こんにちは。「戦没者追悼式に寄せて」シリーズの4回目です。完結編となります。
前回までのあらすじ
シリーズの流れを振り返っておきます。
全国戦没者追悼式の標柱に書かれている言葉に対して、次の見解を示しました。
- 「戦没者之霊」よりは、「戦没者之霊位」とする方がいい
- 「戦没者之霊」も間違いではないが、意味論的に回りくどく、追悼しにくい
戦没者追悼式は、政府主催の式だけでなく、全国の自治体が主催しているものもあります。それぞれの追悼式の標柱には何と書かれているか、Google 画像検索で雑な大調査を行った結果、次のことがわかりました。
- 圧倒的多数は、「戦没者之霊」派(全68例)
- 「霊位」は3例。なぜか全て熊本県
- ノーマークだった「戦没者追悼之標」派がけっこういた(全18例)
- その他亜種を含め、独自路線をゆく自治体もあった(全4例)
- 「追悼之標」派は、なぜか京都府の自治体に多い(18例のうち7例)
全国戦没者追悼式での標柱の文言について、次のことを確認しました。
- 1952年の第1回では全国戦没者「追悼之標」
- 1963年に(再び)政府主催となってからも、同じく「追悼之標」
- 1975年に全国戦没者「之霊」と変更
- この変更について1976年に国会で質問があったが、そのまま現在に至る
なぜ京都府の自治体に「戦没者追悼之標」派が多いのか?
この記事では、2)から持ち越していたこのテーマの考察を行います。
考察テーマの設定1
あくまで、Google 画像検索での「戦没者追悼式」の検索結果を上から順に気のすむまで見ていくという、雑すぎる方法で調査した結果からのことですけれども、そこから大変面白い結果が出ました。
調査で収集した「追悼之標」派の全18例のうち、7例が京都府下の市町だったのです。
なぜ京都府の自治体に「戦没者追悼之標」派が多いのでしょうか?
考察テーマの設定2
そしてさらに、非常に興味深い事実があります。
それは、他府県とは違い、京都府の場合「追悼之標」以外の事例がひとつもなかったということです。
つまり京都府下の自治体の「追悼之標」シェアは、まじりっけなしの100%だったわけです。
ですから考察テーマは、このように変形することができます。
なぜ京都府下の自治体は、揃いもそろって「追悼之標」派なんでしょうか?
通俗的な説明
前回の記事でもみたとおり、政府の主催する全国戦没者追悼式も、かつては標柱の文言は「全国戦没者追悼之標」でした。それが1975年に「全国戦没者之霊」へと変わり、現在まで続いています。このような経緯があります。
ですから通俗的には、こんな説明ができるでしょう。
平安遷都以来1200年の伝統を誇る京都府民は、プライドが高く、自らの原則にのっとって動く。いまの中央政府の動向など、屁とも思っていない。
だから国が「之霊」に路線変更したからといって、自分たちの「追悼之標」を変える理由にはならない。
「ウチら前からこれでしてますよって。国が変えはったからゆうて、なんでウチらも変えなあきまへんのん」てな具合でしょうか。
ただし京都府も広い
ただ、ひと口に京都と言っても、京都府は南北に広く、その領域は日本海側の沿岸部、丹後半島から中部や南部の山間地まで含まれます。
これらの地域は京都府下とはいえど京都からは地形的にも隔たっており、京都府民のみんながみんな、京都人と聞いてイメージする「京都のみやこ気質」かというと、そうとも言い切れない面もあります。
日本共産党の影
通俗的でない説明をしたくて思案していると、ひとつのことに思い当たりました。
他府県と比較したときの京都府の地域性に、日本共産党の支持基盤の強さがあります。それが、根底でいまの「中央」を認めていない京都人気質に由来するのか、また何か別の要因もからむのか、そこはわかりません。
全国一、ぶっちぎりの高さ(京都タワーじゃないよ)
ここでひとつのデータを示します。
総務省の選挙関連資料のページから、第22回参議院議員選挙(2010年7月)比例代表における実績値です。このデータは、都道府県別党派別得票数(比例代表)[xls形式]から取りました。
都道府県別・日本共産党の得票率トップ5
(カッコ内は得票数(小数点以下切り捨て))
- 1位 京都府 13.83%(150,905)
- 2位 高知県 9.76% (34,856)
- 3位 大阪府 9.26% (359,722)
- 4位 東京都 8.19% (497,151)
- 5位 滋賀県 7.93% (51,621)
※2010年の参議院議員選挙(比例代表)より
2位の高知を4ポイント以上もぶっちぎる、ハンパない高さなのであります。
そして総人口比でみても、同じく2010年の国勢調査での京都府の総人口が263万人余ですから(京都府>国勢調査 ページより)、少なくとも5~6%程度の支持層があるということになります。
他府県に比べてそれだけ支持基盤が強いわけですから、その分、発言力すなわち政治力も強いと言えましょう。
全国戦没者追悼式に対する日本共産党のスタンス
8月15日の全国戦没者追悼式には、例年、日本共産党からは党代表をはじめとする関係者は出席していません。
これに関して、「しんぶん赤旗」のサイトに読者の質問に答える形で説明されていますので引用して紹介します。
