こんにちは。
こんなツイートが回ってきました。
松本修さんの『全国アホ・バカ分布考』(初版は1993年)には放送作家時代の「百田くん」が登場する。そう、何かと話題のあの方。その「百田くん」は歴史的事実がどうっだったかにはまるで関心がなく、テレビ的な面白さのみを追求する人物だ。
— 浜門麻美子 (@hamakado_mamiko) 2015, 6月 28
松本修さんもテレビマンだから、面白くするための脚色がゼロではないと思うが、ほぼそのまんまと考えると、今現在のあの人物の言動がよく理解できるのではないか。
— 浜門麻美子 (@hamakado_mamiko) 2015, 6月 28
「何かと話題の」「あの人物」「百田くん」とは、もちろん百田尚樹さんのことです。
ナイトスクープの金字塔:「アホ・バカ分布」
人気テレビ番組の「探偵!ナイトスクープ」(ABC)から生まれた『全国アホ・バカ分布考』は、文庫になったときに読みました。好著でした。ここで築かれた学術的成果は、番組あるいは制作の朝日放送のみならず、全民間放送局の放送史に残る金字塔と言っても過言でありません。
同書は、成果を得るプロセスを含めて大変に面白く書かれているゆえ、評価する側の目が曇ってしまっているのではないかとの懸念すら覚えます。
百田尚樹『アホ・バカ』検証
さて、本書に百田さんが登場したことは覚えていましたが、どんな描写だったかの記憶はまったくありません。
はて、「歴史的事実がどうっだったかにはまるで関心がなく」「テレビ的な面白さのみを追求する」人物、そんな書きぶりだったかしらん?
そこを、手元にある新潮文庫版の『全国アホ・バカ分布考』(1996)を読み直して検証してみました。
読んだのは5年ほど前のつもりでいたら、奥付を確認すると1996年12月付ですから、18年半前です。老けるわけです。
なお書名の『全国アホ・バカ分布考』は、以降『アホ・バカ』と表記します。
そんなアホバカ検証です。
検証結果
先に結論を書きます。
- 「百田くん」ではなく、「百田君」でした。
- 「百田君」は「面白さを追求する」と言えそうです。
- 百田君は「しち面倒くさいお勉強」や「こむずかしい理屈」には興味を示さないものの、「歴史的事実に関心がない」とまでは言えないです。
- そういうことに関係なく、『アホ・バカ』での百田君に関する記述は大変面白いものでした。
「百田くん」ではなく、「百田君」
まず表記ですが、『アホ・バカ』本文中に登場するのは、「百田くん」ではありませんでした。
文中のべ20数か所に登場するのは、フルネームをのぞいてすべて「百田君」でした。
1回だけ「百田くん」がありますが、それは俵万智さんによる巻末の解説内での表記です。
「百田君」の人物像
『アホ・バカ』本文の「百田君」に関する記述の中から、いくつかピックアップしてみます。
業界入りの経緯
構成陣を率いるのは、会議中、無駄口(むだぐち)ばかり叩(たた)いている百田尚樹である。彼は昭和五十一年から四年間、私がディレクターをしていた『ラブアタック!』の〝みじめアタッカー〟として、全国に知られる学生のスーパースターだった。(p.30)
その当時から抜群のアイデアマンだったが、就職もしないままブラブラ遊んでいたのを、そんなことではいけないと番組を手伝ってもらっているうちに、いつの間にかこの世界に入ってしまったのである。(p.30)
以上のような経緯から、百田さんにとって『アホ・バカ』著者の松本修さんは、直接の指揮命令系統下でないにしても、上司的人物と言っていいかと思います。
なお松本さんは昭和24年(1949年)11月生まれ。1956年2月生まれの百田さんより6歳年長です。
顰蹙を買う
彼はまた見上げるべき趣味人で、最近はコイン手品に凝っている。会議中にも練習を止(や)めようとせず、失敗しては大きな音を立てさせてコインをあたりに散らばらせ、みんなの顰蹙(ひんしゅく)を買っていた。(p.30)
「凝っていることで失敗して顰蹙を買う人」というのは20年以上の時を隔てても共通しているようです。
ズボラが奏功
情報をまとめて分布図の下図を描く作業は、(略)私に代わって、構成の百田君とアルバイト学生・三谷康生君が果たしてくれた。(p.38)
※下線は引用者(以下同じ)
初めて目にするその分布図は、やはりまだ九州や東日本に空白地が多く、ずいぶんおおまかなものだった。「アンゴウ」であると情報の寄せられている岡山県が「ダボ」となっているなど、ズボラな百田君らしい誤りがいくつかあったが、いまさら手直しすることもできない。また後日に、改める他はなかった。(p.43)
