こんにちは。生まれついてのタイムトラベラーがお返事します。
はじめに:ここまでのあらすじ
先日、「タイムトラベルものの絶対矛盾」(2014/03/12 最終更新:2014/03/17)と題した過去記事のコメント欄に、まるで高濃度放射線のような濃くて危険なコメントをいただきました。
当記事は、そちらへの返信です。
まさに放射性物質のごとく、慎重に取り扱わないと大変なことになる話に思えたので、返信だけで独立した1記事としました。
具体的なコメント内容については、当該記事のコメント欄をご覧ください。「カモメのロック」さんからのものです。
- 成果:「今」がわかった!
- 「カモメのロック」さんへの返信―「タイムトラベルものの絶対矛盾」に関して
- その1:「時間旅行者にとって結局そこは『今』なのではないか?」という問いについて
- その2:「今」「過去/未来」の定義について
- 2-1:「今」とは?
- 2-2:「過去/未来」とは?
- その3:「時間」と「空間」の相似点・相違点
- 補論
- その4:「時空に遍在する立場」の場合は?
- 4-1:過去・現在・未来のあり方について
- 4-2:時空を一望できるなら
- 4-3:「左・右」の偏在(遍在にあらず)
- 【Break】普遍ではない「左・右」表現
- 課題:「時空に遍在する立場」で考えてみる
- その5:文章表現が稚拙でした
- 5-1:「想像実験:1泊2日・10年のタイムトラベル」について
- 5-2:「『浦島太郎』の整合志向」について
- 5-3:手塚治虫『火の鳥(異形編)』と永井均『マンガは哲学する』の関係
- まとめ・発見事項
成果:「今」がわかった!
あれこれ考えているうち、えらいことになってしまいました。私はまさに今の今まで、「今」をずっと誤解していたことがわかったのです。
その「さわり」としてここではメモ代わりの自ツイートだけ貼り付けておきます。
なんということでしょう。
「今」という言葉が表す概念がはっきりわかってしまいました。
生まれてからン10年間ずっと、「今=瞬間・時間etc.」だと誤解していました。
ではなくて、
「今」とは「私(語る主観)と対象(語られる何か)の関係」を示す表現形式(のひとつ)だったのです。— ヤシロタケツグ「デザインや」 (@yashiro_with_t) 2016年3月19日
当記事の目的からはそれますので、詳しい説明はさらに別の記事で。
「カモメのロック」さんへの返信―「タイムトラベルものの絶対矛盾」に関して
引用は正確に行いますが、取り上げ方は恣意的です。
不審な点がありましたら、当該記事のコメント欄をご確認ください。
その1:「時間旅行者にとって結局そこは『今』なのではないか?」という問いについて
「考察1」より:
「時間旅行者が体験する未来や過去は、彼自身にとって『今』ではない」
と主張する人や作品があれば教えてください。
「過去の私」です。「主張する人」だったか?と問われると、そこは微妙ですが。
以下、その説明です。
「時間旅行者が体験する未来や過去は、彼自身にとって『今』ではない」
そのような認識に基づいた作品にわたしは出会ったことがありません。
(かつての)私は、そのような認識に基づいて世の「タイムトラベルもの」を受容していました。
誰もそのような主張をしていないように思うのです。
「主張」はなかったかもしれません。しかし、そのような「認識」は存在します。少なくとも私がそうでした。
なぜ誰も主張していないことを否定しなければならないのか。なぜ自明な事実をあらためて確認するのか。それがわからないのです。
よって、私には「自明な事実」ではなかったためです。
中間まとめ1
私が述べたかったのは、世の「タイムトラベルもの」自体の側ではなく、それを受容する側のような気がしてきました。
その2:「今」「過去/未来」の定義について
「考察2」より:
「今」や「過去/未来」をどのように定義されているのか
分けて答えていきます。
2-1:「今」とは?
「今」の定義は
- 私のいる現在
- またはその近傍
です。
ヤシロさんは《今ならば過去/未来ではない》という排中律を前提とされているようですが、
「タイムトラベルもの」の話題の中なら、そうですね。
日常的用法の場合は、「過去」も「未来」も「現在の近傍」と認識されれば、それは「今」の範疇です。
「そば屋の出前」を例にすれば
- 今出ました。(過去)
- 今出てます。(現在)
- 今出まーす。(未来)
どれも用法として成立しますし、何の違和感もありません。
中間まとめ2-1
「今=現在」という認識では、誤ることがわかってきました。
2-2:「過去/未来」とは?
