こんにちは。「シン・ゴジラ」を微細に語る会(略称:微細会)代表のヤシロです。このたび頼まれてもいないのに微細会を発足させ、代表に就任しました。
ごあいさつがわりに、本編の冒頭約30秒間のみに絞ってシリーズで語っております。「東京湾 横浜沖」の字幕が出てストーリーが始まるまでの、ドあたま部分が語る対象です。
※画像は、シン・ゴジラ|シアターリストより
以下も、ネタバレを含んで語ります。
この記事で言いたいこと
「シン・ゴジラ」本編冒頭に出てくる3つの「東宝」は、世間の声の「無害化装置」として機能しています。
皆さまきっとなんのこっちゃ?でしょうから、これから9000字以上を費やして、いろんな角度からじりじりと説明していきます。
シリーズ要旨:「継承」と「反転」のシン・ゴジラ
シン・ゴジラのテーマは「継承」と「反転」です。全編この2つに充ち満ちています。
本編の冒頭約30秒間をよく見てよく聞けば、第1のテーマ「継承」が認識できます。
これまでの「冒頭語る会」シリーズ:
- 「見どころ」篇(5つの「画」)
- 「聞きどころ」篇:冒頭20秒の伊福部昭を聴け!
- 「感じどころ」篇:4DXがMX4Dを「秒殺」した話
でるる述べてきました。3つめは「継承」テーマとは少し離れてますが。
「継承」のシン・ゴジラ
当記事でも少し補足します。たとえば、ちょい役出演のキャスト陣も、次のような個別の背景を知っていると、庵野さんと樋口さんの起用術にニヤリとできるわけです。
2012年、今はなき銀座シネパトスで岡本喜八監督の特集上映があった。12月2日、沖縄決戦とブルークリスマスの上映日、ゲストは庵野監督と樋口監督で心底楽しそうに岡本監督作品について語り合っていた。客席にはなぜか前田敦子もいた。今思えばあの日がシン・ゴジラのスタートだったかもしれない
— ゆきなみ (@yukinami_jp) 2016年8月7日
銀座シネパトス
岡本喜八監督特集
「沖縄決戦」「ブルークリスマス」
朝から二本連続上映
英里紗が誘ってくれたから観れた二本
2人の樋口監督、庵野監督の興味深い話いっぱいきけた
勝野さんがスクリーンから飛び出してきたときの興奮は忘れません pic.twitter.com/I76yrJ4S— 前田敦子 (@Atsuko_100) 2012年12月2日
「そもそもあの映像が本物なのかどうか」この生物学者は原一男監督が演じている。「ゆきゆきて神軍」などの怪作で知られ、ドキュメントが本来持つ虚実皮膜を顕わにする手法で知られる。原一男にこの科白を言わせるのはじつに面白い。#シン・ゴジラ #シンゴジラ声に出して読みたい日本語
— たけ (@takehi1009) 2016年8月14日
母…夏海千佳子さん、ですよね⁉️
夏海さんのことは強い印象としてよく覚えています。
お元気でらっしゃいますか!
