こんにちは。
8/24のテレビ放送をきっかけに俄然盛り上がった「共感性羞恥」。しかし嫁ともども話題に乗りきれず、なぜしっくりこないのか夫婦間で話し合いを重ねてきました。
付随するいろんな説明はぜんぶ後回しにして、まず結論を述べます。
いらねー。
※写真と本文は関係ありません
結論:さよなら「共感性羞恥」
一般庶民レベルの日本語に、「共感性羞恥」などという言葉はまったく必要ありません。
傍ら痛い(または、片腹痛い)とはこのことです。
テレビ・ネットで話題だからと(←決めつけ)さして考えもせず「共感性羞恥」に飛びつき、(決めつけ→)喜々として使っている。そんなネットのありさまを見聞きすると、いたたまれなくなります。
見てるこっちが恥ずかしいです。
いらなかった(n=1)
必要なかった業界の例です。n=1だけど。
「テレビで共感性羞恥という言葉が出てますが、心療内科では当たり前な用語でしょうか?」というご質問。
恥ずかしながらはじめて聞く用語です。
「共感能力+被害念慮」で済むような。自身が恥をかくことを恐れすぎ、だからこそ近い立場の人を見ることで恐怖を抱く状態だと考えます。— マンガで分かる心療内科♥ゆうきゆう (@sinrinet) 2016年8月25日
代案が全然イケてないけど、いまはスルー。
フツーの日本語で言いたい「あの気持ち」
なにも「共感性羞恥」なんてわかったようでわからないようで実際わからない用語を持ち出さなくても、既存の日本語語彙を適切に用いれば、こうした心情は十分言い表せるし、十分伝わるのです。
いや、ほんとにほんと。
具体的には、これらでまかなえます。
- 傍ら痛い(かたはらいたい)
- いたたまれない
- こっちまで恥ずかしい
- こっちが恥ずかしい
しかもこれらには、「他人が失敗して恥をかいている(かきそうな)のを見るとき」限定という、謎だらけの使用条件もありません。
類似の表現として、水曜日のダウンタウンでは「地獄」と言ってますね。この説明は最後に。
(1)「傍ら痛い」
新しい言葉はいりません。そういう感興は、かたはらいたい(傍ら痛い)と言い表せば済みます。
指摘するツイートがありました。
なんか「共感性羞恥」なる言葉がトレンドに上がっています。
外国で注目されている概念だとかで「わかる」「わからない」に二分されているとか。
日本文学科出身としては、何が珍しいのか、と。#竹槍巫女のおえりゃあせんのう 通算881作目 pic.twitter.com/MdgVrC7y5s— 大沢愛 (@ai_oosawa) 2016年8月25日
自分がこれ、傍ら痛い ってよんでたやつだ
【怒り新党】『共感性羞恥』というあの現象→分かる分からないで盛り上がる人々「ツイッター民に多い気がするのはなぜだ」 – Togetterまとめ https://t.co/Zp7BRmaTr9 @togetter_jpさんから
— あしやまひろこ (@hiroko_TB) 2016年8月30日
観察者羞恥(共感的羞恥)の概念は昔から日本にあったらしいと聞いて調べたら本当だった!こんな古来から…
傍ら痛し(カタワライタシ)とは – コトバンクhttps://t.co/CCF5C07luP— うむ (@lilium_minor) 2016年8月25日
「それな」でした。
かたはらいたい(かたわらいたい)とは
weblio古語辞典>『学研全訳古語辞典』かたはらいたしの説明を引用します。
▽他人の言動を、自分がそばで見聞きして気に入らないと思っているときの気持ち。
▽そばにいる人のことを思いやる気持ち。
キャプチャも貼っておきます。赤枠で囲ったあたりがポイント。
かたはらいたし|weblio古語辞典より
「傍ら痛い」が今日あまり使われていないのは、実にもったいないことです。どんどん試していきましょう。
(2)いたたまれない
より日常語に近い言葉もあります。いたたまれない です。漢字まじりで表記すると「居た堪れない」です。
その場にそれ以上じっとしていられない。(明鏡国語辞典)
という意味ですね。
「いたたまらない」ともいうみたいです。広辞苑での見出し語はそっちでした。初めて知りました。これでほぼオッケー。
「いたたまれない」感情は、「他人のざま」に限らずさまざまな要因で生じます。何に由来する「いたたまれない」かは、文脈で理解できるかと思います。
(うすうす)気づいていたツイート集
「共感性羞恥」の正体が「いたたまれない」と勘づかれていた方も少なからずいらっしゃいました。「いたたまれない 共感性羞恥」の検索結果からいくつかツイートをピックアップします。
共感性羞恥というかいたたまれないってことちゃうのか?
