魯山人のまな弟子ヤシロです(ウソ)。
テレビの感想文です。知らないのかなあと思って書きました。
「ご飯の話」ハッキリ5(朝日放送)2016/06/12 OAより
日曜の夜は、「ハッキリ5」の放送をだいたい見ます。
「そんなに好かれていない5人が世界を救う」というサブタイトルの番組です。「もの申す」系のトークバラエティ、といったところでしょうか。詳しくは番組公式サイトで。
でもって、6月12日放送のテーマの1つが「飲食」で、
ライスがべちゃべちゃのラーメン屋さんが許せない!
という話題がありました。
【朝日放送】ハッキリ5~そんなに好かれていない5人が世界を救う~ 2016年6月12日放送|TVer より ※最新回のみの配信です
そう主張したのは、ダイアンの西澤裕介さんです。
ダイアン西澤さんの【ハッキリ論】
西澤さんは
「『飯ごうで炊いたん?』みたいなベチャベチャのライスやったとき、自分でもビックリするぐらい腹が立つ!」
出典:ハッキリ5 過去の放送内容 > 6月12日(日)|朝日放送 以下同じ
とし、総合すると次のように主張していました。
- 水が多すぎて団子みたいになって固まっている
- 自分は硬めが好き
- 好みの問題ではなく、ただただ店が横着なだけ
しかし、他の出演者からは支持されずに
ところが、ラーメン店のライスの硬さなど「気にならない」というほかのメンバーの共感を得られないばかりか、
番組上こんな事態となっていました。
飲食店の“ライス”をめぐり、先週に引き続き小籔と大ゲンカを始めるなど思わぬ展開に!
小籔千豊さんの反論
番組MCの小籔千豊さんは、「ラーメン屋でサブの方にいくからやんけ」として、こう反論していました。
小籔「おまえラーメン屋行ってご飯に文句言うてんねん。向こうはラーメン本気やねん」
小籔「おまえが、漫才おもろいけど演技ヘタやと怒られてるのと一緒やねん。おまえ演技下手やん。べちゃべちゃやおまえの演技」
ここらで、このくだりは終わりました。
感想:「戦前か」
「ラーメン屋はラーメンが本気」
たしかに小籔さんの言い分にも一理あります。
- だからラーメン屋にしてみれば、ご飯の質に対してそこまで云々される筋合いはない
といった趣旨なのでしょう。
けれどもそれは、昭和の、さらに言えば戦前の考え方です。
というのも、ここでの小籔さんのような論調に真っ向から異を唱える人物がいるからです。
北大路魯山人(1883-1959)です。
北大路魯山人
※画像は昭和毎日より
料理のみならず、器その他へトータルなこだわりを極めた美食バカです。
北大路魯山人の再反論
「お米の話」(1947)に、彼はこう書いています。
わたしは断言する。飯の炊けない料理人は一流の料理人ではない。
「魯山人がそう書いてるから正しい」ってわけじゃないですが、私はこちらを支持します。支持理由を詳しく説明すると長くなるので、必要なら別途また。
関連情報
魯山人の「お米の話」といえば、以前炊飯器のCMで、
うまいものの極致は米なのである。
特にうまい米は、もうそれだけで充分で、ほかになにもいらなくなってしまう。
のくだりが使われていました。この文句をご記憶の方もいるかもしれません。検索結果によれば2012年頃だったようです。余談でした。
北大路魯山人の【ハッキリお米論】
以下、青空文庫版「お米の話」からの引用だけで「ハッキリ5」の小籔千豊さんへ反論を試みるパクリ芸です。
「うまいものの極致は米」からの~
大事なところに線を引いておきました。
ところが、一般の家庭はもちろんのこと、多数の料理屋がこのごはんというものについて、とても注意が足りない。
料理屋がそうだから、料理人はみなそうである。(略)本当の料理人ならば、仮に自分で飯を炊かなくとも、飯がうまく炊けたかどうかということについて、相当気になるはずである。なぜなら、せっかくいい料理を作っても締めくくりに出る飯がだめだったら、すべてがぶちこわしになってしまうからである。
とにかく、飯は最後のとどめを刺すものであり、下戸(げこ)には大事な料理である。料理をするほどの者が、自信をもって飯が炊けないということは、無茶苦茶な振舞いであり、親切者とはいえないことになる。
料理人は飯なんてものは、無意識のうちに料理ではないと考えているらしい。ところが、飯は料理のいちばん大切なものなのである。料理ではないと思うところに根本的に間違いがあり、まずい飯ができるのである。
だから、飯は料理ではないという考えを改め、立派な料理だと考えなければならない。
この意味で、料理人は飯の炊き方に注意しなければならない。
わたしは断言する。飯の炊けない料理人は一流の料理人ではない。主婦、女中、飯炊きについても、同じことがいえるのである。
ここで「お米の話」も終わりです。
反論プランの提案
ですからあのときダイアン西澤さんは、小籔さんほか出演メンバーに対して
- ご飯もまともに炊けんような奴がラーメン屋をやるな! やめてまえ!
とでも反論すればよかったのです。
また、「漫才」と「演技」のたとえにはこんな感じでしょうか。
兄さんそれは違います。ボクに言わせればね、「うまい飯」は料理の基礎の基礎なんですよ。ラーメン屋だろうが何屋だろうが、店で料理を出してるもんがね、飯ぐらい炊けんと、話にならんのです。
違うんです。漫才師の「演技」やないんです。まず声出せいう話なんですよ。
ボク演技ヘタですよ。でも声出てるでしょ?滑舌もよく。 (声張って)出てるでしょ~
もっとも、トーク中に小籔さんが発した「改ざん」「歪曲」が理解できず、「かいざん?」「わいきょくて何ですか?」と返し、(あの)鈴木拓さんに「ときどきバカが(出てくる)」とガヤを入れられていた西澤さんにはハマらない提案の気もします。
まとめ
さて、魯山人が「飯の炊けない料理人は一流の料理人ではない」と断言したのは、初出の1947年当時、飯炊きは人がやる仕事だったからです。
同じく「お米の話」でこうも述べています。
星岡茶寮(ほしがおかさりょう)時代、わたしのところへ料理人が来ると、君は飯が炊けるかと第一に聞いてみる。なかなか自信をもって、答えのできる者はいなかった。
しかし幾星霜を隔てたいま、「お米をうまく炊く技術」は大半が機械化されています。
現代の飯炊きは、途中から全部「炊飯器」という名のロボットがやってくれます。いまやその技術の進化にはめざましいものがあります。
「魯山人に食べてもらいたかった」とCMしていたタイガーの「THE炊きたて」シリーズも、発売される最新機種で更なる進化を遂げました。
美食バカ北大路魯山人を偲びつつ、これで炊いたうまい飯を食べましょう。
そんな、長い長いアフィリエイト記事なのでした。
おわり
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