こんにちは。
図書館の調べ物コーナーに寄せられた質問事例の「事前調査事項」に乗っかり、出典マニアが目いっぱい死者に鞭打つ、そんな下品きわまりない記事です。ご注意ください。
この記事で言いたいこと
- 世の中には、出典を「気にしない人」と「気にする人」がいます。
- 度を超えて出典を「気にしない人」による著作は、出典マニアに冷笑されます。
たとえば、この人のこの本です。
発見事項
新たな発見事項がこちらです。
- 結城登美雄さんによる「美しい村」第2形態の形成に、草柳大蔵(1924-2002)が関与している可能性があります。
別記事で書いた内容のくり返しとなりますが、これまでの発見事項がこちらです。
- 宮城県図書館で問い合わせがあった、柳田國男の「美しい村」の出典は、結城登美雄さんの二次創作でした。
- その結城版「美しい村」は、第2形態です。
残念な「出典を気にしない人」草柳大蔵伝
頼まれもしないのに調査を始め、頼まれもしないのにげんなりしました。
これまでのあらすじ
「未解決」だったレファレンス協同データベースの質問事項を解決しました。
こちらの質問です(改行を加えました)。
柳田國男の随筆「美しい村」の中に次のような文章がある。
「美しい村などはじめからあったわけではない。そこに住む人が美しく住もうとつとめて、はじめて美しい村になるのである」
この文章が掲載されている資料が見たい。
出所:宮城県図書館(登録日:2010/02/13)|レファレンス協同データベース
出典を、『東北を歩く―小さな村の希望を旅する』(結城登美雄, 2008) p.64 の
ふと柳田國男の言葉が思い出される。
《美しい村など、はじめからあったわけではない。そこに住む人が、美しく住もうと努めて、はじめて美しい村になるのである》
でほぼ確定させました。なお同書によれば、この一文の入った「美しい村をつくる」の初出は、富士ゼロックスのPR誌「グラフィケーション」(2001年6月)とのことです。
柳田國男「美しい村」は結城登美雄さんによる二次創作が出典調査での結論です。
詳細はひとつ前の記事:出典情報:柳田國男「美しい村」は、結城登美雄さんの「二次創作」でした。(2016/08/05)に書きましたのでそちらで。
積み残し事項
分量の都合で持ち越したのは、「事前調査事項」の欄にあった記述
草柳大蔵『日本人への遺言:絶筆』海竜社, 2003(略)p.96に昭和9年に柳田國男が書いたエッセイとあった
の解明でした。
草柳大蔵版「柳田國男・美しい村」がひどい件
草柳大蔵(1924-2002)の著書から引用します。
柳田國男が昭和九年に書いた「美しい村」というエッセイがある。「美しい村なんていうのは、はじめからあろうはずがなくて、人々が美しく住もうと思ってこそ村は美しくなるのである」と書いている。
出典:『絶筆… 日本人への遺言』(2003)p.96
「意味ある人」をつくる、と題された一文です。同書によれば、初出は『日本の息吹』2000年6月号です。
「月刊 日本の息吹」12年6月号 詳細|日本会議 で確認できました。掲載号の表紙画像です。
●静岡から教育改革の提言
「意味ある人」をつくるために
これが草柳による文章です。
何より「意味ある人」って発想がキモいし、発行元にもざわざわきますが、いまは両方スルー。
事実情報の劣化ぶりがひどい
柳田國男が/昭和九年に書いた/「美しい村」
まず事実の問題として、ことごとく間違っています。後ろから順に述べます。
- 柳田國男が書いたのは、「美しき村」です。
(これ単体なら論いませんが) - 柳田の「美しき村」が書かれたのは、昭和15年です。
(『豆の葉と太陽』(1941)|国立国会図書館デジタルコレクションによる) - 昭和9年に書かれた「美しい村」は、堀辰雄の小説です。
(青空文庫:堀辰雄 美しい村による)
なので事実関係として、語句の各パーツが整合する記述は次のどちらかです。
- 柳田國男が昭和十五年に書いた「美しき村」というエッセイ
- 堀辰雄が昭和九年に書いた「美しい村」という小説
柳田の「美しき村」が「エッセイ」に分類できる文章かは微妙ですが、ひとまずよしとして、次へ。
そして「美しい村」も劣化
比較用にテキストを再掲します。
結城版「美しい村」
結城さんによる二次創作物がこちら。
《美しい村など、はじめからあったわけではない。そこに住む人が、美しく住もうと努めて、はじめて美しい村になるのである》
草柳版「美しい村」
そして草柳版の「美しい村」がこちら。
「美しい村なんていうのは、はじめからあろうはずがなくて、人々が美しく住もうと思ってこそ村は美しくなるのである」
「劣化」がひどい。他人の言葉を使うときにこの態度です。うかつすぎます。
命名「うっかりダイゾー」
草柳大蔵をうっかりダイゾーと命名しました。少ないサンプルで決めつけるダイゾー差別です。
なお、結城さんには既に「美しい村」マルチおじさんの称号を当ブログよりプレゼント済みです。
どうしてこうなった?
