こんにちは。用件はタイトルのとおりです。
小学5年生を相手におっちゃんが知ったふうに説明する構成で進めます。
同年代以上のお子さんをお持ちの方は、当記事の内容を横流ししてドヤ顔でお子さんに説明していただければ、書いた方もうれしく思います。その意味において、パクリ大歓迎のコンテンツです。
要約:Executive Summary
俗に「日本人は無宗教」と言われます。
大ウソです。でたらめもいいところです。
日本人は少なくとも千年以上、同じ信仰を持ちつづけています。
※北野天神縁起絵巻(承久本, 部分)from commons.wikimedia.org
日本人にとっての「大事」を検討すれば、それがわかります。
3つの「大事」でわかる日本人の信仰
いろんな角度から同じ内容をくり返していきます。具体的には次のとおりです。
日本人の3つの「大事」
日本人が大事にするのは、この3つです。
- 言葉
- 清潔
- 敗者
それがいちばん大事マンです。
諸外国の社会と比べ、どれも丁重に扱います。
日本人の3つの「嫌い」
なので日本人は、次の3つを嫌います。
- 不穏な発言
- ばばっちい状態
- 敗者を顧みない態度
とにかく嫌います。「大事」を冒すからです。
日本人の3つの信念
なぜなら、こういう信念を持っているからです。
- 「言ったこと」は現実である
- 「汚い」は伝染(うつ)る
- 「敗者の軽視」は災いを呼ぶ
学術的には、こういいます。
- 言霊信仰
- ケガレ(穢れ) 思想
- 祟り・怨霊信仰
中間まとめ「3つの信念」
くり返します。「言葉」「清潔」「敗者」を大事にする日本人は、次の3つの信念を持っています。
- 「言ったこと」は現実である
- 「汚い」は伝染(うつ)る
- 「敗者の軽視」は災いを呼ぶ
そして、これら3つの信念は互いにゆるりとつながり合っています。
これらの信念の連関は、十分に宗教と呼ぶに値するものです。
オリンピックで確認する「3つの信念」
具体例で確認していきましょう。オリンピックが最適だと思うので、それで進めます。
2点まとめた「ダブル乗せ」の例からです。
「ケチのついた」「不吉な」五輪エンブレムは撤回だ論
以前、リエージュ劇場ロゴとの間で起こった五輪エンブレム盗作騒動で騒がしかった時分に使った例を、ここでもう一度使います。
これこそが「愛すべき日本」だと過去記事で賛辞を述べたのですが、なぜだか冗談半分に取られ、大変心外でした。ので、再チャレンジです。
2020五輪のエンブレム。ケチのついたものは避けたい気分だ。盗用の疑惑があり提訴されるなどと話題になる時点でもはやいい気はしない。身につけなければならない選手の皆さんのために、不吉なものはできるだけ取り除いてあげたいな。
— らいす母 (@ricehaha) 2015年8月14日
エンブレムに対し、「ケチのついたものは避けたい」「話題になる時点でもはやいい気はしない」、「不吉なもの」と言っています。
こちらのツイートは、 次のような信念に基づいています。
- 「言ったこと」は現実
- 「悪く言われる」対象は「汚れ」
- それらは選手のためにも取り除くべき「不吉」
ではなぜ、このようなエンブレムは、取り除かれなければならないのでしょうか?