— きざょぴ (@bush_0926) 2016年8月24日
「共感性羞恥」って、日本語には、他人の行動に対しても使える「いたたまれない」というそのものズバリの単語があるので、改めて定義するまでもない気がするんだがどうだろう。
— Bukko@次は幕張マジカルミライ? (@Bukkosan) 2016年8月27日
そのとおりです。日本語世界で改めて定義するまでもありません。
プレースキックの精度を高めるために行っているプレパフォーマンスルーティンの一部を取り出して「五郎丸ポーズ」と呼んでいるようなもので、無意味です。
もうひとつ。
#共感性羞恥、私も少しはあるかな。あまりにも恥ずかしいといたたまれないというか。
そういえば、写真しか見てないけど、リオの閉会式の安倍のコスプレはまじで、恥ずかしかった。でも、これは共感性羞恥ではないよね。
— Akiko Peace (@akiko_peace) 2016年8月24日
それもきっと「共感性羞恥」の範疇です。「行為者の態度」を指標の1つにしてアンケート調査したレポートがありました。リンク先でPDFが閲覧できます。
P1-09 なぜ、人の行為を見て恥ずかしくなるのか : 共感性と行為者の態度を指標に(ポスター発表)|桑村幸恵|cinii.ac.jp(2010)
なお桑村さんは「共感性」ではなく「観察者羞恥」の用語を使っています。
しかしいずれにしても、当記事でるる述べておりますとおり、「そこ」だけを取り出して呼び名を付けることの意味は見いだせません。よしんばあるとしても、「他人が」恥をかくシーン限定の名称にその名称は不適切です。
「他人」限定にすることが不適切である例証として、自身の「黒歴史」に対して湧き起こる感情を想起してもらえればよいかと思います。
(3)こっちまで恥ずかしい(4)こっちが恥ずかしい
会話表現では、次の2タイプがあります。
- こっちまで 恥ずかしい
- こっちが 恥ずかしい
両者からなる体系を、暫定的に「まで・が」システムと呼んでおきます。
まで・がシステムの決定要素:「恥ずかしい」測定
こっち「まで」「が」のどちらを採用するかは、自分と相手の「恥ずかしい」を比べた結果で決まります。
- こっち「まで」恥ずかしい:自分の羞恥 ≒ 相手の羞恥
- こっち「が」恥ずかしい:自分の羞恥 >> 相手の羞恥
という関係です。
あくまでも主観での測定
相手の感じているだろう「羞恥」の測定量は、最終的には話し手の主観で決定されます。本質的に、話し手の認識が反映されたものです。
この点留意しておきましょう。
あらゆる感情に適用可
「まで・が」システムが適用できるのは羞恥感情(恥ずかしい)だけではありません。喜怒哀楽、その他あらゆる方面の感情に適用できます。
相手方の意向と関係なく、こちらはこちらで感情を持てますから、できるはず。
歌で表すなら
「まで・が」システムをつくる両者の違いが表せている歌を探してみました。参考音源と一緒にどうぞ。
「こっちまで」の歌↓
ええいああ 君から「もらい泣き」
ほろり・ほろり ふたりぼっち
もらい泣き
EARTH PROJECT
¥153
ズッコケなんだ あわてん坊なのさ
いつも失敗ばっかりしてるんだよ
だけどかっこいいつもりなんだってさ
新オバケのQ太郎