では、草柳大蔵はなぜ、
柳田國男が昭和九年に書いた「美しい村」というエッセイがある。
などというでたらめを書いたのでしょうか?
結論を先に書くと、よくわかりません。
ですが以上で見てのとおり、草柳大蔵は「出典を気にしない人」ですから、仮説としての心証は、箔が付いてサマになるからテキトーに付け足したのかな?です。立証はできてません。
いちおう加えておくと、
[柳田國男は]「美しい村なんていうのは、(略)」と書いている。
もまた、事実に反するでたらめです。
「美しい村」変貌プロセス解明の試み
2つの検討事項の組み合わせで4つの仮説を立て、解明を試みました。
【検討事項】
草柳大蔵は、
- いつ、結城版「美しい村」を知ったのか?
→知ったのは「美しい村」第1形態、第2形態のどっち? - 結城登美雄さん当人と直接の接点はあったか?
→あった:講演等で由来を聞いた
→なかった:「美しい村」の掲載紙面・誌面のみが接点
結論を先に書くと、よくわかりませんでした。謎です。
ただし仮説としては、前者が「第1形態」、後者が「なかった」が有力です。なぜなら、草柳大蔵が「出典を気にしない人」だからです。
以下、関連する事実、考察を並べます。
「美しい村」第1形態(1995-96頃)
先ほど結城版「美しい村」を、2001年の「グラフィケーション」誌が初出と述べましたが、実はそれ、「第2形態」なのです。後出しジャンケンですみませんが。
1995-96年頃の「初号機」はこんな形でした。
「はじめから美しい村があったわけではない。美しく住もうと努力する人々がいたからである」。
ゆっくりと通りを歩いてみると、柳田國男の言葉がしみじみと伝わってくる。
出典:結城登美雄『山に暮らす海に生きる―東北むら紀行』(1998) pp.20-21
「宿場町 福島県下郷町」の一節です。
同書によれば、1995-96年の朝日新聞紙上での連載が初出です。これが「第1形態」です。
時系列に整理すると
そして時系列上に並べてみると、草柳版「美しい村」の登場は、刊行資料で確認できる結城版の「第2形態」初出よりも早いのです。
初出情報をくり返します。
- 結城版「美しい村」(第1形態):1995-96年頃の「朝日新聞」
- 草柳版「美しい村」:日本会議「月刊 日本の息吹」平成12年(2000年)6月号
- 結城版「美しい村」(第2形態):富士ゼロックス「グラフィケーション」2001年6月
そしてWikipedia「草柳大蔵」によれば、草柳は2002年7月22日に亡くなっています。
仮説:こういう流れでは?
ですから素直に、
草柳版「美しい村」がベースにしたのは、第1形態
ととらえて、
- 1995-96頃:結城版・第1形態の出現
↓ - 2000:草柳版「美しい村」登場
↓ - 2001:結城版・第2形態の出現
という流れを見いだすのが、素直できれいです。
さらに、結城登美雄さんとの直接の接点の有無(検討事項の2.)も考慮しなくて済みます。実際が「有った」「無かった」のどちらでも成立します。
比較:「第2形態をベース」の場合
もし草柳版「美しい村」が参照したのが「結城版・第2形態」なら、こういう順序になります。
- 1995-96頃:結城版・第1形態の出現
- (1998-2000頃:第2形態の形成)
- 2000:草柳版「美しい村」初出
- 2001:第2形態・刊行資料に登場
この場合、次の2点の立証が必要です。
- 草柳版初出の2000年6月以前に、結城登美雄さんが「美しい村・第2形態」を講演等の機会で紹介していたこと
- それを草柳大蔵が知っていたこと
立証のハードルは高いです。そんな都合よくいくかなあ?との心証も生まれます。違う気がします。
「美しい村」比較:第1形態と草柳版
「参照元第2形態説」を棄却したとします。で、草柳版「美しい村」は、結城版の第1形態を下敷きにしたと。
と、した場合に気になるのは、両者のテキストの違いがありすぎることです。
再掲して並べてみましょう。結城版・第1形態がこちら。
「はじめから美しい村があったわけではない。美しく住もうと努力する人々がいたからである」。
そして草柳版がこちら。
「美しい村なんていうのは、はじめからあろうはずがなくて、人々が美しく住もうと思ってこそ村は美しくなるのである」
趣旨が残ってはいますが、言い回しが違いすぎます。元にない要素も付け足されています。
- 出典情報
- 1995-96頃 朝日新聞「宿場町 福島県下郷町」(結城登美雄)/『山に暮らす海に生きる―東北むら紀行』(1998) pp.20-21
- 日本会議「月刊 日本の息吹」平成12年6月号「意味ある人」をつくるには(草柳大蔵)/『絶筆… 日本人への遺書』(2003)p.96
「出典を気にしない人」ならやれる!?
