こんにちは。私ってハルキニスト?ハルキスト?と、つい迷いがちなデザイン芸人「デザインや」です。
いずれの表記でも、ウソです。
低品質のネット記事が話題となり、遅まきながらも是正の動きも見られ始めた昨今、その風潮に待ったをかけるがごとく、書きかけてPC内に残っていた記事の残骸を投げっぱなしにするという、不法投棄同然のはた迷惑な記事でございます。そのつもりでどうぞ。
目指す「二兎」
この記事の狙いは2つあります。
- 無邪気かつ能天気きわまりない(←決めつけすぎ)エンブレム委員会の面々を、世間に蠢く無責任そのものの素人たちもろとも地獄へ叩き落とし、
- 一方で「あの決め方でよかったんだろうか?」と今なお責任を感じ自問し続けているに違いない平野敬子さんの魂を、この世の地獄から救い出そう
という、そんな真逆のベクトルのくせに都合良く二兎を追う試みです。矢口真里です。
くどいですがもう一度
「パウロスの全員当選モデル」、その要点をくり返します。
選ぶ側全体の「好み」のパターンによって、多数決の「決め方」次第でどの「候補」も当選させることが可能です。
わかりますか、このヤバさ加減?
くり返します。
「決め方」次第でどの「候補」も当選させることが可能なんです。
わかりますかお客さん?このヤバさ加減
思い出してください。エンブレム委員会って、「決め方」を決める前に「候補」を絞り込んじゃったんですよ。ダメだろ。
宮田亮平さんを筆頭に、このヤバすぎる事実に無自覚だとしか思えなかったエンブレム委員会のありさまが、無邪気かつ能天気すぎました。
1:素人 → 地獄行き
多分その方が楽だからさ。
―『風の歌を聴け』p.179
素人は責任を取りません。責任を取らない人、それが素人です。定義の話です。
無責任です。実に無責任です。
素人のみなさん、とっくの昔にこう言われていますよ。
きみ責任取んの? 取りゃしないよ。責任なんか取れないものばっかり人は言うんですよワーワーワーワー。
よく見てご覧なさい。ほんとに責任を取ってるか? 自分の言うことに。
だいたい集団っていうのは責任取りませんからね。どこにでも押しかけますよ。自分が正しいといって。
こういう時の人間なんてものはまあ恐ろしいことになる。でもその恐ろしいものは、集団的になると表れるぼくらが持ってる精神ですよ。悪魔ですよ。
出典:小林秀雄「なぜ徒党を組むのか」(1974)―新潮CD「小林秀雄講演 第2巻―信ずることと考えること」所収
地獄行き確定です。
2:平野敬子さん → 地獄から救済
何の病気なのか、今ではサラダを食べられるほどに回復しているのか。
―『風の歌を聴け』p.85
平野敬子さんのブログを引きつづき読んでいます。当記事公開時点での最新記事は「043 「要望書へのJAGDAの回答」に対する更なる質問」(2016/11/30付)です。読んであげてください。
こちらは、デザインあ「デザインの人」#31より。
テキストでも引用しておきます。
人の悲しみや苦しみに
よりそってみよう!悲しんだり、苦しんだりしている人がいたら、その人の気持ちを想像してみてください。何でそういうことになってしまったのか、どうしたら気持ちが安らげるのか、そう簡単には答えが出ないかもしれませんが、そういう人の気持ちによりそうこと自体が、すごく大切なことなのです。デザインも、その人の気持ちを思いやることから、すべて始まります。なので、みなさんぜひ、人の悲しみや苦しみによりそってみることを意識してみてください。
なるほどよくわかりました。
さすが、「佐野エンブレム」を選出する過程のある行為を不正と認定され、すっかり晩節を汚す形となったあの永井一正さんをして「グラフィックデザインの良心」と言わしめるだけのことはあります。
典拠:
以下は永井一正さんによる、ggg Books『世界のグラフィックデザイン 平野敬子』(2008)の序文からの抜粋です。
平野敬子はグラフィックデザインの良心といえる存在だと思う。平野の信念は常に揺るがない。
平野はデザインによって、人間としての思いやりや品格、そして社会性や公共性の重要さを示そうとしてきた。
ここまでわかっているのに、永井さんもあわれです。
ちなみに、永井さんと平野さんは同郷(兵庫県姫路市出身)です。
「引きずり女」と「グダグダJAGDA」
さて、一連の平野さんのエントリによって、JAGDAならびに日本のデザイン村がJAGDAグダグダのダメ組織・集団であることが明らかとなりました。もはや自浄作用を求めることなど無意味に思えます。にもかかわらず、傍目には無益にしか見えない闘争を今なおくり広げる平野さんです。
かなうはずもないのに、JAGDAの健全化を求めずにおれない平野敬子さんの悲しみや苦しみによりそってみることを意識して、今後もウォッチしていきます。
それが、今いる地獄から平野さんを救い出す手だてになると信じております。
付記:全員当選モデルについて
(名前的に)国内限定モデルのようだ
ちなみに「全員当選モデル」の名前は、どうやら日本独自の呼称であるようです。
というのも、日本語・英語でそれぞれ検索してみると、
- ほぼ『理性の限界』の言及とセット
- 原書をはじめ、それらしき名称は英語のWeb世界に特段見当たらず
という結果だったからです。恐らくは、Paulosによる「VOTING SYSTEMS」の記述内容を日本の読者に紹介した高橋昌一郎さんが、理解の助けとなるように付けたのでしょう。違ってたらすまん。
つづく
いつか村上春樹風の小説書く。タイトルだけ決まっている。「引きずり女とヤリ逃げ男」だ。
……
あれ?
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