こんにちは。デザイン芸人「デザインや」です。
使用中止された東京五輪エンブレムについては、私的な疑問点として、
- 「佐野研二郎デザイン」と「亀倉雄策の円」のリンク
がまだ解明できていません。そこにこだわりたいです。
そのとき、最低限ここまではさかのぼらないといけない話です。
要約:Executive Summary
- 佐野研二郎さんは、2009年の雑誌「デザインの現場」の企画で2016年東京オリンピックのロゴをデザインしていました。
- 佐野研二郎デザインの「TOKYO_2016」ロゴは、亀倉雄策の円がフィーチャーされたものでした。
元は、「デザインの現場」2009年6月号での特集記事だったようです。
北川一成、池田享史の三氏で競っていました。
見ていただいての通り、亀倉雄策先生が1964年に日の出をモチーフにデザインされたロゴのDNAを受け継ぎながら、「緑のオリンピック」という新しいオリンピックの価値を集約しました。
新刊としては、現在こちらのムックで入手できます。
3人の中で唯一、展開例まで作っていました。
(六本木の街頭写真が無断流用でありませんように)
佐野さんは、誌上で次のように語っています。
ロゴは使ってもらうためにあるわけですから、まず使われる場所をしっかりと想定することが大事です。僕の場合、デザイン途中のロゴを景観の中に合成してみて、そこでの見え方を確認しながらフォルムを詰めていきます。ロゴ単体で煮詰めていくよりも、そうした手順を繰り返し踏んだほうが、野太いデザインになるんですよね。(僕のロゴのつくりかた)
ただオリンピックのロゴともなると、誰も関知しきれないほど広範囲で使用されるわけですから、貼られた場所のことを考えてデザインすることが重要です。
特に東京は、看板などに対する規制が少ないせいで、声高な看板が氾濫しています。そんな環境下に調和しながらも、一瞬で心地良いメッセージが伝わるロゴを生み出していくべきだと思います。僕は、これからの時代は、快適さや気持ち良さといったことが、これまで以上に大事になってくると思っています。
展開性を念頭に置いているあたり、既に十分「伏線」が張られています。
【9/18追記】
Twitterで書体に関する指摘をいただきました。あまり意識していない点でしたので付け加えます。
@yashiro_with_t バックナンバー見てみましたが、ここで彼が使用しているフォントも注目に値しますね。
— 大正町反 (@sorimaty) 2015, 9月 17
@yashiro_with_t こちらこそ、ありがとうございます。Great Western、近いですね。これをベースに横棒を細くするなどのアレンジを加えたのかもしれませんね。こういう検証が好きなので、ありがとうございます。 pic.twitter.com/WSc6oM8ePs
— 大正町反 (@sorimaty) 2015, 9月 17
佐野研二郎さん、五輪ロゴデザインを語る(2009)
読むと佐野さん、けっこういいこと言っているんですよね。「反省会」を兼ねてふり返っておきます。
オリンピックと聞いて考えたことは、前回の1964年に日本が置かれていた状況と現在との違いです。当時とは異なり、今は文化も産業も成熟しきっています。だからオリンピックを機に何かの芽をつくる必要はありませんし、ここ何年か続いた派手でグローバルなお祭りとしてのオリンピックを継続していくのも新しさに欠けます。
クライアントとこのあたりの哲学を共有し、ディレクションを受けられなかったことが、今回の不幸の一因であったように思います。
<普遍性>
2009年にデザインされたロゴが、7年後の2016年までに古びてしまっては困ります。そこには普遍性が欠かせません。するとシンプルなデザインであることや、7年経ったからといって古びることのない「日の出」のような普遍的なモチーフが有効になってきます。
この考えは2020年向けにも踏襲されていたように思います。
<デザイン上のアプローチ>
ちなみに日本らしさに関していえば、花鳥風月や筆文字といった民族的なモチーフを持ち出すこともできますが、それでは亀倉先生の赤い円だけというミニマムなマークの強さには勝てっこありません。けれども、そこから逃げずに挑むなら、今回のように「DNAを受け継ぎながら現代によみがえらせる」というアプローチが有効だと思ったのです。
一方で、この考えと「TOKYO 2020」の原案との間には「ミッシングリンク」があります。
赤い円を「DNA」とするにはちと弱いですし。できるなら解明しておきたい点です。
<デザイナーの存在意義>
昨今、社会における「デザイナーの存在意義」が高まっているという意見もありますが、僕は「デザイナーが思っているほどではない」と思っています。(略)もちろん、つくったロゴで人々をドキドキさせたり、笑顔にさせたいとは思いますけどね。
<デザインの「言語化」>
デザインしたロゴを言語化するプロセスも大事です。(略)僕の経験上はコンセプトを言葉で端的にいい表せないロゴは、強度に欠けることがほとんど。第一、長ったらしい説明が伴うようでは、クライアントにすら理解してもらえませんし、その先にいる人たちにはもっと伝わりません。
後々に残っていくロゴを生み出すためには、クライアントの利益だけではなく世の中のことも考えながら取り組む必要があると思います。
「それがわかっていてなぜ?」という疑念はあります。
いろいろいいましたが、「今東京で開催される意味」「現代とオリンピック」といったことを中心に据えて考えることが大事ということ。もっとシンプルにいってしまうと、『こういうオリンピックが東京にやってきたら最高だな』ってことです。
なんやかんや、いろいろとアレだったせいで、最終的に受け容れられなかったのは悲しいことです。
佐野研二郎デザイン「TOKYO_2016」を知っていた方々【ツイート集】
多くはありませんが、佐野さんの「TOKYO_2016」に言及されたツイートも存在しました。最後となりましたが、「先人」に敬意を表する意味でピックアップしておきます。
そういえば佐野研二郎さんは以前デザイン現場で2016に東京オリンピックが開催されたらって架空の設定でロゴデザインしてたなぁ。それを思うと実際のエンブレムに採用されるの感慨深いだろうな……
— 高橋としゆき (@gautt) 2015, 7月 24
雑誌「デザインの現場」(だったはず)で、以前、佐野さんは2016オリンピックエンブレムを勝手にデザインしちゃいました、的な企画に参加していたと記憶している。その時は、ライトグリーングラデーションの日の丸のデザインを提案していた。亀倉雄策さんへのオマージュとして。
— Hiroshi Ujiie (@H_UJ11E) 2015, 7月 30
次のツイートは、タイミング的には事後となります。
2009年の古雑誌買った。2016東京オリンピックのロゴ勝手にデザインシリーズに佐野研二郎いる・・・ pic.twitter.com/pieZtTkAss
— Yokota Naoki (@jeol_act) 2015, 9月 15
以上です。
コメント
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負け犬の遠吠え、引かれ者の小唄
似た者夫婦
類は共を呼ぶ