新年明けましておめでとうございます。1月なので「1」にちなんだ説を持ってまいりました。
名づけて、オヤジ語「一丁目一番地」の大流行、TBS「噂の!東京マガジン」が育てだ説です。まさしく、インキュベーター(培養器)です。
要約:Executive Summary
- 「一丁目一番地」という言い方があります。「最優先課題」(コトバンク > デジタル大辞泉の解説)ぐらいの意味です。
- 平成20年代に入って「一丁目一番地」は国会で大流行を見せ、オヤジが好んで使うオヤジ語の仲間入りを果たします。
- かつて「一丁目一番地」という名前のコーナーを定期的に放送していたTBSのテレビ番組「噂の!東京マガジン」が、流行に至るまで「一丁目一番地」を育み続けた「インキュベーター(培養器)」と考えられます。
「一丁目一番地」の平成史―国会会議録から
国会会議録検索システムを使って国会議事録をさかのぼり、「一丁目一番地」の平成史をふり返ります。
ちょいと気になる今どきの日本語「一丁目一番地」の「平成編」です。
「一丁目一番地」とは
コトバンク > デジタル大辞泉の解説では、「一丁目一番地」について次のように書かれています。
最初に実施すべき最重要な事柄をたとえていう。最優先課題。
2011年の日本経済新聞の記事(後述)では、2009年(平成21年)10月に収録されたとしています。
例:平成27年国会の「一丁目一番地」
たとえば平成27年(2015年)分の国会会議録を検索すると、34の会議録に、のべ40回以上「一丁目一番地」が使われています。
中には若干「最重要」のニュアンスが薄いものもありますが、おおむね全ての用例で、デジタル大辞泉の解説にあるような「最優先・最重要の課題」という意味あいで使われていると言えます。
ちなみに、そんな「一丁目一番地」とセットで多く使われる平成27年時点での“共起語”は、「安倍内閣」「改革」「地方創生」です。(俺コーパスによる)
加齢臭漂う?「オヤジ語」
「一丁目一番地」なんて初めて聞いたぞ。という人も多いかもしれません。であれば幸いです。
「一丁目一番地」は、オヤジ語です。永田町方面、霞が関方面、そしてそこを取り巻くオヤジジャーナルで多用されます。中高年男性の加齢臭がします。
「一丁目一番地」平成20年代のビッグバン
平成元年以降、平成27年末までの国会会議録での「一丁目一番地」のヒット件数は、年代ごとに次のとおりです。
- 平成20年代[27年末まで。のべ8年]:379件
- 平成10年代[のべ10年]:56件
- 平成一ケタ[のべ9年]:9件
国会では、平成20年代に入って「一丁目一番地」が爆発的に使われ始めたことがわかります。
平成20~27年(2008-2015年)の「一丁目一番地」件数を単純平均すると、ほぼ毎週1回、誰かが国会で「一丁目一番地」と言っている計算となります。
何が「一丁目一番地」ビッグバンを生んだのか?
それ以前と比べてみると、平成10年代(1998-2007年)は10年間で56件、平成一ケタ(1989-1997)は9年間でわずか9件です。しかもそのうち平成3年8月29日の用例は「杉並区浜田山一丁目一番地」という、ただの住所です。
平成20年代の国会では「一丁目一番地」ビッグバンが起こっていました。
いったい何がオヤジ語「一丁目一番地」のビッグバンを生んだのでしょうか?
