こんにちは。デザイン芸人「デザインや」です。
50年ばかり前に書かれた文章を読んでいると「切手の盗作問題」とあって、なんだろうと思って調べ始めたら、これがどえらい案件でした。
このたびの五輪エンブレム問題と酷似しているからです。
要約:Executive Summary
五輪エンブレム問題そのものも、パクリでした。
パクられたのは、昭和41年(1966年)に起こった「がん征圧記念切手」デザインの盗作問題です。これがとんでもない激ヤバ案件でした。
調べれば調べるほど、そっくりなのです。
出典:読売新聞「入選のガン切手は盗作か/米人図案とそっくり/郵政省あわてる」(1966/07/11 朝刊)
五輪エンブレム問題は、完全にこのパクリです。
違いは「賞金の扱い」
と煽り気味に書いてみましたが、ひとつ明白に違っていたところがありました。それは、賞金の取り扱いです。
五輪エンブレムの場合、賞金100万円はデザイナーの佐野研二郎さんに支払われませんでしたが、「ガン切手」の問題では、盗作の疑惑が向けられた時点で既に賞金(20万円)が作者に支払い済みでした。国会でも取り上げられましたが、どうやら返還はされなかったようです。
詳しくは後述します。
出典一覧
先に、当記事の作成にあたって参照した各種資料を一覧で示しておきます。
(1)『一億総切手狂の時代』(内藤陽介, 2006)「がん征圧運動」(pp.22-35)
(2)盗作騒動|郵便学者・内藤陽介のブログ(2006/06/07付)
(3)がん征圧|四代目 郵趣手帖の収集日誌(2012/04/12付)
(4)衆議院会議録情報 第052回国会 逓信委員会 第1号(1966/07/19)|国会会議録検索システム
当記事における出典表記は、上の番号で行います。
また、新聞記事の引用はこちらの検索結果からです。
「ガン切手盗作問題」検証(1)タイムライン
上記の各資料からポイントを抜きだし、時系列に整理して再構成していきます。五輪エンブレム問題との酷似ぶりがよくわかると思います。
なお名称、肩書き等はいずれも当時のものです。敬称略でまいります。
1958年
日本対ガン協会(現日本対がん協会)設立
※以下「対ガン協会」と表記します
1960年
対ガン協会、毎年9月(年によっては9・10月)を「がん征圧月間」に制定
1966年(昭和41年)
1月12日
郵政審議会で「がん征圧」寄付金つき記念切手の発行を決定
2月15日
郡祐一郵政大臣、「がん征圧」記念切手図案を一般公募する意向を表明
3月19日
郵政省、「がん制圧郵便切手図案懸賞募集要綱」を発表
(その後、対ガン協会の抗議により「征圧」表記に修正)
※通達レベルの発表だったようです。「出典の出典」まで未確認なので、突き止めておきたいところです。
朝日新聞より
4月30日
公募締め切り 応募総数2881点
審査員(6名)
- 三井高陽(切手研究家)
- 渡辺紳一郎(評論家)
- 宮本三郎(日本芸術院会員)
- 山名文夫(日本宣伝美術会会員)
- 吉田富三(東京大学名誉教授)
- 長田裕二(郵政省郵務局長)
5月24日
審査結果発表。「特選」として採用したのは、「顕微鏡」(瀬川憲三)、「X線記号と患者」(上島一純)の2点
※対ガン協会リーフレット【部分】(1966) 出典3より
5月「24日」の発表だったというのは、偶然であっても面白い一致です。五輪エンブレムの発表(7月24日)もここをパクったかと勘ぐれて楽しめます。
7月
「昭和41年のエンブレム問題」が俄然面白くなってくるのは、7月に入ってからです。
7月10日
「盗作疑惑」が浮上
瀬川の作品は、雑誌『アイデア』(1963年12月号)に掲載されていたチャールズ・ゴスリンの作品に酷似していることが判明。
発覚のきっかけは、「名古屋まつり」の公募ポスターで起きた盗作事件で、フジテレビと東海テレビの報道部が盗作の元になったといわれる作品を調査していたところ、特選として郵政省から発表された瀬川の作品と基本的な構図などがほぼ同じものが掲載されていることを発見し、報じたことにありました。
以上、出典2
7月11日