よろしくお伝えください。「シン・ゴジラ」…はい。役者宣言をしまして、庵野監督に直談判をして出演させてもらいました。 https://t.co/XoPEvOoPtQ
— 原一男 (@kazu19451) 2016年8月14日
シン・ゴジラ6回目鑑賞。
以前Twitterで実相寺昭雄監督の奥様の原知佐子さんがヘリの攻撃時に逃げ遅れてた老婦人と言われてたのを見て、ほんまかなと思ってたが直後の「射撃の可否を問う」のシーンが完全にウルトラマンのスカイドンの回等の口元アップのオマージュなので妙に納得した。
— BOSS (@BOSSzero0503) 2016年9月18日
ことほどさように、いろいろ知れば知るほど、シン・ゴジラ本編細部の映像や設定や舞台裏に隠された仕掛けや小ネタを見つけられるので、ますます面白くなります。
本編には、いまだ把握できていない同レベルの情報がまだまだ数多く隠れているように思います。事態の収拾にはまだほど遠いのが現状です。
ある意味ヒップホップ
ゴジラと関係ない文脈から、藤井健太郎さんの『悪意とこだわりの演出術』(2016)p.34の記述を引用します。
…「好きなモノ」「興味があるモノ」の山の中から素材を引っ張り出し、掛け合わせたりして、時に表現につなげていってます。
映画「シン・ゴジラ」がやっていることもまさにこれです。
登場人物の名前を山崎豊子の『白い巨塔』などから取っていることなど、その一例です。しかしおざなりに表現してはただの自慰行為ですから、お金の取れる娯楽作品に昇華させるべく、しっかりした根拠を持たせるために綿密なリサーチと取材を行っているわけです。きっとね。
「わからなくても成立するけど、わかったらもっと面白い」要素がありつつ、その中に引用やオマージュが多く入っているのが僕の作りの好みです。
これらをヒップホップ的な手法と書いてきましたが、ヒップホップは引用の文化です。
出典:同書 p.37 ※下線は引用者
なのである意味、シン・ゴジラもヒップホップです。
そして「反転」もわかる
「シン・ゴジラ」冒頭約30秒の話に戻ります。
さらに全編の構成をふまえながら今一度冒頭の30秒間に立ち戻って、そこで何が起こっているかを再検討していけば、第2のテーマ「反転」が浮かび上がります。
とまあ、こんな書きぶりのために議論がなかなか進捗をみせず、「検証:シン・ゴジラ出現の11月3日は休日じゃないのか?問題」(2016/09/16)の次に書きたかった当記事の内容を書くまで間に3つ記事をはさむ結果となってしまいました。ここでようやくたどり着くことができました。
というわけでやっと始められます。
要約:Executive Summary
「シン・ゴジラ」本編の冒頭には、「東宝」が3つ連続して出てきます。
類似の画像で再現すると、
1.「東宝」 東宝株式会社(1つめ)
2.「東宝」 東宝株式会社(2つめ)
3.東宝映画作品
の3つです。
「これってなんなんだろう?」とずっと考えていました。このたびネット発の情報も得てようやくひとつの結論に達しました。
3つ連続する東宝は、「無害化装置」なんです。
狭義には真ん中2つめ、旧式の「東宝マーク」がそれです。しかし単独でなく、前後を「東宝」ではさんでいることで、無害化装置として機能しています。
何を無害化する装置かというと、「世間の声」です。「東宝」の会社クレジットと「東宝映画作品」の間に旧式の東宝マークをはさむことにより、世間の声の99%以上(※当社比)を無害化できます。
なぜならそれは、「創作も加えてお届けします」という製作側のメッセージだからです。善意悪意もろもろ入り混ざった世間の声の大半は、この「装置」によって濾過され、無害化されます。
画像出典:
- YouTube: 「後妻業の女」インパクト編(TVCM)|東宝MOVIEチャンネル(2016/08/09付)
- Amazonビデオ:激動の昭和史 沖縄決戦(1971)
- Twitter @virtualboys(2016/09/15付)
冒頭5つの「画」は「献呈の辞」
「シン・ゴジラ」本編冒頭の約30秒間を今一度確認しておきましょう。次の5つが順に映っていたかと存じます。
- 「東宝」東宝株式会社(1つめ)
- 「東宝」東宝株式会社(2つめ)
- 東宝映画作品
- シン・ゴジラ
- 映倫
「見どころ」篇で、この5つはゴジラファン・特撮ファン、東宝ファン、さらにはすべての映画ファンへの「献呈の辞」だと述べました。詳しくは当該記事をご覧ください。
今回の検討対象は、うち最初の3つです。くり返しますと、「献辞」であると同時に「無害化装置」でもある。というのが当ブログの結論です。
シン・ゴジラ冒頭に「東宝」が3つ続く意味
答えは、「無害化装置」として機能させるためです。
次の順序で説明します。
- Yahoo!知恵袋のでたらめ回答を正す
- 予告編の「東宝スコープ」はどこへ?