momo-i (桃井はるこ)
¥200
水曜日のダウンタウン、それを「地獄」と呼ぶ説
「水曜日のダウンタウン」では、それを地獄と呼んでいます。2つ例を挙げると
- 楽屋で小道具盗まれた芸人の営業、地獄説(2016/05/11 OA)
- 下層YouTuber、地獄説(2015/09/16 OA)
です。
「まで・が」システムに適用させると、それぞれ
- 楽屋で小道具盗まれた芸人の営業、地獄説=こっちまで恥ずかしい
- 下層YouTuber、地獄説=こっちが恥ずかしい
となります。「羞恥」のほか当惑・困惑のニュアンスも入り、原語の「embarrassment」に近い意味合いとなります。
これらの「地獄」と「共感」感情の関係もまた、追って解き明かしていきたいところです。
椎名林檎なら「あちゃー」
思い出したので放り込んでおきます。椎名林檎さんは、それを「あちゃー」と言ってました。
こういう使い方です。
あと、2020年の東京オリンピックが決まったとき、浮かれ気分もありながら、皆さん「だいじょぶなのか東京」と、不安を覚えたでしょう? 開会式の演出の内容がおっかなくて仕方ないでしょう?
そんな自らスベりにいかなくてもいいんですけど。だけど、こんなふうになったら困るなという、私たち国民全員共通のイメージってあるでしょ? 「あちゃー」ってなったらヤだなって。
J-POPと呼ばれるものを作っていい立場にあるその視点から、絶対に回避せねばならない方向性はどういうものか、毎日考えてます。
出典:椎名林檎「日出処」インタビュー(4/5)|音楽ナタリー(2014/11)
余談ですが、リオ五輪閉会式の「トーキョーショー」には、嫁ともども「あちゃー」となりました。「そっち」じゃないのに。
丁寧な説明が必要な事案なので、つづきはいつかどこかで。
だいたいそんなところです。
むすび
というわけで
「共感性羞恥」使ってる奴、地獄説
を提唱しておきます。
付記:「カセット効果」に気をつけろ!
それではなぜ、既に「いたたまれない」など適切な言葉があるにもかかわらず、「共感性羞恥」などという劣化コピーですらない表現が拡散されてしまうのでしょうか?
言わば言葉の「毒性」が強いからです。そこを語るため「いたたまれない」ツイート検索結果に戻ります。
「いたたまれない」で十分なのに、「共感性羞恥」に毒されかけているツイートを複数見かけました。ピンチです。
あの会見がいたたまれないのが、今話題の共感性羞恥ね
— 池田香代子 (@ikeda_kayoko) 2016年8月26日
逃げて~
共感性羞恥っていう名前があったのか。私今までずっと、いたたまれないって説明してた。
— アルミ ニウム (@10014Camp) 2016年8月24日
共感性羞恥というのか。あの「みてられない」、いたたまれない感情。
— 太太太 (@3tamodoki) 2016年8月24日
いや、「いたたまれない」でいいよ!
はたしてこれほどの毒性は、何に由来するのでしょうか?
ネットの世界は侮れません。そこを指摘するツイートがありました。
ふと思ったけど漢字が羅列されててカッコイイし病名みたいだから共感性羞恥共感性羞恥みんな言ってるんだろうけど要はいたたまれないってだけだしいたたまれないとか君達あんま言ったことなくない?