テレビの一報に他メディアも追随します。
※同日朝刊の読売新聞記事【再掲】
郵政省の事情聴取。作者は「偶然の一致」を主張するも、審査員(5名)は採用取り消しを決定。
あわせて、次点「入選」作品の4点から「がん手術とがんの研究」(鵜沢建十)を選出、いったんは採用作とする。
7月12日
ところがなんと、この作品にも「パクリ」疑惑が持ち上がります。
『アイデア』のバックナンバーをチェックしていた郵趣ジャーナリストの中井輝典が、同誌の一九六五年二月号に掲載されているオンニ・ヴォリの作品と鵜沢の作品が酷似していることを発見。ただちに、郵政省の切手係長(略)に電話で報告しました。
出典1・p.29、図版の転載元は『郵趣』1966年9月号
ヴォリはフィンランドのグラフィックデザイナー。問題の作品は、ステファン・オリビエの小説『エールリット博士の話』の表紙で、『アイデア』ではヴォリの作品例として紹介された。
出典1・p.35
郵政省、審査員5名を緊急招集し、対応を協議
【朝日新聞夕刊「記念切手 またも似た作品/繰上げ入選候補作に」】
夜、同省切手係長が次点入選作者自宅(千葉県東葛郡我孫子町)へ訪問し作者と面談。
辞退の申し入れもあり、鵜沢作品の採用を中止。残る「入選」と「佳作」作品から再選定へ
7月13日
【読売新聞「次点にも似た作品/ガン切手 また選び直し」】
郵政省、佳作から「照射機の写真を扱ったもの」(高橋透)を採用と発表
朝日新聞(1966/07/13 夕刊)より
翌朝の読売新聞には、切手原画の額面を「7+3」に修正した図案が載っていました。
この作品は、ガン治療のための回転式コバルト照射機をを写真にして図案化したもの
だそうです。
するとこれにまたケチが付きます。ケチをつけたのは、医療器具メーカーです。
ところが(略)今度は、写真に写っている機械が東芝の製品であったことから、他の医療器具メーカーから「公共性を持つ切手の図案に特定業者の製品を取り上げて宣伝するのはけしからん」とのクレームが付けられます。
出典1・p.30
7月19日
衆議院の逓信委員会で議題に。→会議録:出典(4)
切手の原画が確定。郵政省、印刷局へ発注。
結局、「コバルト照射機」の図案はこうなりました。
対ガン協会リーフレット(1966) 出典(3)より
結局、郵政省としては、(略)高橋の作品をもとに、東京・築地の国立がんセンターのコバルト照射機に赤ランプなど各種の装備品をつけて撮影した上、東芝の製品であることが分からないよう図案を修正しています。
出典1・p.30
佳作作品のアイデアだけいただいて、結局は自前で作ったようです。つづき。
もっとも、この件に関して、東芝以外のメーカーからクレームがあったという事実を認めず、高橋の作品に取り上げられた機械が旧式のものであったので、これを最新式のものに改めるため写真を撮り直した、と説明しています。
なにそれやばい。本当でも嘘でもやばい。
と、そんなこんなのすったもんだの末、「がん征圧運動」記念切手は当初の予定どおり10月21日に発行されました。
出典2より
五輪エンブレム問題の行く末が楽しみになる話です。
「ガン切手盗作問題」の検証(2)関係者コメント
さて、この問題と五輪エンブレム問題の酷似ぶりが一段とひどかったのは、ポイントポイントで関係者から発せられたコメントです。
これがもう、どこを切っても既視感ありありなのです。
まるで「エンブレム会見」の国会委員会
五輪エンブレム問題、じゃなかった、ガン切手盗作問題まっただなかの7月19日、衆議院で逓信委員会が開かれました。盗作問題は、この時期続出した郵政省まわりの不祥事のひとつとして、この会での議題になります。
会議議事録(出典4)を読んでいくと、2015年のエンブレム会見と見まごうほどでした。余談ですが、国会の会議録というのは面白ネタの宝庫です。みんなもっと拾ってあげようよ!(読みにくいけど)と思うのです。
1966年7月に話を戻します。該当のくだりからピックアップしていきましょう。
たとえば、審査に抜かりがあったのではないかと指摘され、先述の曾山克巳政府委員(郵政省郵務局長)は次のように答弁しています。