- 別タイトルは「激動の平成史 首都決戦」
- 世間という放射能
まずは次の質問に答えていきます。
1.Yahoo!知恵袋のでたらめ回答を正すの巻
Yahoo!知恵袋にこんな質問がありました。
シンゴジラは東宝マークが2回連続で映りますが、今までの東宝映画でこんな演出って有りました? (中略)
これらはやはり庵野監督の意向なんですかね?(2016/08/20付)
引用部の省略範囲は映倫マークの話です。当記事では取り扱いません。
で、質問から1時間経たないタイムスタンプで回答が付いていて、そのままベストアンサーになっていたんですが、まるでデタラメでした。
でたらめしかなかったので正します。まず1つめ。※下線は引用者
最初に写る東宝マークはいつも通り「配給会社」としてのクレジットなんですが、次に出て来たちょっと古いパターンの東宝マークは「製作会社」としての意味だと思います。
「思います」というトーンではありますが、でたらめです。
示されている事実として、シン・ゴジラの製作プロダクションは「東宝映画」と「シネバザール」です(劇場パンフの記述による)。東宝株式会社ではありません。
ですからもし「製作会社」の意味を与えたいのならば、3つめの「東宝映画作品」の方が適切です。
2つめ。
従来こうしたパターンはなかったんですが、数年前から東宝内部の企画部署が変更になり、(後略)
これもでたらめです。
東宝の社内事情は知りませんが、少なくとも下線部はでたらめです。こうしたパターン、ありました。
「東宝」マーク2連続の例
ちょいと検索してみたら、東宝マークを2回連続して映している(であろう)パターンが、大して苦労せず次の2例見つかりました。
- ALWAYS 三丁目の夕日(2005)およびシリーズ 続編
- ゴジラ FINAL WARS(2004)
ALWAYS 三丁目の夕日(2005)
同作冒頭では、通常の東宝マークが映された後、それに続くようにして東宝スコープ・ロゴが映され、さらにそれがロゴ・デザインに相似した、オーディオ装置に付けられた装飾品へと移行していくという演出がなされている【図2】。
出典:藤原征生「“東宝スコープ・ロゴ”と“20世紀フォックス・ファンファーレ”」(CineMagaziNet!, 2014)
だそうです。
【図2】を転載します。
【図2】『ALWAYS 三丁目の夕日』 冒頭(左上:0分2秒、右上:1分1秒、左下:1分9秒、右下:1分16秒)
このような解釈がされていました。
ここでは、東宝スコープ・ロゴが懐かしむべき対象たる「古き佳き昭和」のイメージを喚起する装置として、物語の導入部分に設定されている。東宝スコープ・ロゴはもはや社章としてその役割を果たすことはなく(略)、物語の舞台である昭和30年代の東京へと観客の郷愁を駆り立て、物語世界へと誘う存在として象徴的に用いられているのである。
同意できます。
シリーズ続編の「ALWAYS 続・三丁目の夕日(2007)」「ALWAYS三丁目の夕日’64(2012)」もまた、同様の演出がされているもようです。Amazonビデオで予告編映像を見ると、同じく最初に「TOHO SCOPE」が出てきました。
ゴジラ FINAL WARS(2004)
「シン・ゴジラ」のひとつ前、ゴジラシリーズ28作目の同作でも、「TOHO SCOPE」が使われていました。
Huluのページで予告編が視聴できます。
※画像は「ゴジラ FINAL WARS」が見放題|Hulu より
同作には、続いてこんな「献呈の辞」も付いていました。あわせて紹介しておきます。
田中友幸・本多猪四郎・円谷英二に捧ぐ
付記
蛇足ながら2点付け加えておきます。
付記1:平成15年夏?の敗戦
先述のHuluのページには、「ゴジラ FINAL WARS」にこんなレビューが付いていました。
決してこれはゴジラ作品では無い、北村映画だ。
ゴジラだと思って見ると痛い目を見ると言われていた理由がもの凄く良く分かった。
大事な事なので何度も言うが、ゴジラ作品では無い。
予告編しか観ていませんが、的確な評なんだろうなと感じました。Wikipedia「ゴジラ FINAL WARS」経由で、製作報告会見のもようを伝えるページを知ったためです。
次のとおり、「机上演習」の結果は完全に負け戦です。
富山プロデューサー:
去年の早い時期から50周年の「ゴジラ」をどうするか、東宝の皆さんと相談はしていました。その中で3本ほど具体的な企画を作り上げたのですが、本当に新しい「ゴジラ」映画、つまり誰も知らない「ゴジラ」映画は、今現在では作れないという結論に達しました。
出典:ついに50年の歴史に終止符が! 「ゴジラ FINAL WARS」製作報告会見|映画トピックス|toho-movie.jp(2004/03/02付)
私の感覚では、だったら企画はキャンセルです。ところがそうはならないのが、大人の世界。
となれば、現在持っている映画技術を注ぎ込んだオールスター映画にして、楽しいものを作り切る事。それが50周年に相応しいだろうという最終的な結論に昨年の8月に至りました。そこから現在に向かって具体化させて来ました。
先の戦争での特攻の考え方です。旧日本軍は、ちっとも「旧」なんかじゃありません。
付記2:「正解」がQ&A掲示板の価値ではない件
次の点もおことわりしておきます。
よく「知恵遅れ」と(私に)バカにされるYahoo!知恵袋、ないし同種の掲示板では、そこに書き込む質問者にとっての価値はしばしば「答えてくれること」そのものにあります。自身の書き込んだ質問に反応があること自体が価値です。ですから必ずしも私が上で示したような「より有力な仮説≒正解」が求められてはいません。なのでたとえでたらめな回答しか付いていなくても、元の質問のステータスが「解決済み」になっていることもまたしばしばです。それで構いません。質問者の立場からすれば、解決したのでしょうから。
けれどもそれでは第三者のレファレンスとしての価値は低いので、この記事に書いておきました。ええ、余計なまねです。
はいはい、わかってますよ。
2.シン・ゴジラ予告編の「東宝スコープ」はどこへ?