— 山田ねぎお (@lulz_ymd) 2016年8月25日
答え出ました。「漢字が羅列されててカッコイイし病名みたいだから」です。お見事です。
実はそれにも、名前があるんです。「カセット効果」といいます。『翻訳語成立事情』(1982)著者の柳父章さんによる命名です。
…長い間の私たちの伝統で、むずかしそうな漢字には、よくは分からないが、何か重要な意味があるのだ、と読者の側でもまた受け取ってくれるのである。(p.36)
カセット cassette とは小さな宝石箱のことで、中味が何かは分からなくても、人を魅惑し、惹きつけるものである。(p.37)
「共感性羞恥」はまさしく「中味が何かは分からなくても、人を魅惑し、惹きつけるもの」の好例でしょう。
ここは自分が食い止めるから、みんな逃げて~
なお既存の名称が認められないので、ここへ新しく「カセット効果」の名前を付けていくのはありです。
参考サイト
「怒り新党」放送前から存在していたページである
-
- 趣味は検索:
- あの恥ずかしい気持ちには名前があった(2015/01/21付)
- 「共感的羞恥」論文リスト(2015/11/12付)
を参照し主なネット情報をたどりました。
また、「共感性羞恥」は英語の「empathic embarrassment」を訳した用語だということもわかりました。ありがとうございます。
どうしてこうなった?
どうしてこうなった?を簡単に言えば、心理学方面にいる人が、おしなべて頭が悪いからです。悪すぎて査読システムが機能していないんじゃないかとすら思えてきます。
- 感情のスイッチ
- 共感性の強弱
個人単位でこの2点が切り分けられていないから、そりゃあごちゃまぜに測ったら測定結果は両者の合成になりますよ。当たり前じゃないですか。
詳しい説明は別の記事で。気分しだいで。
<エンディング曲>
気分しだいで責めないで
サザンオールスターズ
¥255
コメント
しょうもない記事
共感性羞恥と言ってる自分に酔いしれてる自己顕示欲肥大な無個性バカが多くなってきた現状ではこれくらいバッサリ斬ってるのは清々しいけど、しょうもないっちゃ、しょうもない。
こんなしょうもないことしなければならないくらい、虫のように沸いてる意識高い系を駆除できないからね。
ただ、そこに本当に共感性羞恥である人たちが犠牲になるのは可哀想かな。それは共感性羞恥に限らず、自分の抱えてる名前の付かない感覚がようやく名前が付いて周囲に認知してもらえる安心感が得られると思いきや、だいたい意識高い系や自己顕示欲肥大なアホどもが個性だと勘違いして横からかっさらって、悪いイメージがつくような使い方をして、本来使うべき人たちが被害を被るというね。
まぁ片腹痛いというよりいたたまれないの方がしっくりくるかな。
たぶん自分がそうでないから書ける記事。ぜんぜん違う。
いたたまれないとか、思いやる気持ち、とかじゃないのです。
マイノリティなのはわかっていたけど、10%でも同じ感情を持つ人がいることがわかっただけでも救いになってます。
そんな必死なお前が一番かたはらいたいし目も当てられない
長々とドヤ顔で的外れな事を綴っているけど、それこそ傍ら痛い。
確かに「共感性羞恥」という症状は存在するし、ただ一般的では無かっただけ。
TVで取り上げられたことによって広く知られるようになった言葉は存在する。(今となっては頻繁に目にするゲシュタルト崩壊という言葉も、元々はトリビアの泉で取り上げられたことによって広く知られた。)
自分の無知を棚に上げて人を批判するのは流石に恥ずかしい。
痛快でした。皆、バラエティ番組に踊らされすぎです。
そもそも「共感性羞恥」、元と思われる英論文では「なぜ我々が他人の失敗を恥じてしまうのか」を脳科学的に説明しているだけであって、「こういう感情に苦しむ人間がいる」という事を紹介しているのではないんですよね……。元の言葉自体も、その研究をする界隈でしか使われない便宜上の表現のようです。 また、程度や種類に差はあれど、少数のみが感じ得る特別なものとはされていません。一般的な感情である事を前提として研究が為されています。
ちなみに日本語のみならず、他言語にも「傍ら痛し」や「いたたまれない」に相当する言葉はあるようです。英語ならtartinglyやvicarious、ドイツ語ならfremdscham。つまり「共感性羞恥」は症状ではなく、一般的で世界的な感情。
