それは霊ではないはずだ―戦没者追悼式に寄せて

こんにちは。暑い日が続いております。

これからの時期の日本列島は、追悼、慰霊のシーズンとなります。

全国戦没者追悼式

毎年8月15日には、政府主催の全国戦没者追悼式が開催されます。式には天皇・皇后両陛下もご臨席され、「全国戦没者之霊」の標柱を前におことばを述べられます。

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全国戦没者追悼式での天皇・皇后両陛下(2004年) ※画像は宮内庁ホームページより

「戦没者之霊」へのいちゃもん

以前、この「全国戦没者之霊」という文言にいちゃんもんがつけられていたことがあります。ネット上には出典として提示するにふさわしい一次文献がないですが、2008年8月26日付の「産経新聞」紙上のことで、筆者は加地伸行さんでした。

いわく、戦没者之「霊」はおかしい、「霊位」とすべしというのです。

霊位の「位」とは

霊位の「位」とは、「ところ」という意味です。

「地位」の位です。社会的・組織的な「ところ」を占めているので、地位です。

「位牌」の位です。死者の霊魂がいる「ところ」を示す「木の札」なので、位牌です。

「霊位」であれば

文言を「霊位」としていれば、霊を招く「ところ」である「霊位」を示す柱に戦没者の霊を呼び寄せ、祭り、追悼する。ということになります。

たしかにこれは、ストーリーとしてしっくりきます。

~「之霊」への違和感

なぜ、~「之霊」はおかしいという主張があるのでしょう。霊だけに、いろいろな例と一緒に考えます。

お墓に「先祖代々之墓」と書いてあります。何も問題ありません。書かれているそれは墓だからです。

追悼式典の標柱に「戦没者之霊」と書いてあります。ちょっと、引っかかります。書かれているそれは霊ではないからです。

位牌に「ほにゃらら之霊」と書いてあるとします。グレーゾーンですが、容認できます。「ところ」を示す位牌に書いてあることで、セットでとらえればありかなと思うからです。

「~之霊」でよい説

ただ検索してみると、宗派によっては「~之霊」でよしとするところもあるようです。

「之霊」でよい理由を考える

なぜ、「~之霊」でよしとしているのでしょう。霊だけに、ほかの例と一緒に考えます。

例その1

たとえば、道路を走っていて県や市の境を越えるとき、道の上や横に「○○県」や「××市」と書き表した標識をよく目にします。

箱根峠

当たりまえですが、「○○県」と書いた標識は○○県ではありません。進む先が○○県の領域であることを示しているだけです。

例その2

たとえば、昼休みのオフィス街。ランチに繰り出すサラリーマンやOLの中に、社員証の入ったホルダーを首から提げた人も多くいます。

 

当たりまえですが、社員証は社員ではありません。提げた人が社員であることを示しているだけです。

「~之霊」は、標識や社員証のようなもの?

戦没者「之霊」と書いた柱を祭っているとしても、まさか柱そのものが霊だと思う人はいないでしょう。

というところで、「之霊」とした標柱の場合も、標識や社員証とそれらが示すものとの関係と同じように考えればよいということなのでしょうか。

だとすると、少々困ります。霊には実体がないからです。

理解できることはできますが、どこへベクトルを向けて実体のない霊を追悼すればいいのか曖昧なので、「霊位」のときよりも1ステップだけ、ストーリーとしてなじみにくいです。

まとめ

戦没者之「霊」でも間違いではなさそうですが、僕には「霊位」よりも回りくどく感じられます。僕は「霊位」の方がいいです。

次の記事へつづく。

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