【リライト版】自己統合の物語としての「アナと雪の女王」

こんにちは。コピペコンテンツのブルーオーシャンを目指します。

この記事ですること

田房永子さんによる「アナと雪の女王」の秀逸な分析

の換骨奪胎を試みます。

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アナと雪の女王 (字幕版)

「アナと雪の女王」は自己統合の物語である。

と始まるテキストで展開される考察は出色で、知る中では最も本質に近づけていると思える解釈が示されていました。

でもって、このテキストを下敷きに別件の検討を進めようとしたのですが、どうもやりにくくてかないません。

そこで勝手に書き直すことにしました。

リライトの動機

どうして自分の作業がやりにくいんだろうか?と自問するに、当該のテキストが、田房さんの自分語りパートをまじえてのセルフカウンセリングになっているからではなかろうか、と思い至りました。

テキストが田房さんによる田房さんのためのセルフカウンセリングでもあるがゆえに、私は無意識に「セルフ」部分をより分けて読もうとしていたぶん、負荷がかかっていたのではないかと思料します。

田房さんと同様の問題を抱える人であれば、カウンセリングプロセスを子細に記述したテキストは、問題と向き合うにあたっての意義もありましょう。けれども、私自身にとっては、考察に際し不必要であるくだりが混在していることになります。

リライト方針

と、上のように結論づけまして、次の加工を行いました。

  • 不要な箇所のカット
  • 論旨に沿うように一部語句の調整
  • 見出しを付けるなど、見た目方面での手入れ

よって、テキストの大半はコピペでございます。

以下がその「リライト版」テキストです。

自己統合の物語としての「アナと雪の女王」【デザイン芸人編】

「アナと雪の女王」は自己統合の物語である。
※(以下ネタバレあります)

私にとっての「自己統合」は、「人の中にはいくつかの人格があって、それが主人格と一つになる(統合する)と、生きやすくなる」というもの。

物語の枠組み

「アナと雪の女王」になぞらえると、このように当てはめることができる。

  • アナとエルサが住むお城 <1人の人間>
  • アレンデール王国 <その人間の生活>
  • アナ <「明るく幸せに生きていきたい」と願う主人格>
  • エルサ <「過去に起きた出来事の恐怖と、『表に出てはいけない』という呪いをかけられた」主人格から分裂した人格>

エルサの「能力」(The cold)

そもそもエルサの能力は悪いものではなかった。能力があることでアナと一緒に楽しく遊ぶことができていた時はむしろいいものだった。だけどたまたまその能力によって嫌なことが起きてしまい、自分自身が能力に恐れを持ってしまった。さらにトロールから「能力がバレると他者から攻撃される」と教えられ、ビビった親も厳重に管理するようになる。

「分裂」の兆し(swirling storm)

「お前は危険、この能力がバレたら攻撃される」とお墨付きをもらいましたし、国王からも毎日のように「手袋をしなさい」と言われてるところで、「雪の能力、どうにかすれば自分でコントロールできるかも」なんて発想するわけがない。どうにかこの恐ろしい能力が外にバレないように、アナ(自分)にも隠さなきゃいけないんですね。

アナのほうは、なんで急にエルサと一緒に遊べなくなったのか分からないので、「なんでなんで~??」と無邪気にエルサの部屋のドアを叩くのです。

隠蔽(Conceal)

両親が死んで、アレンデール王国の戴冠式、お城の門が開く瞬間は、まさに成人して自立する時。これ以上もう誤魔化せない。私だって幸せになりたい。

お城がちゃんと門をあけたりして普通に機能してないと、周りの国のやつらが「あの国おかしいんじゃないか」と探りを入れてくるのも当然。やべー、今日だけは門開けて戴冠式しなきゃなんない。エルサ、どう隠すかピンチ。

隠蔽工作失敗(Well now they know)

しかしアナ(主人格)はこの門の解放を機に人生を謳歌したいので、彼氏とか作っちゃうんですよね。「私、この人と結婚するから!」とかいきなり言われても、エルサ(恐怖する人格)的には冗談じゃないですよ、ゾッとするほどわけわかんないし、これからなるべく静かにバレないように生きてこうと思ってがんばってんのにふざけんなよ、私がどんな思いであんたに隠してきたと思ってるんだよって感じ。だけどアナはそんなの知らないから「ハンスの兄弟もここで暮らそう」とか言っちゃって、「私はなんでもないように人と交流できる人間じゃない」って思い込んでるエルサはもうわけわかんなすぎてパニック、とうとうアナやみんなの前でブチ切れて能力を見せてしまう。

編者注

劇中歌「れりごー(Let It Go)」のサビ前までの歌詞が、以上の「アナ雪」のストーリーと呼応しています。よくできています。

YouTube:『アナと雪の女王 MovieNEX』レット・イット・ゴー ~ありのままで~/エルサ(松たか子)<日本語歌詞付 Ver.>(2014/02/13付)

