こんにちは。シン・ゴジラから石原さとみさんルートで話題のドラマに地味に乗っかってみます。
このたび当ブログでは、伝説のスーパー校閲ガールが「シン・ゴジラ」に付けたコメントを独自のルートから入手いたしました。
という「てい」で進めます。以下、ネタバレ前提です。
校閲コメント・解説
- 「見直しては?」と再検討を促すもの
- 「大丈夫でしょうか?」と確認を促すもの
の2種類です。
1.見直しては?
制作スタッフの一員ならば、修正を強く提言するものです。
煙の上がる方向が
劇場パンフレットにも載っている、第一下川ビル(大田区大森北3)屋上付近から撮影したこのシーンですが、
煙の上がる方向が反対ではありませんか?
スーパー校閲ガールは
本件だけは、どうにも解せません。
としています。
※画像は、@hakuen_Mさん(シン・ゴジラの行動ルートに関する考察3(疑問と訂正と新たな場所特定)(2016/08/19付)筆者)のツイートから
コメント
問題とするのは、巨大不明生物「蒲田くん(通称)」の出現当日(2016年11月3日)の進行シーンです。
Googleマップ上での類似のアングルです。ほぼ京急線の平和島-大森海岸間の線路上空に相当します。
画像の左が蒲田の方向です。シーンでは蒲田くんが画面右から左へ進んでいるのが見て取れました。
上陸した蒲田方向へとまた戻っているのは、生物なのでランダムに進むこともあろうと解せるので構いません。
不審なのは、このとき煙が画面左から右、大まかな方角で言えば南から北方向へと上がっていることです。
反対ではないでしょうか?
気象庁の過去データによると、2015年11月の羽田の「最多風向」は、大半が北西~北東のあいだです。30日のうち23日間が該当します(北西・北北西・北・北北東・北東の合計)。
データ出所:羽田 2015年11月(日ごとの値) 主な要素|気象庁
また、劇中確認できる当日11月3日(木)の東京の予想最高気温は摂氏15度。平年より3度ほど低く、北方向から冬の季節風が吹いている可能性も高いと推測します。
よって撮影地点と当日の気象条件とをふまえれば、煙がなびくなら北から南へ上がるのが妥当です。つまり映像とは反対方向の「右から左」です。もしくは、無風状態としてほぼ真上に上がるかでしょう。
日本語字幕付き上映の字幕が
日本語字幕付き上映の字幕の語句で気になったところを、スーパー校閲ガールは2点挙げています。
上映する全館で日本語字幕が共通なのかどうかは未確認です。
その1
学会の異端児 → 学界の
コメント
巨災対発足時の「そもそも出世に無縁な霞が関の」に続く「人物紹介」のくだりです。
「(前略)分野を同じくする専門家によって組織された団体。また、その会合。」(明鏡国語辞典)の【学会】
よりも、広く一般な
「学者の社会。また、学問の社会。」(同)の【学界】がよいかと。
「学会」でいくなら、特定のどの学会かの想定が必要ですが、大丈夫でしょうか。
その2
ゴジラの噛み合わせを話すあたりで登場したと記憶しますが、
補食 → 捕食 です。
ガチのコメントで申し訳ありませんが。
余談:字幕付き上映のすすめ
もし、もう1回「シン・ゴジラ」を鑑賞するなら、日本語字幕付き上映はおすすめです。優先的に選択肢に加えるのが吉です。必ず何かしらの発見があり、理解が深まります。
もう1つ、日本語字幕付き上映のいいところが、発言者の氏名も表示されることです。全部ではありませんが、発言者の顔が映っていない、または判然としない声だけのセリフが誰のものかがわかります。
2.大丈夫でしょうか?
気にはなるけれども、それなりの意図があるのなら深追いはしないものです。
多摩川トンネルの壊れ方
羽田沖に出現した巨大不明生物が移動を始め、「首都高多摩トンネルに浸水発生。損害不明」となるシーンで、海面下のケーソン(沈埋函)から一斉に気泡が吹き上がる描写があります。
- どういう力の加え方をすれば、トンネルが描写のような壊れ方をするのか?
- 海底下に埋められたトンネルに対して、蒲田くん(もしくはその前の第1形態)がそのような力を加えることが可能か?
