こんにちは。日本一「逝去」に詳しいブログへようこそ。
「逝去」を調べているうちにそうなる予感がしましたので、先にそう自称することにしました。
この記事で言いたいこと
世に
- 身内の死に「逝去」は使わない
というマナーがあることを知りました。
考えるだに謎です。根拠が見つかりません。
マナーを説く側からは「逝去は尊敬語だから」的な説明がされています。しかし謎なのは、「逝去」が尊敬語であるという根拠です。
「身内に逝去は使わない」という謎のマナー
「逝去」に関して、こういう「マナー」があると知りました。※下線は引用者
(前略)これは、身内が言う言葉ではない。人が死ぬことを「逝去」と言うが、これを単に「死」を言い換えた言葉だと勘違いしている人が多い。
この言葉は「死ぬ」の敬語である。だから「逝去」はあくまで他人について使う言葉で、身内の死については「死去」である。
【出典】
テキストはGoogleブックス(p.94)から取りました。
謎の多い主張です。
私と見解の相違が著しいです。
謎の「逝去」認識にもの申す
再度引用しつつ、自身の見解を並べ置いておきます。
身内が言う言葉ではない。
根拠がない。何を根拠に?
人が死ぬことを「逝去」と言うが、これを単に「死」を言い換えた言葉だと勘違いしている人が多い。
勘違いではない。「単に『死』を言い換えた言葉」こそが正当な認識だろう。
勘違いはどちら?
この言葉は「死ぬ」の敬語である。
ここは同意できる。直截な言い回しを避けて言い換えることが敬意の表現にはなるので。
だから「逝去」はあくまで他人について使う言葉で、
前と「だから」でつながるのが謎。敬語のカバーする範囲は他人についてだけではない。
以上となります。
根拠なしのマナーをふりまく害悪
この程度の雑な論理しか持たないくせに、
新聞の死亡欄に「弊社取締役○○○○儀、×月×日、逝去いたしました」と書かれているのをよく目にするが、「逝去」では自社の取締役に敬語を使うことになるので、「永眠」がふさわしい。
なんて、よく平気で根拠のないマナーを書き散らせるなと思います。なんなら害悪です。
「逝去」の意味をたどる
たしかに辞書で「逝去」を引くと
他人の死の尊敬語。(広辞苑)
と書いてあります。
しかし、あらためて「逝去」の漢字を解読しておきますと
- 逝は「ゆく」
- 去は「さる」
の意味しかありません。
なのになぜ、今日の「逝去」の意味が、「他人の死の尊敬語」にまで肥大化してしまっているのでしょうか。
そこを探らなければいけません。
冠婚葬祭「コピペ業界」への挑戦
調べを進めているうちに、「逝去」も属する冠婚葬祭の世界は、出典マニアにとってかなり厄介であることがわかってきました。
コピペまみれだからです。
コピペの氾濫ぶりは、これまでたびたび調査してきた「名言」界以上に思えます。
斎藤美奈子さんが、著書でこんなふうに述べていました。
「常識」だ「しきたり」だと威張っている人に「どこで知った?」と聞いてみよう。たいていは聞きかじり、よくてこの種の本だから。
『冠婚葬祭のひみつ』(2006)p.91
大した根拠もなくムダな規範を押しつけてくる人を、少しでも黙らせたいものです。
つづく。
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