「ありのままで」(Let It Go)問題

やっちまったエルサは「ありのままの自分を好きになる」と言って完全に開き直って服装も変えて強気な雰囲気になるが、それでは人としては社会で生きられないのです。だからその間、王国や城は凍ってしまったし、それで困ったハンスや他の国の人たちが押しかけてくるのは当然なのです。

アナ(主人格)は、エルサ(恐怖する人格)が閉じこもる氷の城に出向き、「二人で山を下りよう(自己統合しよう)」と説得します。

エルサ「私に近づかないで ここでは自由に生きられるの」(あんただけ好きに生きてください)

アナ「アレンデールが氷に包まれて危機なの」(あんたのおかげで今の私も安心して生活できないのよ)

エルサ(せっかく自分の能力を認めることができて、そんな自分でもいいじゃない、って思ったのに、まさか、自分自身や周りの人にまで迷惑をかけているとは……。)

絶望です。

怪物の誕生(some kind of monster)

エルサは追いつめられて“怪物マシュマロウ”を誕生させる。体中から鋭利なつららが生えているマシュマロウは、逆ギレのやけっぱち。なぎ倒し、さらに過食したり自暴自棄な自傷行為で、その時受けた傷によってアナの心臓が凍ってしまう。

「アナ雪」の男・脇役たち

アナとエルサを「主人格」と「分裂したもう一つの人格」として観ると、アナが出会った二人の男ら、脇役たちも面白かった。

要約すると

  1. 入れ物しか見ない「ハンス
  2. 統合を手伝う「クリストフ
  3. テキトーな世間「トロール
  4. 理解のある友人「オラフ

である。

(1)ハンス

エルサの能力のことなど知らない状態でアナが恋に落ちるのがハンス。自分の中にトラウマによる分裂人格がいることすら無自覚な状態で熱烈な恋に落ちる相手は、ハンスみたいな男がしっくりくる。ハンスは、アレンデールの国とか城とか、入れ物しか見てない。つまり「女のことを『女である』というところだけしか価値がないと思ってる男」と言い換えることができる。

こういう男にとって、女の中にある人格は

  • 幸せを夢見るアナも
  • トラウマに怯え心閉ざすエルサも

必要ない。

主人格と分裂人格がバラバラの状態の人のほうが操作しやすいので無意識にそういう人に近づいてくるのがハンス男、映画の中のハンスも、ちゃんとした国じゃなくて、城が閉ざされて周りの諸国から怪しまれている不安定そうなアレンデールなら乗っ取るのが簡単だから近づいたわけですね。

(2)クリストフ

一方、エルサという分裂した人格と統合しようと奮闘している時にアナが出会った男、クリストフ。どこに出しても恥ずかしくない王子様であるハンスに比べ、クリストフは「友達はロバと石だけ」な、かなりヤバめな感じ。

トロールたちはクリストフとアナをくっつけようとする。

(3)トロール

アナを主人格とすると、トロールはその時々によって言うことがいろいろ違って、当たっていたりはずれていたり、大事なことも言うけど基本的には適当な「世間」(ちょっとした知人やインターネットや世論)。

(4)オラフ

そう考えるとオラフは「理解のある友人」があてはまる(映画でもそうだけど)。

乗っ取りの危機

瀕死状態で回復のキスを求めるアナを「ちょうどよかった、お前そのまま死んじゃってよ」と切り捨てるハンス。他の国の人たちに沈痛な面持ちで「アナが国の権利を私に託したまま死にました」と報告、国王(自分に迷惑をかけずに家事も仕事もこなす妻を持つ男)になるにはエルサが邪魔(トラウマでグジグジされるのも嫌)なので、エルサも殺しちゃうことにしました。

アレンデールの城(一人の人間)が生きるには、ハンス(モラハラ男)の言いなりになって、アナとエルサ(自分の性質や夢)を殺して、入れ物だけでハンスに生かされ続けるしかない、絶体絶命の状態。

自己統合の物語だった!

私はこの時、クリストフとキスするもんだと思っていました。アナとエルサの自己統合には、力強く寄り添ってくれる第3者の存在も重要だから、まずはクリストフとキスして、どうやってハッピーエンドになるのかな~って思ってました。

だから展開にびっくり。

まさに自己統合じゃないか!