これら2点を検討すると、どうにも腑に落ちません。
壊れ方の検証
1989年の技術資料によると、首都高多摩川トンネルのケーソン(沈埋函)1個の長さは128.584メートル。それを12個つないで海底に埋めています。
出典:[PDF]技術ノート「多摩川トンネル沈埋函端部鋼殻の設計」(川田技報, 1989)p.122
ちょうど、12両編成の電車が海底に埋まっているようなものです。
もしそれを「踏み抜いた」のなら、気泡が上がる場所は該当のケーソンの両端2か所だけのはずです。
あるいはもし、複数のケーソンを「等しく押しこんだ」のならば、その区間で継ぎ目がずれることはなく、浮島方羽田方それぞれ陸地寄りのケーソンがどこかで壊れるでしょう。この場合やはり気泡が上がるのは2箇所で、その位置は両端の陸地近くになるのが順当かと思われます。
もし、描写のように全部の継ぎ目からことごとく気泡を上げたいのならば、設計上、
地盤の不等沈下によって生じる継手位置での最大鉛直せん断力は約1500tで,3ヵ所のせん断キーで受ける(1箇所500t)。
出典:[PDF]「多摩川トンネル沈埋函端部鋼殻の設計」(川田技報, 1989)p.124
ことになっていますので、それ以上の力を「1つおきに」ケーソンへ加える必要があります。「12両編成の電車」にたとえると、奇数号車、または偶数号車だけに最大鉛直せん断力を超える力を加えれば、映画本編のような気泡の出方もありうるようには思われます。
さて、巨大不明生物はどのようにして、そんな器用な力の加え方ができたんでしょうか?
優先される「これやりたかってん」
しかしながら、かかる物理的な妥当性を超えて、「トップをねらえ!(2001)」第6話のこのシーン
「バリア崩壊。損害不明」「なんてこった」
※画像はAmazonビデオ「トップをねらえ!」より
これを庵野秀明さんがまたやりたかったものと解せば、問題ありませんが。
そういえば、ゴジラが港湾地区を歩いていた時に、多摩川のトンネルを踏み潰した時に、
「多摩川トンネル崩壊!損害不明!」「なんてこった!」
で、トップをねらえ!第6話のバスターマシン3号のバリアが崩壊するシーンと同じセリフ回しで思わず爆笑— かっぱ よしみ 10/21-23大洗 (@kappa303e) 2016年8月1日
4日朝の東海道新幹線
11月4日朝の風景に田町から品川方向へ走る新幹線車両が映り込んでいます。大丈夫でしょうか。
品川くん(通称)が海へ去った翌朝のシーンで、「東海道新幹線は新横浜駅で折り返し運転」とアナウンスが聞こえてきます。離岸時に大井車両基地への連絡線が破壊されたからですね。
予想位置(青の×印)
にもかかわらずここを走っているのはどうして?という趣旨の疑問です。
<類似のイメージ映像>
YouTube: 品川駅~田町駅間の、JR山手線の新駅再開発の様子 2016.1.9|Tokyo Japan
何かしらの理由づけができるのであれば、問題ありませんが。
未知の新元素
間准教授の「新元素」のセリフが、原子力規制庁が発見するシーンより早いのですが、大丈夫でしょうか。
原子力規制庁の根岸が「γ線の波長が既存のそれと一致しません。大発見ですよ」と、赤坂への報告でゴジラの体内に未知の新元素の存在を示唆するシーンがありました。
けれどもその前に、間准教授が牧元教授の遺留品を解析する際に「さっぱりわからん。新元素の分子配列でもない」みたいに言っています。「ゴジラの体内に新元素がある」ことが既定の事実のような口ぶりにも受け取れますし、何より鑑賞する側にとって唐突な印象が否めませんが、その点大丈夫でしょうか。
編集で時系列が入れ替わることは構わないのですが、基本的に「シン・ゴジラ」は時系列順でストーリーが進むことに加え、間准教授による「新元素」の口ぶりは「定冠詞つき」(The new element)で、そのあとに、赤坂へ報告する根岸が「不定冠詞」(an unknown new element)で話すシーンを見せられるので、鑑賞者として情報整理できずに少々混乱しました。
この編集のままでも、「新元素」の初出時に何かフック(引っかかり)があれば問題ないのですが。
凍結ゴジラに「ダウンバースト」不在
凍結したゴジラの周囲に下降気流が見られません。大丈夫でしょうか。