ただ残念なことに、いろいろと調査は、前の段階においてしましたけれども、デザインブックの一部にありましたところのそのデザインそのものは見落とした次第でございます。今後はそういう点につきましては、本職の方にも入っていただき、十分内外の資料等も照合してみたいと思います。
まるでマーケティング局長です。
このあと
関連して聞きたいのですが、
と別の委員から出された質問は、非常にまっとうなものでした。こんな具合です。
明確な審査基準というものがないからこういうことになるのではなかろうかと思うのです。あるいはあるとすれば、結局それを見失った。
それだけに世間的に大きな問題になったことだから、特選ということにはして、しかもそれを剥奪するとかいうことはしない、賞金はそのまま、積極的におろすということは言わぬということのようですけれども、(略)何もりっぱなものであれば、それは盗作したのでないということであれば採用したらどうですか。ちょっと矛盾していると思うのです。
すこぶるまっとうな道理です。私もそう思います。
ちなみに質問者は、畑和(はた やわら)委員(日本社会党)です。
曾山郵務局長の答弁が、いろんな意味で激ヤバです。
たとえば原作者と十分話をつけて、りっぱな作品であればそれを堂々と採用してもいいのじゃないかということも御意見としては確かにあろうかと思います。思いますが、御案内のように三カ月あとに控えましたがん征圧切手の発行にあたりましては、技術的に、向こうの原著作権者でございませんが、きわめて酷似しましたデザインを書きましたゴスリン氏との交渉とかいうことになってまいりますと、相当な日時を要しますし、私どもとしましては、そういった手続のためにいつ発行されるかわからぬということになっても、本来のがん征圧切手の発行の目的とたがうものでありますから、先ほど私がお答えいたしましたようなことで実は採用しなかったわけでございます。
まるで事務総長です。なんだこれはと、読んで苦笑が止まりませんでした。今読み返しても止まりません。何度読んでも止まりません。
そしてスピンオフ記事も生まれた
あまりにあんまりな答弁だったので、別の記事に、回答者に関する経歴をわかる範囲でまとめました。
【リスト】郵政官僚・曽山克巳の肩書き(2015/10/29)
面白くもなんともない情報ですが興味があればどうぞ。
「疑惑の作者」コメントが瓜二つでヤバすぎ!
極めつきは、盗作疑惑を向けられ使用中止となった「顕微鏡」図案の作者によるコメントです。
まず、「疑惑発覚」の段階で読売新聞(1966/07/11付)に載っていたコメントからです。聞き覚えのあるセリフに線を引いておきました。
瀬川さんの話「全く偶然としかいいようがない。チャールズ・ゴスリンという名もはじめて聞いた。考えてみればこのような偶然もあるのではないか。デザイン界ではある事物を表現する場合、もっともわかりやすい角度で制作しようとする。顕微鏡ならこんどのデザインの角度がもっとも適当で、当然似てくる場合がある。だれが盗作といったか知らないが名誉棄損で訴えるつもりだ」
もっとすごかったのは、「採用取り消し」「白紙撤回」決定後に朝日新聞(1966/07/12 朝刊)に載ったコメントです。面白いので全文引用します。同様に、偶然の一致とは思えない発言に線を引いておきました。
瀬川憲三さんの話 郵政省からはまだ知らせを受けていないが、不採用と決ったのなら、苦心して描いたものだけに、非常に残念だ。アイデアをねるのに二十日間かかったし、作図にも四、五時間かけている。
ん? その「苦労したアピール」はもしや?
「アイディア」という雑誌は、名前は知っているが、ほとんど見たこともなく、たとえ他人の作と似ているとしても、私としては偶然としかいいようがない。
ん? 「そんな共有サービス知らない」的発言はもしかして?
郵政省が「盗作」ときめつけるのなら私もだまっておれないが、似ているから採用を取消すというのなら、これ以上、ことを荒だてたくないので、おとなしく引下がるつもりだ。
ん? 「耐えられない限界状況」きた?