本気で病気レベルの苦しみを持つ方がいるならば気の毒ですが、それは最早、別の次元の問題でしょうね。
元からある言葉を大切にしていたなら、話の妙な点に気付き、誤った情報を吹聴する事もなかったのでしょうが……用法の歪められた造語に日本語が取って代わられるのを見るのは、何ともいえない気持ちになりますね。
では、名詞的に使用する場合は、「傍ら痛さ」や「傍ら痛いこと」、「傍ら痛いという感情」などと表現するのが望ましい、ということですか。
「お腹が痛いこと」には「腹痛」、「病院に通うこと」には「通院」、「郷里へ帰ること」には「帰郷」などという単語があり、そして現在も一般的に使用されているのはなぜでしょうね。
漢字のみで名詞的に表現できることには、無視し得ない実用的利益があるからではありませんか。
漢字かな混じりの単語よりも、漢字だけで構成されている単語の方が、記憶しやすい、話したり書いたりするのに使い勝手が良いなどの実用的利益があるように私は思います。
ただ、ご自身が「決めつけ」とされているように、一面的な見方に基づく主張であることは認識されているようですので、野暮なコメントかもしれませんが。
現象・状態に名前をつけて共感性羞恥であるのに傍ら痛いやいたたまれないなどの形容詞と同じだというのはおかしい。〜性とか〜的などを使って既存の言葉を組み合わせた言葉を新しい言葉だと考えるのもおかしい。そもそも傍らいたしやいたたまれないは当事者と同じ感情を抱いた時に限定して使う言葉ではないから意味が違う。また、Twitterはソースになりえない。教養の無さ、思考能力の欠落が滲み出ている傍ら痛い記事だ。
ほんと的外れもいいとこだよなこのクソ記事。
「こっちまで恥ずかしい」「こっちが恥ずかしい」と今回取り上げられてるような感覚/感情は異なる。まともな脳みそしてりゃ、TV放送とこの症状が自分に当てはまると報告してる人のコメントを見れば違いが分かりそうなもんだが。
夫婦で議論を重ねた結果がこれとは“傍ら痛い”。類は友を呼ぶというか低能は低能を呼ぶというか……。子供がいるのかいないのか知らないがどんな子供が生まれてくるかは最早、火を見るより明らかだな。
と、少し言い過ぎました。子供の話は持ち出すべきじゃなかった。ごめんなさい。謝罪して訂正します。
いたたまれないは多くの人が感じたことのある感情で、共感性羞恥はそれよりもっと強いというか、それに見るに耐えないが加わるというか···
とにかくちょっと説明しづらいモヤモヤ感をうまく表現してくれたな、と思っています。記事を書いた人はすべった芸人さんを見て居られなくてチャンネル変えたり早送りしたりしたことがない人なのでしょう。そういう人にとってはきっと理解されないでしょうが、私は昔からあったこの感情に納得できてスッキリしました。
というか、今傍ら痛いとか使ったらどこの武士??ってなるのでは。
始めはなんだこの記事はと思いましたが、逆にこれを読んで自分の感じてたことが「いたたまれない」「片腹痛い」などとは違うということが認識できた記事でした
ありがとうございます
おそらく「いたたまれない」という時は実際その場面をドラマで見ても冷静に第三者的にそれを消化して見ていることができるのですが、共感性羞恥という言葉が当てはまる時は本当にテレビの前から逃げ出してしまうという違いがあるように思えます
色々と考察されてるようでこういう記事があること自体は良いとは思います。
が、「いたたまれない」やその他の表現とはちょっと別の感覚なんですよねぇ。
「いたたまれない」等という感覚はそれとは別にありますし。
おそらくそういう感覚がない人には「よく言ってくれた!」と共感できる記事なんだとは思いますが、そういう感覚がある人には「言いたいことはわかるがちょっと違うんだよなぁ」という感想を持つと思います。
正しくは観察羞恥で
共感だどうかと安易に
断じるべきでないというのは
納得できる内容ではあるが、
そこまでこの概念自体を否定する
必要がないと思うし
少なくとも流行りに逆行して
自己陶酔している
程度の印象しか受けない。
傍ら痛いやいたたまれないなど
複数の意味でそれを説明できるのは
なんとなくは分からないこともないが、
ならそれら複数の意味を内包した
言葉として
受け入れていいんじゃないだろうか?
