こんにちは。デザイン芸人「デザインや」です。
五輪エンブレム問題そのものもパクリだったことを発見し、自称「週刊ひとり新潮」シリーズで盛り上がっています。
要約:Executive Summary
「最近のデザイナーにオリジナリティーがまったく見られない」
岡本太郎(1911-1996)が、昔の新聞紙上でそうコメントしていました。
昭和41年(1966年)7月、当時騒ぎとなっていた「ガン切手盗作問題」に対して寄せた、「反近代」「アンチモダン」なひと言でした。
岡本太郎(1953), from commons.wikimedia.org
エンブレム問題の「温故知新」
盗作疑惑に端を発した2015年の五輪エンブレム問題は、1966年の「ガン切手盗作問題」のパクリでした。
発見!「五輪エンブレム問題」のパクリ元(1)昭和41年の「ガン切手盗作問題」 (2015/10/29)に詳しく書きました。
ガン切手盗作問題(1966)ダイジェスト
前掲記事との重複をいとわず書きますと、「ガン切手盗作問題」の流れは、ざっとこんな感じです。
- 昭和41年の「ガン切手盗作問題」
- 切手デザインを一般公募(3/19~4/30)
- 採用作の「特選」2点を「発表」(5/24)
- うち、顕微鏡を図案化した1点に「盗作の疑い」(7/10)
- 作者は盗作を否定するも「白紙撤回」。再選定へ(7/11)
きわめてよく似ています。まさに「酷似」。
五輪エンブレム問題は「いまココ」ですね。気になる(?)「その先」です。
- 次点の入選作品4点から、1点を採用作として「再選出」(7/11)
- その構図が、デザイン誌に掲載された図案に「酷似」していることが判明(7/12)
- 作者と協議し「辞退」の方向で調整(7/12)
と、若干同一視はしづらい流れではあります。ただ展開のスピード感は、今度のエンブレム問題と大して違わないように思います。
岡本のコメントは、このタイミングで出されたものでした。
外国によりかかりすぎる/岡本太郎氏談(1966)
朝日新聞(1966/07/12 夕刊)の紙面から、コメント全文を紹介します。文章単位に区切って進めます。
下線は引用者によるものです。また、整理用に番号も付けておきました。
【1】
故意か、偶然かは別として、問題は、最近のデザイナーにオリジナリティー(創意)がまったく見られないこと、外国のパターンにばかりよりかかっていることにあると思う。
いきなりdisり炸裂です。
【2】
オリジナリティに富んだ作品より、国際的に通用するデザインのほうが、選ぶ側も安心するので、国籍不明、個性喪失のデザインが横行することになる。
ここはちょっと面白い論理です。つづきは後ほど。
【3】
デザイン界だけに限らず、芸術、文化全般にもいえることだが、創意尊重の精神がよみがえらない限り、こうした“珍事”はあとを絶たないだろう
「創意尊重の精神」ってどんなものなんでしょう? 少し考えてみたいところです。
【解読】岡本太郎の「反近代」
「オリジナリティー/創意」を軸にして、岡本によるコメントの論理構成を読み解いてみましょう。
結論を先に述べると、ここで岡本が取っているポジションは、とことん「反近代」「アンチモダン」です。
【1】
岡本は、「外国のパターンに寄りかかる」=「オリジナリティーなし」と考えているのがわかります。
【2】
面白いのは、「オリジナリティに富んだ作品」と「国際的に通用するデザイン」とを比較していることです。
ここでの岡本の論理にしたがえば
- 「国際的に通用するデザイン」はオリジナリティーに乏しい
という話になります。
【3】
したがって、岡本にとって
- 「創意=オリジナリティー」とは、「国籍」「個性」を前面に打ち出すこと
にほかならない、という結論になります。
文【2】で「国籍不明、個性喪失のデザイン」もdisっていることに照らせば、整合性はあるように思います。
まとめ
岡本太郎は、デザインを含め「無国籍」「没個性」な芸術・文化をとことんこき下ろしていました。
そんな岡本の徹底的な「反近代」「アンチモダン」ぶりに、後の「太陽の塔@EXPO ’70」の伏線も感じられて、ひとりにんまりしてしまいました。非常に愉快。
こちらからはひとまず以上です。
次号予告
話のつづきは別の記事にします。次の2つの話題を予定しています。
「モダン」はややこしい
「モダン」という概念については、一般向けにもう少し丁寧な説明が必要に思います。私自身、先週ふとしたきっかけで「ああそういうことか」と腑に落ちて、ようやく人さまに説明できる状態になりました。(自分の理解が妥当かは知りません)
デザイン界からの「反旗」は、やはりこの人!
1966年当時のデザイン界も、岡本太郎に言われっぱなしではありませんでした。追っていくと、岡本のコメント掲載から3か月あまりを経て半月後、「モダン」の側からひとりのデザイナーが敢然と反旗を翻していました。
【11/15 追記】日付の確認ミスでした。修正します。
誰あろう、亀倉「TOKYO 1964」雄策その人です。
名づけて「浦島決戦」の勃発です。太郎と亀だけに。
つづく
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