私が生きている現在を基準にして述べると、
- 過去とは「世界が経験した領域」
- 未来とは「世界が(まだ)経験していない領域」
です。
一般的には、それぞれの時間軸においての相対的な位置関係を指し示すために「過去」や「未来」という言葉を用いるので、絶対的な過去や未来と呼べるものはありません。
そのとおりですね。異存ありません。
中間まとめ2-2
時間軸上の基準点がないと、過去と未来は定義できません。
その3:「時間」と「空間」の相似点・相違点
ヤシロさんは、次の問いにはどのようにお答えになるのでしょうか。
東なり西なりに行って、その世界や住人であるホストと接触し、いろいろ体験するとします。
ここで疑問が生まれます。はたしてそれは、東/西に行ったことになるのでしょうか。
はい。なります。
ゲスト(自分)にとって、それを体験しているのは、まさに「ここ」なんじゃないでしょうか?
はい。そうですね。
西からやって来たドラえもんにとって、「今、ここ」の地域とは「東」なのでしょうか?
出発点から見れば、そうなりますね。
わたしの場合は、これらの問いにも前述のヤシロさんの問いにもまったく同じ答えを返します。
なるほど。
中間まとめ3
「出発点から見れば」が重要ポイントだとわかってきました。
たとえば西船橋に西の西葛西から東京メトロ東西線に乗ってやって来た場合に、その地域が「東」なのかは微妙です。なぜなら西船橋は通常「東京メトロ東西線の東の端」ではなく、「船橋の西」という認知のされ方をしているためです。ややこしいなっしー!
補論
自分が
- 「東/西」と「ここ」
- 「過去/未来」と「今」
の両者において「まったく同じ答え」を出すのに躊躇したのはなぜか、自問してみました。
思うに、「過去/未来」と「今」の方を、不可分な「癒着」度の高い関係のように感じていたのでしょう。
- しかし、本当にそうなのか?
- 実はそうではなくて、「東/西」と「ここ」の関係程度には、それぞれ独立している別個の系じゃないのか?
そう疑わないとならない。と理解しました。
そしてどうやら、実際そのようです。
その4:「時空に遍在する立場」の場合は?
「時空に遍在する立場」が難解です。なんとか答えてみます。
4-1:過去・現在・未来のあり方について
「考察3」より:
時空に遍在する立場から見た「過去・現在・未来」は、たしかに、われわれが日常で感じるところのそれとは違うので、Q1・Q3に「いいえ」と答えることもできそうです。
※ちなみにQ1・Q3はこちら:
Q1: はたしてそれは、過去/未来(東/西)に行ったことになるのでしょうか。
Q3: 未来(西)から来たドラえもんにとって「今、ここ」とは「過去(東)」なのでしょうか?
難しくてわからなくなってきました。
Q1・Q3に「いいえ」と答えることができるか?
への回答としては、現段階で「できるかもしれません」が穏当なところです。
ここまで書いて、ヤシロさんは『スローターハウス5』や『タイタンの妖女』のようなタイムトラベルを想定されているのではないかと思い至りました。
近い気もしますが、ちょっとわからないです。
あいにく、どちらも存じ上げませんでした。取り急ぎWikipedia「スローターハウス5」「タイタンの妖女」には目を通しました。
ともにカート・ヴォネガットの小説なのですね。私にとっては視野に入るか入らないかのゾーンにあります。勉強になります。
中間まとめ4-1
なんか、「『タイムトラベルもの』に対する見識が狭かった」というオチの気も。
4-2:時空を一望できるなら
つまり、時空を一望する立場から見れば、「過去・現在・未来」の区別は価値がなく、あらゆる時点は「今」であり、「未来に行く」とか「過去から戻る」いう表現は「今から今に行く」とか「今から今に戻る」という表現と同等に無意味で、すべてはあるようにあるだけだ(「そういうものだ」)と、ヤシロさんはおっしゃられているのでしょうか。
いいえ。そんな高度なことは考えてなかったです。
けれどもそこから思うに、
- あらゆる時点は「今」であり、「今」は一意に定まらない。
このように前提できるのであれば、「今から今に行く」とか「今から今に戻る」という表現は決して無意味じゃないですよね。わかりにくいけど。
中間まとめ4-2
