こんにちは。
東京オリンピック・パラリンピックの「エンブレム委員会」の委員長に就任されたのを機に、宮田亮平さんの資料を探したところ、テレビ神奈川の「佐藤しのぶ 出逢いのハーモニー」出演時の対談が本になっていました。具体的なオンエア日時は不明ですが、話の内容からすると、2013年のどこかだと思われます。
そこから宮田さんの言葉をいくつか拾っておきました。
これで宮田さんの何がわかるわけでもないでしょうが、「東京藝術大学学長」という肩書きだけよりも何かの足しになる気はしています。
宮田亮平さん語録―佐藤しのぶさんとの対談から
対談の収録されていた190~209ページから抜粋します。
かんたんプロフィール
プロフィール代わりになるくだりを拾います。
僕は七人兄弟の末っ子です。
うちは兄弟が七人いて、四人藝大なんです。(略)その子どもたちがまた、みんな藝大です。
生まれが佐渡なので、佐渡の金山からの流れで、わが家も金属工芸に従事してきました。
こういう生育環境です。
かんたん履歴書
僕の人生で、東京藝術大学に入ることが第一の大きなハードルでしたね。佐渡から出てきて。
別の対談(※)で、2浪したと話していました。
※日本財団パラリンピック研究会 『対談シリーズ』【第2回】|TOKYO MX(公開日:2015/05/08)
それから、この大学に骨を埋められるかどうかというのが次の大きなハードルで、教員になれて僕はもう充分だったんですね。
ところがですね、人生わからんもんだね。学長になっちゃった。
芸術の行商人
宮田さんは、自身を「芸術の行商人」と称されています。
海の幸を山へ持っていって、山の富を里へ持っていく。いろんな違いを持つものをお互い感じ合えること
そういうことを、藝大を土俵としてやりたいと思ってる。だから、ある時「俺は学長じゃない、芸術の行商人だ」という話をしたの。
海外にいるからこそ日本の面白さがよくわかる。日本にいると海外の面白さがわかる。
それと同じように、芸術というのは一個じゃなくて、違うものが交換し合ったり、重ね合ったりすると倍の面白さになる。より相乗されて、付加価値がどんどんできていく。
こういうことをやっているんです。それだけなんですよ。
学生に求めることは、「ない」
「在学中の学生たちには一番何を求められるんですか」への答えは
それはね、ないね。
でした。不敵です。
つづき。
僕自身だって、今学長になっていること自体、学生の時に思ったこともないしね。「今の自分が最高で花咲いている」ということが確実に感じられる日々を送ってくれれば、それでいいんじゃないかな。
弱ったときは忘れる
「弱ったな」という時は忘れる。すぐ忘れる。明日になれば違う。明日になると、不思議と見事に「あ、昨日何かあったな」というぐらいに感じられる。これがテクニックかな。
弱いからこそ、あっちこっち行かないで、一つのことだけやってればいいんですよ。あっち噛んだりこっち噛んだりしてたら、結局前へ進まないだけで、すごく疲れるだけじゃない。一個に決めたら、一日、二日、三日、一か月、三か月ってやっていけば、確実に形は残ります。
大仰に申し述べると、宮田さんがここに至るまでに経験してきたであろう幾多の葛藤と挫折を感じさせる言葉に私には思えました。
それから、人と比べないのがいいね。人と比べちゃだめよ。僕なんか、人と比べたらもうとっくにやめてるから。
本当。
この言葉にも、嘘はないように思います。
「末っ子リーダーシップ」(←俺命名)
宮田さんの語りで興味深かったのは、学長としての仕事ぶりのくだりです。
国立の八十六大学の学長会議で、よく学長さんたちが「学長は職務が忙しくて、自分の研究ができないのでね」って言ってるんですよ。それはね、周りのスタッフを信頼してない証拠だな。
教員がいる、職員がいる、そして学生がいるわけでしょ。これだけいたら僕の仕事なんて大したことじゃない、これは任す、頼むって、彼らを生かしていけば、全員が「僕がやらなきゃ」という気分になる。そうするとね、楽なんですよ。いろんな他のことができる。
忘れることもチャンスにします。
ピンチと考えず、平気で「何だったっけ?」って聞くの。相手は覚えてなかったら答えられないでしょ。
「相手に責任を持たせる」という手です。
学生や教員や職員を、素晴らしい人たちを一二〇%生かす。
こういうスタイルを、七人兄弟の一番下という宮田さんの生まれになぞらえて、「末っ子リーダーシップ」と名付けてみました。
エンブレム委員会でも、当然この手法をとっていそうです。
宮田亮平的文化論
文化というのは、すごく豊かな人が余技で観るとか聴くとか買うとかいうふうなものであると考えがちなんだけど、実はそうじゃないんだよ。そのためには、僕ら自身もちゃんと、今の時代、それから半歩先を考えて表現をしていかないといけないと思うんですよ。これは、企業人と同じですよ
という話から、こんな話をされていました。
「美空ひばり」から「AKB48」まで考
この間、AKB48を作った秋元康さんとお話したんですけど、秋元さんは美空ひばりさんの「川の流れのように」を作ったでしょ。その後にAKB48の歌ができたでしょ。「どうしてそんなに違いがあるの」と聞くと、「簡単なんですよ。その時に自分がそれを書きたかっただけなんです」って。自分に自然なんです。無理してない。
美空ひばりさんが 晩年に近く体調が悪くなってきた頃には、そのひばりさんを見た時にあの歌詞が出てきた。今、この閉塞感がある時には、若者から元気を出したいと思ったから、決して素晴らしい才能を持った子たちじゃないけれども、一生懸命やろうとする子たちのみを集めた。それでもう成功だ。あとは彼女たちが頑張っていく。きっかけを作るのは僕らの仕事だと。いわゆるコンダクターの仕事だと。
行商人であるとともに、半歩先を仕掛けるコンダクターでもある、という論旨でのお話でした。
各論レベルでは(殊にAKBに対して)いろいろありましょうが、総論として承れる話ではあります。
楽しみな「曲者」ぶり
同書を含む資料にあたって浮かび上がってくるのは、宮田亮平さんの曲者ぶりです。
目立たないところ、一般人が注目しないところで、隠すわけでもなく表面とベクトルの違うことをやってのけている、ほんとに一筋縄ではいかない人です。
エンブレム委員会の構成メンバーにしても、総花的と思わせておきつつ、第3回エンブレム委員会でデザイン業界から勝井三雄、中西元男の両氏を補強しているあたり、宮田さんの意向が多分に込められているんじゃないかと私はふんでいます。
弱点は武器。隠さない。
対談の最後に自分の弱点を尋ねられた宮田さんは、このように答えています。
あまり探したことがないのでわからないですけどね。弱点は裏返しをすれば必ず武器ですから、隠さずに出す。
出す。そうすると弱点はなくなってくる。
なかなかに不敵な態度です。
そんなこんなで、「末っ子リーダーシップ」の率いるエンブレム委員会の動向に注目しています。
たぶんつづく
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