なんでしょうかこの、セガケン(←略すな)コメントのすさまじい既視感は。
どれもこれも、ついこのあいだ見聞きしたばかりのような風景です。もはや誰が見ても、五輪エンブレム問題がこのガン切手盗問題をパクっていることは、火を見るより明らかではありませんか。
なお誤解があるといけないので、ひとつ念のため申し添えておきます。こちらの「顕微鏡ガン切手」への私の心証が真っ黒クロである一方、採用取り消しとなった「佐野五輪エンブレム」に対する心証はシロです。
なのに作者のコメントが瓜二つになっているところが、非常に面白いです。実に面白い。
補遺:「賞金の行方」と「著作権」について
「ガン切手盗作問題」について、2点補足します。
当時、賞金は返還されなかったようだ
冒頭で触れましたが、盗作疑惑の発覚後も、「パクリ特選作品」へ与えられた賞金20万円の返還はされなかったようです。
7月19日の逓信委員会では、「賞金はどうなっているか」という質問に対し、
ただいまのところは直ちにこれを返還させなければならぬというぐあいには考えておらぬのでございます。
という回答がされていました。(出典4)
回答者は、同じく曾山克巳政府委員(郵政省郵務局長)です。
その後「返納された」といった記事が見当たらないことからすると、どうもこのまま賞金は返還されなかったようです。
ちなみに厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」では、昭和41年当時のサラリーマンの平均月給が33,100円となっているそうです(サラリーマン月給|年次統計 による)から、賞金の20万円というのは、当時の給料でざっと半年分ぐらいに相当する額となりましょうか。
1966年当時の20万円は、2015年現在の100万円よりも価値がありそうです。パクったもん勝ちでうらやましい。
共通の無責任構造
エンブレム会見のようだった国会委員会の話に戻りますと、定期異動なのでしょうが、答弁に立ったのは公募した時の郵務局長とは別人です。
「問題となった時点で、既に担当トップが交替してしまっている」のもまた、このたびの東京五輪をめぐる諸問題と共通の構造をしていて、大変味わい深いです。
当時、要項の著作権規定もゆるかったようだ
先述の逓信委員会でも指摘されていたのですが、「ガン切手」図案の公募の際、著作権まわりに関して、
(4)応募作品はいっさい返れいしない。
また、佳作以上の入賞作品の著作権は郵政省に属する。(5)切手として採用する場合修正することがある。
出典(1)p.25
ぐらいしか「応募の条件」には書いていなかったらしいのです。
当今ではそのジャンルを問わず、公募案件において言わずもがなの「パクリはダメ。オリジナル作品に限る」的な一文が募集要項に加えられているのが、過去のこうした「やっちまった」案件の蓄積があってこそだと知って、感慨深いものがありました。
と、とりあえずこの記事はここまでです。ご静聴ありがとうございました。
次回予告
ではこの昭和41年の「ガン切手盗作問題」、この先どういう経過をたどったのでしょうか?
それは、出典(1)(2)として挙げた内藤陽介さんの著書ならびにブログ記事で把握できます。そこを基点に、新聞記事データベースを使って周辺を浅く探査しただけでも、いろいろ闇の深さを感じる話だらけでした。
けれども、この問題に対していろんな人がいろいろ言っていたことの方がずーっと面白かったので、次はそっちの話を書くつもりです。
つづく
コメント
五輪エンブレムの方はそもそも盗作じゃないのに
明らかに盗作されている切手の件と同一視するあたり
頭にウジでも湧いているのでしょうか?
このたびは、拙著の内容をご紹介いただき、ありがとうございます。切手は、紙幣同様、公共財として著作権を主張しないというのが世界的なルールになっているものですから、その分、郵政省サイドも著作権についての感覚はかなりルーズだった時期が長く続いていました。このあたりの事情は、拙著『解説・戦後記念切手』シリーズでも逐次扱っているのですが、たとえば、第5巻『沖縄・高松塚の時代』の「第61回列国議会同盟会議」の項目など、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。
停まれ、今後とも、これを機縁によろしくお付き合いいただけると幸いです。
内藤陽介さま
コメントありがとうございます。思いがけないことで、恐縮しております。
事件の顛末を的確にまとめておいていただいて、お礼を申し上げないといけないのはこちらです。
ご教示いただいたご著書についても、近いうちに読ませていただきます。
主題から離れるので記事では触れませんでしたが、参照した「がん征圧運動」の中ではほかに、切手の売り上げについて、郵政省が長年、会計上「負債」ではなく「収入」として扱っていた旨の注釈が「変なの」と印象に残りました。
「21世紀」のポジションからは、20世紀のありさまが奇妙に見えることがしばしばです。