「話題の」「ケチのついた」ようなエンブレムを身につければ、その選手までが「汚い」からですね。
- 「汚い」は伝染(うつ)る
わけです。
「汚れた」東京オリンピックは返上だ論
同様の「ダブル乗せ」事例をもうひとつ。こちらは招致疑惑に関してです。
こんな疑惑が出る時点で、すでに汚点。 きちんと説明すべきだし、本当に歴史的国辱だが、事実なら、返上すべき事態と思います。 https://t.co/d3S3DATnS6
— 若竹哲司 (@twakatake) 2016年5月12日
疑惑が出ること自体が「汚点」だと言っています。
- 「疑惑が出る」なら、それはほぼ現実
- そのような事態は「汚い」
こういう考え方です。
観察していると、東京五輪開催の返上ないし中止を訴える人が、結構な割合で「汚された」を理由にしているのは、大変興味深い事実です。
そこに呼応するように、国内紙のヘッドラインも日本人の宗教観に彩られます。代表例がこちらです。
不透明さ増す招致疑惑、東京は「汚れた五輪」か(編集委員 北川和徳)|日本経済新聞(2016/05/27付)
汚れが気になる日本人らしい切り口です。
「汚れ」に対しては「潔く」
ここに一段と日本らしさを添えるキーワードが「潔く」です。
もし、国際社会が違法と判断するなら、潔く、返上して、次点のトルコに譲るべき。汚れた国際イベントを無理やり開催したところで残るのは軽蔑だけ、先人が培った、トルコへの友好と信頼が大事。決断を少しでも早く。 https://t.co/MulE0pawdP
— 若竹哲司 (@twakatake) 2016年5月13日
潔く、東京オリンピックは中止すべきだ。
— kani++ (@kani_pp) 2016年6月2日
ここで返上・中止することが「潔い」のだ。そう主張しているように受け取れます。
広辞苑で「潔い」を引くと最初に書いてある2つ:
たいそう清い。汚れがない。
が示唆的です。
日本独自の不正:汚職
関連して、Google翻訳で主なところを見て回った雑な結論を入れておきましょう。
そもそも「汚職」が、日本独自と言える概念です。
「職権や地位を濫用して、賄賂を取るなどの不正な行為をすること」(広辞苑)を、「汚職」「涜職」というのは、日本語特有の表現でした。見て回った範囲で「汚職」に対応する諸外国語に、「汚れた」や「けがす」といった意味の表現はありませんでした。
例を挙げると、近隣での中国語「腐败」韓国語「부패」は両方とも腐っているだけですし、英語のcorruptionの語源は、cor-共にrumpere-壊すです(CODによる)。
日本では職を汚すとされる行為も、海外では腐ったり壊れたりしているだけです。別段汚れてはいません。
その腐ったり壊れたりしている何かを「汚れている」とするのは、つとめて文化、狭く言えば宗教観のなせる業に、私には映ります。
「汚い勝者」より普通に「潔い敗者」が好き
オリンピックに例を取れば、日本人の「敗者を尊び、敗者を顧みない態度を嫌う」という思想は、
- 勝利に歓喜し会場に上がろうとしたセコンド陣を制したアントン・ヘーシンク@東京1964
- 右足の怪我を攻めずに敗れたとされ、フェアプレー賞を受けたモハメド・ラシュワン@ロサンゼルス1984
- 世紀の誤審により、「弱いから負けた」篠原信一@シドニー2000
など、日本人選手のからんだ柔道の決勝戦に、表れ出ているように思います。
「勝てば官軍」という言葉もありますが、なりふり構わず勝利を得ても、まず賞讃は得られません。
大相撲の世界でも、「強い横綱」は称えられても、「強すぎる横綱」「強いだけの横綱」はしばしば非難の的となります。
「きれいに勝つ」ができれば最高ですが、次善のプランは「汚く勝つ」より、むしろ「潔く負ける」ではないかとすら思います。
といった以上の例の数々からも、「日本人は無宗教」が、とんでもない大ウソだとわかるかと思います。
おわりに:ザハの霊は大丈夫か?
あとひとつ:
- 「敗者の軽視」は災いを呼ぶ
の例が残っていました。
私の気になる「顧みられていない敗者」は、新国立競技場の設計をめぐって結果的に排斥され、この3月末に心臓発作で世を去ったザハ・ハディドです。
Zaha Hadid(1950-2016) from commons.wikimedia.org
彼女の死後、日本には、一連の熊本地震を筆頭に、再選定エンブレムにも残った出来レース説、招致のIOC委員買収疑惑、さらにはガリガリ君の値上げと、災いばかりが大小立て続けに起こっているように思います。
古代より日本では、争いに敗れて不遇な死を迎えた人物は、ことごとく怨霊となりました。素戔嗚尊しかり、菅原道真しかり、平将門しかりです。
生前の不遇が大きいほど、さらにその死が不条理であればあるほど、怨霊による災いも大きくなります。それが過去の事例から得られる法則です。
たとえば菅原道真の場合、死後このようなことが起こったと語り継がれています。参考まで。
- 菅原道真の左遷(下) 突然死・落雷・疫病、恐るべし道真の「祟り」で京は大混乱…「学問の神・天神さん」信仰は恐怖の裏返し|産経WEST(2014/04/20付)
21世紀の現代において、ザハ・ハディドの怨霊が最終的にどの程度の災いをもたらすかはわかりません。しかしこのままでは確実に、このあと関係者の何人かが不審な死を遂げると言えましょう。間違いありません。
諸悪の様相を呈している東京オリンピックの開催運営の関係諸集団ではありますが、それでも「死んでしまえばよほどせいせいする」とまでは、私は思いません。
まだ、今からでも間に合います。
東京都心の神宮の杜にまず必要なのは「森喜朗古墳」ではありません。残念ながら、国立競技場はその任には不足です。
まず必要なのは、ザハの霊を鎮める社です。
ひとつ最後に断言しておきましょう。この提言を軽視する者は、みな祟ります。
ご静聴ありがとうございました。
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