実は「TOHO SCOPE」、この4月に情報解禁されたシン・ゴジラの予告編映像でも使われています。
※画像はYouTube: 『シン・ゴジラ』予告|東宝MOVIEチャンネル(2016/04/13付)より
YouTubeで確認できますから、見てみてください。
ところがこの「TOHO SCOPE」入りロゴマーク、「庵野秀明編集」と伝えられている『シン・ゴジラ』予告2には登場せず、そして本編にも使われていません。端的な事実です。
※予告編の第1弾が庵野秀明総監督による編集かどうかは詳らかでありません。他の人が手がける気もしないのですが、確たる情報は得られませんでした。
2つの可能性
なぜ、シン・ゴジラの映像に「TOHO SCOPE」ロゴが使われなくなったのでしょうか? 2つの可能性を考えました。
- 途中で方針が変わった。
- 最初から「予告編限定」で使うつもりだった。
私は前者の「方針が変わった」だと思います。ブログ記事を書く自分の経験からも、編集を進めていくと方向性が変わってくることは十分起こりえると言えます。以下同じく、「自分ならこうだ」という以外に根拠のない臆測です。
予告編第1弾での東宝スコープロゴは、誰が編集したにしろ、制作時系列上の「前作」にあたる「ゴジラ FINAL WARS」を「継承」しての使用だったのだと思われます。補足すると、継承したのは設定やストーリーではなく、社風みたいなスピリットみたいな、そっち寄りの何ものかです。何しろシリーズですから。
けれども時間が経つにつれて「TOHO SCOPE」がどうもしっくりこなくなった。よくよく考えてみれば、まさにスコープが合いません。というのも、東宝スコープサイズでの第1回作品の公開は1957年、「TOHO SCOPE」ロゴが使われたのは1965年公開作品までらしいからです。
- 参考ページ:
- Wikipedia「東宝スコープ」
- (再掲)藤原征生「“東宝スコープ・ロゴ”と“20世紀フォックス・ファンファーレ”」(CineMagaziNet!, 2014)
「シン・ゴジラ」はその期間の作品だけを「継承」しているわけでもないし、といってALWAYSシリーズみたいに観客をその時代へと誘う要素もない。
それで予告編の第2弾でも本編でも使うのをやめたんだと思います。想像だけでほかにこれといった根拠はありません。
3.シン・ゴジラの別タイトル「激動の平成史 首都決戦」説
「シン・ゴジラ」冒頭で3つ連続する「東宝」のうち、現代の東宝マーク(1つめ)が「配給元」を、「東宝映画作品」(3つめ)が「製作元」を表すのだとするならば、両者の間にはさまれた、昭和40~50年代風の旧式東宝マークは何を意味するのでしょうか?