「今」が多義的であり一意(ユニーク)でなければ、論理的には
- 今から今に行く
- 今から今に戻る
が成立します。
わかりにくいですが、言明としても意味をもちます。便宜的に記号を付け加えると
- 今Aから今Bに行く
- 今Bから今Aに戻る
という具合でしょうか。ちょっとザ・ぼんちの漫才みたいになってきました(古いな)。
そーなんです。
参考音源:
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4-3:「左・右」の偏在(遍在にあらず)
『スローターハウス5』のトラルファマドール星人も、われわれが「左・右」を区別するようなレベルでは「過去・未来」を区別すると思いますし、それを「矛盾」とは言えないのではないでしょうか。
そうですね。そのとおりだと思います。
ですがこのあたりって、「深淵」の入り口なんですよね。注意して進まないとやられます。
【Break】普遍ではない「左・右」表現
ここらでちょいと一服します。
今井むつみさんの『ことばと思考』(2010)によると、この地球上には、「左」「右」の概念を持たない言語が多くあるそうです。その言語(だけ)で生きる人は、「左・右」を持たない人たちということになります。
で、それらの言語では、空間を「絶対座標」でしか表現しないのだそうで。
もしも、相対的表現がなかったら…
当記事の主題に合わせて、時間的な表現に置き換えてみます。
たとえば日本語であれば、
私がこの本を読んだのは
- 2015年です。(絶対的)
- 昨年です。(相対的)
と、どちらの言い方もできます。
※ちなみに2016年のいまは両方とも本当の話ですが、年が違えば後者(2.)は虚偽となります。
ところが世の中には、前者(1.)の絶対的表現しか存在せず、「前・後・左・右」みたいな相対的な関係を示す表現を持ち合わせていない言語がある。そういう話です。
ですから「当該の記事を書いた後に読んだ」とすら言えません。私はすんげー困ってしまうんですけど、そういう言語を使う人であれば、たぶん全然困ってないのですよね。面白い。
同じく『ことばと思考』によれば、
では、空間表現において「前」「後」「左」「右」という相対枠組みのことばを持たない言語では、時間上の位置関係をどのように表現するのだろうか。(p.96)
を、ある言語学者が「クーク・サーヨール」という言語を話すオーストラリアの先住民を対象に調査したんだそうです。
同書で紹介されていた実験の結果は、「やはり」というか「おおそうなるか」というか、とにかく興味深いものでした。
ただし調査対象にした言語には、「昨日」「明日」「すぐ」「次回」に相当する表現はあるそうです(p.97)。それってどういうことなの?も、さらに考えていきたいところです。
あと、実は今回、読み返してみるまでここらのくだりをすっかり忘れていて、初めて読んだときと変わらない読書体験ができました。なんだそれ。
中間まとめExtra
やはり、認識の問題なのかもしれない。
課題:「時空に遍在する立場」で考えてみる
「時空に遍在する立場」の場合、「過去・現在・未来」はどのように認識されるのだろうか?
遍在:広くあちらこちらにゆきわたってあること。(広辞苑)
この問題については、
- 世界の時間軸
- 私の時間軸
- (私の)体験の時間軸
ここらの時間軸同士の関係を考えていくのがよさそうです。
その5:文章表現が稚拙でした
回答に戻ります。
ここからは、元の文章では自身の主張・意見をうまく表せていなかったパターンです。そのため、余計なすれ違いを生んでしまいました。すみません。
5-1:「想像実験:1泊2日・10年のタイムトラベル」について
「老ける」かどうかという点においては、ほとんどの「タイムトラベルもの」のつじつまは合っているように思えるのです。
はい。おっしゃるとおりだと思います。
指摘していただいてわかりましたが、ここは元の書きぶりが粗雑でした。すみません。
いくつか具体例もご提示いただき、ありがとうございます。どれも「老けている」として差し支えないです。
「老けて」いない「タイムトラベルもの」というのは、具体的にどの作品のことなんでしょうか。
私が言いたかったのは、
- 時間軸上を好きなようにトラベルできるはずなのに、自分が知る範囲の例はどれもこれも「ぬるく」ないか?
