の区間に、「未知への飛行」を感じました。
劇伴は、グルーブを保つ役割だったかも
としてみると、「シン・ゴジラ」での音楽は、冒頭「劇伴」不在のおよそ15分間のスピード感を維持し、随所で映像とストーリーを引き締めるために使われていたとも思えてきます。
補足:プロローグのアレも「伊福部昭」
やや話はそれますが、今一度念押ししておきます。
「足音」とか「咆哮」とか効果音的に言われがちなシン・ゴジラ冒頭のアレ、アレも「伊福部音楽」です。
これが自筆譜:
※画像は、Part VII – Godzilla|AKIRAIFUKUBE.ORG BIOGRAPHYより
詳細は、語る会(2)「シン・ゴジラ」冒頭20秒の伊福部昭を聴け!(公開日:2016/09/20)に書きましたのでつづきはそちらへ。
予告篇の「反転」
「シン・ゴジラ」本編では、冒頭のおよそ15分間、「劇伴」すなわち音楽が一切使われていませんでした。
この事実をふまえますと、映画本編に先立って公開されていた2つの予告篇が、そこと対をなす作りになっていることに気づかされます。
予告篇の音声に耳をすませば(すまさなくても)、ただ1か所、ゴジラの咆哮が入るのを除けば、聞こえてくるのは音楽のみだからです。
予告篇には、セリフ・ナレーションはもちろんのこと、人物・機械その他そのシーンに存在する何物かから発せられた音声の類も一切入っていません。聞こえてくるのは音楽のみ、ほか1か所でゴジラの咆哮があるのみです。
当ブログでは「シン・ゴジラ」を読み解くためのキーワードは「継承」と「反転」であると再三申し述べておりますが、ここにもまた「継承」と「反転」が観測できます。
東宝MOVIEチャンネルにアップロードされているYouTube動画へのリンクを張っておきます。確認はそちらでどうぞ。
- 『シン・ゴジラ』予告(2016/04/13付)
- 『シン・ゴジラ』予告2(2016/07/18付)
番外:元ネタから「入れてみた」小ネタ
3つめは番外編として、「聞くとわかる」ではない「継承」ポイントをひとつ。
シーン#22、金井防災担当大臣のセリフ
バカバカしい。あれがクジラの潮吹きとでも云いたいのか。
にある「クジラの潮吹き」は、元ネタ「未知への飛行」の字幕にも
我々の機器は優秀でして―
鯨の潮吹きか潜水艦の排水かも見分けます
という形で出てきます。(強調は引用者)
「入れてみた」というノリが感じられます。
補論
以下、2つ3つ補います。
いわば「公式」元ネタ
「未知への飛行」のことは、次の記事から知りました。
- 庵野対東宝、エヴァと並べた決断、掟破りの「シン・ゴジラ」山内章弘プロデューサーに更に聞く(木俣冬)|エキサイトレビュー(2016/09/22付)4/4ページ
こんな言及のされ方でした。
それと『未知への飛行』(63年)の話もずいぶん出ました。
制作サイドが言及している、いわば「公式」の元ネタです。つづき。
ひとつの大きな出来事を描く時に明確な主人公を立てるというよりは、大勢のひとが各々の視点で巨大生物が現れたというとんでもないできごとに立ち向かっていく話を描こうとしていたのは確かです
当記事はこれを担保にして語っております。
先行事例たち
ツイート検索してみると、少数ながらも、公開直後の時点、すなわち上の記事が出る前の段階で、「未知への飛行」に言及していたものがありました。敬意を表する意味で、埋め込んでおきます。
で、だ。友達の多くが絶賛している『シン・ゴジラ』。噂によると日本政府の描き方が面白いらしい(´・ω・`)となると連想するのはシドニー・ルメットの『未知への飛行』。ルメットは東西冷戦をホットラインで通じる二人と核の脅威を映画にしたけど、以外と似てそうじゃないですか?(´・ω・`)
— ミシトカナタ (@CCD2006) 2016年8月1日
「シンゴジラ」、「未知への飛行」と似た構図はあるなと。核戦争ものが似ているというべきか。
— M.S+.の聲の世界の片隅の名は。 (@mdsch23) 2016年8月5日
シンゴジラはシドニールメットの「未知への飛行」のように、延々と作戦会議、作戦場面が続く。あとゴジラがほんとキモイ。
— ゆっくり会計士 (@yukkurikaikeisi) 2016年8月10日
『シン・ゴジラ』の元ネタやオマージュ作品。
他にも見かけますが私が感じた分。ゴジラ、庵野樋口作品は除く。宇宙大戦争
日本誕生
日本のいちばん長い日
激動の昭和史 沖縄決戦
未知への飛行
アンドロメダ…
日本沈没(73)
新幹線大爆破
太陽を盗んだ男
首都消失
サンダーバード— Taul (@TaulNcCar) 2016年8月11日
シンゴジラ見ました。途中中だるみはありましたが最高でした。核戦争映画マニアとしては未知への飛行を意識した下り(ニューヨークでも自国の核を落とす云々)があって、よかったです
— てすら (@Teslamk2t) 2016年8月20日
これら賢明なる「先人」に敬意を表しつつも、余計なひと言を付け加えます。
「シン・ゴジラ」あるいはゴジラシリーズと「未知への飛行」の両者を「核」つながりでくくることも決して間違ってはいません。いませんが、自分からすればいささかお利口さんの分類に感じてしまいます。
いやいやいや、そういう理屈っぽい仕分けをする前に、耳に神経集中させればその「継承」ぶりがわかるでしょうよーと、思ってしまったわけで。
冒頭で触れたブログ記事『未知への飛行 フェイル・セイフ』|メモ(2016/08/07付)から、引用つづきです。
『シン・ゴジラ』を見た人が初めて『未知への飛行』を見たら「ゴジラの出ない『シン・ゴジラ』じゃん!」といった感じで楽しめるのではないでしょうか。
自分の場合あいにくと、「ゴジラの出ない『シン・ゴジラ』」とは感じませんでした。ゴジラの「不在」すら意識しない、まったくの別世界の話として観ておりました。
しかしながら、シン・ゴジラをふまえて「未知への飛行」を観ると、五官で言えば「耳」がいちばん楽しめました。なるほど影響与えてるなあと。
以上です。ご静聴ありがとうございました。
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