『カメラの前のモノローグ』の武満徹語録【読書メモ】

こんにちは。昔の読書メモから記事にしました。用件はタイトルのとおりです。

武満徹「カメラの前のモノローグ」抜粋

武満徹(1930-1996)

「いいね!」という箇所に線を引いておきました。

僕はやっぱり自分が音楽をやり始めたときから、音楽というものを、自分のことをいつも考えたいと思ってたから。(略)ただなにしろね、音楽を作曲したりしてるのは苦しいけれども、作曲してるときが一番楽しいのね。(pp.188-189)

僕は、常に特別なインスピレーションが湧いて、ワァーッとピアノ弾いて突然作曲したとかねえ、(略)そういうふうじゃないんですよ。そういうの僕あんまり好きじゃないんですよ。(p.189)

まるでホワイトカラーのように、ちゃんとどっかの銀行に働きに行くように音楽をやりたい。特別の仕事じゃなく、みんなが、ある人は銀行へ行ったり、ある人は商社に行ったり、ある人は工場に行ったりしている。僕はたまたまピアノの前にいて作曲をしている。仕事をしているっていうふうになりたいんですよ。(p.189)

素敵です。

これからじゃないんだ、本当のことを言えば。今、今なんだ。今僕が何をするか。今を正確に……だめでも今を正確にやる、正直にやるってことですよ。それはジョン・ケージがいつもそうだった。現在を正確に行う。(p.193)

本当に簡潔で、日本の昔の曲に匹敵するぐらいの曲じゃないと、嫌なんですよ。うんと飾った曲なら、お化粧した曲なら書けるんですよね、きっと。僕は、本当に単純な音楽を書きたいんだけど。(p.196)

今なにしろ自分が感じた音とか、その考えた音とか感じた音とかそれから自分に聴こえてきた音とかを、音譜にするっていうことは本当に難しいんですよね。技術がないってこともあるし。楽器の数なんか知れてるけど、それでも一つ一つ違うし。それからやっぱり演奏する人たちが喜んで演奏できるもんじゃないと、つまんないと思うんですよね。でもそれを書くのは本当に難しい。(pp.196-197)

結局音楽は何でしょうって質問を、僕は毎日自分に出してるようなもんだからね。結局は音楽って何だろう。(略)ああ、無上の感覚、無上の喜びだとも言えるし。でも言った途端にそれはみんな嘘に聞こえるし。僕は音楽をやってるのはやっぱり、自分に対して、音楽っていうのは僕にとってあるいは人間にとって何なんだろうか、っていう質問を出してる。まあ、僕なりに正確に答えられるとしたら、それは僕の音楽でしかない。だからそれは聴く人によって違うから、答えもみんな違うかもしれない。(p.199-202)

ちなみに武満パートでいちばん印象に残ったエピソードは、「ジョン・ケージの家には物がほとんどなくてびっくりした」です。

感想

どれも武満らしさがよく出ています。ああやっぱりこの人って、この人の考えていたことって、こうだったんだと、どこか安らぐ心地すらします。

「この人らしい」とか「イメージどおり」とか書きましたが、何を知ってるわけでもありません。

実を言えば彼の作品すらまともに聴いたことはない。というオチ。

早春賦 (武満徹 編)
村治佳織
¥250

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