でもよくよく検討してみると、それは出典をめちゃめちゃ気にする出典マニアならではのものの見方であることに気づかされました。
「出典を気にしない人」なら、それぐらいの改変を平気でするんですよね。それは前の記事で見た結城登美雄さんのケースを見ても明らかです。
具体的には、出典情報:柳田國男「美しい村」は、結城登美雄さんの「二次創作」でした。(2016/08/05)で、結城版「美しい村」各形態の変貌をご確認ください。
この項まとめ
「たぶん」のもの言いですが、こういう事実関係ではないでしょうか。
- 結城登美雄さん(「美しい村」マルチおじさん)、脳内柳田國男の言葉から「美しい村」第1形態を生成
- 草柳大蔵(うっかりダイゾー)が「美しい村」第1形態を改変(=草柳版)
- 草柳版を元に、結城さんが第2形態を生成
結城登美雄さんは「美しい村」マルチおじさんですから、草柳版を知ってこりゃあいいとばかり取り入れたものと思われます。真相はまだ籔の中ですけれど、もしこのとおりなら、さらなる地獄絵図の体現です。
柳田國男もいい面の皮です。ほんと勘弁してくれ。
発見事項:デマゴーグとは、出典を気にしない人だった
この調査で、ひとつの言葉がふと脳裏に浮かびました。「デマゴーグ」です。広辞苑には「民衆煽動家」の語釈がありました。
わかりました。デマゴーグはみな、出典を気にしない人なんです。だからいい加減なことを平気で言えるんです。他者の記述をゆがめて認識しゆがめて伝えても何の痛痒も感じないのでしょうから、やがては、自らの認識はもちろん、経歴も経験も何もかもことごとくゆがめて表現することまでやってのけます。
出典を気にするデマゴーグなどいません。もしデマゴーグが出典を気にする人ならば、きっと「デマゴーグ」とは呼ばれないでしょう。
出典を気にしない人は世の中にあふれています。出典を気にしない人がうっかり影響力を持ってしまうと、デマゴーグが生まれます。
このあたり考察を深め、別途公表したいです。いや、もういいか。しないかも。
あとがきに代えて
各位へお知らせです。
過去記事:よりよい社会にするために、出典マニアからのお願い(2013/07/16)を焼き直してくり返します。
相変わらずの名言業界
出典の科学的検証にたえない非科学的な名言は、名言に値しません。出典マニアにニヤニヤと見守られます。
それでいいなら、よし。
出典マニアの「科学的名言」論
誰かの「ことば」として流通する言明が「科学的」か否か判定するには、言い表される内容ではなく
第三者が出典を容易に検証できるか?
にあります。これが条件です。
「科学的」の要件
出典を気にしない人は、おうおうにして
出典:草柳大蔵
みたいな書き方をします。この水準で事足りると言わんばかりの無分別な態度が切ないです。
誰かの「ことば」を発信するには、すべからくそれを発した人物名だけでなく
- 著述なら「書名」「章番号、ページNo.」などの位置情報
- 発言なら、その「年月日」「場所」「相手」「状況」といったコンテキスト情報
が必要です。
必須とは言いませんが、これらを欠くものは、情報として筋が悪いです。もっと言えば下等です。そう差別します。当然、自分自身の場合にも適用される基準です。
科学は万能ではありませんが、無能でもありません。有効に使いましょう。
以上です。ご静聴ありがとうございました。
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