少なくとも共感羞恥にたいして
それだけ反響があったという事は
傍ら痛いやいたたまれないよりも
その言葉がそれ程的確であったとも
言えないであろうか?
その語感等に踊らされ
不必要にもてはやされるきらいがあるのは
確かだと思うが
幼少からの疑問にふと名前が付き
安堵に似たような感覚を得た
自分のような人間だっているはずだ
何故そこまで考えが至らないのであろうか?
まあ、記事を読んでわかることは、実際に同じ痛みを受けないと想像できない人なんだろうなということ。
実際に戦争して初めてその悲惨さがわかるというタイプなのかな。
あるいは文脈としては、昔からこのような似た言葉があったのだから、そのころから人間にあった感情なのだろう、と続くのが普通なんだと思う。ただ、テレビを見ていて見ていられなくなるのは、当たり前だがテレビが生活に浸透した後に起こった出来事なのだから、この感情にテレビが必須なのかどうかという考察があってしかるべきだと思うのだが。
または、経済的に、あるいは学問的に、診療報酬的にネーミング、カテゴライズすることの意味につながるのかなと思いつつ、全然そうなっていない。もともとのこの感情へのネーミングに対する自分の違和感をネットの不可思議さのせいするという乱暴な結論の割には、全体的にはあたかも論理的な書き方になっている。
過去の記事を掘り返すようで悪いですが、共感性羞恥という言葉が既に社会に浸透した令和に読むと、博識を気取って斜に構えた文章に共感性羞恥を禁じ得ない記事ですね笑
この場合は片腹痛いも適切だと思いますが^^
「いたたまれない」とはだいぶ違うんだけど、実際に感じる人にしか分からないんだろうなぁ……
「いたたまれない」ときは気の毒だと思いながらもその様子を観察できるけど、共感性羞恥が発動したときはその場にいるだけでつらくなる、カーテンに包まって事態が過ぎ去るのを待つしかなくなる。
誰かが叱責されている所を目撃する等では「いたたまれない」が発生するけど、例えばアニメで人格が入れ替わってとんでもない誤解を受けるギャグシーンとか、普通の人なら笑って観ていられるシーンで共感性羞恥が発動する。
漢字が羅列されててカッコイイし病名みたいだから←熟語全否定で草
この記事読むと共感性羞恥に陥るわ
共感性羞恥感じるんでしたよね?
なぜ別の言葉・表現があるのかといえば厳密には指すものが違うからでしょう
『新しい日本語地図』などと謳いながらこの程度のことが分からないなら本当は言葉について興味がないのでは
自分と同じ気持ちの人のツイートまで引っ張り出しちゃって…
勝手に夫婦で議論してりゃいいのにわざわざ記事作ってたくさんの人に見てもらいたかったのか知らないけど、なんかまるで「今の若いもんは〜」とか語りだす戦争の経験したじいちゃんみたい。
多分歳いってる人だよね?
うちはおじさんみたいな人めんどくさいなって思って避けるよw
職場とかで語ってくる上司とかきもいなーと思ってすぐトイレ行くフリして逃げてるw