「統合」後のシーンが意味するもの

自分の能力を恐れなくていいんだ、「愛」でなんとかなるんだ、とエルサが気づいて、城に戻って、門を解放した状態で暮らすことができるようになったのは「一人の人間の自立」を表している。自分の“能力”にはいいところも悪いところもあって、ダメだと思い込むだけじゃなく、それがどんな性質か知って使いこなすと、いろんな人と知り合えるし、楽しい人生が待っている。さらに、統合すると自分の意志とかはっきりするので、嫌なやつと貿易するのやめたりできるようになる。

アナとエルサがバラバラに暮らしてると、ハンスとか他の国のオッサンにNOと言えなくてアレンデールを乗っ取られたり、良いように使われちゃったりするんですよね。

ありのままで=「呪縛」脱出の布石

途中、開き直って氷の城で絶好調だったエルサが、アレンデールが凍ってると聞かされ、「なにもかも無駄だったの 無意味だったの」と嘆くシーンがあるけど、エルサが氷の城に閉じこもったことで問題が表面化したし、何よりも雪の中でティアラ(王族であるという世間体)やマント(寒くないのに寒いって本来の自分を隠しマトモな人のふりしてる)を脱いでいったのは、それまでトロールや両親、そしてエルサ自身がかけていた「いい子でいなきゃいけない」とか「自分を出しちゃいけない」「自分を好きになっちゃいけない」という呪詛、を抜く行為なので、アナとエルサが自己統合するためには、まずは氷の城の時期は絶対に必要だった。

揉めた時にアナが、エルサの手袋を片方取ってしまったのもよかった。エルサにとっての手袋は親からの呪詛そのものだから。

もし…だったら

もし、あの戴冠式の日、アナがあんなに「自由を謳歌するぜ!」って飛び回るような気持ちではなく、「どうせダメだ…引きこもりの姉さんいるし…あたしに恋なんかできるわけがない」と卑屈な気持ちだったら、エルサの「今日一日だけマトモなふりする」という決意に巻き取られ、何事もなく戴冠式が終わり、せっかくの自己統合のチャンスだったのにまた門を閉じた城での「どうしてあたしはこんななのかしら」という生活が始まっただろう。

総括

私は「自分はダメだ」と閉じこもる気持ち(エルサ)を破壊するくらい「幸せになりたい」という気持ちを全身で表現するアナが大好きだ。でも、観る時によっては、エルサを放っておいてやれよって思う時もあるかもしれない。そんな楽しい映画だった。あーまた観たい。

エンドロールのあとに出てきたシーン、マシュマロウがティアラを頭にのせると、鋭利なつららがひっこんで優しい笑顔になる、というのも、意味深だった。世間体は尊重しすぎても自分が苦しいけど、生きていく上で無視しすぎることもできない。

エルサがまた氷の城にやってきて、マシュマロウの背中からつららが生えて、国が危機になることも、これから先あったとしても、アナが迎えに来てくれるから大丈夫だ!

まとめ

田房永子さんの優れた分析によって、「アナと雪の女王」とは、

  • 他人にかけられた and/or 自分自身がかけた「呪い/呪縛/呪詛」
  • かかった「呪縛」を解く過程
  • 「呪縛」からの脱却による自己統合

を描いた物語だということが明らかとなりました。

私はこの元記事を読んでから「アナ雪」を鑑賞したので、オープニングの氷を切り出すくだりで歌われる労働歌で「なんだ、ここで全部言ってるじゃん」と思ったものです。

disney.comでの盛大な「ネタばらし」

探してみると、英語コンテンツで盛大に「ネタばらし」していました。

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FROZEN’S OPENING SONG PREDICTS THE WHOLE MOVIE|OH MY DISNEY(2014/12/19付?)より

最初の2パラグラフを引用しておきます。拙訳も付けておきました。

Gather ‘round, kids, because today we’re going to talk about a little thing called “foreshadowing.”

みんなおいで。今日は「フォアシャドーイング」という、伏線の提示についてのちょっとしたお話ですよ。

If you were truly paying attention the first time you saw Frozen, you would have known half the plot about five minutes in, because the ice harvesters lay it all out for you in “Frozen Heart.”

もしみんなが「アナと雪の女王」を初めて見たときによく注意していたなら、最初の5分間で話の筋書きが半ばわかったことでしょう。というのも、氷を切り出す人たちが《氷の心(Frozen Heart)》のなかで全部みんなに示してくれているからです。

Let’s take a closer look at those lyrics. Is “Frozen Heart” a literal ballad about ice and its various properties, or is it a subtle yet profound allusion to the movie’s themes? You decide:

歌詞をじっくり見ていきましょう。《氷の心》とは、文字どおり氷とそのいろいろな性質を歌った歌なのでしょうか? それとも、映画のテーマを暗にぼんやりと、でも重要な形で示しているのでしょうか? 答えはあなた次第です。

ちなみに、「フォアシャドーイング」とは、

to show or indicate beforehand; prefigure

あらかじめ提示する、または指し示すこと。予示(Dictionary.com > foreshadowing より)

ぐらいの意味です。

次回予告

以上でリライトしたテキストをベースに、別の検討を進めます。

検討するテーマは、「Chikirinの日記」の救済です。

当記事でベースにしたテキストの助けも借りて検討するうち、筆者ちきりんさんが今なお「マッキンゼーの呪い」にかかっていることがわかってきました。

というわけで、この記事もある意味伏線です。

つづく

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