物語終盤に巨災対と自衛隊はゴジラの凍結に成功します。「胸部中心温度、マイナス196度」みたいな報告がありました。-196℃といえば、液体窒素の温度です。
そのような低温の巨大な塊が空気中に存在すると、周囲の空気もまた冷やされ、冷やされたことで下降気流が生じるはずです。その規模までは計算していませんが、相応の嵐が吹き荒れることでしょう。
当該シーンでは「凍結」の事実が大事なのであって
「あれは何?」と気を散らせたくないので省いたのなら、問題ありませんが。
参考:映画『シン・ゴジラ』をみた(一部ネタバレあり)|さつきのブログ「科学と認識」(2016/09/25付)
その他、科学的観点からの指摘にいくつか
上のブログでは、科学的観点から複数指摘がされていました。大半が正当な指摘に思います。正当ではあるのですが、指摘されたとおりの描写へ振ってリアリティを高めたところで、かけたコストに比して画が格段に面白くなるわけでないし、描写が加わることで気が散るし、当然予算もスタッフも無尽蔵でないしで、採用しなくていいように思いました。
あと、「シン・ゴジラ」冒頭に海底火山の話題が出てくるのは、初代ゴジラの継承です。「東京湾は火山帯じゃないのだから」うんぬんってそのとおりなんですが、「継承」の勝ち、で議論は終わります。
付記:「校閲ガール」のスーパー感想など
ドラマの「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」は第3話(2016/10/19 OA)だけ見ました。
ストーリーや人物造形がむちゃくちゃでひどいみたいな感想も見かけました(秋ドラマの感想と、校閲について|反社会学講座ブログ(2016/10/18付))が、私にはテレビドラマを愛好する一般層が気軽にリラックスして楽しめ、「明日もがんばろう」と思える作りになっているように受けとれたので、あれはあれでいいような気がしました。
コミックス由来のメリハリの強いキャラクターを石原さんは器用に演じているなと思います。
スーパーどっきりマル秘校閲
ところで、「校閲ガール」の放送をきっかけに石井光太さんのこちらのツイートも再び拡散されているみたいです。最初に遭遇した3年前に感じたもやもやがまた、ぶり返してしまいます。
新潮社の校閲は、あいかわらず凄い。
小説の描写でただ「まぶしいほどの月光」と書いただけで、校正の際に「OK 現実の2012、6/9も満月と下弦の間」とメモがくる。
このプロ意識! だからここと仕事をしたいと思うんだよなー。 pic.twitter.com/cUOrMi4K5B— 石井光太 (@kotaism) 2013年5月4日
3年前に話題になった僕のツイートがやたらとRTされていると思ったら、校閲者に関するドラマがはじまっていたのか。ツイートは拙著『蛍の森』の連載時のゲラ。小説新潮の校閲者も編集者も、「鬼」のように凄まじかった。https://t.co/aFmJ9h3USb
— 石井光太 (@kotaism) 2016年10月10日
うかつでテキトーでいいかげんなこの世の一員である自分から見ても、この世は自分以上にうかつでテキトーでいいかげんな人であふれていて、うかつでテキトーでいいかげんな人の発する情報は、当然にうかつでテキトーでいいかげんなものとなるのであります。
なのでたとえ仕事であっても、ここにあるようなコメントを付けると、うかつでテキトーでいいかげんな発信側には嫌がられるか気持ち悪がられるのが関の山だと思っているので、新潮社校閲と石井さんとの一件のように、驚きや喜びや感謝の念を帯びた信頼感情を持たれるとか、ましてやその顛末を記したツイートが(意図はどうあれ)広く拡散されるとかいったありさまは、好意的に評価しても悪い冗談にしか思えないのであります。
何かのドッキリVTRを見せられている気分です。
特にオチはありません。ご静聴ありがとうございました。
あいさつが遅れましたが、私がスーパー校閲ガールです。石原さとみさんのようなキュートな美女を想像してもらうのは自由ですが、書いているのはおっさんです。
おわり
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