「ズボラな百田君らしい」と書かれていて、この時からなのねとひとしきり感慨を覚えます。
あにはからんや、そこが分布図作りに功を奏します。
…分布図が間違っているから訂正せよ、と抗議する人も少なくなかった。百田君の杜撰(ずさん)な分布図作りがかえって幸いしたもので、これは貴重な発見だった。つまり分布図を本当に正確に仕上げようとするならば、該当地域の人々には申しわけないことだが、なるたけいい加減な地図を発表し続ければよいということになる。分布図作りは当分、百田君に任せておいた方がいいだろう。(p.46)
杜撰さを逆に品質を上げるためのテコにするという、見事な起用術です。
しち面倒くさいのは嫌い
アホ・バカの分布について、京都から伝播した「方言周圏論」を採る松本さんに対し、当初百田さんは古代王朝語の名残とする「お国言葉説」を支持し、意見が対立します。
私は全スタッフに読んでもらえるよう、すぐに会社内の書店に『日本の方言地図』を大量に発注した。
のちになって判明したことだが、百田君をはじめ番組スタッフは、誰ひとりとしてこの本をまともに読んでくれなかった。(略)バカバカしいギャグを考えさせたら天下一品の強者(つわもの)ぞろいだったが、しち面倒くさい勉強は注射よりも大嫌い、という困った連中ばかりなのであった。(p.79)
ただここは松本さんも、面白おかしく書いている風でもあります。
こむずかしい理屈に興味なし
詳細は『アホ・バカ』を参照してもらうとして、調査と探究の結果、松本さんは「人をバカにするな」が上方発の関西弁であるという結論に達します。
発見を百田君に伝えるくだり。
それまで一年間、なにかの発見をするたび意見が欲しくて彼に伝えてきたが、彼はこむずかしい理屈には一向興味を示してくれなかった。(p.351)
自信にあふれた意見は…
それでも百田君に説明した結果です。
百田君はいちいちうなずいて聞くと、やがて確信を持ってこう断言した。
「それは、……凄(すご)いことです。今まで聞いた中で、いちばん凄いことですよ! たしかにそのとおり、『人をバカにするな』は関西弁です。おそらく絶対に間違いないでしょう」
百田君の自信にあふれた意見は、これまでの経験からしてけっして鵜呑(うの)みにはできなかったが、「人をバカにするな」を、古くから連綿と使われ続けてきた関西の言葉であると直感してくれたこと自体は貴重だった。(pp.352-353)
「絶対に間違いない」
つづきです。
先入観、固定観念を脱ぎ去ったとき、あざやかに見えてきたのは、彼にも私にも同じものだったのである。
「わかる? 『バカ』の力が、どれほどまでに偉大であったかが」
「まさにその、馬鹿力というやつですね。絶対に間違いないでしょう」
「またまた、『絶対に間違いない』かいな。あんたにそれ言われると、かえって自信を失うわ」
私たちは大いに笑い合った。(p.353)
ここから敷衍させると、百田さんの「絶対に間違いない」にツッコんでもまるで笑いになっていないのが、昨今の、とりわけ『殉愛』騒ぎ以来の情勢に通底する問題点だと言えそうです。
興味がある点には探求心を持つ
つづき。
突然、百田君が言った。
「ところで松本さん、『バカ』の語源はいったいなんでっか?」
私はドキッとした。「バカ」の語源を求めてすでに一年以上になるというのに、いまだに手がかりさえもつかめない。
「それがまださっぱりわからへんのや」
「まだわかりまへんのかいな。次にぼくが聞きたいのは、やっぱりその話ですね」
そう言って、百田君は再び機嫌よく台本を書く作業に入っていった。(p.353)
百田君は「歴史的事実にまるで関心がない」わけでもなく、興味のある問題には相応の関心を持っていると言えそうです。
「バカ」の語源も、調査研究を重ねてこのあとで説得力のある説が提示されています。百田さん覚えてるかしらん。
おまけ:百田君のあこがれ
百田君は少年時代、肉というと鯨肉しか食べさせてもらえなかったので、牛肉には異常なあこがれを持っている。(p.455)
試験会場は焼肉屋かステーキハウスがよさそうです。
まとめ
20年近く経って読み直した『全国アホ・バカ分布考』には、もうひとつのアホ・バカ分布考も隠されていました。
時を経て同じ本を再読する読書には、こういった楽しみも加わることがわかりました。
次回予告
文中での百田君の「アホ論」が面白かったので、分けて書きます。
つづく
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