三島由紀夫1964年のナショナリズム論が「伏線」すぎた

こんにちは。

オリンピック、とりわけ前回の東京オリンピック(1964)にまつわる資料を取り集めて読んでいます。『1964年の東京オリンピック : 「世紀の祭典」はいかに書かれ、語られたか』(石井正巳編, 2014)もその1冊でした。

で、同書に収録されている

ぼくはオリンピックでいちばん感じたのは、ナショナリズムと平和の問題でね。

(p.124)

という三島由起夫の一連の発言が「伏線」ありすぎだったので、メモがてら記事にしておきます。

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三島由紀夫(1956) commons.wikimedia.org

「伏線」とは

以前、吉田豪さんがテレビ出演されたときに「タレント本が好きな理由」として次のように語っていました。

よく言ってんですけど、伏線が張られてるんですよね、いろんな出来事の。何か事件が起きたあとに読むと、必ず何かあるんですよ。

「博士の異常な鼎談」2009/06/11 OA より

そのまんまでした。

三島由紀夫の「伏線」的ナショナリズム論―「敗者復活五輪大会」(1964)

「敗者復活五輪大会」は、三島由起夫、司馬遼太郎、大宅壮一による鼎談です。同書によると、初出は「中央公論」1964年12月号とのことです。

そそるメンバーによるそそる話題に彩られた鼎談でしたが、ここでは三島由紀夫のナショナリズムに関する発言に焦点を当てます。

日の丸と弁証法的ナショナリズム

いままでは日の丸や君が代に対しては、こんどの戦争でよごれたから、もう見るのもいやだ、という感情的な議論があったですね。(略)そんな処女や童貞みたいな旗はないわけです。アフリカのこんどできた国は別としてね。

こういう意味の「よごれ」は、きわめて日本的だなと思うところです。

いままでは、日の丸は純潔である、という議論があり、つぎには、日の丸はきたなくてだめだといわれ、それがこんどは、日の丸はよごれてもなおきれいである、というナショナリズムが出てきたんじゃないか、と思う。こういう弁証法的ナショナリズムが出たことはいいことですね。

ナショナリズムが高揚すると核武装が必須

ナショナリズムがどんどん高揚していって、ある程度工業力も伴ってきたときに、必ず核兵器をつくらなければならなくなってくる。

論理展開が突飛な気もしますが、三島の持論だったようで、鼎談中に数回出てきました。つづき。

核兵器は、ナショナリズムに限界を画す

となると、これはどうしてもインターナショナリズムが加味されてくる。(略)お互いに調整していかなければ、自分もあぶなくなってしまう。だから、ナショナリズムに、いつも限界を画しているものが核兵器だと思うんです。

まあまあ、承れる話ではあります。つづき

悟り的ナショナリズム(伏線・小)

したがって、日本は、核兵器も持たないようなナショナリズムなんて、別に持ったってしょうがない、とそこから先に悟りを開いたほうがいいんじゃないかしら。

そこそこの伏線を感じます。

自衛隊員の「基準」(伏線・中)

三者三様がよく現れていたくだりです。各自の発言を拾っておきます。

大宅 (略)この間、大阪で、高校生を十人ばかり集めてテレビ座談会をやった。ところが愛国心なんてものは全然受けつけない。学校でもそんなこと一ぺんも教えられたこともないし、愛国心なんかどうでもいいということを、みんな露骨にいいますね。

三島 自衛隊なんかに行っても、彼らも非常に困っていますね。何を基準にしたらいいか。

司馬 それは困っているでしょうね。困るということは、しかし、非常にいい国家だということですね。

伏線とともに感慨も覚える流れです。

日本的ナショナリズムの特徴(伏線・大)

最大にやばかった伏線は、「日本のナショナリズムの最高潮に達した時期は」という大宅の質問に対するこの発言です。

やっぱりこの間の戦争のときでしょうね。というのは、戦争の負けかたにもナショナリズム的負けかたを感じました。

どういうことか、説明が続きます。

ナショナリズムの根本理念は力です。(略)だけど、日本のナショナリズムはちょっと特徴的で、自己破壊的なところがある。

日本のナショナリズムは「自己破壊的」だそうです。つづき。

ナショナリストになればなるほど、自分の素手で短刀をもって人を殺しに行ったり、自分一人崖(がけ)から飛びこんで死んだり、腹切って死んだり、そういう非常に無力な、全体の力をたよらないところのナショナリズムになる。こういうナショナリズムは非常に日本的な特徴じゃないかな。

もう完全に、後の伏線にしか見えません。

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三島由紀夫(1970) commons.wikimedia.org

関連リンク

関連情報の記載のあるリンクをいくつか。

ことの経緯が、当記事よりも広汎かつマイルドに書いてありました。

また今年(2015年)になって、新資料が見つかっていました。

三島由紀夫の東京五輪取材ノート見つかる|産経ニュース(2015/03/23付)から。

三島は新聞3紙の依頼を受けて五輪を取材し、観戦記を寄稿していた。ノートの存在は知られておらず、新潮社の「決定版三島由紀夫全集」にも未収録だった。

朝日新聞デジタルスポーツ報知共同ニュースにも同様の記事がありましたが、上の産経ニュースの記述が、全体的にバランスがよかったです。

こちらからは以上です。

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