検討過程はすっ飛ばし、結論だけ述べます。
その答えは岡本喜八監督の「激動の昭和史 沖縄決戦」(1971)冒頭のカットにあります。これです。
※画像は、Amazonビデオ:激動の昭和史 沖縄決戦 より
旧式の東宝マークは、上のような「作者の想像を加えて作ったもの」「一部は創作である」という「おことわり」テロップを入れる代わりに使われているものと考えます。
だったら「FINAL WARS」の「捧ぐ」の字幕みたいに明示して入れればいいじゃねーか。そう思われるかもしれません。でもそれはちょっとね、暑苦しい。本編に入ったら字幕の嵐なのに、最初からくどくど説明を入れたくない。
だからひとひねり加えました。
と、自分ならそういう感覚です。というのも、最も多く「シン・ゴジラ」に継承されている岡本喜八作品の成分は、「激動の昭和史 沖縄決戦」由来であると考えるためです。
※以下、同作を単に「沖縄決戦」と表記します。
シン・ゴジラ、沖縄決戦からの「継承」と「反転」ダイジェスト
このあたり別の記事で詳しく述べたいんですが、「シン・ゴジラ」には、「沖縄決戦」全体の構造と舞台設定とストーリーとが、余さず「継承」と「反転」によって取り入れられていると言っても過言でないんです。
沖縄決戦からの「継承」「反転」のさわりを対比させる形でダイジェストします。
「激動の昭和史 沖縄決戦」
- 昭和20(1945)年3月~6月の沖縄戦の史実を元に(※)
- 創作を加え、後の昭和46年に映画化
- 将来性のない敗北のストーリー
「シン・ゴジラ」
- 平成28(2016)年11月の巨大不明生物出現の虚構の史実を元に
- 創作を加え、先に同年7月に映画化
- 勝利ではないが、将来へ希望をつなげるストーリー
太字で強調した箇所が、元ネタである沖縄決戦からの「反転」部分です。
なので、もしも私が「シン・ゴジラ」に別のタイトルを付けるなら「激動の平成史 首都決戦」にします。ゴジラの存在しなかった世界でゴジラフィーチャーしない想定でいけば、妥当じゃないかしらと自賛していますが、どうでしょうか。
※軍編成から起算するならば、昭和19年2月~です。
ヤシオリ作戦にみる「継承」と「反転」
別名を「激動の平成史 首都決戦」にしたいぐらい、シン・ゴジラって「沖縄決戦」から「継承」「反転」させすぎ!
その証左が、ヤシオリ作戦における自衛隊側の名称です。
- 現場指揮官の丹波一佐は、「沖縄決戦」で長勇参謀長(中将)を演じた丹波哲郎から
- 丹波一佐の率いる32連隊は、同じく沖縄防衛のために編成された第32軍から
「継承」したに違いないとふんでいます。
同じく、シン・ゴジラが沖縄決戦の「継承」と「反転」形であることをふまえれば、劇中ヤシオリ作戦の段で巨災対から矢口蘭堂と安田ら数名が、なぜ危険をおして作戦の前方指揮所に立ったかも説明がつきます。
表面的には自衛隊単独の作戦行動との印象を与えないよう「文民統制」を前面に出して政治的正しさを示す狙いもありましょう。
しかし最大の理由は、沖縄決戦を「継承」し「反転」させなきゃいけないからです。そのためには、まずは現場指揮官の丹波一佐の連隊を統率するため、司令官小林桂樹(牛島満中将)と高級参謀仲代達矢(八原博通大佐)が必要だからです。
「シン・ゴジラ」世界では沖縄決戦の設定を「反転」させ、軍人ではなく文民がその任務に就きます。すなわち、司令官は矢口蘭堂(担当大臣)、高級参謀は安田龍彦(文部科学省課長)です。
つづきは気が向いたら詳しく述べます。いや、もういいかな。
あちらの虚構世界でも「映画」として描かれているややこしい映画
さらに付け加えますと、「シン・ゴジラ」を、岡本喜八の「沖縄決戦」を継承し反転させた映画と定義すれば、劇中の「御用学者」が(仮名)となっていた理由も明らかです。
あちらの「シン・ゴジラ」世界でも、同じくわれわれの観たあれは「東宝映画作品」として存在しているからです。どこかに実在する生物学者のご本人には不名誉となる、実名を出すのがはばかられる「使えない」描写をしているからですね。
あちらの世界には「モデルとなったご本人」もいる