引用元は、全国戦没者追悼式に党代表が出席しない理由は?(「しんぶん赤旗」2008年8月28日)です。
〈問い〉 戦争遺児である私は、8月15日、武道館における全国戦没者追悼式に参加しました。ここに日本共産党代表が出席しないのはなぜですか?(後略)(兵庫・一読者)
〈答え〉 日本共産党は、8月15日におこなわれる政府主催の「全国戦没者追悼式」の内容が国民主権にそぐわないものであるため、欠席しています。この「追悼式」では、来賓をふくむ参列者全員が起立して天皇と皇后を迎えます。1999年からは起立のまま「君が代」が斉唱されるようになりました。黙とう後に、全員が起立するなかで、天皇が「おことば」を述べます。このような式のあり方は天皇中心の追悼式であって、国民主権、民主主義の基本に反します。
式の内容、次第が国民主権に反すると見なしているわけですね。つづきです。(下線は引用者)
全国戦没者追悼式は1952年が最初ですが、63年からは毎年8月15日におこなわれるようになりました。当初は正面の白木に「全国戦没者之標」と書かれていました。75年8月15日、三木武夫首相(当時)によって、「私人」としてではありますが、初めて首相の靖国神社参拝がおこなわれました。この年から、「全国戦没者之霊」と、特定の宗教用語の「霊」と書かれることになりました。これは政教分離の原則に反します。
このシリーズでも述べてきたような経過が書かれています。
日本共産党は、たぶんこんな考え
当時の三木武夫内閣の動きがはたしてどのような意図によるものなのか、中韓の反日工作によるものとするか、はたまた米英のアジア分断工作によるものとするか、内外の様々な動向とも絡めての見立てはいろいろあるでしょう。とらえ方は自由です。実際のところどうなのか、私には何も言えません。
ひとつ言えるのは、日本共産党がこのあたりを政治的争点にしたがっていそうだということです。
さらに確実に言えることは、日本共産党としては、「霊」とは特定の宗教用語であり、戦没者追悼式での標柱(しんぶん赤旗の用語では「正面の白木」)に「霊」と書くことは、政教分離の原則に反しているととらえている、ということです。
共産党の所属議員ではありませんが、1976年に野田哲参議院議員(日本社会党)が、「霊」という字は特定宗派しか使っていないのだから、その字を使うことで必然的に宗教性を帯び、信仰の自由、また政教分離の原則を侵すものだと、内閣委員会で質問に立っています。詳しくは前回の記事に書きました。
日本共産党のスタンスは、野田議員のこの立場とも共通します。
自治体側は、たぶんこんな気持ち
京都府は他府県より日本共産党の支持基盤が強く、また、全国戦没者追悼式に対して共産党は上で見たようなスタンスでいることがわかりました。
となると、地元で戦没者追悼式を主催する府内の自治体からすると、標柱にうっかり「霊」なんて字を書いてしまったら、たまらんことになりかねないわけです。
というのも、「しんぶん赤旗」での回答や、あるいは野田議員が国会質問でくり広げたのと同じ理屈で厳しく追及されるわけですから。
追及されずとも、「へぇ。よろしおすな、税金でお宅ら一部宗派の祭事ができて。ウチらにもさせてほしいわ」みたいに、ねちねちと責め苦を受けかねないでしょう。むしろ追及の方がまだましなぐらいです。
そしてもちろん、他府県よりも高い比率で、自治体の側にも共産党支持層がいるわけです。
というようなところをふまえますと、京都府下の自治体としては、いちおうは「無宗教」と合意が取れている「追悼之標」でいかざるを得ないわけです。
「秘密のケンミンSHOW」で扱うのは絶対無理な話
このことは、京都の府民性がとてもきれいに表れているひとつの事例だと思うのですが、「秘密のケンミンSHOW」(読売テレビ)で扱うのは、いろいろな意味で絶対に無理でしょう。テレビでできない話だとは思いませんが、まぁ司会の片方もアレなんで。
同じく総務省の選挙関連資料のページから、第22回参議院議員選挙(2010年7月)比例代表における実績値データを紹介しておきます。
同選挙での京都府における公明党の得票率は、11.53%(125,728票)で、全47都道府県中31位でした。ちなみにですが、第1位は福岡県(18.70% 418,070票)で、最下位は岩手県(7.34% 46,912票)です。
あとがきに代えて:夏休みの自由研究にいいかもしれない
ここまでつらつらと、戦没者追悼式についていろいろと調べて書いてきました。その中で、自分としては面白い発見もありました。
それでふと、これって夏休みの自由研究にちょうどいいんじゃないかと思えてきました。宿題に使われるならパクリ上等です。
宿題の自由研究をどうしようか困っているみんなへ
みんな、宿題の自由研究の題材えらびに困っていたら、どんどん使ってね。
だけど、ひとつだけ約束だ。どこを見て書いたか(出典(しゅってん)といいます)も、いっしょにちゃんと書いておかないとダメだぞ! (それを書かないのはどろぼうです)
ご静聴ありがとうございました。
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