こんばんは。林修ナイトの時間です。
「あすなろラボ」授業の感想シリーズ、その4です。いや、出典からの補足とした方が正確でしょうか。
出典「わたしが料理を作るとき」の文脈を知る
林さんが授業で取り上げた吉本隆明の文章「わたしが料理を作るとき」は、収められている『背景の記憶』が現在新刊書店で入手できないようですので、どういうことが書いてあるか前後を補足しておきます。
別記事にも書きましたが、初出は1974年の「マイクック」誌です。吉本の生年は1924年ですから、50歳の頃の文章ということになります。
「わたしが料理を作るとき」に書いてあることの要約
「私が料理を作るとき」の、林さんが読み上げた前後の部分に書いてあることを要約してまとめます。
- 吉本家では、吉本隆明が夕食を作っていました。
- そんな吉本は「女性の家事からの解放」的な言説に「うるせー馬鹿」と思っていました。
- 吉本隆明は、この文章を「料理についてのわたしの遺書のようなもの」としています。
- 日常の繰り返しの条件に耐え得ない料理は、家庭の夕食にはならないと吉本は考えていました。
- 「作ると、ある固有な感情をよびさまされるもの」として、次の3つのレシピが紹介されています。
- ネギ弁当
- ソース・じゃが芋煮つけ
- 白菜・にんじん・豚ロース水たき
番組内での読み上げ部分までの引用
文意を理解するのに大事だと思うので、吉本隆明「わたしが料理を作るとき」の冒頭から、林さんが読んだ部分に至るまでの範囲を抜粋して引用しておきます。
<吉本家では、吉本隆明が夕食の料理をしていた>
文章は、このように始まります。
わたしは、ごく親しい知り合いから、吉本さん、料理の本を書くといいよ、と冗談半分、真面目半分にからかわれたことがある。(略)病弱な細君の代りに、ほぼ七年間くらい、毎晩喜びもなく悲しみもなく、淡々と夕食のオカズの材料を買い出し、料理をつくり、お米をとぎ、炊(かし)ぐということを繰返してきた実績をその人がよく知っていたからである。
<吉本が料理を作るときの心境>
七年間もやっていると、(略)ただ、そこに夕方が来るから、口に押し込むものを、す早く作るのだ、という心境に達する。そして、ウーマン・リブの女たちを、一人一人殺害してやったら、どんなにいい気持だろう、などと空想するのが、料理中の愉しみのひとつである。
「ウーマン・リブ」という言葉は最近あまり耳にしなくなりました。「性差による一切の差別除去と、性による役割分担を固定化する制度や意識の変革をめざす女性解放運動。」(明鏡国語辞典)のことです。今ふうに言い直すなら「フェミの人」あたりになるでしょうか。
<料理についての遺書のようなものと宣言>
たぶん、私は死ぬまで、特別の用件で出かける以外は、この料理役を繰返すことになるだろう。そして家事から解放されたり、解放されなかったりする女達を呪い続けて死ぬことになるだろう。だから、この文章は、料理についてのわたしの遺書のようなものである。
印象的なくだりです。女性の解放を声高に叫ぶウーマンリブの闘士たちを尻目に、吉本が淡々と夕餉の支度をしながら「うるせー馬鹿」とつぶやく声が聞こえてくるかのようです。
そしてこのあと、番組で紹介されていた
女性が、自分の創造した料理の味に、家族のメンバーを馴致させることができたら、
という文章に続いてゆきます。
僕には、番組で取り上げられた「料理の味以外に、女性が家族に慕われる方法はない」とする吉本の主張よりも、そこへ至るまでの叙述に込められている彼の怨念の方が印象深かったです。
そして『キッチン』が生まれた
話はそれますが、以上のような吉本家の「台所事情」を知りますと、面白い符合が見えてきます。
それは、こうした環境のもとで育った次女・よしもとばなな(※当時の表記は「吉本ばなな」)さんを一躍有名にしたのが、
私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。
という、実に印象的な書き出しで始まる小説、その名も『キッチン』である事実です。
こちらはフィクションの世界だとはいえ、新たな感慨を呼び起こされるのであります。
実は、吉本隆明の「料理についての遺書」はほかにある
「わたしが料理を作るとき」のことを、吉本は文中で「料理についてのわたしの遺書のようなもの」と宣言してはいますが、しかし探してみると、実は、吉本隆明の「料理についてのわたしの遺書」と位置づけられるものはちゃんとほかにあるのです。
そのことについては、ほかの参考図書と一緒に、また別の記事で。
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