- 想像実験で示したような、もっとパンクでアナーキーなパターンの物語がたくさんあっていいじゃないか。
ということです。
中間まとめ5-1
性懲りもなく荒っぽいたとえで恐縮です。
別の言い方をすると、世の「タイムトラベルもの」に対するこういう不満があったのです。
- 議員や首長の「視察」に代表される、ふんどしゆるゆるな「物見遊山」の「大名旅行」ばっかり
- じゃなくて、もっともっとスケジュールなりプランなりがとんがっていてエッジの利いた、「弾丸ツアー」や「クレイジージャーニー」がもっともっとあっていいじゃないか!
しかし検討してきたとおり、私自身が不勉強で了見が狭かった面はあります。多様な「タイムトラベルもの」のありようを提示いただきありがとうございます。
5-2:「『浦島太郎』の整合志向」について
玉手箱の煙で白髪の老人になることで矛盾が解決されるという主張は「滞在期間のぶんだけ老けなければ、つじつまが合わない」というヤシロさん自身の主張に反していませんか?
ですので「志向」と述べました。
ヤシロさんが、何を「矛盾」とされているのか、なぜ玉手箱の煙による老化で「矛盾が解決され」ることになるのかが理解できません。
きちんと考えていくと、そうなりますよね。論理構成が甘かったです。
『御伽草子』によると、浦島太郎は竜宮城で3年過ごして帰ってきたら700年たっていたそうです。
初めて知りました。セクシーですね。
この場合、浦島太郎は、玉手箱を開けるまでは3年ぶん「老けて」います。つじつまが合っているのではないでしょうか。
ご指摘のとおり、合っていると思います。
中間まとめ5-2:浦島太郎エロい
私の中では、世にあるあまたの「ゆるい」タイムトラベルものの中で、浦島太郎のストーリーが異彩を放っているように思えました。
- 最後に玉手箱で落とし前をつける
に加えて、ご教示いただいた
- 竜宮城での3年が元いた世界の700年に相当
というのも、セクシーでエロいです。
そこらあたりを「整合志向」という言葉で言い表したかったのでした。
5-3:手塚治虫『火の鳥(異形編)』と永井均『マンガは哲学する』の関係
大前提:過去に戻っているならば、私は17歳の高校生である。
小前提:私は17歳の高校生ではない。
結論 :ゆえに過去に戻っていない。この推論は形式的には妥当ですが、
はい。
これらの命題が『火の鳥(異形編)』についてのものだとすれば、
ではないです。
ここで永井さんが検討しているのは、手塚治虫によるストーリーを足がかりとして設定した類例です。
回答は以上です。
まとめ・発見事項
まとめます。内容的には「中間まとめ」のくり返しです。
その1:タイムトラベルに対して
- 「タイムトラベルものの絶対矛盾」は、「作品」の側ではなく、それを受容する側の問題かもしれない
- 単に「タイムトラベルもの」に対する見識が狭かった。というオチ?
その2:時間の表現について
- 「今=現在」という認識では、誤る
- 時間軸上の基準点がないと、過去と未来は定義できない
- ゆえに、「出発点から見れば」が重要
後記:「ドリル」すんのかーい せんのかーい
今回コメントをいただいたのをきっかけに、返信を書くための参考書がほしくなってAmazon.co.jpをぶらついていたら、こちらの書籍を見つけました。
(内容より)
哲学の文章は「誤読」の可能性に満ちている。
本書は、大学入試(国語)に出題された野矢茂樹・永井均・中島義道・大森荘蔵の文章を精読する試みである。
そそる企画とラインナップでした。入試での設問も付いています。
出題者・解説者・入不二自身・執筆者それぞれの「誤読」に焦点をあてながら、哲学の文章の読み方を明快に示す、ユニークな入門書。
そんな、いわば「思考のドリル」です。
当初は全問終えてから返信を書くつもりでいたのですが、まだ第1問が終わったところです。1問目の答え合わせ段階で既に自分の不見識ぶりを突きつけられており、やばい。実にやばい。
という具合に、解きながら考えながら解答解説と照らし合わせながら(Androidタブレットの無料版エディタで書いた解答テキストがクラウドに保存されておらず)ダメージ受けながらので、進めるのに時間がかかってしまっているのが難点です。それでも、自身の今後の課題にはぴったりな感触があります。
図書に対するおのれの選択眼を自画自賛している、いまここです。
満足して続きを読まないで終わってしまうかも、という「ドリルすんのかーい せんのかーい」というお話でした。
こちらからは以上です。
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