こんばんは。林修ナイトの時間です。
林修さんが、子供の勉強で困っている母親を前に授業を行った7月14日放送の「あすなろラボ」は、確かにいい授業ではありましたが、見どころの多かった第1弾の「VS勉強嫌いのヤンキー」と比べると、本筋でも、本筋と関係ないところでも、いろいろと反応したくなる内容でした。
アクセス解析的には全く期待されていないのが明らかですが、トピックごとに細かく区切り、淡々と感想を綴って記事にしていくことにします。
まずは、リアルなまる子と祖父友蔵との関係についてです。
発端は、嫁のタレコミ情報
14日の「あすなろラボ」は、嫁と一緒に見ていました。林さんが、ちびまる子ちゃんの家族構成を説明していたこのくだり、
「でここでやっぱりいちばんのポイントになってくるのは、僕はここ(祖父)の友蔵だと。ここが文化人類学的にいう冗談関係と、いってですね、緊張を緩和する関係になってるんですね」
ここで嫁がぽつんと
「友蔵って、実際はすっげーヤな爺さんだったらしいよ」
とこぼしました。
僕は出典マニアですから、こう返しました。
「その情報、どこ発?」
「さくらももこの本で読んだ」
アニメで描かれている「冗談関係」と正反対だったというわけですか。なるほど、これは面白い(←なにレオ?)。
ストレスフルだった出典調査
番組終了後、さっそく調査を始めました
しかしネット検索を使っての調査は、出典マニアの僕にはストレスでした。なぜなら出てくるのはWikipedia とほか数サイトを除いては、それらのコピペだらけだったからです。ノイズばっかり。
僕から言わせれば、出典のない情報は無価値です。無価値が言い過ぎならば、価値を大幅に減殺して評価するべきもの、とでも言いましょうか。
たとえ個人のうんこブログでも、コピペだけでものを書くなよ~。って誰向け?
ですがそれでも、嫁の言う「さくらももこの本」とは、『もものかんづめ』(1991, 2001)であることを突き止めることができました。
「メルヘン翁」に記されたリアル友蔵
というわけで『もものかんづめ』を入手してきました。
同書に収められている「メルヘン翁」は、このように始まります。冒頭から引用します。以下、引用はすべて「メルヘン翁」からです。
祖父が死んだのは私が高二の時である。
祖父は全くろくでもないジジィであった。ズルくてイジワルで怠け者で、嫁イビリはするし、母も私も姉も散々な目に遭った。
具体的には、たとえば次のように書かれています。
ジィさんは、死ぬ数年前からボケていたのだが、そのボケ方がどうも怪しい。知らんふりして私の貯金箱から金を盗んだり、風呂をのぞこうとしたり、好物のおかずが出たりすると一度食べたにもかかわらず、「食べてない」とトボケて食べようとしたりするのだ。
アニメで描かれている友蔵とは、ほぼ真逆であったことが分かります。ですから、友蔵へも、その死への目線も実に冷ややかです。
私は、あれは絶対わざとボケたフリをしていると踏んでいた。老人問題の〝ボケ〟まで逆手にとって巧みに利用するとは、なんたる不良翁であろうか。
そんなジジィが残した物は、汚いメガネとますます汚い入歯だけであった。
ジィさんの戒名の称号は居士であった。死ぬと無条件に仏の弟子になれるというこの世のシステムには改めて驚かされる。もしジィさんが本当に仏の弟子になってしまったら、インチキはするわ酒は飲むわで一日で破門であろう。
それなのに〝居士〟だ。
まとめ
この世は過酷で、どうしようもなく救いがたいものです。
ですからさくらももこさんはフィクションのなかで理想の祖父像を描いたのであり、視聴者はフジテレビの日曜夕方にくり広げられるファンタジーの世界に、安らぎを得るのでしょう。
付記
とはいえ「メルヘン翁」は大変ユーモラスな一編でした。友蔵の死に顔というボケ・オチがあって、騒ぎに気づかず寝ていた姉を起こし「ムンクの叫びだよあれは。決して笑っちゃダメだよ」と忠告のていでフリを利かせるくだりなど、見事に笑いの構造が構成されていました。
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