政権交代は関係ない派
この用例急増を、民主党への政権交代と関係づけているように読める記事がありました。
09年の政権交代以後、鳩山由紀夫首相(同)が地域主権改革を「まさにこの内閣の一丁目一番地」などと繰り返し発言したのを機に広まりを見せ、新聞に登場する回数が急増しています。
出典:最近よく聞く「一丁目一番地」ってどこ?|日本経済新聞(2011/02/08付)
登場件数を集計してグラフにしていました。転載します。
平成20年代(2008-)に入って「一丁目一番地」の用例が急増していることは事実です。しかし私見を述べると、政権交代とはさほど関係ないと思います。「たまたま」です。
どの党派が政権を担うかに関係なく、時代の必然だった。というのが、調査しての見解です。
「インキュベーター」は「平成のオヤジ番組」説
影響を考えるなら、むしろ注目すべきは、「噂の!東京マガジン」(TBS系, 1989-)でOAされていたコーナー「一丁目一番地」ではなかろうかと思うのです。
『The Tipping Point』でいうところの、Tip[転換]が起こった。というのが私の見方です。
(翻訳版はこちら)
くり返しますと、平成のオヤジ番組「噂の!東京マガジン」の「一丁目一番地」が、平成のオヤジたちの「一丁目一番地」を育み、平成20年代に入ってからの爆発的な流行を生んだのです。
平成のオヤジ番組「噂の!東京マガジン」(TBS系)について
「噂の!東京マガジン」は、日曜のお昼1時から、TBS系列で放送されているテレビ番組です。主に東日本が放送地域ですから、西日本の方はご存じでないかもしれません。
簡単に説明すると、司会のオヤジが、美人 and/or 有能な「女性秘書」を隣にはべらせて進行するオヤジ番組です。
噂の!東京マガジン|TBSより
各コーナーも
- 今週の中吊り大賞[現・週刊!見出し大賞]
- 噂の現場
- 平成の常識・やって!TRY
などなど、徹頭徹尾オヤジ目線で作られている番組です。
放送開始が平成元年(1989年)といいますから、まさに平成のオヤジ史を飾るにふさわしい長寿オヤジ番組です。
町角で若い女性をつかまえた「てい」で、料理などいろいろな「常識」をさせる「やって!TRY」には、女性差別の声もあるといいます。しかしその程度の批判で高齢男性向け路線は揺るぎません。オヤジ史観は盤石なのであります。
参考:Wikipedia「噂の!東京マガジン」
「一丁目一番地」のコーナー
その「噂の!東京マガジン」に、かつて「一丁目一番地」というコーナーがありました。
街の一丁目一番地を捜し歩くという企画。一丁目一番地にたどり着くまでの人との触れあいや、映し出される街の情景がある。
当初は実際に一丁目一番地の歴史などを探るコーナーだったが、その後、人との触れ合いのみが目的になった。
Wikipedia「噂の!東京マガジン」より
放送時期は? 平成10年代あたりか?
具体的な時期がはっきりしませんが、「一丁目一番地」のコーナーが放送されていたのは平成10年代の大半ではなかったかと考えられます。
当時とっくに高齢に入っていた私は、この「一丁目一番地」第1回目の放送を見た記憶があります。あいにく詳細な放送時期を覚えていないのが残念です。記録に残していなかったことが悔やまれます。
ネットの検索では信頼に足る記載が見つかりませんでしたが、感触では、遅くとも平成13年(2001年)には放送されていたと言えそうです。
また、コーナーを担当していた志垣太郎さんは、2010年?のあるインタビューで、「8年間もやらせていただきました」と述懐しています。
「噂の東京マガジン」では、「一丁目一番地」というコーナーをやらしてもらいました。アポなし取材は今でこそ当たり前になっていますが、「一丁目一番地」がスタートした当時はまだそんな言葉すらなく、スタッフと一緒に手さぐりで取材を行って、コーナーを形にしていった思い出があります。(略)お陰さまで、「噂の現場」「やってTRY!」に次ぐ、長寿コーナーとして8年間もやらせていただきました。
出典:あの有名人の健康法 > 俳優 志垣太郎さん|元気読本
仮に2001年スタートとすれば、2009年までです。
放送されていた正確な期間と回数について、今度番組デスクに問い合わせておきます。
いずれにせよ、「一丁目一番地」を育むには十分な長さです。
補説・まとめ
オヤジ語「一丁目一番地」の平成20年代の大流行に、政権交代は関係ありません。両者の生じた時期が、偶然近かっただけです。
以下は、国会会議録検索システムでの平成20年以降の「一丁目一番地」379件の、年別内訳です。
- 平成20年(2008年):9件
- 21年:22件 ※民主党政権へ交代[9月]
- 22年:101件
- 23年:60件
- 24年:66件 ※自公政権へ交代[12月]
- 25年:52件
- 26年:35件
- 27年:34件
民主党政権期の件数がやや多めの感はありますが、政権の傾向とまでは言いがたいです。より大きな影響を与えているのは「時代」です。
次回予告
実は「一丁目一番地」は平成に生まれた日本語ではありません。国会会議録をさかのぼると、昭和60年代から現在の意味での用例が見られます。
また、「噂の!東京マガジン」のコーナーの「一丁目一番地」は、「最優先の課題」の意味ではありませんでした。純粋に番地、ないしはせいぜい象徴的な「原点」「ルーツ」程度のニュアンスだったと言えましょう。
しかし、平成のオヤジ番組での「一丁目一番地」の度重なる露出が、昭和からのオヤジたちに、比喩としてごく一部で流通していた「一丁目一番地」を思い起こさせ、拡散に至らせたことは間違いないでしょう。
次回予告:「昭和編」
昭和期の国会会議録で、「一丁目一番地」の用例が集中して見つかるのは、昭和60年です。
そこから導き出せるのは
- 「一丁目一番地」のふるさと、筑波研究学園都市説
です。
つづく
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