こんにちは。
データ検証一切なし。印象だけで綴る雑な記事です。
問題の定義
いろんな人のブログやTwitter でのツイートを見ていて、自分の配偶者を何と呼ぶかに苦心されている方が少なからずおられることに気がつきました。
いざネットで発信する段になり、自分の配偶者を何と呼ぶかに苦心し、とりあえず呼び名を定めてみたけれどもいまひとつしっくりこない。そして漂う「それじゃない」感。
これを、
ネットで自分の配偶者を何と呼ぶか問題
と名付けます。そのまんまやがな。
※写真と本文は関係ありません。
男は軽度。まだまし
男はまだましです。どんなトーンでネット発信するかにもよりますが、
- 妻
- 嫁
- カミさん
- 家内
- 女房
あたりのどれかで、だいたい事足ります。
「嫁」は便利
僕個人は「嫁」を使います。それでほぼ問題ありません。考えてみるに、次の3つが理由です。
- テレビで関西の芸人さんを中心に「嫁」が使われており、配偶者の呼称として全国的にも定着しつつあること
- そこでいろんな人によって語られる様々な「嫁」像が、自分の場合ともおおむね合致していること
- このような「嫁」の用法は、「嫁」本来の用法とはいくらか乖離していること
最後の理由について、もう少し詳しく説明します。
嫁とは本来「息子の妻」
かつて関西以外の地域では、「嫁」といえば「息子の妻」を指すのが一般的でした。「嫁姑問題」というときの嫁です。自らの配偶者を嫁と呼ぶ用法は、全然ないとまでは言わないものの一般的ではなかったのです。自分が結婚「する」相手を嫁と呼ぶことはあっても、その後も結婚「した」相手を嫁と呼ぶのは珍しいことでした。
事実、4,5 種類の国語辞典で「嫁」を引いて確認した限り、どれも「息子の妻」が第一の語義でした。中には「息子の妻」「結婚する相手」以外の語義が記載されていないものもありました。
関西芸人による「嫁」用法の確立
「嫁」の用法にはそういう背景がありますから、息子の妻ではなくて自分の妻を「嫁」と呼ぶとき、自然とそこには、関西の芸人さんによって語られる「嫁」のイメージが付きます。僕にとっては便利です。
女は深刻。悩んでいる
問題は女性サイドです。
「女性からの配偶者の呼び方」に関して、僕が目にしたことのある例をあげますと、
- 夫の人
- オット
- 家人
- 同居人
- 相方
- 連れ合い
- パートナー
などがあります。
どれも逡巡や韜晦や苦悩が見え隠れします。女たちは、ためらい、はぐらかし、迷い悩んでいます。
そうしてとりあえず決めてはみたものの、必ずしも採用した呼称に満足してはいない。そのように見受けられるケースが過半です。
原因は、呼称に関して「カジュアルな書き言葉がない」こと
なぜこんなことになっているのでしょうか。
僕が思うに、その原因は、日本語では配偶者の呼称に関してカジュアルな書き言葉がないことにあります。
そしてなぜカジュアルな書き言葉がないかというと、「これまで必要なかった」からです。
ネットの普及によりネットでの発信が一般化するまでは、書き言葉というのは、すべからくフォーマルな性質を帯びるべきものでした。事実、ブログ・SNSよりは多少フォーマルな性質を持ったQ&Aの掲示板などでは「夫」が主流ですし、目にする側も「夫」で特に違和感を覚えません。
もちろん、ネットの普及以前に「カジュアルな書き言葉」を使う機会が皆無だったわけではありません。私的な書簡などでは、カジュアルな言葉遣いになるケースもあったでしょう。ただその場合の相手の呼称は、名前であったり、二人称であったりすればよく、問題が生じにくい状況にあったと思います。
ブログにせよツイートにせよ、形式上はともかく、ネットを介して誰でもアクセスできるわけですから、実質上は特定の誰かに宛てたものではありません。そこにも問題の根があるように感じられます。
このような状況下で何かを書くことは、歴史上なかったことです。
英文では生じえない問題(たぶん)
自分が唯一、比較的使える外国語である英語と対比してみます。
この問題は、英文では生じにくいように思います。呼称に関して、英語では話し言葉/書き言葉、フォーマル/カジュアルの差が日本語ほど大きくないからです。
たとえば、男性からなら(my)wife、女性からはhusband、同性カップルならpartner、ややフォーマルならば、性別によらず使えるspouse。このほか、僕の知らない言い方もあるのかもしれませんが、だいたいこれを使えば問題ないように思います。
初出時に上記の表現のどれかと、必要ならば当人の名前とを組み合わせて説明し、以後は代名詞のhe、she を使えば、「ネットで自分の配偶者を何と呼ぶか問題」の起こる余地はほとんどありません。
まとめ:試行錯誤の時代は続く
そうとらえると、「ネットで自分の配偶者を何と呼ぶか問題」は日本語特有の語法に起因するようです。そしてこの問題は、女性からのケースにおいて顕著です。
明治期の言文一致の歴史、あるいは同時期における日本語パンクチュエーションの成立の歴史を鑑みると、日本語話者のあいだで少なくともあと10数年は試行錯誤の時代が続きそうです。
事態の推移を、注意深く見守っていこうと思います。
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