なので同じように、あの世界のスクリーンの外には、長谷川博己さんでない矢口蘭堂代議士(山口3区)なり、竹野内豊さんでない赤坂秀樹代議士(東京8区)なり、石原さとみさんでない、英語のもう少し達者な(←やめろ)日系三世の米国人カヨコ・アン・パタースン大統領特使なり、ちゃんと実在の別人がいるのです(創作された人物である可能性は残るにしろ)。
彼らに限らず、あちらの世界でもまた、スクリーンで見た人物がみなそれぞれ役を演じる俳優(中にはご本人もいるやもしれませんが)なのです。ややこしい。
加えて、それが「後日談」でなく、近未来に起こる前に先に映画化しちゃった言わば「前日談」として描かれているというSF作品なので、さらにややこしさUPなのでございます。あっぷあっぷです。ダジャレです。
という具合に、「シン・ゴジラ」は通常一般の映画より1段階2段階入り組んだ物語構造をしています。まさに「わたしがそなたで、そなたがわたし。ややこしや、ややこしや。」でございます。
4.渡る世間は放射性物質ばかり
突然ですが、世間というのは放射能だなとよく思います。渡る世間は放射能を帯びた放射性物質ばかりです。
そして「世間の声」は放射線です。
- 世間から発せられ、世間にあふれています。
- 私たちは世間からそれを毎日浴びて生活しています。とはいえ量的には微かであり、ただちに影響はありません。
- しかし世間の声を一度に大量に浴びると、往々にして人体その他に影響を及ぼします。
たとえば、世間の声を一度に大量に浴びた結果、佐野研二郎さんやベッキーさんは仕事や人前に出る機会を失い、高畑淳子さんは息子の不始末で会見に引きずり出されたあげくCM契約を失い、乙武洋匡さんは「なんで夫の浮気を妻が謝るんだ」と夫婦で浴びた果てに家庭を失ったわけです。
しかし三田寛子さんも同じように「夫の浮気を妻が謝った」はずなのに、立派な奥さんだと一転称賛を浴びるのです。世間の放射性同位元素は気まぐれです。
「無害化研究」を生んだ背景
詳しくは知りませんが、「新世紀エヴァンゲリオン」以来、庵野秀明さんも同じような放射能環境にさらされてきたに違いありません。
今月(2016年9月)BSプレミアム始まった再放送までエヴァンゲリオンを1秒たりとも見たことのなかったおっさんの元にも、「続編どうした」の声が聞こえてくるほどです。そしてささいなことながら気になるのは、そうした声も含めたネット世間の声の多くが、なぜか「庵野」と呼び捨てであることです。
しかしそんな悪性の放射能にまみれた世間を捨て、ちょうど「アナと雪の女王」のエルサのように、自分の城を築いて世間とのかかわりをまったく断ち切ってしまうのも、決してよい解決策ではありません。地獄とはこの世の別の呼び名ですが、地獄にも助けてくれる人、支えてくれる人が必ずやいるからです。
「地獄に仏」「渡る世間に鬼はなし」「知恵は多い方がいい」もまた真実なのです。
知恵は多い方がいい。しかし一方で、なるべくなら人体に害を及ぼすような格好で世間の声は浴びたくない。
こんなニーズから、庵野秀明さんを中心とするプロジェクトでは世間の声を無害化する研究をひそかに重ね、このたびひとまずは実用化に至ったものと推測するわけです。
既にネット世間があれこれ矛盾や不整合や不審点を発しておりますし、私もこれから発していきますが、そのほとんどは無害です。なぜならその対象には創作が加えられているから。
まとめ
「シン・ゴジラ」とは、庵野秀明さんが岡本喜八作品を筆頭に過去の資産からの「継承」および「反転」を施して東宝からのオファーに応えるとともに自身の表現欲を満たした映画であり、加えて徹底したリサーチによる圧倒的なリアリティをベースとしながらも、ポイントポイントで創作を加えた製作スタイルを取ったというメッセージを冒頭の「東宝」3連続に込めることにより、一度に大量に浴びると危険を及ぼす放射線にも似た性質を持った世間の声をほぼ無害化させている、混合フィクション映画である。
大胆な仮説ですが、いけそうです。
本日はご来場ご視聴ありがとうございました。尾頭さんによる恒例の一枚。まさかの逆水ドンで脳細胞がかなりやられました。 pic.twitter.com/Z0hrqD1oHq
— 松尾 諭 (@matsuo_satoru) 2016年9月15日
大胆な実相寺アングルが、しびれます。
おわり
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